日本語の乱れのひとつの具体例として挙がるのが
ら抜き言葉です。
テレビニュース等の素人へのインタビューで
その内容がテロップで流れる際に1日2~3回は目にします。
例えば「ひき逃げ犯のナンバーが見れた」と言っているのに
テロップには「ひき逃げ犯のナンバーが見られた」と流れます。
なぜ勝手に訂正されてしまうかというと
これは現時点での国語においては明確な誤りとされているためです。
かつては「若者言葉」などと呼ばれていたこのら抜き言葉ですが
過去の調査結果の推移や数年前の調査結果などを考えると
若者だけが使用する言葉ではなくなりつつあるようです。
その他「食べ(ら)れる」や「出(ら)れる」などもよく使われ
「見(ら)れる」のようにら抜き言葉を使う人が半数を超える例もある一方
「考え(ら)れない」では「考えられない」を使う人が約9割を占めるなど
使用する言葉と使用しない言葉の区別化が進んでいるとも言えるそうです。
一方、「書く」は「書らける」という使いはなく
「書ける」がそもそも正しいわけで、ら抜き言葉に出来る出来ないの判断は
「見よう」「食べよう」「出よう」「考えよう」のように
「~よう」が付く付かないで判別できるとのことです。
ちなみに「書く」は「書よう」ではなく「書こう」になり
「座れる⇒座ろう」「切れる⇒切ろう」も同じくら抜き言葉には出来ません。
こうしたヤヤコシイ使用方法やその是非、さらには
小難しい学問的解説はともかくとして、誤りが許されない
公的シーンやビジネスシーンなどでは、動詞を名詞に置き換えてしまい
「(~する)ことができる」を使うと間違いがないとされています。
上の例では「ひき逃げ犯のナンバーを見ることができた」です。