
全3巻の「空飛ぶタイヤ」の最後の1巻を
ようやく借りられたのは2巻目を返却後10日も経ってからでした。
三菱自動車のリコール隠しが発覚したのは
このドラマでもそうでしたが「内部告発」が発端だったと聞いています。
食品偽装事件も内部告発でした。
個人の良心が組織的悪知恵を強制的に戒めるには
国家権力に訴えるしかなく、それには必ず“物的証拠”が必要で
これを外部の者が入手することは“至難の技”であって
内部の協力者なしではほとんど不可能でしょう。
ましてや大企業の隠匿工作は完璧です。
電車のとんぼ返り
で三菱自動車本社から
当時は特急で片道3時間もかけて、わざわざ持ってきた書面は
本来の印刷物の「極秘」文章とは似ても似つかぬものでした
ごくありふれた便箋に書かれていた内容は
すでに忘れてしまいましたが
確か「商品情報メモ」というような見出しの
なんと“ボールペンによる手書きメモ”で
正式な書類ではないように装われていたことは
はっきりと記憶しています。
「陸運局から呼び出されたら、この書面を提出してください」
この期に及んでようやくあの
書面が
一切、外部に漏れてはまずい内容だったことだけは
はっきりと判りましたが
「リコール」という発想は全くないどころか
その制度自体の知識すらありませんでした。
昔は「欠陥車」という
判ったような判らないような言い方が一般的でしたので
この言葉がこれほどに世の中に知れ渡ったのは
三菱のリコール隠し事件以降だったのではないでしょうか。
この“一悶着”は、これで表面的には一件落着したのですが
結局、私には三菱自動車からも、勤務先の社長からも
事の真相は何も語られることはありませんでした
それはそうで、例えば何も知らない自分の子供の一言で
親が毎晩“泥棒”をしていることが発覚しそうになったからと言って
「俺が泥棒をしていることが世間にバレてしまう」と
事情を説明したり叱りつける親がいるとしたら
それはアホな行為であって
下手をしたら墓穴を掘ることにも繋がってしまいます。
そして約1ヵ月後、厚さ1cmはあろうかと思われる
かなりの枚数の当該車
の写真が掲載された報告書が
三菱自動車から陸運局に提出されるのですが
この際も三菱本社からわざわざ手渡しで提出に行くという直前に
ほんの数秒、垣間見た内容は
「当該車両は過去に路肩に落下した事故歴があり
その衝撃により燃料ポンプが破損したと思われる」との記載でした。
事故歴の情報はどうやって入手したのか
それとも作り話だったのかはもちろん判りません。
どのみち刑事的事態が発生したのではありませんから
警察権力の介入はありません。
そしてこれが“リコール隠し”であったことは後日、G系販社のOさんに
「実はトヨタも日産も同じメーカーの燃料ポンプを使用していて
輸出車を含めると500万台
のリコールになるところだった」と
内緒で聞いて初めて知ったのですが、これが本当なら
全メーカーが秘密裏に対策品と交換していると言うことでしょう。
逆の言い方をすれば、自動車メーカーの“リコール隠し”は
当時は日常的に行われていたことと考えざるを得ないのです。
三菱のそれは私が入社した前年の
S52年頃から始まったとされています。
この一悶着後も“新米フロントマン”の元へは
(YF)Σのディーゼル車で頻繁にあったオーバーヒート対策として
ラジエターシュラウドを「あらゆる入庫の機会を捉えて交換」とか
同車種の「オートマの故障対策はミッションを無償で交換」とか
相も変らず
文章で続々と届き続けたのですが
これがリコール制度に抵触する内容だったのかは今でも判りません。
それから実に17年も経ってから
ふそうトラックのタイヤ脱落による死傷事件が起こるのです…。

(現在のG系本社。すでに私のいたP系は消滅しています)
最後に
冒頭に記載しましたように、全ては記憶に基づくもので
書類等の裏づけはありませんので
記憶違いがあることは否定できませんが
犯人探しの際の「似顔絵
」は
写真よりもその特長を際立たせると言われています。
この事件以降
自動車業界がどう変ったのかは知る由もありませんが
こうした反社会的行為がなくなっていることを祈りつつ
60歳を過ぎた今でも写真のG系本社の2軒隣で
中古車販売をナリワイとしています。