この話題は東日本大震災の直後
報道で様々な人が頻繁に口にされた「想定外」という言葉を
少し落ち着いてきた今になって考えているものです。
「地震は想定内だったが津波の規模が想定外だった」
私はこう理解していたのですが、最近、著名な某大学教授が改めて
「あの程度の規模の地震であれだけ大きな津波が発生した原因は
推定はできても今後の研究に待つ所が大きい」との解説がありました。
発生した原因論は、何人も登場する彼らに任せるとして
歴史上、過去にどの程度の波高が発生しているか
そしてその視点からは想定外は本当に妥当だったのか
ごく単純な疑問が湧いて来たのです。
基本的に津波の原因は
陸地の崩壊、隕石の落下などの一部を除けば
海底地震によるものがほとんどで
記録に残る21世紀での津波の発生は次の通りでした。
なんと、現実には今回を含めて
回も
これだけの高さの津波が発生しているではありませんか!
(国外発生の地震によるもの)
1946年 アリューシャン地震=波高30m(推定)- 死者・行方不明者165人。
1960年 チリ地震=最大で6mの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、死者142名。
2004年 スマトラ島沖地震=波高34m 、インド洋沿岸各国で25 万人の犠牲者。
遠隔地津波発生で史上最大の被害。
2010年 チリ地震=津波の高さの推定は岩手県陸前高田市の両替漁港で1.9m、
気仙沼魚市場で1.8m、岩手県大槌町の大槌漁港で1.3m。
(国内発生の地震によるもの)
1923年 関東地震(関東大震災)…津波の最大波高は静岡県熱海で12m。数百人の犠牲者。
1933年 昭和三陸地震…地震による被害は少なかったが津波による死者・行方不明3064人。
最大遡上高は岩手県大船渡市三陸町で海抜28.7mを記録。
1940年 積丹半島沖地震 ・・・残っている記録が少ないが死者10人。津波は利尻島で3m。
1944年 東南海地震=軍部の情報改ざんや記録の消滅・散逸により被害の全体像が不明。
死者・行方不明1223人とされる。津波の波高は熊野灘沿岸で8m。
1946年 南海地震 ・・・ 津波は静岡県から九州まで来襲、最高6m。
1952年 十勝沖地震…津波により北海道浜中町南部が壊滅。津波は最高で6.5m。
1964年 新潟地震 ・・・ 津波規模2m。観測地点によっては4m。
1983年 日本海中部地震=秋田県を中心に津波による犠牲者100人。
最も波高が高かった場所は現つがる市で14.9mを記録した。
1993年 北海道南西沖地震=奥尻島で最大波高16.8m、遡上高が30mに達する。
死者・行方不明198人。
2011年 東北地方太平洋沖地震=岩手県宮古市の重茂半島で遡上高38.9m
観測できた津波の高さ9.3m以上(福島県相馬港)。津波において国内観測史上最大。
(これまでの最高波高は)
1958年にアラスカ南端のリツヤ湾で起きたもので何と高さ520m!
ただし、これは津波というよりは、地震による湾の奥での大規模な
山体崩による水跳ねと言うべき異論もあるようですが。
こうして見ると、原発の寿命は40年とも言われていますので
稼働期間中に最低2度程度は
この規模の津波に襲われる可能性があることは
素人の私でも考え付く範囲の話なのですから
すべての研究者が想定外としていたとはとても思えないのです。
そしてさらに、想定内とか想定外とか言っても
その“主語”が欠落しているのですから、肝心なことは
研究所なり大学の先生の専門家ではなく
原発を計画、実行する行政と電力会社が
必ず存在したはずの想定内の方の意見に従っていたら
今回の原発被害は避けられた、または最小限で済んだのかもしれません。
こうして見ると、エネルギーを使い放題にする現代文明の効用に応えるため
行政や企業が、多くのリスクを顧みない
またはそうせざるを得ない現実が見えてきます。
そのリスクが実際の悪影響をもたらしたとき
本来は「想定外でよいとした意見を採用した私の責任です」と言うべきところを
他人事のように「想定外でした」と言い放って
曖昧な主語による責任逃れをしているように思えてなりません。
一方では、想定内とした場合も
それに対する対策は充分なので安心して欲しい、と
社会的合意が取れる方向に持っていかなければならず
さらには社会全般では合意しても“総論賛成、各論反対”もあるのですから
リスクの部分を正確に伝えず、安全面と効用のみを謳い上げた
「原発の安全神話」みたいなモノの登場にも繋がってしまうのかもしれません。
(原子力への依存度がなんと80%というフランスでも
いくら地震がないとは言え、別の想定においては
同じような方便がまかり通っているのでしょうか)
このように考えを進めていくと、想定する範囲を極力、狭くし
その中で万全な対策を求めるのであれば
効用を求める消費者の側が覚悟をして、その求める大きさをどんどん小さくすれば
天秤の反対にあるリスクをより減らせることになることは明らかです。
その覚悟とは、エネルギーを湯水の如く使って成り立つ
現代文明の効用を諦めるということに他ならず
再生可能エネルギーと地球温暖化に影響しない程度の
最小限の化石燃料によるエネルギーだけで成り立つ
文明&社会を築き直すという覚悟だと思うのですが
世界全体が出来るかについては残念ながら悲観的です。
特に、開発途上においては…。
一方、日本では、祖先が“完璧に”そう暮らしていた時代があり
TVドラマで人気の「Jin-仁ー」の舞台にもなっている
それがまさに江戸時代なのですから、良いお手本がすぐ身近にあるとはいえ
その頃の生活にどの程度戻すことができるのかは
ほとんど絶望的に思えてなりません。
人口、今の4分の1
糞尿等による完全有機栽培
電気、電話、車、列車なし

ロウソク1本の明るさ5w
東京~京都、歩きで約2週間
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(何もそこまで戻らなくてもいいか
)
【終わり】