残暑キツ過ぎるので御殿場以外出かける気になれなかった8月。
県道157号線から案内板に従って坂道を登ると
舗装道路が途切れる手前に印野浅間神社が現れます。
この空気感ったらもう。
鳥居横の崩れた石碑。
立派な社殿。
背後の林に溶け込んで絵画のよう。
御殿場でおなじみの勝間田姓。
御殿場は意外に箱根より涼しい日が多く、浅間神社企画やって良かった…と今年の夏は何度も思いました。
今回は印野の浅間神社。
川柳より少し西にあり標高は641m。
御殿場市内では富士山に最も近い浅間神社となります。
県道157号線から案内板に従って坂道を登ると
舗装道路が途切れる手前に印野浅間神社が現れます。
この空気感ったらもう。
またひとつ素晴らしい神社に巡り会えちゃった喜び。
浅間神社企画やって良かった。
鳥居横の崩れた石碑。
大正三四年戦役記念。
はて?大正三四年とは?
調べましたら1914年(大正3)に勃発した日独戦争、つまり第一次世界大戦のこと。
日独戦争は1918年(大正7)第一次世界大戦終結と共に日本の勝利で終わってます。
これをなぜ大正三四年戦役というのかはわかりません。
大正34年は昭和20年に対応しますので、第二次世界大戦のことかな?と思ったのですが違うようです。
立派な社殿。
こんな立派な社殿は久しぶり。
背後の林に溶け込んで絵画のよう。
御殿場でおなじみの勝間田姓。
勝俣、勝田、勝又などとも書き、箱根や小田原にも多い姓です。
でも元の勝間田の字は圧倒的にここ印野に集中しています。
昔から変わらずこの地に暮らしてる方が多いのですね。
印野が伊野八郎(勝間田修理之亮)由来とは知らなかったです。
なぜ伊野さん?
勝間田氏を討った今川義忠については
ゆうきまさみ氏の「新九郎、奔る!」でやらかし当主として描かれていて、まぁその通りなんですが 笑
亡くなった後に苦労する周囲の人たちがほんとに気の毒です。
社殿横にはかつて印野の二本杉と呼ばれていた御神木があったそうです。
昭和40年に枯れてしまい記念碑が建てられました。
この二本杉も川柳の扶桑樹みたいにくっついていたのかも。
この日も下界は33℃を超える酷暑でしたが、印野浅間神社は26℃でした。
ああ、ここに住みたい。