ランチアランチにサンドロ・ムナーリさんが来日されて、
一緒にシモ・ランピネンさんとランボルギーニのデザイナーの方も、
日本に来られていました。
シモさんはランチア・フルビアやストラトスもドライブされたそう。
フィンランド人のWRCドライバー。
最初にお会いしたのは「ラリー北海道」だったと思います。
「ラリージャパン」に昇格する前のアジパシだった時!?
シモさんと当時のFIAラリー委員長だったS.メッタ氏と一緒に、
帯広にいらしていて、岩瀬が一緒にコースを回っていました。
シモさんはコース担当でした。
すごくジョークの好きな、楽しいおじさんという印象でしたが、
「すごいドライバーだったんだよ」と聞き、
「へーーーそうなの???」と当時は無知丸出しでした。
今回の来日はモータースポーツジャパンと重なっていて、
私たちはランチア・ランチに行くことができず・・。
岩瀬が「シモさんにお会いしたい」と言い出し、
ランチアクラブの方に、ランチ後のスケジュールを確認したところ、
何とシモさんも「岩瀬に会いたい」と言ってくれて、
日曜日のランチア・ランチ終了後に東京に来ることに。
そして、シモさんを車で乗せてきてくれたのが、
ラリードライバーの三好選手でした。
「日曜日のホテルをブッキングして下さい」と金曜日の夜に言われ、慌ててホテルを予約。
22日(月)はモータースポーツジャパンも終わり、
午前中にホテルへお迎えに行き、
その日は一日、東京を回ることになりました。
シモさんにもいくつかのご希望があり、まず秋葉原へ。
でも、希望のものは入手できまぜんでした。
そして昼食を一緒に食べました。
「お寿司が食べたい」とのことでしたが、
回る寿司が良いのか、回らない寿司が良いのか、一瞬考え込んでしまいました。
その後、赤坂に行きたいとの事で「ホテル・ニューオータニ」へ。
1980年代に日本にいらした時に、
赤坂プリンスホテルとの間にクリスタルグラスでできた、
真っ赤な電話ボックスがあったとのこと。
その写真を撮りたいということでしたが、
最近は携帯電話の普及で、電話ボックスは撤去されていたよう。
ホテルに40年近くお勤めだった人も探し、
覚えていないかを聞きましたが、なかなかいないものです。
私も「そういえばあったかも」という覚えはありますが、
明確な記憶はなし。
どなたか覚えてる人とかいないですかね??
港区のNTTに聞けばわかるでしょうか。
結局、電話ボックスは見つからずに、
庭園の見えるティールームでお茶を飲みました。
お庭も、以前来た時と同じだったと非常に喜んでいました。
シモさんのプロフィールがフィンランド語のものしかなかったので、
正確には翻訳できていませんが、13歳の時にポリオという病気にかかったようです。
その後遺症だと思いますが、足首に障害があり、
とても車を運転できる状態ではないように思います。
でも、長きに渡り、ワークスドライバーとして活躍をされてきました。
おそらく、あまりそういったことは報道されて来なかったと思いますが、
とてもすごいことだと思います。
WRCには33回出場の他に、ル・マン24時間ではクラス優勝もしているそう。
(正確に訳せていないので、本当は違ったらすみません)
翌日、帰国されるとのことで、夜に成田空港近くのホテルまでお送りしました。
ホテルに着いてからも、色々な写真を見せてもらい、
また、日曜日に開催されたランチアランチの写真や画像も解説付きで見せてもらいました。
何時間も同じテンションでずーっと話をされるので、
それもすごい!と思いました。
最後に写真にサインをいただきました。
また、北海道のラリーの時の写真をお渡ししたものに、
岩瀬がサインをするように言われ、
お互いにサインをして写真を交換した形になりました。
シモさんはこれからもFIAの役員を続けられると思いますので、
また、どこかのラリーに行った時には、
お会いできるかも知れません。
今回、ランチアランチではデモランもされたとのことで、
本当にスケジュールが重なっていたことは残念でしたが、
一日ご一緒することができ、大変光栄でした。
写真はシモさんと赤坂で一緒に撮ったものです。
モータースポーツジャパンは全車撮りましたので、
ホームページに載せる準備をしています。
ナンバーを消す作業などもありますので、少々お時間下さい。
一緒にシモ・ランピネンさんとランボルギーニのデザイナーの方も、
日本に来られていました。
シモさんはランチア・フルビアやストラトスもドライブされたそう。
フィンランド人のWRCドライバー。
最初にお会いしたのは「ラリー北海道」だったと思います。
「ラリージャパン」に昇格する前のアジパシだった時!?
シモさんと当時のFIAラリー委員長だったS.メッタ氏と一緒に、
帯広にいらしていて、岩瀬が一緒にコースを回っていました。
シモさんはコース担当でした。
すごくジョークの好きな、楽しいおじさんという印象でしたが、
「すごいドライバーだったんだよ」と聞き、
「へーーーそうなの???」と当時は無知丸出しでした。
今回の来日はモータースポーツジャパンと重なっていて、
私たちはランチア・ランチに行くことができず・・。
岩瀬が「シモさんにお会いしたい」と言い出し、
ランチアクラブの方に、ランチ後のスケジュールを確認したところ、
何とシモさんも「岩瀬に会いたい」と言ってくれて、
日曜日のランチア・ランチ終了後に東京に来ることに。
そして、シモさんを車で乗せてきてくれたのが、
ラリードライバーの三好選手でした。
「日曜日のホテルをブッキングして下さい」と金曜日の夜に言われ、慌ててホテルを予約。
22日(月)はモータースポーツジャパンも終わり、
午前中にホテルへお迎えに行き、
その日は一日、東京を回ることになりました。
シモさんにもいくつかのご希望があり、まず秋葉原へ。
でも、希望のものは入手できまぜんでした。
そして昼食を一緒に食べました。
「お寿司が食べたい」とのことでしたが、
回る寿司が良いのか、回らない寿司が良いのか、一瞬考え込んでしまいました。
その後、赤坂に行きたいとの事で「ホテル・ニューオータニ」へ。
1980年代に日本にいらした時に、
赤坂プリンスホテルとの間にクリスタルグラスでできた、
真っ赤な電話ボックスがあったとのこと。
その写真を撮りたいということでしたが、
最近は携帯電話の普及で、電話ボックスは撤去されていたよう。
ホテルに40年近くお勤めだった人も探し、
覚えていないかを聞きましたが、なかなかいないものです。
私も「そういえばあったかも」という覚えはありますが、
明確な記憶はなし。
どなたか覚えてる人とかいないですかね??
港区のNTTに聞けばわかるでしょうか。
結局、電話ボックスは見つからずに、
庭園の見えるティールームでお茶を飲みました。
お庭も、以前来た時と同じだったと非常に喜んでいました。
シモさんのプロフィールがフィンランド語のものしかなかったので、
正確には翻訳できていませんが、13歳の時にポリオという病気にかかったようです。
その後遺症だと思いますが、足首に障害があり、
とても車を運転できる状態ではないように思います。
でも、長きに渡り、ワークスドライバーとして活躍をされてきました。
おそらく、あまりそういったことは報道されて来なかったと思いますが、
とてもすごいことだと思います。
WRCには33回出場の他に、ル・マン24時間ではクラス優勝もしているそう。
(正確に訳せていないので、本当は違ったらすみません)
翌日、帰国されるとのことで、夜に成田空港近くのホテルまでお送りしました。
ホテルに着いてからも、色々な写真を見せてもらい、
また、日曜日に開催されたランチアランチの写真や画像も解説付きで見せてもらいました。
何時間も同じテンションでずーっと話をされるので、
それもすごい!と思いました。
最後に写真にサインをいただきました。
また、北海道のラリーの時の写真をお渡ししたものに、
岩瀬がサインをするように言われ、
お互いにサインをして写真を交換した形になりました。
シモさんはこれからもFIAの役員を続けられると思いますので、
また、どこかのラリーに行った時には、
お会いできるかも知れません。
今回、ランチアランチではデモランもされたとのことで、
本当にスケジュールが重なっていたことは残念でしたが、
一日ご一緒することができ、大変光栄でした。
写真はシモさんと赤坂で一緒に撮ったものです。
モータースポーツジャパンは全車撮りましたので、
ホームページに載せる準備をしています。
ナンバーを消す作業などもありますので、少々お時間下さい。
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