今年の政治・社会面での最大イベントはアメリカ大統領選挙だろう。
トランプさんの圧勝で終わった。
これでアメリカもやっとまともな社会に戻ると思う。
不法移民の受け入れとか、LGBTQの促進とか。どう考えても普通の米国人には抵抗のあることばかり。それを促進しないまでも許してきた民主党政権に退場を願うのはやむを得ないだろう。
この選挙で既存マスコミもその権威と影響力を失った。永久に失ったと言ってもいいかもしれない。
それはそれとして、私が未だに理解できないのは、映画俳優や歌手などのいわゆるセレブという人たちが反トランプキャンペーンにのめり込んでいったことだ。
俳優ではジョージ・クルーニー、トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ等など。
歌手ではマドンナ、アリアナ・グランデ、ビヨンセ、テイラー・スウィフト、他にも沢山。
それ意外のセレブだとオプラ・ウィンフリーが目立ったな。
特定の政党や政治家に入れ込めば、当然それらを支持する人たちの反感を買うのは目に見えている。こういう人たちは人気商売なのだから、当然そんな割に合わないことは避けるべきだ。
しかしお構いなしに邁進した。
これがよく分からない。
例えば日本ではこのようなセレブが特定の政党や政治家を推すことは稀だ。
今思い浮かべてもそんなことをするのは三流のタレントくらいしかいない。名前も思い出せない連中だ。
なぜアメリカでは事情が違うのか。
私の推測だが、アメリカのセレブの人たちは、その華やかさ、贅沢なライフスタイルと引き換えに(と言うか、それだからこそ)頭が空っぽと揶揄され、嘲笑される傾向があるのではないだろうか。
これに耐えられず、何か政治的なポジションを明言することで自分の頭は空っぽではない、と主張したい。そんな事情が背景にあるように思う。
翻って日本ではそのように芸人やタレントを見ることはあまりないし、またそのような意見を芸人・タレントに求めるのはそれこそ「野暮」だという認識がある気がする。
「それは野暮だよ」というのは結構なキラーワーズだ。誰も野暮な人間にはなりたくない。日本では。
アメリカにはそのような野暮さを忌避する文化がないのかも。
人間、誰でも自分の意見を主張すべき、というのが一種の美徳として受け入れられているのだろう。
彼らも今回の選挙で痛い目を見たのかもしれない。
(おっと、彼らまたは彼女ら、と言わないとねじ込まれるかな?)
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今日はジムが休みだ。
休みだと、『ジムに行かねばならない。会費の元を取らねば』という一種強迫観念がなくてのんびりできていい。
朝はサラダと豆腐、ほうれん草を食べた。ご飯はなし。糖質制限なので。
お昼はナスを市販のレトルトもので炒め、加えて冷凍の小さな魚を二尾いただいた。
午前中は垣根の剪定。それとメルカリの出品。
午後は息子が二階からおろしてきたペットボトルなどの空の容器の洗浄と乾燥。これは外に置いてある二槽式洗濯機をフル稼働してこなす。今日は比較的温かいので苦にならなかった。真冬だとつらい。水も冷たいし、空気も肌を切るような寒さだし。
これは乾かせて明日市の処分場に持ち込むつもり。
こんな感じで家の周りの雑用をこなしている。天気がいいと気持ちいい。
夜はエバラの坦々ごま鍋にする。これから買い出しだ。
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今日メルカリの出品をするときに妙なことに気づいた。
ゆうパケットプラスで出品したが、このために専用の箱を買う必要がある。
65円かかる。
そこで「専用の箱をください」と郵便局員に声をかけた。
郵便局から帰る途中、車の中で「専用箱をください」とは言わなかったけど、なぜだろう。勿論言おうと思えば言えるが、何かいいずらい気がする。
しかし「専用ボックス」なら言える。というか「専用のボックス」とは言わない気がする。つまり漢字のあとにカタカナが来るときは「の」を付けない。
これは特に誰かに教わったわけでもない。そういう気分に自然となる。
そこで他の例を車の中で探してみた。
それが今思い出せないので、後で思い出したらここに書き出したい。
では夕食の準備をします。
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