朝まで生TVとかによく出てくる精神科医で大学受験にも詳しい和田秀樹が2001年に書いた
「モノが売れない時代のバカ売れ心理学」(幻冬舎)というのを読んだ。
そこには、あえて世の中2つのタイプに人間を分けるなら次のようになると書いてある。
なんでも周囲にあわせる「シゾフレ人間」と、自分を持っている「メランコ人間」
今の若者の多数派は「シゾフレ人間」だとか、
1970年前後を境にジゾフレ人間が多くなって、今ではそれが多数派になっているらしい。
若者=多様性・個性的、などと思っては間違いで、
彼らはみんなで同じように奇抜な格好をしているだけ、
みんなと同じでいたい、CDのメガヒットはみんなが聴くから私も聴く、
カリスマを求めてついていきたい、神頼み、責任転嫁、運に身を任せる・・・
などの行動を示すんだとか。
「赤信号 みんなで渡れば怖くない」昔ビートたけしが言った日本人を表した有名な皮肉だけど、
それはメランコ人間が多かった時代の話で、今はなんと
「赤信号 みんなが渡るから渡る」なんだとか!
前者にはまだ悪いことだとの意識がある、でも後者になると完全に思考停止している
また、テレビの出会い系番組の変化についても触れらていて興味深い
70年代「ラブアタック!」
たった一人のかぐや姫を射止めるために複数の男性が競争し、熾烈な争奪戦の後、
勝ち残った男性が女性に告白する権利を与えられる。
努力する男性、待つ女性。確かにそんな時代だった。
8~90年代「ねるとん紅鯨団」
ここから変わってくる。合コンだ。
複数の男女がワイワイ時を過ごし、表面的な部分を見せ合って
フィーリングだけで相手を探す、番組の支配者であるとんねるずが神の声のごとく
内向的な男女を結び付けてくれる。
でもこの時代、最後には男性が自分の意思で相手を選び告白していた。
「ちょっとまったー」と競争する部分もまだ残っていた。
2000年「あいのり」「未来日記」
そしてこの番組に来ると参加者はテレビ局の仕組んだ筋書き通りにそっていく。
そのシナリオに添っていると本当に恋愛感情に発展していく?
他力本願?演じているのか本当なのか意味不明に思えてきます。
視聴者はその台本に共感して見ている。
確かにこれらの変化は若者のジゾフレ化をはっきり示している気がする。
そして、その影響はすべての年代にも襲っていて「ヨン様冬ソナブーム」とつながっていく。
他の人がどう思っているか、どう考えているかが気になって仕方がない。
同じことをしていたら安心する?
周囲とズレてしまうとみんなと一緒にいられないからという理由で、
まわりに合わせて生きるジゾフレ人間は自分で確固たる価値基準を持たないようにしているとか。
そして、政治的には「シゾフレ人間」は主体性を持たないので強く引っ張ってくれる人についていく。
そして今回の自民党大勝。
2001年発行だから後に小泉自民が圧倒的勝利することをこの本は予見していたわけだ。
この、シゾフレ人間とはどういう人たちなのか?このシゾフレ人間こそが現在の商売のターゲットであり、
そこを理解しないとモノは売れませんよ~というのがこの本の趣旨だ。
これを読んでいると、いくら警笛を鳴らし旗振って見せても、
思考停止のままに皆が行くからと崖から飛び降りてしまう集団なんて
止められそうに無い気分になってくる。
ゲイの中でもシゾフレ化はある。
どうせ世間に認められないのだから自分たちの権利拡張など、どうでもよいと考えてしまう傾向とか。
ヘテロ社会が晩婚化していることに乗じて、まだしばらく自分自身と向き合わなくても良いと考えて
棚上げしている様子とか。
うーん、目先の生活にとらわれて日々精一杯と思っているうちに取り込まれてしまうもんなんだよね。
危ない危ない!
自らを結局首しめるこの風潮。これらを防ぐ方法は歴史を振り返ることだそうだ。
どういう流れで現在があるのか?過去を復習し、そして未来を考える。
これらの目線を無くすると、目前のことだけになって不幸な歴史を繰りかえすようだ。
「モノが売れない時代のバカ売れ心理学」(幻冬舎)というのを読んだ。
そこには、あえて世の中2つのタイプに人間を分けるなら次のようになると書いてある。
なんでも周囲にあわせる「シゾフレ人間」と、自分を持っている「メランコ人間」
今の若者の多数派は「シゾフレ人間」だとか、
1970年前後を境にジゾフレ人間が多くなって、今ではそれが多数派になっているらしい。
若者=多様性・個性的、などと思っては間違いで、
彼らはみんなで同じように奇抜な格好をしているだけ、
みんなと同じでいたい、CDのメガヒットはみんなが聴くから私も聴く、
カリスマを求めてついていきたい、神頼み、責任転嫁、運に身を任せる・・・
などの行動を示すんだとか。
「赤信号 みんなで渡れば怖くない」昔ビートたけしが言った日本人を表した有名な皮肉だけど、
それはメランコ人間が多かった時代の話で、今はなんと
「赤信号 みんなが渡るから渡る」なんだとか!
前者にはまだ悪いことだとの意識がある、でも後者になると完全に思考停止している
また、テレビの出会い系番組の変化についても触れらていて興味深い
70年代「ラブアタック!」
たった一人のかぐや姫を射止めるために複数の男性が競争し、熾烈な争奪戦の後、
勝ち残った男性が女性に告白する権利を与えられる。
努力する男性、待つ女性。確かにそんな時代だった。
8~90年代「ねるとん紅鯨団」
ここから変わってくる。合コンだ。
複数の男女がワイワイ時を過ごし、表面的な部分を見せ合って
フィーリングだけで相手を探す、番組の支配者であるとんねるずが神の声のごとく
内向的な男女を結び付けてくれる。
でもこの時代、最後には男性が自分の意思で相手を選び告白していた。
「ちょっとまったー」と競争する部分もまだ残っていた。
2000年「あいのり」「未来日記」
そしてこの番組に来ると参加者はテレビ局の仕組んだ筋書き通りにそっていく。
そのシナリオに添っていると本当に恋愛感情に発展していく?
他力本願?演じているのか本当なのか意味不明に思えてきます。
視聴者はその台本に共感して見ている。
確かにこれらの変化は若者のジゾフレ化をはっきり示している気がする。
そして、その影響はすべての年代にも襲っていて「ヨン様冬ソナブーム」とつながっていく。
他の人がどう思っているか、どう考えているかが気になって仕方がない。
同じことをしていたら安心する?
周囲とズレてしまうとみんなと一緒にいられないからという理由で、
まわりに合わせて生きるジゾフレ人間は自分で確固たる価値基準を持たないようにしているとか。
そして、政治的には「シゾフレ人間」は主体性を持たないので強く引っ張ってくれる人についていく。
そして今回の自民党大勝。
2001年発行だから後に小泉自民が圧倒的勝利することをこの本は予見していたわけだ。
この、シゾフレ人間とはどういう人たちなのか?このシゾフレ人間こそが現在の商売のターゲットであり、
そこを理解しないとモノは売れませんよ~というのがこの本の趣旨だ。
これを読んでいると、いくら警笛を鳴らし旗振って見せても、
思考停止のままに皆が行くからと崖から飛び降りてしまう集団なんて
止められそうに無い気分になってくる。
ゲイの中でもシゾフレ化はある。
どうせ世間に認められないのだから自分たちの権利拡張など、どうでもよいと考えてしまう傾向とか。
ヘテロ社会が晩婚化していることに乗じて、まだしばらく自分自身と向き合わなくても良いと考えて
棚上げしている様子とか。
うーん、目先の生活にとらわれて日々精一杯と思っているうちに取り込まれてしまうもんなんだよね。
危ない危ない!
自らを結局首しめるこの風潮。これらを防ぐ方法は歴史を振り返ることだそうだ。
どういう流れで現在があるのか?過去を復習し、そして未来を考える。
これらの目線を無くすると、目前のことだけになって不幸な歴史を繰りかえすようだ。