【漢文超訳】襄陽守城録―最前線に着任したら敵軍にガチ包囲されたんだが―
カクヨムのSSです。
ラノベのようなタイトルをしてますが、
「『襄陽守城錄』というガチの古典超訳したラノベの皮を被った古典」です。
しかも王族、貴族、皇帝といった上流階級の人間ではなく、
文字通り最前線で戦ったガチの戦記ものを今風に翻訳したSSという特徴的な内容です。
ぜひ見てください。
「襄陽がまたにぎやかになるな」
「まあ、そうっすね」
「これだけ働き手が増えりゃ、箭やや砲弾が不足する心配が減る」
「え?」
「何をすっとぼけた顔してるんだ? 箭も砲弾も、使えばなくなるだろう?」
「そりゃそうですけど」
「こういうデカい船を使って戦うようなことがあると、
箭や砲弾なんか、ほんの数日で尽きちまう。
でも、まともな品を買いそろえるための金も時間もない。そんなとき、どうする?」
「どうって……ええと、襄陽の敢勇軍って、かなり戦い慣れてます?」
「昔から小競り合いの絶えねぇ土地柄だからな。
タコ金とやり合うこともあれば、茶賊として朝廷の狗いぬを相手に暴れることもある。
上等の武器や道具や兵器ばかり使ってもいられねえ」
「たくましい」
「まともな箭や砲弾がなけりゃ、代用品で戦う。
布の端切れを矢羽根代わりにしたり、黄土を固めて砲弾にしたり。
そういう手作業は案外、女や子どもや農夫がうまい。
城内の者をどんどん働かせりゃいいって話は、すでに趙都統には通してあるぜ」
「なるほど。じゃあ、ここで保護する人たちも、ある意味、襄陽の貴重な戦力になり得るんですね」
敢勇軍は緒戦を勝利で飾った。そして、破竹の勢いでタコ金軍の寨への奇襲を成功させていく。
十一月二十五日の夜、趙家軍の統領である扈こ立りつと協力して、
敢勇軍の茶商、廖りょう彦げん忠ちゅうと路世忠と張ちょう聚しゅうが千人を率いて南門から出て、
虎頭山とその近辺の寨を襲撃した(*4)。
二十六日の夜、旅世雄と将官の裴はい顕けんが敢勇軍兵士六千人あまりを率いて、
襄陽の西北の水上でタコ金と交戦し、米を満載した輸送船二艘を強奪するのに成功した(*5)。
二十七日、タコ金が襄陽の西側に「招安あきらめろ」と書いた旗を立て、数人でこちらの様子をうかがっていた(*6)。
兄貴が度胸の据わった男を募ると、
名乗りを上げた李超は城を出て船を漕いでタコ金の連中に食って掛かり、追い払って、見事に旗を奪って帰ってきた。
その夜、旅世雄と裴顕は敢勇軍を率いて船を出し、漢江を渡って北岸に置かれた寨を奇襲すると、タコ金の食糧輸送船や渡し船を焼いた。
兄貴にとって敢勇軍の戦果は嬉しい驚きだったみたいだ。
「まさかここまで戦えるとはな。
城壁の見張りや城内の警備の手助けになれば、という程度しか期待していなかったんだが」
「はい。永英……ああ、旅撥発官のことですけど、永英は人柄もすげぇ頼もしいし。船、カッコいいし」
「阿萬がそう認めるなら心強い」
「でも、そういえば永英、
最初は兄貴の考えがわからなくてビビッてたって言ってましたよ。
リーダーシップがあるのか恐怖政治の独裁者なのか、どっちなんだろうって」
「そうか、萎縮させちまってたか。
心に留めておこう。これからどのくらいの期間ここに籠城しなけりゃならないか、
まったくわからねえ。できるだけ多くの者と確かな信頼関係を結んでおくことは大事だな」
冬の半ばの一日。
川面から吹く風は冷たい。
でも、襄陽の戦意は静かに燃え始めたところだ。
強い熱を感じる。