カミングアウトと親子の話、もう少し書きます。
ドラマ「僕の生きる道」の最終回一つ前を見てたらこんなシーンがあった。
自閉症の兄弟を持つ兄と妹、兄弟も親に甘えもしたかっただろう。
でも親は自閉症の兄弟にかかりきり。
その大変さが分かるから物分りの良い振りをしてきた。
お兄さんたちは、もし母親がいなくなったら自分たちが面倒を見ないと
いけない大変さから逃げたくもなる。
妹も自分のしたいことも出来なかった思いがある。
卒業後は家を出て行きたいが、家族からは期待の圧力を感じてい辛い。
そんなときのイラツキも混ざった兄の母親との会話。
「俺が小学校のときクラスメイトに弟のことで馬鹿にされ、
いじめられていたことを知っていた?弟の世話に疲れた教師が
俺に当たってきてたことを知っているか?・・」
そんなことをぶちまけて母親を困らせる、でも兄さんも分かっているのです。
自分の兄弟を恥ずかしいと思う気持ちは否定できない。でも
兄弟を切り捨てることなんて出来ない、そんなことは分かってるんだと・・。
このシーンを見ながら、別の話なのだけど
俺は自分と家族のことをだぶらせながら思い起こしていた。
■親の気持ち)
いくら自分の息子でもゲイの息子は恥ずかしい。
みっともない。自分の兄弟や親類に息子のことを知られたら笑われるだろう。
そんなことになったら自分の築き上げた人生を否定されるようなものだ。
でも息子は息子だし、仕方がないと何度もあきらめようと思ったけど
どうしても受け入れられない。
よりよってなぜ自分の息子がゲイなんだ・・
なんて親不孝な息子だ、親にこんな思いをさせて・・。
こんなことは自分だけで抱え、墓場まで持っていけばいいのだ・・。
息子の話しや活動を聞けばそういう問題でもないことは頭では分かるけど
お前がやらなくてもいいだろう。
そのうちいろいろな人にばれてしまうのが怖い。
こんな思いをする自分がおかしいのか?いや、みんなそうだ。
偏見を持たない方がおかしい、世間は厳しいぞ。
受け入られる?そんな人は変わっているに違いない・・・。
そう思いたいのに、息子は真顔で攻めてくる。
■俺の気持ち)
自分の存在が迷惑となっていくなら死んだ方がよいのかなあ?
そんなことを10代の頃は考えてた。
自分がゲイであることに気がつき、そして次々にやっぱり俺はゲイだ
間違いない・・そう自己確認させられていく。
社会からは否定の嵐、俺の人生は困ったことになりそうだ
この親が受けいられるはずも無い。俺はどうやって生きていこうか・・。
俺は何者なのか?何度も何度も自分と向き合って悩み続けた10代だった。
そしてたどり着く。
いずれはカミングアウトして、俺は堂々と生きていこう。
そんな方向がなんとなく定まった20歳の頃、親へカミングアウト。
そのときは、勘当覚悟の決死のものだった。
息子に干渉ぎみだった親、どちらかと言うと素直な息子として仮面をかぶって
いた俺、そんな親子関係は、そこから明確に対峙する関係へと変わっていく。
俺がしぶとくずうずうしい奴で、親から何を言われようと、どんな圧力を
かけられようと、親を踏み台にしてでも生きてやる!!なんて思うような
不幸息子?であった為、自分を強く持って親をはねのけ、生きてこられたと思う。
親に肩身の狭い思いをさせて、自由気ままな生き方をしている
と思う人もいるだろう。そんな簡単なものではない。
俺の存在によって親が肩身の狭い思いをしているというなら、それは親自身の
問題であることにも気がついてほしい。
親は親で、自分の人生を誇らしくいられるようにするには
自分をしっかり見つめていってもらうしかない。
こんな親を持った俺も、親は親、付き合っていかねばなりません。
こんな親子でもなんとか幸せを模索していけるはずだと俺は信じているのです。
そして、親の強さも・・俺は信じています。
ドラマ「僕の生きる道」の最終回一つ前を見てたらこんなシーンがあった。
自閉症の兄弟を持つ兄と妹、兄弟も親に甘えもしたかっただろう。
でも親は自閉症の兄弟にかかりきり。
その大変さが分かるから物分りの良い振りをしてきた。
お兄さんたちは、もし母親がいなくなったら自分たちが面倒を見ないと
いけない大変さから逃げたくもなる。
妹も自分のしたいことも出来なかった思いがある。
卒業後は家を出て行きたいが、家族からは期待の圧力を感じてい辛い。
そんなときのイラツキも混ざった兄の母親との会話。
「俺が小学校のときクラスメイトに弟のことで馬鹿にされ、
いじめられていたことを知っていた?弟の世話に疲れた教師が
俺に当たってきてたことを知っているか?・・」
そんなことをぶちまけて母親を困らせる、でも兄さんも分かっているのです。
自分の兄弟を恥ずかしいと思う気持ちは否定できない。でも
兄弟を切り捨てることなんて出来ない、そんなことは分かってるんだと・・。
このシーンを見ながら、別の話なのだけど
俺は自分と家族のことをだぶらせながら思い起こしていた。
■親の気持ち)
いくら自分の息子でもゲイの息子は恥ずかしい。
みっともない。自分の兄弟や親類に息子のことを知られたら笑われるだろう。
そんなことになったら自分の築き上げた人生を否定されるようなものだ。
でも息子は息子だし、仕方がないと何度もあきらめようと思ったけど
どうしても受け入れられない。
よりよってなぜ自分の息子がゲイなんだ・・
なんて親不孝な息子だ、親にこんな思いをさせて・・。
こんなことは自分だけで抱え、墓場まで持っていけばいいのだ・・。
息子の話しや活動を聞けばそういう問題でもないことは頭では分かるけど
お前がやらなくてもいいだろう。
そのうちいろいろな人にばれてしまうのが怖い。
こんな思いをする自分がおかしいのか?いや、みんなそうだ。
偏見を持たない方がおかしい、世間は厳しいぞ。
受け入られる?そんな人は変わっているに違いない・・・。
そう思いたいのに、息子は真顔で攻めてくる。
■俺の気持ち)
自分の存在が迷惑となっていくなら死んだ方がよいのかなあ?
そんなことを10代の頃は考えてた。
自分がゲイであることに気がつき、そして次々にやっぱり俺はゲイだ
間違いない・・そう自己確認させられていく。
社会からは否定の嵐、俺の人生は困ったことになりそうだ
この親が受けいられるはずも無い。俺はどうやって生きていこうか・・。
俺は何者なのか?何度も何度も自分と向き合って悩み続けた10代だった。
そしてたどり着く。
いずれはカミングアウトして、俺は堂々と生きていこう。
そんな方向がなんとなく定まった20歳の頃、親へカミングアウト。
そのときは、勘当覚悟の決死のものだった。
息子に干渉ぎみだった親、どちらかと言うと素直な息子として仮面をかぶって
いた俺、そんな親子関係は、そこから明確に対峙する関係へと変わっていく。
俺がしぶとくずうずうしい奴で、親から何を言われようと、どんな圧力を
かけられようと、親を踏み台にしてでも生きてやる!!なんて思うような
不幸息子?であった為、自分を強く持って親をはねのけ、生きてこられたと思う。
親に肩身の狭い思いをさせて、自由気ままな生き方をしている
と思う人もいるだろう。そんな簡単なものではない。
俺の存在によって親が肩身の狭い思いをしているというなら、それは親自身の
問題であることにも気がついてほしい。
親は親で、自分の人生を誇らしくいられるようにするには
自分をしっかり見つめていってもらうしかない。
こんな親を持った俺も、親は親、付き合っていかねばなりません。
こんな親子でもなんとか幸せを模索していけるはずだと俺は信じているのです。
そして、親の強さも・・俺は信じています。