詩人とHexameter 1
http://de.wikipedia.org/wiki/Hexameter
ラテン語の詩文を読む様になってから、なにかとついてまわるのがこれ。Hexameter自体が何であるかについては至る所に説明や解説が落ちているのでそれを読めば理解出来ますが、なぜひとつの形式であれほどに沢山の著作が書かれたのかについては不勉強な私にはまだ分かりません。日本語で検索するとムーミンパパの話題位しか出てこないのは情けない限りです。もちろんHexameterを和訳したものから原文がHexameterである事を伺える片鱗は何一つ見出せません。つまり、ホメロスやホラティウス以来の西洋詩を日本語でしか読まない人には一生かかってもHexameterが何であるかを知る事は出来ません。
当然ですが、和訳しか読んでない人がホメロスやウェルギリウス、マニリウスなどを読んだ、とか、分かったとかいう事もあり得ない訳です。意味を知っている、とは言えるかもしれませんが、詩文を読んだとはほど遠い状態である事は言を待つまでもありません。そして、原文はおろか、和訳の詩文すら勉強しない詩人って、果たして詩人といえるのか、、と疑問も残ります。何といっても、今の日本の詩は西洋詩を日本語に導入するところから始まったのですから、その源流を知らないで詩人と名乗れるのでしょうか。それはともかく。。。
Hexameterというひとつの形式でかくも多彩な内容について著述出来る、という不思議、そして、それがつい最近まで使われていたという不思議。この2つの不思議について、暫く時間をかけて自分なりに追求してみようと思います。
私が一番知りたい事は、何故あまたの詩人たちがHexameterを使って詩作したかという事です。もともと叙事詩を書くための詩型ですから、叙事詩を書くのであればまだ採用する理由としては分かり易いのですが、その後の欧州で、非ラテン語諸国でもまた、言語の壁を超えてHexameterが採用されたという歴史的事実は何を意味するのでしょう。しかも、一旦廃れながら近世以降再び使われたりしているのです。余程魅力的な韻律であると言わねばなりませんが、Hexameterを持たない言語をネイティブとする日本人にはなかなか理解し難い所でもあります。
単なる復古という事でいえば、我々現代日本人が万葉の歌を詠む様なものかもしれません。