株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その90.プランシード・制作心得十訓の準備稿が完成①

2013-01-29 11:30:49 | 制作会社社長の憂い漫遊記
年初のブログ「その83.今年もとばすぜぃ!」(H25.1.13UP)で
当社の「制作十訓」をホームページに2月にアップすると予告した。
まだ推敲し足らないのだが、下原稿が完成したのでブログにUPする。
最終的にはHPの「プランシードの考え」にリンクする予定でいるが、
ひとまずブログ上でお披露目したいと思う。

まだまだ当社は制作会社として緒に就いたばかりの新参者である。
阪神大震災の翌年1995年(H7)に誕生したのだから、
まだ18年にしかならないし、その間、有限会社から株式会社になり、
森田を取締役に付けたが、社長には私がついたままだ。
2代目、3代目になった時に「会社」といえるのだろうが
まずは2代目に継ぐまで、この「十訓」を「生業(なりわい)の指標」とし
「次への礎を築きたい」と思っている。

プランシード・制作心得十訓
※「十訓」のその①~⑤までと、⑥~⑩までの2回に分けてUPする。

十訓その①:「作品」と「商品」の狭間で生きる
企業PRの制作者にとって、それがTVCMであれ、
会社案内であれ、商品紹介であれ、
出来上がったものは自分の「作品」である。
が一方では、スポンサーからお金を頂いて制作しているので
「商品」でもある。
イキがって「これは僕の作品です」と手向かってみたところで
「では君がお金を出して、君の好きなように作ればよい」
と言われるのがオチだ。
我々はイメージを視覚化するのが仕事だが、
イメージの数だけ違うモノが出来上がるという難物を扱っている。
いかに顧客の描くイメージに近づけつつ、
作家性を出すかに力を注がねばならない。
時には、状況を前進させるために「妥協」もしなければならないが、
作家たるもの「迎合」だけはしてはならない。
「妥協」と「迎合」の狭間で
「3歩進んで2歩下がる」度量を持たねばならない。
ジタバタと3歩進み、潔く2歩下がる。それでも1歩は前進している。
それを怯むことなく繰り返せば必ず顧客に喜ばれる作品に近づく。

十訓その②:ひとつ上のポジションから「己のポジション」を見る
スタッフ各人は己のひとつ上の役職に立って物を考え、
己の立場をまっとうしなければならない。
例えば助監督なら監督になった気持ちで物を考えてみる。
そうして初めて助監督の仕事が出来る。
己よりもひとつ上の視野で見つめれば、
己がしなければならない仕事が必ず見えてくる。
ではプロデューサーは誰の目線に立たなければならないのか?
それは我々の作った作品を見て
心を動かしてもらうべきお客さまである。
最終的にはスタッフ全員が己の効率や楽ではなく、
しんどくてもお客さま目線でなければならない。
その第一歩として、まずはひとつ上のポジションの目線から
物を見て行動することだ。
絶対にしてはならないのは作り手でありながら
批評家になってしまうこと。
制作者は当事者なのだ。その当事者が責任を回避するがごとく
批評家になってしまっては、
手塩にかけて作った作品が泣くことになる。
己自身に対しては常に批評家になり、
モノ作りには当事者となって責任を負わねばならない。

十訓その③:「汗を流す人」になれ
一言でいうなら、作品を見れば作り手の姿勢は見える。
手をかけた分だけしか作品は育たない。
例えば料理だ。
下拵え(したごしらえ)に手をかければかけるほど料理は旨くなる。
さらに盛り付け、器選び、雰囲気作りなど手をかければ
美味しさが増していく。
作品を形にするには、小手先のテクニックに頼るのではなく、
まず形になるまで思い続けること。イメージを潰しては組み立て、
組み立てては潰してを繰り返し、形になるまで練らねばならない。
料理でいうところの下拵えだ。
考えぬいた時間や苦しみぬいた時間は、
例え今回は形にならなくても、次の仕事か、
ひょっとしたら何年か先の仕事に必ず生きてくる。
だから「始まったものは必ず終わる」と居直って集中し、
己を追い込む。モノ作りの仕事をしているなら、制作費だけで、
力を抜いたり入れたりするのではなく、
どんな仕事でも愛情を注いで欲しい。
頭の中で練りに練って、現場では体を虐め抜いて
「汗を流す人」でなければならない。
クリエーターとは作品に汗を流す人をいう。

十訓その④:スタッフワークは「ウニ」であれ
ウニは遠くから見ると黒い丸だが、近くで見るとトゲだらけだ。
作品の責任者(プロデューサーやディレクター)の描く
イメージの内側から、スタッフのトゲがガンガン出てきて突き破る。
それを容認するには相当の度量がいるが、
そのトゲを「ヨシ」と出来る度量を持てば、
核の丸よりもトゲの分だけ大きな丸になる。
しかもトゲに触ると痛いが、スタッフとして取り込めば鎧にもなる。
プロデューサーやディレクターは制作現場では頂点に立ち、
問題点を解決していかなければならないが、
スタッフの柔軟な発想をその権力で封じ込めてはならない。
確かにディレクターがOKを出さなければ次には進まない。
だから己がNGと感じたなら必ず理由を述べ、
スタッフに再構築を依頼すべきである。
しかし仮に己がOKであった場合でもすぐにOKを出すのではなく
まずスタッフに確認してほしい。
そして皆がOKを出した時に、天下に轟く大声で「OK!」と
高らかに宣言してほしい。
こうしてスタッフはリーダーを信じてモノ作りに邁進できる。
集団でモノ作りをする仕事なのだから所詮一人では何もできない。
プロデューサーやディレクターは、スタッフの頂点に立つ身として
スタッフを信じる優しさ・勇気と、
一方では己を信じない「度量」を持たねばならない。

十訓その⑤:スタッフは己を映す「鏡」
仕事がうまくいかないからといって、
スタッフを途中で変えるなどという愚行をしてはならない。
スタッフを変えたからといって、
途中から急に作品が良くなることは100%ない。
自分が人選したスタッフは、
己の身の丈にあった力量のスタッフであり
己の実力が伴わない限りスタッフを変えても、
感ずる物もなく何の代わり映えもない結果に終わることが多い。
ようは己自身で創意工夫をする努力を常にしなければ、
例え「優秀だ」と世間で云われているスタッフでも
そうそう安易に動くものではない。
またギャラだけでスタッフは前向きに動くものでもない。
スタッフの多くは、悲しいかなプロデューサーやディレクターである
己の動きを見て、自分の動きを決めているからだ。
スタッフとは己を映す「鏡」。ただし左右反対に映っているのだが…。
この鏡をうまく使えば、太陽を反射させて太陽と同じ光量で、
暗闇を真昼にすることもできる。

(その⑥~⑩に続く)

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