こうして私は、季節を感じながら、生きていくのです。
後ろ向きになってたけど、過去に縛られていたけど、悲しみに身を浸すことでしかいられなかったけど、今は違う。
前向きってほど、前のめりでもないけど、生きる力は、静かに、鈍く、それでいて確実に、湧いてきている。
ここでは全てを説明できないんだけども、人のつながりが成した現在地。
それが今。
人生の目標とか希望とか夢とかは相変わらずポッカリ穴が空いてる感じだけど、逆に言えば、何かしたいと思ったら自由ってことだ。
人は何かを成さなければならない、とか、何歳までにはこうしていたい、とか、何かに追われるように生きてしまうけど、そんなことはないなと改めて思う。
日々、働いて、生活しているだけでも、立派なことだ。
自分で、働いて、生活してるわけだから。
それだけでも立派だと思うし、それだけで十分奇跡みたいなもんだ。
何か地位や名声を残さなければならない!なんてことはないはずだ。
自分で、働いて、生活してる中で、何かに触れて、人生に影響を受けて、感性を磨いて、行動に移せばいい。
成長するって、多分そういうことなんだと思う。
歳を重ねるばかりで、自分が成長したかどうかわからないけど、これまでの夜をつなぎ合わせて、それを過去というのならば、それはきっと、経験と呼ばれるものであり、目には見えない財産なのだと感じる。
自分が自分であるのには変わりない。
何歳になっても、私は私だ。
春には桜を、夏には向日葵を、秋には紅葉を、冬には椿を。
花に、虫に、空気に、人に、季節に触れて。
たまにはお墓参りに行って。
こうして私は、季節を感じながら、生きていくのです。