きっと多分、正しくて正確では、足りないんだと思う。
おかしさや辻褄の合わなさに、安堵や人らしさを、人は覚えるのを、人はあまり上手に伝えあってないんでしょう。
そこそこ緩く、あちこちツギハギであっても、いやむしろその方が、人は構えないで向き合えるのだろう。
すごくなさ、がなくては浸透しないものがあるのをタオのような教えにはごくすんなり含んでも見えるが、実践に足る物腰の良さとしては、共有されてはいまい。
揚げ足取りや、一過性のワンイシュー如きで威張り散らせる世情の陳腐は、そう長く維持できないでしょうし、何より品のなさで淘汰は進み再浮上の機会もないでしょうね。
柔らかく生き、丁寧に向かい、過剰に苛まず、無益に謙虚を重ねない、適切さのある物腰でありましょうや。
息遣いがゆったりした双方であってこそです。
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