株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その496.コロナ禍での生き甲斐とは・・・

2020-09-14 14:13:57 | 制作会社社長の憂い漫遊記

2019年10月、私は社長を退任した。
2020年からは別の仕事に取り組みたいと思ってのことだ。
なにせ、私は今の仕事につくために大学に行き、
運よく望んだ仕事について約40年間、楽しく真っ当してきた。
途中、経営の危機や家庭の危機もあったが、
好きな仕事をしてきたので何が起こっても堪えられた。
イヤなことも忘れて没頭できた。
しかし60歳を前にもう一花咲かせたい、違う仕事がしたいという
半ばわがまま的発想で社長退任した。
もちろん後継者がいたからだが、2020年からは軸足を
プランシードから変えると意気込んで新年を迎えた。
ところがである。
コロナで新しい仕事ができる環境ではなくなったのだ。
最初のうちは本を読んだり、散歩、断捨離と
結構忙しく過ごしていたが、5月になり、8月になり、
事態は一向に改善されない。
60歳になったから定年退職させられ、
後の人生を否応なく考えねばならなくなった
モーレツサラリーマン諸氏と同じ状況に追い込まれた。

時を同じくして86歳と85歳になる両親の入院が続いた。
工務店経営をしていた父と、会計担当の母は
これまで息子にお金をせびることもなく、
老後は自分たちの貯めたお金で生きている。
仕事一筋の父は、引退後は毎日近くの釣具屋に出かけては
イメージトレーニングをし、釣り小道具を購入し、
お誘いがあれば一緒に釣り仲間と釣り三昧。
そのため近所付き合いはほとんどなく、
釣り以外はゴロゴロとテレビの番をしてきた。
母もまた旅行に行ったり、孫と遊んだりと、
今まで仕事も家庭も同じだった父とは適度に距離を置いて遊んでいた。
しかし80歳を超えると2人共、体が弱り、
釣りや旅行に行くのもままならない状態になった。
ただ寝たきりという事はなく、
父は母に家事を任せてゴロゴロしている。
母もまた文句を言いつつ、父との生活を楽しんでいる。
父の趣味は病院?というほど、かかりつけ医から
薬をもらって帰ってくる。
母も同様で整形、糖尿、めまいなど3つほどかかりつけ医を持ち
薬カレンダーを作っている。
その母が1か月入院することに。
父は一人暮らしをすることになった。
掃除はしないが、食事作りと洗濯は自分でしていたが
「さみしい、早く退院しろ」と毎日母にTELし続けた。
母が返ってくると家事はすべて任せて、再びテレビの番に。
母がいなくなったらどうするのかと思うぐらい、
すべて母任せの生活に逆戻りだ。
その父が今度は1週間の検査入院をすることになった。
最初は「俺は入院しない!」と完全拒否モードに。
私は説得を病院勤めの弟に任せた。
父の今の生きがいがわからない以上、
説得してもムダとサジを投げた。
ところが弟の説得の末、来週から検査入院することになった。
「いまの状態で寝たきりになったらどうする!?」
「検査入院で病状が把握できれば適切な薬も処方できる」
「手術をしなければならない状況で入院するのではない!
元気なうちに病状がわかる検査ができるのはラッキーだ」
という類の脅しと、励ましで検査入院を渋々受けたのだ。

さて、この父の生きる力、生きる意味は何なのかと考えてみた。
この問いは私自身に対する問でもある。
ただ死にたくないとの理由が、生きる力になるのだろうか?
寝たきりになりたくないとの理由でお金と時間をかけて
体のケアするようになるのだろうか?
母が生きているから一緒に生きているのだろうか?
年齢を重ねるごとに健康でいることが当たり前でなくなってくる。
健康な身体だけでなく、心をいかにキープできるか。
心が病まないようにどうすればよいのか。それが一番大きな問題だ。
父も私も仕事人間だ。天職と思って生きてきた。
それこそが心を病ませない最大のモチベーションだった。
しかし今、86歳という年になり体が思うように動かなくなり、
趣味の釣りどころではない。
300mもあるけば息が上がり、休憩しないことには足腰が痛くてたまらない。
60歳になった私はどうかというと、健康ではあるが
父のような趣味はない。正直に言えば趣味なんて必要なかったのだ。
趣味が仕事だったからだ。
仕事は攻めなければなくなる、待っていても仕事は来ない。
だから常に動いている。止まることが悪であるがごとく。
しかし、動くための健康な身体と心は、あって当たり前だと思っていた。
父はなぜ検査入院を拒否したのだろうか?
そしてなぜ説得に応じて検査入院をすることにしたのだろうか?
私は父の生きる力がどこにあるのかわからない?
少しボケて、耳も遠くなった父に聞くことはない。
答えは自分の中にもあると思うからだ。

家の外に出て社会と関わると、何かしらのストレスを感じる。
それこそがバネになる。仕事でもプライベートでも同じだ。
私の場合、仕事でワイワイやってきたので、
これまでプライベートで誰かに気を遣うことは極力避けてきた。
唯一、地元のだんじり祭りに出て、子供たちとワイワイし、
同じ年代の年寄連中と呑むのが、年1回のプライベートだ。
コロナ禍でオンライン飲み会をやったこともあったが、
1対1ならまだしも1対8になると飲み会にならないことも分かった。
しかしコロナ禍で、仕事ばかりかだんじり祭りも奪われると、
ストレスがないというストレスが溜まってくる。
人との関わり合いで、適度なストレスが実は生きるバネになっている。

私の同級生の何人かは、孫の面倒をみることに多くの時間を費やしている。
私にはまだ孫はいないが、孫の面倒で時間を費やしたくはない。
孫を実家に連れてくるな、会いたい時に私が会いに行くという主義だ。
自分の時間は自分でコントロールしたい。
となるとコロナが早く開けて次の仕事をしなければならない。
しかし、まだまだコロナ撲滅の道は長い。
となるとコロナ禍で生きがいを見つけなければならない。
はてさて、コロナ禍で私の生きがいとは何なのだろうか?


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