ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

子孫を残すことがすべて?

2012-02-18 03:04:21 | Weblog
同性愛への理解を求めても、やっぱり認められない!!と、反対だと言う人がいます。
自分の存在を反対だ!と否定されても困るのですが(笑)

先日のイベント(石川大我さんの講演会・質疑トーク)でも2時間かけていろいろと話をしたけれど
それでも、アンケートでこんな意見が・・・。

「人間は子孫を残すために生まれてきているのだから、
(このように)同性愛を正当化するのはおかしい」

同性愛を受け入れにくい理由のひとつとして、こういったことはよく言われます。

親にとっては我が子が子孫を残さないこと(この家を継ぐものがいなくなる不安)
他人にとっては少子化を助長して間接的に社会が脆弱する心配

今までも同性愛者はいた。
変わらぬ割合で(人口の5%程度)いたと思う。

ある年代以上の世代の人にとって、現在のように結婚をしないという選択肢はありえなかった。

結婚しないことは一人前ではない烙印を押され、社会からも一族からも厳しい圧力があった。

それでも独り身を続ければ、出世は出来ず、
場合によっては仕事を失いまともな社会生活ができなくなる

無理をしてでも結婚し結婚生活を営まねばならなかった。

そして、それを疑わない時代でもあった。


今の若い世代では理解しがたいことだけど、親の決めた結婚や見合い結婚が多くを占め
愛といったものは結婚後に互いに育っていくものだと信じられていた。

自分から見れば、自分の同性愛を押し込み、
相手を偽りながら人生の伴侶として支えあって行くことなど出来るわけがない、と
想像するだけでもぞっとすることだけど、
この時代の人々は、同性愛、異性愛に問わずそういうことを当たり前としてきている。

この妙な経験は、やっかいだ。

恋愛結婚した人は多くない、みんなそれでも何とかやってきた・・。
そういうものだと思うし、無理をすればできるはずじゃないのか?
実際自分たちがそうしているのだからという説得力。

恋愛結婚ではない大半の人は、そのどこか無理をして夫婦をはじめた実感があり
自分を押し込み人生を生きることに慣れているのか、それをやりこなせない人間は
努力が足りないのではないか?と責めることにまでなるようだ。

そういう人々にとってみれば、「同性愛者として生きる」ということは、
とても個人的優先が過ぎることで、
一族や社会に対して無責任な行動をとっているアナーキーな問題者ということになる。

自分や今の若い世代では、恋愛のない二人が夫婦生活を継続することは大変至難なことだと思っているし、
実際に恋愛があったカップルでさえ長い夫婦生活を続けることは簡単なことではない。
努力でどうにかできる時代ではない。

夫婦がともに我慢強く耐え(多分に女性側が)、世間体を優先して離婚をすることもできず、
そんな夫婦関係を続けることを当然とするような時代では今はない。

それは、時代だからという理由だけでなく、個々の人生を大切にしていこうという結果でもある。

でも、ある年代の人はこの考えを簡単には曲げられない
(この時代、そのようなことではすでに相手に見捨てられているのかもしれないが)


若い人でも自分の生殖能力に対し根拠の無い自信で揺るぎが無い人というのがいて、
子孫を残すことこそが生物の使命だと疑わない人がいる。

今や9カップルに1が不妊治療をしなければならないという現状がある。
子孫を残すことは当たり前の時代ではないのだ。

若い人でもそんな考えでいると、積み重ねた偏見という名の自信が、いづれ自らに
降りかかって来て、孫を残せないという事態になったとき
自分の存在を否定せざるを得ないことになるかもしれない。

子孫を残すことがすべて、そうでなければ不幸であると考えることが
自分自身や周辺の人々までもを追い込むことになる。


さて、子孫を残すことと
自分の同性愛を肯定して生きることの両方が解決できればいいのかな?
コメント
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