株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その423.今が全盛期

2019-06-25 08:14:17 | 制作会社社長の憂い漫遊記
ラッキーだったことに私は
芸大学在学中の20歳で監督デビューできた。
授業よりも圧倒的に現場の方が
学ぶことが多かったし、活きていた。
夢は映画監督で、映画監督になるために芸大に入学したが
たまたまアルバイトについたPR映像制作会社で
演出をさせてもらえたことで
20歳の私の計画は早くも路線変更になった。

初監督作品は学生アルバイト監督ではあったが、
行程は今も30年前も同じ。
スポンサーと台本の打合せをし、撮影し、編集、録音と
変わらぬ作業をして1本を仕上げた。
しかし、打合せはいるだけ。
台本制作では、これまでの台本を読み漁り、半分以上はパクリ。
撮影はカメラマンの力によるところ大だし
編集はほとんど見ているだけ。
唯一録音はスタジオで悪戦苦闘したが
それとて好きな曲を選んだだけで
作品での効果を考えての選曲ではなかった。
しかし、私にとって1本仕上げたことは芸大の4年間とは
比較にならない勉強となった。
だから芸大で何を学んだかはおぼろげで
プロダクションでのバイトや
むしろ打上げの炉端での記憶の方が鮮明だ。

当時映画は斜陽産業で、映画会社に入らないと
映画監督にはなれないと思っていたし
フリーなんて世界も知らなかった。
出会ったPR映像に自分のもうひとつの可能性を感じた。
2年間の学生兼業アルバイトを終え
その会社からは入社のお誘いを受けたが
卒業と同時に別のPR映像制作会社に就職した。
そこを2年勤め、ヘッドハンティングされてさらに2年勤め
25歳でフリー演出になった。
それから10年間、ひたすら作り続けたが
あの日、恐怖の阪神淡路大震災で被災者となった。
生活を立て直したいという思いよりも
早く仕事がしたいという思いに駆られ
震災から6カ月後PR制作会社を起業した。
まさにPR業界一筋だ。
今でもスポンサーと打合せをし、台本(企画書)にし
撮影、編集、録音と同じ行程でモノを作っている。
ただしジャンルは映像だけでなく、
印刷物、イベント、企業教育など
企業が成長する上で必要となるツールを幅広く制作している。
映画監督にはなっていないが、助監督は経験した。
映画監督にはなっていないが役者さんを数十名配した
ドラマ仕立てのPR映像は今でも作っている。
CMも作っているし、映画監督ではやれなかったであろう
印刷物やイベントの演出もしている。
その行程で私が学んだのは
「始まったものは必ず終わる」
「どんなに辛くてもたいていの事は何とかなる」。
だから諦めないことが才能だと思えるようになった。

約40年間、PRの世界に生きてきたが
心暖かな先輩には数多く巡り会えたし
優秀な後輩や社員にも恵まれた。
しかしフリーになるのが早すぎて、師匠はいない。
後ろ姿で学んだことは唯一スタートとなったバイト先だけで
社会人になってからは現場で学んできた。
乱作・短期王でこれまで数多く制作してきたが
自覚している失敗作は3本。
3本となるとアベレージ的には誤差の世界、おそらく1%未満だが
3本のお客さまにとっては大切なお金をドブに捨てたことになる。
企業PRの世界では1本たりとも失敗は許されない。
その3本は今でも見たくないが、今でも夢に出てくる。
何とか納品でき、お客さまは納得してくれてはいるが
「何だかなぁ」作品はさらに10本はあるだろう。
だから何もしたくないほど落ち込んだことは数知れず。
それでも途中で降板したことは一度もない。
続編の依頼が来るよう、今でも夜の寝も寝ずの編集をしている。
好きだからもあるが、
失敗作をこれ以上増やしたくない思いの方が強い。
経験を積むごとに失敗作は減り、逆に名作が増えていく。
自己予想採点80点なら、安定路線作よりも
チャレンジ作を選ぶようになり
作るのがドンドン面白くなっている。
40年間、ずっと監督もしくはプロデューサーという頂点にいた。
いつでも今が全盛期だ。

しかし、まもなく世間でいう定年世代というところまできて
事業継承を考えると、予想していた以上に、
頂点にいたから気づかなかった勘違いもあることに気づく。
いつまでも頂点ではない。
このままでは退いたあとの第二の人生は
うまくいかないとも自覚するようになった。
そうなると「初心忘るべからず」となるのだが
では私にとって初心とは?
まさか学生監督時代の数本の作品で学んだことか?
とするとチャレンジ、もしくは新たな起業となる。
しかし、お金がないと人は卑しくなる。
十分な金を稼いでいれば
余裕が持てるということも学んだはず。

アリストテレスは
「行動を見ればその人がわかる。
その人自身が自分について語ることは真実かどうかわからない」
と言った。また、ナポレオンは
「何事も心構えこそすべてである。
心の姿勢がその人のすべての習慣を形作っている」
と言った。さらに、私の好きなアメリカの演出家は
「演出家の役割は出産を助ける医師や助産婦だ」
と語っている。
ならば同じ演出稼業の私が、
私自身の迷いから助ける医師だとするならば
これからの第二の人生に何と助言すればよいのか?
答えは先にある。歩むしかない。

さてどっちに行こうか?
いっそ宇宙か?


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