先日紹介した中学生日記を見ました。
男子も痴漢やレイプなどの性的暴力を受けることがあると取り上げたこのドラマ。
野球部のエースの彼は臨時コーチにいやらしい行為をされてしまう。
それから、他人に触れられたり、ベルトを外す音などを激しく嫌うようになり、
自分は駄目な人間だと責めて登校拒否になってしまう。
後半の最後は優しさにあふれていて、とても感動的であった。
中学生日記『誰にも言えない 後編』の再放送は、7/15(土)10:45~教育テレビ
(あらすじが出るので後編だけ見ても良いかも)
被害者自身が、「被害を受けたもの」という立場から
「サバイバー(被害から生き残ったもの、勝ち抜いたもの)」であるとの考え方をして、
強く生きていこう!と発想をしていることが紹介されていて感動した。
被害を受けたと泣き寝入りをしていただけでは駄目だ、
大変辛い経験ではあるが、それでもそれを乗り越えて強く生きていかねばならない。
その方法のひとつとして、被害にあった人は恥ずかしがらず他人に頼って
相談することや、被害者が頼りやすい環境になるように、身の回りのものが
意識してつくっていくことだと紹介していた。
男性の10人に1人が何らかの性的虐待を受けたことがあるそうだ。
被害にあった人が陥りやすい自己否定や不安な状況には次のようなことがあると
さっと紹介されていた。
1、誰にも相談できなくなる
2、人との接触を極端に嫌う
3、被害を思い出す音(ベルトの音、ベットの音、足音など)に敏感になる
4、感情を持つのが怖くなる
5、何も出来なくなる
6、男でなくなってしまったと思う
7、同性愛者になってしまうと思う
なぜ拒否できなかったのだろう、
なぜ気持ちよくなってしまったのだろう、
自分は汚れてしまった、そして同性愛者になってしまうのではないか?
そんな不安が入り乱れるようだ。
番組ではインターネット上のサイトの紹介として先の項目を載せられてはいたが、
ドラマの中では特に1~3に注目し、7番目のことは触れずにいるようだった。
この心遣いに番組制作スタッフの配慮と高い見識に感心した。
そして、俺はこんなことを思ってた。
「同性愛者になることは不幸なことで、汚れたものであるのか?」
そう、同性愛をそのように忌み嫌う社会だから不安になるわけで、
同性愛もありえるし、おかしなことではないとの情報発信がなされていれば、
少しは不安になることが減るのではないだろうか?
相談もしやすくなるのではないか?
そして、加害者の先輩については、仮面を被らざるを得ない社会であるが為に、
悪い方へ悪い方へと向かっていったのではないだろうか。
タブーで忌み嫌うものとするから、アンダーグラウンドに潜むことになり、
変態性欲となり、悪の巣窟みたいに思われ、
本人の意識も悪い方向へと向かってしまう。
そんなことを考えた。
「少年愛」それはあると思うし、その感情を持つ人を俺は否定出来ない。
かといって18歳未満の少年に対し、成人がそういう行動をした場合、
相手との同意があったとしても性的暴力とされる。
これは判断能力の無い少年を守る為の、社会の決めごとである。
だから少年愛というのはイマジネーションとしてのみ許されることになっているのだ。
俺も今の彼氏は15歳も年下なので微妙な話なんですよ。
ちょっと間違えば少年愛な年齢差でしょ?
少年愛は性的嗜好の範疇に入ると思うけれど、番組で行われた事件では、
指導者という立場を利用して無理やり行われた性的暴力・・・
そう、同性であれ異性であれ、性的暴力はいけません。悪魔の仕業でしょう。
弱みを握った悪魔はその少年を縛り、精神的に追い詰めていくのです。
でもその悪魔、簡単に見分けがつかない。
子供たちの身を、心を守るためには、あらかじめ情報を与えておくべきかなと思う。
悪い人もいること、性に目覚める年頃に同性愛の肯定的な情報、
そういう情報を知った上でなら、不幸な事件にあってしまった場合でも対処方法が
少しは思いつくのではないか?
番組で女性教師が少女時代に受けたレイプにあるように、
もしかすると我慢できなくなった恋愛相手が豹変し、押し倒してくることだって
あるんだもんね、それは20代30代になってもありえることだよね。
経験や情報が足りないと自分を追い込んでしまうと思う。
中高生の性教育は子供たちの身を、心を守るためにある。
そういう視点で考えていけば分かりやすいと思う。
番組のホームページにこの回の製作意図が書かれています。
同性愛を否定することにならないのか? という点も以下のように書かれていました。http://www.nhk.or.jp/nikki/vote/index.html
今回の番組は、同性愛を描いたものではありません。
本人の同意がない、あるいは同意できる環境にない中で行われる性的な行為は
性暴力です。判断する能力のない子どもへの行為は、性暴力です。
(被害者が女性の場合を考えてください。たとえ愛し合っていても、
大人から子どもへの行為は許されません。)
男子も痴漢やレイプなどの性的暴力を受けることがあると取り上げたこのドラマ。
野球部のエースの彼は臨時コーチにいやらしい行為をされてしまう。
それから、他人に触れられたり、ベルトを外す音などを激しく嫌うようになり、
自分は駄目な人間だと責めて登校拒否になってしまう。
後半の最後は優しさにあふれていて、とても感動的であった。
中学生日記『誰にも言えない 後編』の再放送は、7/15(土)10:45~教育テレビ
(あらすじが出るので後編だけ見ても良いかも)
被害者自身が、「被害を受けたもの」という立場から
「サバイバー(被害から生き残ったもの、勝ち抜いたもの)」であるとの考え方をして、
強く生きていこう!と発想をしていることが紹介されていて感動した。
被害を受けたと泣き寝入りをしていただけでは駄目だ、
大変辛い経験ではあるが、それでもそれを乗り越えて強く生きていかねばならない。
その方法のひとつとして、被害にあった人は恥ずかしがらず他人に頼って
相談することや、被害者が頼りやすい環境になるように、身の回りのものが
意識してつくっていくことだと紹介していた。
男性の10人に1人が何らかの性的虐待を受けたことがあるそうだ。
被害にあった人が陥りやすい自己否定や不安な状況には次のようなことがあると
さっと紹介されていた。
1、誰にも相談できなくなる
2、人との接触を極端に嫌う
3、被害を思い出す音(ベルトの音、ベットの音、足音など)に敏感になる
4、感情を持つのが怖くなる
5、何も出来なくなる
6、男でなくなってしまったと思う
7、同性愛者になってしまうと思う
なぜ拒否できなかったのだろう、
なぜ気持ちよくなってしまったのだろう、
自分は汚れてしまった、そして同性愛者になってしまうのではないか?
そんな不安が入り乱れるようだ。
番組ではインターネット上のサイトの紹介として先の項目を載せられてはいたが、
ドラマの中では特に1~3に注目し、7番目のことは触れずにいるようだった。
この心遣いに番組制作スタッフの配慮と高い見識に感心した。
そして、俺はこんなことを思ってた。
「同性愛者になることは不幸なことで、汚れたものであるのか?」
そう、同性愛をそのように忌み嫌う社会だから不安になるわけで、
同性愛もありえるし、おかしなことではないとの情報発信がなされていれば、
少しは不安になることが減るのではないだろうか?
相談もしやすくなるのではないか?
そして、加害者の先輩については、仮面を被らざるを得ない社会であるが為に、
悪い方へ悪い方へと向かっていったのではないだろうか。
タブーで忌み嫌うものとするから、アンダーグラウンドに潜むことになり、
変態性欲となり、悪の巣窟みたいに思われ、
本人の意識も悪い方向へと向かってしまう。
そんなことを考えた。
「少年愛」それはあると思うし、その感情を持つ人を俺は否定出来ない。
かといって18歳未満の少年に対し、成人がそういう行動をした場合、
相手との同意があったとしても性的暴力とされる。
これは判断能力の無い少年を守る為の、社会の決めごとである。
だから少年愛というのはイマジネーションとしてのみ許されることになっているのだ。
俺も今の彼氏は15歳も年下なので微妙な話なんですよ。
ちょっと間違えば少年愛な年齢差でしょ?
少年愛は性的嗜好の範疇に入ると思うけれど、番組で行われた事件では、
指導者という立場を利用して無理やり行われた性的暴力・・・
そう、同性であれ異性であれ、性的暴力はいけません。悪魔の仕業でしょう。
弱みを握った悪魔はその少年を縛り、精神的に追い詰めていくのです。
でもその悪魔、簡単に見分けがつかない。
子供たちの身を、心を守るためには、あらかじめ情報を与えておくべきかなと思う。
悪い人もいること、性に目覚める年頃に同性愛の肯定的な情報、
そういう情報を知った上でなら、不幸な事件にあってしまった場合でも対処方法が
少しは思いつくのではないか?
番組で女性教師が少女時代に受けたレイプにあるように、
もしかすると我慢できなくなった恋愛相手が豹変し、押し倒してくることだって
あるんだもんね、それは20代30代になってもありえることだよね。
経験や情報が足りないと自分を追い込んでしまうと思う。
中高生の性教育は子供たちの身を、心を守るためにある。
そういう視点で考えていけば分かりやすいと思う。
番組のホームページにこの回の製作意図が書かれています。
同性愛を否定することにならないのか? という点も以下のように書かれていました。http://www.nhk.or.jp/nikki/vote/index.html
今回の番組は、同性愛を描いたものではありません。
本人の同意がない、あるいは同意できる環境にない中で行われる性的な行為は
性暴力です。判断する能力のない子どもへの行為は、性暴力です。
(被害者が女性の場合を考えてください。たとえ愛し合っていても、
大人から子どもへの行為は許されません。)