日常のことばたち

時々落ち込むこともあるけれど、いまを生きるんだ。

日記 兼 遺書

2005-12-09 22:49:12 | 日常
今日の帰りにエンジェルハートの最新刊Getしてきました。
ゆうです。

今さらこんなことを言うのもなんだけど、
ここのブログは自分の気持ちや考えていることを客観的に見て、心の整理をするために開設したものです。
そしてもうひとつ。
ここは日記であると同時に遺書でもあります。
遺書と聞くとなんだか悲しいイメージがあるけど、自分の中では前向きです。
妻が入院している間、闘病日記をつけてました。
今、何を思っているのか、考えているのか、詳しく書いてありました。
亡くなる前の1週間ぐらいは何も記されてませんでした。
突然いなくなる。
あまりにも衝撃的でした。
でも自分にもありえるんだなと心の中で思いました。
だから妻が亡くなってから、私は保険に入りました。
何か残したいと思ってホームページを作りました。
そしてここ最近は、何もなくても毎日ブログを書いてます。
もし私が突然いなくなったとしても、
ここを読んでもらえれば、昨日まで何を感じていたのか、何を考えていたのか、どんな人間だったのか、幸せだったのか、不幸であったのか、わかってもらえると思います。

日記 兼 遺書。

急にいなくなってしまうのはあまりにも悲しすぎる。
そのことを痛いほど知っているからこそ、
生きている日々をなんらかの形で残せないか。
いろいろ模索した結果と言えます。

「明日自分が無事に生きている保証なんてないんです。だからこそ今日も精一杯生きるんです。」

法事のときにお寺の住職が言ってた言葉が心に残る。
なんでもないような日々でも、命を燃やして生きているんだろう。
命が終わってからでは「ありがとう」も「さよなら」も言えない。
生きていたということを示すことができるのは、生きている「今」だけだ。
そして「ありがとう」も「さよなら」も言う私だけだ。


なんか暗くなってきたな。
要するに日記つけていれば、結果として遺書になるんじゃないかっていうことだ。
毎日を綴っているわけだし。今しか書けないし。
こんなまとめかたでいいのか・・・?(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は命日

2005-12-09 22:05:55 | 日常
今日なんとなく母から聞いた話。
「明日は○○○(妹)の命日だね。」
あ~そっか。12月10日の朝だったか。
寒かったのを覚えている。
当時私は中学2年(14歳)、妹は小学6年(12歳)。
朝の通学中、突発性拡張型心筋症の症状である不整脈により心肺停止。
駆けつけてくれた学校の先生方の心肺蘇生も届かず、他界。
いつもと変わらない朝だった。

生きてれば私と2つ違いだから24歳かな。
もう12年経つ。

亡くなった妻と同じ墓に入ってる。
お互いに会ったことはないんだけど、仲良くやってるかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

~そろそろ仕事終わり~

2005-12-09 18:44:38 | 日常
まぁ今日はケータイの無い一日だったけど、
腕時計はあるし、ネット環境はあるし、特に困った事はないんだけど、
ケータイに着信やメールが来ていたら、返事が遅れる。
仕事の電話やメールは99%来ないので問題ない。
でも仕事でケータイ使ってる人には死活問題なんだろうなぁ。
でも会社着いてから気付いたらどうすんだろう。
取りに帰るのかな。
みんなどうなんだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケータイ忘れた~!

2005-12-09 10:17:34 | 日常
ついさっき、会社に着いてから気付きました。
「ケ、ケータイ忘れたっ!!!∑( ̄□ ̄;)」
軽くショック・・・
見よっ、この悲しき現代人の哀れな姿を。

・・・_| ̄|○・・・

ケータイ忘れてショック受けるなんて現代人だよね。
お昼休みののんびりした時間を過ごす必須アイテム。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする