病気療養中だったスディールさんが、
昨日のAM3:30亡くなりました。
享年66歳、逝くには早すぎます。
ロンドンで療養していましたが、
先月くらいからケニアに戻っていて、
穏やかに過ごしていると聞いていました。
でも、11月初め頃にはだいぶ良くなくて、
家族から連絡を受け、岩瀬がケニア行きを決めました。
岩瀬は11月12日(火)にナイロビに到着し、
4日間毎日病院で一緒に過ごし、
スディールさんを看取ることとなってしまいました。
私は14日(木)にスディールさんと、
電話で話すことができましたが、
声も元気そうで、調子はどう??と聞くと、
まあまあとのことで、良かった!!と言うと、
「Not so good!」と言っていました。
でも、まさか2日後に亡くなるとは・・。
スディールさんはとても頭の良い方で、
私のような拙い英語でさえも、
理解のできる人でした。
放射線の道も究め、世界一になったのに、
病魔に侵され、その先に進めなくなりました。
ラリーのナビゲーションも優れていて、
1993年にGr.Aのセリカに乗った時は、
作ったペースノートよりも、
実際は速かったこともあり、
ペースノートから2段階を、
上げて読んでいたとのこと。
ペースノートは4日間で、
大学ノート10冊以上に渡るもので、
それを読みながら2段階進めるなど、
常人にはできないこと・・・。
当時のトップドライバーから、
何度もナビゲーターをやって欲しいと、
頼まれたようですが、全てお断りをしたのだそう。
岩瀬がケニアでラリーを始めたのが1980年頃で、
その頃は大学生で、当時からずっと、
岩瀬のナビゲーターをしていたようです。
悲しくて、なかなかブログ書けませんでした。
スディールさんの声が耳に残っていて、
涙が止まりません。
けれど、昨年からの闘病は大変だった様子。
もうこれで辛いことから解放される・・。
どうぞ安らかに。
Facebookにも載せてありますので、
見られる方は「山﨑浩子」を検索してください。
私の拙い言葉では言い尽くせないですが。