変なことを書くよ。
日本の神様は八百万の神がいて、水の神・火の神・川の神
ひいては台所の神・・自然信仰から始まって、
生活に根付くものすべてに神が宿るとされてるよね。
そして、人間も祀ってきた。
天皇をはじめ時の権力者をあがめ奉るため、秀吉や家康を祀ったり。
でも菅原道真・平将門・安部晴明にあるように、人間を祀る時は
その人のタタリ・怨念を沈めるため、恐れから祀っているケースも多いと思う。
怨念が爆発し、祟り神とならぬように神としてあがめて、鎮まってもらうのだ。
一般市民でも悲惨な死を遂げざるを得なかった人、
役人にたてつき惨殺されたがその非業の死を悲しみ市民が祀った神社などもある。
四十七士を祀った神社で大石神社という昭和10年に出来た神社なんかもある。
神道といってもヒトくくりに出来ない自由な発想があり、
それぞれの神を信心する人がまもってきた。
これは日本の伝統なのだろう。
そのことを靖国にあてはめてみると、なぜ軍人を神として祀ってあり
今もなお信心する人が多いのかは少し分かる気がしてきた。
勝つまでは!と1億玉砕まで唱えながら敗戦となり、
「無駄死に」になってしまった英霊たちの怨念は
すさまじいものがあるだろう。
それはどこかで鎮めていてもらわないと大変なことになるに違いない。
その意味で靖国を解体までしちゃうと大変なことになるなと思ってくる。
なんだか恐ろしいので今後も鎮めていってほしいと思う。
数々の神社があるが、すべての神社を皆が等しく信じているわけじゃないのと
同等に靖国も存在してよいのだろう。
そして信仰の自由も守らなくてはならない。
だから靖国は一宗教法人として、おさまっていてほしいと思っている。
靖国には一般国民を含めて戦争で無くなった多くの人を慰霊する施設としての
役割は担えない。あそこは時の体制に付いていた軍人を称える場だ。
市民も含めたすべての戦争犠牲者を鎮魂し今後の平和を祈念、約束する場ではない。
靖国はそういう場で無いのに、小泉発言などから勘違いさせてしまっている。
8月15日に天皇が武道館で黙祷する戦没者慰霊と書いた木が印象的だが、
あれは毎年用意している木だ。
あの木に象徴される戦没者とは、戦争で亡くなったすべての人をさしていると思う。
当然、戦争指導者は含まれないと思うけれど、
靖国の名簿に載るかどうかといった明確さが無いのだから
細かく考える必要も無い。
あの木にあたるようなものを常設する施設が欲しい。
靖国神社では軍人以外で亡くなった、多くの市民の犠牲者を慰霊できない。
では、その怨念は誰が静めるのか?
その新しい施設を前に、
二度と過ちは繰り返しませんからと国も国民も約束していくべきです。
そんな施設を作っても靖国のように人が集まらないだろうという意見があります。
もし、その施設の火が絶える時は、また過ちに舞い戻ることを意味するの
ですから国も国民も意識をしていかねばなりません。
広島や長崎の火が絶えることが無いように、俺は国民の意識を信じたいです。
そして、アジアの島に今なお放置されている150万もの白骨を
一刻も早く回収してさしあげ、その新たな施設に安置してあげてほしい。
国外でそのまま放置されている先人の屍を思うと申し訳が無い。
靖国は遺骨を保管するところではないのだし。
国も遺骨の回収をしてこず、靖国に魂が祀られたからよしと都合よく解釈し
回収作業をしないで来た。
今からでもやろう、そして私たち今を生きる日本人たちは、ちゃんと向き合おう。
これからの未来、私たちは
国民を戦争に駆り立てる時代に戻り、軍人を敬うよう強要されるような
時代を目指さないのであれば、靖国神社と国が関わっていくことなど
認めてはいけないと思う。
天皇参拝も決してあってはならない。
過去と時代が違うのだ。
日露戦争に勝ち、戦争で物事を解決することに疑問を感じなかった時代の話だ。
昭和天皇の時代とは今は違うのだから。
今の天皇はA級戦犯を分祀しても靖国には参拝しないのではないでしょうか?
国民もそんなことはさせてはならない。
戦争で犠牲になったすべての人を慰霊する新しい施設にしか、
天皇が先人を思い平和を祈念する場は無いはずだ。
日本の神様は八百万の神がいて、水の神・火の神・川の神
ひいては台所の神・・自然信仰から始まって、
生活に根付くものすべてに神が宿るとされてるよね。
そして、人間も祀ってきた。
天皇をはじめ時の権力者をあがめ奉るため、秀吉や家康を祀ったり。
でも菅原道真・平将門・安部晴明にあるように、人間を祀る時は
その人のタタリ・怨念を沈めるため、恐れから祀っているケースも多いと思う。
怨念が爆発し、祟り神とならぬように神としてあがめて、鎮まってもらうのだ。
一般市民でも悲惨な死を遂げざるを得なかった人、
役人にたてつき惨殺されたがその非業の死を悲しみ市民が祀った神社などもある。
四十七士を祀った神社で大石神社という昭和10年に出来た神社なんかもある。
神道といってもヒトくくりに出来ない自由な発想があり、
それぞれの神を信心する人がまもってきた。
これは日本の伝統なのだろう。
そのことを靖国にあてはめてみると、なぜ軍人を神として祀ってあり
今もなお信心する人が多いのかは少し分かる気がしてきた。
勝つまでは!と1億玉砕まで唱えながら敗戦となり、
「無駄死に」になってしまった英霊たちの怨念は
すさまじいものがあるだろう。
それはどこかで鎮めていてもらわないと大変なことになるに違いない。
その意味で靖国を解体までしちゃうと大変なことになるなと思ってくる。
なんだか恐ろしいので今後も鎮めていってほしいと思う。
数々の神社があるが、すべての神社を皆が等しく信じているわけじゃないのと
同等に靖国も存在してよいのだろう。
そして信仰の自由も守らなくてはならない。
だから靖国は一宗教法人として、おさまっていてほしいと思っている。
靖国には一般国民を含めて戦争で無くなった多くの人を慰霊する施設としての
役割は担えない。あそこは時の体制に付いていた軍人を称える場だ。
市民も含めたすべての戦争犠牲者を鎮魂し今後の平和を祈念、約束する場ではない。
靖国はそういう場で無いのに、小泉発言などから勘違いさせてしまっている。
8月15日に天皇が武道館で黙祷する戦没者慰霊と書いた木が印象的だが、
あれは毎年用意している木だ。
あの木に象徴される戦没者とは、戦争で亡くなったすべての人をさしていると思う。
当然、戦争指導者は含まれないと思うけれど、
靖国の名簿に載るかどうかといった明確さが無いのだから
細かく考える必要も無い。
あの木にあたるようなものを常設する施設が欲しい。
靖国神社では軍人以外で亡くなった、多くの市民の犠牲者を慰霊できない。
では、その怨念は誰が静めるのか?
その新しい施設を前に、
二度と過ちは繰り返しませんからと国も国民も約束していくべきです。
そんな施設を作っても靖国のように人が集まらないだろうという意見があります。
もし、その施設の火が絶える時は、また過ちに舞い戻ることを意味するの
ですから国も国民も意識をしていかねばなりません。
広島や長崎の火が絶えることが無いように、俺は国民の意識を信じたいです。
そして、アジアの島に今なお放置されている150万もの白骨を
一刻も早く回収してさしあげ、その新たな施設に安置してあげてほしい。
国外でそのまま放置されている先人の屍を思うと申し訳が無い。
靖国は遺骨を保管するところではないのだし。
国も遺骨の回収をしてこず、靖国に魂が祀られたからよしと都合よく解釈し
回収作業をしないで来た。
今からでもやろう、そして私たち今を生きる日本人たちは、ちゃんと向き合おう。
これからの未来、私たちは
国民を戦争に駆り立てる時代に戻り、軍人を敬うよう強要されるような
時代を目指さないのであれば、靖国神社と国が関わっていくことなど
認めてはいけないと思う。
天皇参拝も決してあってはならない。
過去と時代が違うのだ。
日露戦争に勝ち、戦争で物事を解決することに疑問を感じなかった時代の話だ。
昭和天皇の時代とは今は違うのだから。
今の天皇はA級戦犯を分祀しても靖国には参拝しないのではないでしょうか?
国民もそんなことはさせてはならない。
戦争で犠牲になったすべての人を慰霊する新しい施設にしか、
天皇が先人を思い平和を祈念する場は無いはずだ。