「ツキマトウ 警視庁ストーカー対策室ゼロ係」
真梨幸子 304頁
きっとドロドロのグチャグチャなんだろうなあ・・・と思いながら読むと期待通り、いや期待以下に(以上に?どっちや?)グチャドロの展開の嫌ミス本。
ああ、、、なんで俺はこんな本を読んでわざわざ嫌な思いに染まってるんだろう・・と思いながらもついつい読み進めてしまう。時に眉を寄せ、時に顔をしかめながら。
そんな観点から見ると先日の宮西真冬さんの小説は稀有な作品でぎりぎりのところで踏みとどまった、まっとうな小説だったのだなあ、、と改めて思う。
こんな風にイヤミスの定点観測みたいな読み方をしていると自分が歪んでゆくのが分かるのでどこかでリハビリしないとイカンと思う。
この本はストーカーネタで付きまとう男や女や
付きまとわれる女や男をトラブルごとに混柄がらせてゆく、
ストーカー対策室に来た被害者が実は別の件の加害者であり、更にそいつは別の被害者を産みつつ、
その被害者は別の相手に付きまとう。
最初はミステリの丁寧な読者の様に登場人物をメモしたり、頭の中で整理しながら読み進めたりを試みるが、
すぐに本の1/3くらい過ぎたところで、
こんなことは無駄だ、ということに気づく。
真梨は綿密で精緻な叙述トリックを構築する気はないんだ。
むしろ混乱しカオスな心理状態に登場人物達と読者をぶち込み、闇鍋状にふつふつと煮込みたいんだ、と僕は理解する。
教訓とか感動とかそういう、イイモノをこの本から得ることはできない。
受け取ることが出来るのは、イヤな夢を見た後でようやく目が覚めてホッと「良かった。現実じゃなかったんだ、、、」と
安堵するときの解放感である。
そして困ったことに、わざわざそんな気持ちを味わいたいと人間は時折思ってしまうのである。
現実であっちの世界に一歩踏み出すよりは、イヤミスの世界の方が安全、安心。だからこその存在意義か。。。。。?
そんな台風の時のダムの放水弁のように僕はこの種の本をとらえているのかもしれない。