コンクリートで出来たマンションでの生まれて初めての生活。
人間は大丈夫でも、とても犬が快適に過ごせる環境ではありません。
おまけにこの夏の暑さといったら、一日中エアコンのお世話にならなければ、毛皮だらけの彼らには過酷です。
中学生のときに初めて猫を飼い、10年間猫を、それから15年間犬を飼っていました。
いつも身近に動物のいる生活をしてきて、今の、この何もいない生活というのが、静かで、煩わしさも無いけれど、たまらなく寂しい。
最後の犬が死んだとき、すでに北海道を離れることが分かっていたので、次の犬を探すことはしなかった。
私は、きっと母性本能とやらが強いのかもしれない。
いつも何かの面倒をみていたい。世話がしたい。
仕方なく(?)、今は煙たがられながら息子をベタベタに可愛がっている。
しかし、彼ももう成人、いくら子供っぽいとはいっても、一人前の青年。
いつまでも母の気まぐれに付き合ってはくれないでしょう。
このままの生活がいつまで続くのか。
いつになったら、あの愛らしい毛むくじゃらの生き物と暮らせるのか。
平和で穏やかな生活の中で、ひとつだけ、「犬」が足りない気がする。
我が家の家族だった三匹の犬たちの骨は、今も私の身近にある。
人間は大丈夫でも、とても犬が快適に過ごせる環境ではありません。
おまけにこの夏の暑さといったら、一日中エアコンのお世話にならなければ、毛皮だらけの彼らには過酷です。
中学生のときに初めて猫を飼い、10年間猫を、それから15年間犬を飼っていました。
いつも身近に動物のいる生活をしてきて、今の、この何もいない生活というのが、静かで、煩わしさも無いけれど、たまらなく寂しい。
最後の犬が死んだとき、すでに北海道を離れることが分かっていたので、次の犬を探すことはしなかった。
私は、きっと母性本能とやらが強いのかもしれない。
いつも何かの面倒をみていたい。世話がしたい。
仕方なく(?)、今は煙たがられながら息子をベタベタに可愛がっている。
しかし、彼ももう成人、いくら子供っぽいとはいっても、一人前の青年。
いつまでも母の気まぐれに付き合ってはくれないでしょう。
このままの生活がいつまで続くのか。
いつになったら、あの愛らしい毛むくじゃらの生き物と暮らせるのか。
平和で穏やかな生活の中で、ひとつだけ、「犬」が足りない気がする。
我が家の家族だった三匹の犬たちの骨は、今も私の身近にある。