岡山に本社を持つ某企業の入社案内ビデオの撮影が
2012年9月7日スタートした。

(実りの秋まじかに迫る日、ロケはスタート!)
これより先、2012年8月、先方より仕事依頼の電話をいただいた。
しかし、なぜ当社に依頼がきたのかわからなかった。
当社の営業担当は、ひょっとしたら相見積かもと、事前に見積書を作成した。
その見積額から算出したロケ日数に「ありえん」と私は激昂し
「入社案内だから撮影日数は最低5日かな。
君の見積書は出さないように」と私。
営業担当は逆に「ありえん、この額ではこの仕事は取れない」と
思ったらしいが、私の腹は決まっていた。
競合他社に合わせた見積額も、仕事を取るためなら致し方ないかもしれない。
とにかく人のいい当社の営業担当は、基準を安売り・手抜きの競合他社に
合わせるから請負額がどうしても低くなる。
不景気だから安売りは致し方ないのだろうが、
額を競合他社に併せても、仕事は手抜きをしない。
いいものを作れば必ず認めてもらえると思い続けてはいるが、
仮に認めてもらっても営業担当から請負額アップを口にすることはない。
どうして価格の理由をキチンと説明しないのか。
こちらからしなければ、相手からアップの提示をしてくれるハズがない。
請負額が低いまま時間や能力をかければ、粗利があがらないのは当然である。
粗利は活動の源泉であり、給料の源泉である。
売上高も大切だが粗利確保も営業担当の大切な仕事。
当社の仕事量、完成度、サポート力と、
当社の請負金額があまりにもかけ離れている。
価格の暴落が始まって以降、いつしか価格はこんなものと勝手に決め込み、
仕事があるだけマシと自分自身に言い聞かせているだけで、
それではやっていけない。
要はお客さまへの価格の十分な説明が不足しているのだ。
気持ちを切り替えて、打破する時期にきている。
今回はビデオだ。
しかも入社案内=企業ドキュメントとなると我が社の十八番、
駄作になるハズがない。それだけの経験と自負がある。
赤字覚悟で仕事を取るのではなく、内容をキチンと説明し、
適正価格とまではいかなくても、納得いただける価格を提示し、
それでダメなら価格の安い同業他社に流れても致し方ない。
もう一度価格についてキッチリと説明するプレゼンとしたかった。
スポンサー担当者は何度か仕事をしたこともあり、
当社に対して決して悪印象を持っていない。
8月24日、最初の打合せでは営業担当は見積書を準備していたが
私が却下したことで、内容についての話から始まった。
ある程度、担当者もイメージがあったのか、ドンドン話は盛り上り、
具体的な撮影内容や作品イメージまで広がっていく。
これはもしかしてウチ指名かと感じ、
誘いをかけたら「いくら位かかりますか?」ときた。
そりゃ、いくら盛り上がっても最後は価格だ。
私は「●●万円×撮影日数+●●万円を目安と考えてください」と答え、
さらに「撮影日数は5日はみてください」と。
競合他社より高いのかもしれないが、
当社のフォローからするとギリギリラインを提示した。
しかし、相手先は長年お付合いのある担当者なので、
当社の営業担当は心配したのだろう。
予想に反して、担当者からは
「私も5日は撮影していただかないと、と思っていました。
金額については了解しました」と。
当社の営業担当からすれば「?」の展開になった。
「早速、考えられる撮影項目を一覧に作成しますので、
それを叩き台にして撮影5日間のスケジュールを立てましょう」と言い、
さらに我が社の営業担当の疑問を代弁して「なぜ当社に依頼を?」と付加えた。
間髪入れずに「社長に監督をお願いしたくって…」と泣かせる答え。
これこそが作り手をイチコロにする魔法の言葉だ。
いつの日か「社長に」ではなく「我が社に」と会社を名指しで
指名が貰えるように社員一同今後も精進しなければならない。

(撮影項目一覧表、全部撮れば撮影日数は1ヶ月?)
撮影項目一覧表を作りながら、
カメラマンを誰にするか迷うことはなかった。
フリーの山内 隆弘カメラマンだ。
前から単発で何度か取材をお願いしていたが1作品通しでしたことがない。
私より10ほど年下だが、
話すと経験から培われた映像に対する熱い想いが伝わってくる。
このカメラマンなら面白いことができるかもしれない。
正直、撮影日数が最低限保証されたことで、
撮影項目はスイスイと出てきたし、
カメラマンが自分の中で固まったことで、
まだ撮影前にもかかわらず「これはいい作品になる」と確信した。
断っておくが、PR作品での「いい作品」とは
スポンサーにとって「役に立つ作品」である。
明確な意図がスポンサーと作り手で共有できれば、
どう転んでも「駄作=死に金」になることはない。
必ずこの会社に入社したいと感じるビデオになる。
もちろん今回も台本はナシの予定。
撮影項目一覧表とそれに添えた狙いをラブレターとして作成し、
打合せから3日目には提出した。
(※私の台本拒否論は「その24.図面の通り作ると家は倒れる?」参照)

(山内カメラマンの名刺、妙に色っぽいが…)
早速、山内カメラマンに依頼の電話をした。
今回は山内カメラマンとしっかりタッグを組み作品を共に作り上げたいこと、
事前に山内カメラマンのスケジュールを聞き、極力合わせることを約束し、
ギャラを提示した。
契約成立だ。
最後に「これはいい作品になるよ。おそらく山内さんの最高傑作になる」と
狭いオフィスで聞き耳を立てずとも、否応なしに聞こえる私の大声が響いた。
電話口の山内カメラマンがどう捉えたかはこれから追々わかることだろう…
制作(AD)には我が社の新生・川村を指名し、より一層の成長を願った。
私からのラブレターを解読した担当者からはすぐに返事があり、
至急お会いしたいと伝えた。
鉄は熱い内に打て!
9月3日に2回目の打合せを持つ。
間髪入れずに進めた成果か、2回の打合せで撮影内容も確認し合え、
予定通り台本ナシのまま撮影がスタートした。
わずか4日後の9月7日に第1回目の撮影が岡山の本社で行われた。
企業ドキュメントの撮影初日は何を撮るかよりも、
出来るだけ派手に動き回り、我々撮影クルーの存在を相手先に意識付け、
やがて意識しないようにすることが最大の目的である。
会長、社長、部長、課長、事務員さんあたりまでは、
第2回目撮影時に「アイツら誰?」ということがないように
初日の撮影で印象付けておかねばならない。
片っ端から挨拶し、所狭しと撮影しまくり、
インタビューできる人は出来る限りする。
私は事務所内を走り回って段取りし、撮影しまくった。
フィルム時代はフィルムや現像費が高くて、
撮影したフリだけしたこともあった。
当時は決められたフィルム本数で撮り切ることが、
監督やカメラマンの力量の物差しというくらいフィルムは宝物だったが、
ビデオに変わって収録テープは単なる消耗品扱いになった。
収録する・しないは別にして、撮るフリだけでもしておかねばならない。
取材先に存在を印象付けることで、取材がしやすくなる。
インタビューも本音を聞き出しやすくなるし、
想定外の人にインタビューすることも増える。
企業ドキュメントの仕掛けは、コミュニケーションをいかに売るかにある。
こうして初日の撮影を終え、60分の収録テープは2本と半分回った。
時間にすると2時間半。
内容は見ていないが、この収録時間はなかなかいい。
カメラマンも本気で撮っていることがわかる。
私の経験からすると、初日は迷わず回さねばならない。
おそらく作品では1分使えるかどうかだが、
顔を売るのが目的だから初日に2~3本回ればマズマズだ。
カメラマンも回して感触が掴めてくる。
概してキービジュアルは、先入観や配慮なく回した初日撮影の中に
意外にあるのも私の経験則から言える。
企業ドキュメントに撮り惜しみは、禁物いや厳禁だ。
私は帰り際、事務所全体に聞こえる大声で
「本日はこれで引き揚げます。ありがとうございました」と声をかけた。
これも毎度のことだ。
するとどうたろう、事務所にいる全員が起立して見送ってくれた。
この会社は、ワンフロアに社長も部長も平もいる。
私の経験則では、社長室のある会社は概して伸び悩むが、
社長も一緒になってワンフロアで頑張る会社は、
かなりまとまりがよくコミュニケーションの取れたイケてる会社が多い。
見送りの気持ちよさもあり、撮影が終わってもなお、
私の感性のコンピュータはフル回転を続けた。
次の作戦を整理するため車の運転を買って出たが、
暫くすると助手席で川村はうたた寝を始めた。
「よいか川村、
ワイらの時代はADが助手席でうたた寝するなんてありえんかったど!
その理由は自分で考えろ!」

(制作に指名した写真左の当社・川村は入社以来「雨男」で、
春の社員旅行で行った舘山寺で私は厄払いの御守りを買って渡した。
その御利益か?初の晴天ロケ)
私の初日の仕事『状況演出』は幸先良くスタートした。
第2日目からが『作品演出』のスタートになる。
山内カメラマンにはひとつ注文をつけた。
「次回からは被写体の話を聴いて撮るように。
編集で繋ぎやすいようにとの気遣い不要!
引きや寄りをまんべんなく撮る必要ナシ!
被写体が何を話し、どう行動しているかに細心の注意をはらい、
被写体の声を撮るように!私は被写体の言葉で編集する!」と伝えた。
この問いにどう応えるのか?
山内カメラマン起用の正否が次回でわかる。頼んまっせ、山内カメラマン!
9月13日が早く来ないか、ワクワクしながら山陽自動車道をひた走った。
さて表題の「ネズミ6匹」とは昔の大阪の戯れ言葉で
「むっつのチュー→むちゅう=夢中」を意味する。
2012年9月7日スタートした。

(実りの秋まじかに迫る日、ロケはスタート!)
これより先、2012年8月、先方より仕事依頼の電話をいただいた。
しかし、なぜ当社に依頼がきたのかわからなかった。
当社の営業担当は、ひょっとしたら相見積かもと、事前に見積書を作成した。
その見積額から算出したロケ日数に「ありえん」と私は激昂し
「入社案内だから撮影日数は最低5日かな。
君の見積書は出さないように」と私。
営業担当は逆に「ありえん、この額ではこの仕事は取れない」と
思ったらしいが、私の腹は決まっていた。
競合他社に合わせた見積額も、仕事を取るためなら致し方ないかもしれない。
とにかく人のいい当社の営業担当は、基準を安売り・手抜きの競合他社に
合わせるから請負額がどうしても低くなる。
不景気だから安売りは致し方ないのだろうが、
額を競合他社に併せても、仕事は手抜きをしない。
いいものを作れば必ず認めてもらえると思い続けてはいるが、
仮に認めてもらっても営業担当から請負額アップを口にすることはない。
どうして価格の理由をキチンと説明しないのか。
こちらからしなければ、相手からアップの提示をしてくれるハズがない。
請負額が低いまま時間や能力をかければ、粗利があがらないのは当然である。
粗利は活動の源泉であり、給料の源泉である。
売上高も大切だが粗利確保も営業担当の大切な仕事。
当社の仕事量、完成度、サポート力と、
当社の請負金額があまりにもかけ離れている。
価格の暴落が始まって以降、いつしか価格はこんなものと勝手に決め込み、
仕事があるだけマシと自分自身に言い聞かせているだけで、
それではやっていけない。
要はお客さまへの価格の十分な説明が不足しているのだ。
気持ちを切り替えて、打破する時期にきている。
今回はビデオだ。
しかも入社案内=企業ドキュメントとなると我が社の十八番、
駄作になるハズがない。それだけの経験と自負がある。
赤字覚悟で仕事を取るのではなく、内容をキチンと説明し、
適正価格とまではいかなくても、納得いただける価格を提示し、
それでダメなら価格の安い同業他社に流れても致し方ない。
もう一度価格についてキッチリと説明するプレゼンとしたかった。
スポンサー担当者は何度か仕事をしたこともあり、
当社に対して決して悪印象を持っていない。
8月24日、最初の打合せでは営業担当は見積書を準備していたが
私が却下したことで、内容についての話から始まった。
ある程度、担当者もイメージがあったのか、ドンドン話は盛り上り、
具体的な撮影内容や作品イメージまで広がっていく。
これはもしかしてウチ指名かと感じ、
誘いをかけたら「いくら位かかりますか?」ときた。
そりゃ、いくら盛り上がっても最後は価格だ。
私は「●●万円×撮影日数+●●万円を目安と考えてください」と答え、
さらに「撮影日数は5日はみてください」と。
競合他社より高いのかもしれないが、
当社のフォローからするとギリギリラインを提示した。
しかし、相手先は長年お付合いのある担当者なので、
当社の営業担当は心配したのだろう。
予想に反して、担当者からは
「私も5日は撮影していただかないと、と思っていました。
金額については了解しました」と。
当社の営業担当からすれば「?」の展開になった。
「早速、考えられる撮影項目を一覧に作成しますので、
それを叩き台にして撮影5日間のスケジュールを立てましょう」と言い、
さらに我が社の営業担当の疑問を代弁して「なぜ当社に依頼を?」と付加えた。
間髪入れずに「社長に監督をお願いしたくって…」と泣かせる答え。
これこそが作り手をイチコロにする魔法の言葉だ。
いつの日か「社長に」ではなく「我が社に」と会社を名指しで
指名が貰えるように社員一同今後も精進しなければならない。

(撮影項目一覧表、全部撮れば撮影日数は1ヶ月?)
撮影項目一覧表を作りながら、
カメラマンを誰にするか迷うことはなかった。
フリーの山内 隆弘カメラマンだ。
前から単発で何度か取材をお願いしていたが1作品通しでしたことがない。
私より10ほど年下だが、
話すと経験から培われた映像に対する熱い想いが伝わってくる。
このカメラマンなら面白いことができるかもしれない。
正直、撮影日数が最低限保証されたことで、
撮影項目はスイスイと出てきたし、
カメラマンが自分の中で固まったことで、
まだ撮影前にもかかわらず「これはいい作品になる」と確信した。
断っておくが、PR作品での「いい作品」とは
スポンサーにとって「役に立つ作品」である。
明確な意図がスポンサーと作り手で共有できれば、
どう転んでも「駄作=死に金」になることはない。
必ずこの会社に入社したいと感じるビデオになる。
もちろん今回も台本はナシの予定。
撮影項目一覧表とそれに添えた狙いをラブレターとして作成し、
打合せから3日目には提出した。
(※私の台本拒否論は「その24.図面の通り作ると家は倒れる?」参照)

(山内カメラマンの名刺、妙に色っぽいが…)
早速、山内カメラマンに依頼の電話をした。
今回は山内カメラマンとしっかりタッグを組み作品を共に作り上げたいこと、
事前に山内カメラマンのスケジュールを聞き、極力合わせることを約束し、
ギャラを提示した。
契約成立だ。
最後に「これはいい作品になるよ。おそらく山内さんの最高傑作になる」と
狭いオフィスで聞き耳を立てずとも、否応なしに聞こえる私の大声が響いた。
電話口の山内カメラマンがどう捉えたかはこれから追々わかることだろう…
制作(AD)には我が社の新生・川村を指名し、より一層の成長を願った。
私からのラブレターを解読した担当者からはすぐに返事があり、
至急お会いしたいと伝えた。
鉄は熱い内に打て!
9月3日に2回目の打合せを持つ。
間髪入れずに進めた成果か、2回の打合せで撮影内容も確認し合え、
予定通り台本ナシのまま撮影がスタートした。
わずか4日後の9月7日に第1回目の撮影が岡山の本社で行われた。
企業ドキュメントの撮影初日は何を撮るかよりも、
出来るだけ派手に動き回り、我々撮影クルーの存在を相手先に意識付け、
やがて意識しないようにすることが最大の目的である。
会長、社長、部長、課長、事務員さんあたりまでは、
第2回目撮影時に「アイツら誰?」ということがないように
初日の撮影で印象付けておかねばならない。
片っ端から挨拶し、所狭しと撮影しまくり、
インタビューできる人は出来る限りする。
私は事務所内を走り回って段取りし、撮影しまくった。
フィルム時代はフィルムや現像費が高くて、
撮影したフリだけしたこともあった。
当時は決められたフィルム本数で撮り切ることが、
監督やカメラマンの力量の物差しというくらいフィルムは宝物だったが、
ビデオに変わって収録テープは単なる消耗品扱いになった。
収録する・しないは別にして、撮るフリだけでもしておかねばならない。
取材先に存在を印象付けることで、取材がしやすくなる。
インタビューも本音を聞き出しやすくなるし、
想定外の人にインタビューすることも増える。
企業ドキュメントの仕掛けは、コミュニケーションをいかに売るかにある。
こうして初日の撮影を終え、60分の収録テープは2本と半分回った。
時間にすると2時間半。
内容は見ていないが、この収録時間はなかなかいい。
カメラマンも本気で撮っていることがわかる。
私の経験からすると、初日は迷わず回さねばならない。
おそらく作品では1分使えるかどうかだが、
顔を売るのが目的だから初日に2~3本回ればマズマズだ。
カメラマンも回して感触が掴めてくる。
概してキービジュアルは、先入観や配慮なく回した初日撮影の中に
意外にあるのも私の経験則から言える。
企業ドキュメントに撮り惜しみは、禁物いや厳禁だ。
私は帰り際、事務所全体に聞こえる大声で
「本日はこれで引き揚げます。ありがとうございました」と声をかけた。
これも毎度のことだ。
するとどうたろう、事務所にいる全員が起立して見送ってくれた。
この会社は、ワンフロアに社長も部長も平もいる。
私の経験則では、社長室のある会社は概して伸び悩むが、
社長も一緒になってワンフロアで頑張る会社は、
かなりまとまりがよくコミュニケーションの取れたイケてる会社が多い。
見送りの気持ちよさもあり、撮影が終わってもなお、
私の感性のコンピュータはフル回転を続けた。
次の作戦を整理するため車の運転を買って出たが、
暫くすると助手席で川村はうたた寝を始めた。
「よいか川村、
ワイらの時代はADが助手席でうたた寝するなんてありえんかったど!
その理由は自分で考えろ!」

(制作に指名した写真左の当社・川村は入社以来「雨男」で、
春の社員旅行で行った舘山寺で私は厄払いの御守りを買って渡した。
その御利益か?初の晴天ロケ)
私の初日の仕事『状況演出』は幸先良くスタートした。
第2日目からが『作品演出』のスタートになる。
山内カメラマンにはひとつ注文をつけた。
「次回からは被写体の話を聴いて撮るように。
編集で繋ぎやすいようにとの気遣い不要!
引きや寄りをまんべんなく撮る必要ナシ!
被写体が何を話し、どう行動しているかに細心の注意をはらい、
被写体の声を撮るように!私は被写体の言葉で編集する!」と伝えた。
この問いにどう応えるのか?
山内カメラマン起用の正否が次回でわかる。頼んまっせ、山内カメラマン!
9月13日が早く来ないか、ワクワクしながら山陽自動車道をひた走った。
さて表題の「ネズミ6匹」とは昔の大阪の戯れ言葉で
「むっつのチュー→むちゅう=夢中」を意味する。
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