昭和45年生まれだからおじいさんの昭和天皇しか知らない。
思えば昭和の18年と平成の18年を生きたのですね俺も。
「あっ、そう」と大らかで明るい性格の方でした。
しかし、話を聞いていてもなんとなく会話が食い違う、ちょっとはっきり
しないところを感じる方でもあったなあと思い出した。
映画でイッセー緒方が演じているが、生き写しのような気になってくるのです。
昭和天皇の独特の不思議さ?子供っぽいいたづらな面もたくさん見せていきます。
終戦後、マッカーサーに会うところからは見ていて妙な感覚になった。
監督の言う「ヒロヒトはすべての屈辱を引き受けた」というシーンが次々と。
見ているとね、あれだけ純粋な人をアメリカの俗物に触れさせることが、
日本人として申し訳なってくるのですよ!
たった一人で連れて行かれ、アメリカの軽々しく天皇を扱う様子
天皇がうなぎ研究の話などをし始めると、マッカーサーは話の腰を折って
席を立つなど小馬鹿にした扱い。
昭和天皇に口移しでタバコに火をつけてみたり、
この妙な大人をわざと一人にしばらくほったらかしにしたら?と実験してみたり
蝋燭を消して回って一人遊びし始める天皇を隠れ眺めたり。
日本人の感覚ではあっと驚くシーンが次々。
これらのシーンでは、日本そのものを軽く扱われたような気に
なってくるんですよ。
こんな自分にも日本人の血が流れているのだなあ、としみじみ思える。
そんな扱いをされても紳士でいる昭和天皇は、世間離れなどと言うものではなく
信じられないほど高貴に見えてきます。
こういうことが実際あったのでしょうね。
昭和天皇は世間を知らず自分でドアも開けたことが無く、自分でどこへ行けば
いいかも分からないような、いわば純粋培養というか・・・
そう、本当にお守りさしあげねばならないお方といった感じ。
それなのに外国のマスコミの写真撮影を求められ好奇の対象として撮影させられる。
記者の要望に、まじめな天皇は答えてしまう。おどけたポーズをサービスする。
それがチャップリンのように映り世界へ配信・・
これがあの大日本帝国のトップなのか?と驚いたにちがいない。
しっかりした物を言うかと思うと、妙な子供じみた行動をしたり。
賢いのか賢くないのかも分からない。会話も基本的に成り立ってない。
皇后との対話も何か噛み合っていない、
すべてを承知してるかのように皇后も適当に応対している(あしらってる)ふう。
戦時中の御前会議でも、研究所での言動も、言うなら天皇の言葉は
すべて「独り言」・・
聞いている大臣たちも意味が分かったのか分からなかったのか?
強いリーダーシップを求めもしないし頼りもしない。
あてにもしてない。御前会議とは何のためやら・・そんなことも全部わかって
いたのでしょうけど。
ただただ、本当にこの方は孤独であったのだろうなと思えて堪らなくなってくる。
この昭和天皇の徹底した自己を出さず臣民のための存在であるようにしたことで、
臣民が望むからと戦争の開始も認めていく。
国民は国民で、天皇のご意思だと信じて
国民は過度な期待と妄想を持ってしまったのか?
昭和天皇本人の、重大な問題。
他人との意思疎通、コミニケーションが難しかった方なのかもしれない
ことがこの国の悲劇だったのではないか?と思えてきます。
このことが日本の行く先にどういった形で影響してしまったか?
昭和天皇の人となりがもっと知りたくなってきた。
誰ともまともな会話は成り立ったことはなかったのではないだろうか?
天皇にしても何を聞いてもまともに答えてくれる人はいないし、
何を話しても相手が緊張してしまい、本質を語り合える相手もいなかった。
あんな立場で生まれたときから腫れ物を触るような扱いをされたら
そうなってしまうかもしれませんね。
すべて独り言扱い、何を求めても自分の意思と違う答えが待っている・・
何ともいえぬ孤独感・・・
それでも毎日同じ公務を果たされていっただろう日々が想像される。
なんとも救いのない悲しさが後を引く作品になっています。
さて、昭和天皇の人となりを描くなんてことは、日本ではとんでもないタブーと
言うか絶対無理な状況は続いていますよね。
これではいつまでも歴史と向き合えないままですが、
崩御から20年近くたっても日本人自らが描くことはできないのでしょうか?
この作品はロシア映画。日本での公開も相当時間がかかった。
しかし、この作品を見れたことは本当に良かった。
日本という国を見つめなおすいい機会になると思う。見れる人はぜひ!
アレクサンドル・ソクーロク監督作品
「太陽」http://www.taiyo-movie.com/
思えば昭和の18年と平成の18年を生きたのですね俺も。
「あっ、そう」と大らかで明るい性格の方でした。
しかし、話を聞いていてもなんとなく会話が食い違う、ちょっとはっきり
しないところを感じる方でもあったなあと思い出した。
映画でイッセー緒方が演じているが、生き写しのような気になってくるのです。
昭和天皇の独特の不思議さ?子供っぽいいたづらな面もたくさん見せていきます。
終戦後、マッカーサーに会うところからは見ていて妙な感覚になった。
監督の言う「ヒロヒトはすべての屈辱を引き受けた」というシーンが次々と。
見ているとね、あれだけ純粋な人をアメリカの俗物に触れさせることが、
日本人として申し訳なってくるのですよ!
たった一人で連れて行かれ、アメリカの軽々しく天皇を扱う様子
天皇がうなぎ研究の話などをし始めると、マッカーサーは話の腰を折って
席を立つなど小馬鹿にした扱い。
昭和天皇に口移しでタバコに火をつけてみたり、
この妙な大人をわざと一人にしばらくほったらかしにしたら?と実験してみたり
蝋燭を消して回って一人遊びし始める天皇を隠れ眺めたり。
日本人の感覚ではあっと驚くシーンが次々。
これらのシーンでは、日本そのものを軽く扱われたような気に
なってくるんですよ。
こんな自分にも日本人の血が流れているのだなあ、としみじみ思える。
そんな扱いをされても紳士でいる昭和天皇は、世間離れなどと言うものではなく
信じられないほど高貴に見えてきます。
こういうことが実際あったのでしょうね。
昭和天皇は世間を知らず自分でドアも開けたことが無く、自分でどこへ行けば
いいかも分からないような、いわば純粋培養というか・・・
そう、本当にお守りさしあげねばならないお方といった感じ。
それなのに外国のマスコミの写真撮影を求められ好奇の対象として撮影させられる。
記者の要望に、まじめな天皇は答えてしまう。おどけたポーズをサービスする。
それがチャップリンのように映り世界へ配信・・
これがあの大日本帝国のトップなのか?と驚いたにちがいない。
しっかりした物を言うかと思うと、妙な子供じみた行動をしたり。
賢いのか賢くないのかも分からない。会話も基本的に成り立ってない。
皇后との対話も何か噛み合っていない、
すべてを承知してるかのように皇后も適当に応対している(あしらってる)ふう。
戦時中の御前会議でも、研究所での言動も、言うなら天皇の言葉は
すべて「独り言」・・
聞いている大臣たちも意味が分かったのか分からなかったのか?
強いリーダーシップを求めもしないし頼りもしない。
あてにもしてない。御前会議とは何のためやら・・そんなことも全部わかって
いたのでしょうけど。
ただただ、本当にこの方は孤独であったのだろうなと思えて堪らなくなってくる。
この昭和天皇の徹底した自己を出さず臣民のための存在であるようにしたことで、
臣民が望むからと戦争の開始も認めていく。
国民は国民で、天皇のご意思だと信じて
国民は過度な期待と妄想を持ってしまったのか?
昭和天皇本人の、重大な問題。
他人との意思疎通、コミニケーションが難しかった方なのかもしれない
ことがこの国の悲劇だったのではないか?と思えてきます。
このことが日本の行く先にどういった形で影響してしまったか?
昭和天皇の人となりがもっと知りたくなってきた。
誰ともまともな会話は成り立ったことはなかったのではないだろうか?
天皇にしても何を聞いてもまともに答えてくれる人はいないし、
何を話しても相手が緊張してしまい、本質を語り合える相手もいなかった。
あんな立場で生まれたときから腫れ物を触るような扱いをされたら
そうなってしまうかもしれませんね。
すべて独り言扱い、何を求めても自分の意思と違う答えが待っている・・
何ともいえぬ孤独感・・・
それでも毎日同じ公務を果たされていっただろう日々が想像される。
なんとも救いのない悲しさが後を引く作品になっています。
さて、昭和天皇の人となりを描くなんてことは、日本ではとんでもないタブーと
言うか絶対無理な状況は続いていますよね。
これではいつまでも歴史と向き合えないままですが、
崩御から20年近くたっても日本人自らが描くことはできないのでしょうか?
この作品はロシア映画。日本での公開も相当時間がかかった。
しかし、この作品を見れたことは本当に良かった。
日本という国を見つめなおすいい機会になると思う。見れる人はぜひ!
アレクサンドル・ソクーロク監督作品
「太陽」http://www.taiyo-movie.com/