1994年、今から25年前に、
フリー集団オフィスキネティックを解散し、
私は会社を起こすべく立ち上がろうとしていた。
年が明けた1995年1月17日
神戸市東灘区に住んでいた私は家族と共に
阪神淡路大震災の被災者となってしまった。
1月17日朝8時にマンションの斜めに歪んだラセン階段を上り
一人で屋上から見た神戸の街は映画の一コマのようだった。
黒煙がいくつも帯になってどんより曇った空を支える柱のように見えた。y
この世の終わりを目の当たりにしてしばし呆然としていた。
はたと目に入ったのは、灘区にある実家の辺りの黒鉛と
弟家族の住む東灘区深江辺りの姿。ようやく正気に戻ったが
以後の6か月はあまり思い出したくないが
この時期になるとニュース特番が組まれ、
否応なしに記憶がよみがえる。 . . . 本文を読む
「家は図面通り建てると倒れる」は大工だった私の親父の名言。
私はいつもこの名言を座右の銘にして映像や印刷物を制作してきたし、
イベントの設営では、特にこの親父の名言を肝に命じる。
まさに図面にそって建て込みするのだが、
「図面通りに」に注力するのではなく、
本番を想定して建て込む。すると思わぬ発見がある。 . . . 本文を読む