フィリピンりぱぶりっく狂笑国

フィリピンらしく
フィリピンでも
フィリピンだから

Ay Baha

2024-08-13 | フィリピン

ちょっとした雨が降れば道路が冠水、大雨が長引けばすぐに大洪水が引き起こるフィリピン。

おそらくスペイン当時からこの冠水や洪水は改善されていないのだと思います。

むしろ、植民地時代には、今のような洪水は起きていなかったと想像します。

 

レプトスピラ症の症例が増加し続けていることから、フィリピン保健省(DOH)は、特に洪水が発生しやすい地域の地方自治体に、洪水時の水泳を禁止するよう要請すると発表した。

フィリピンでは、国民のレプトスピラ症についての国民の、特に不法占領区やスラム、状態的に洪水が起きる地区での情報が不足している。

レプトスピラは、ネズミなどの野生動物が保有しており、尿と一緒に排泄されることで、水や土壌を汚染します。

レプトスピラ症:

レプトスピラという細菌が感染することでおこる人獣共通感染症で、レプトスピラは、汚染された川の水や土壌などを介して感染する。

レプトスピラの感染経路は、主に、汚染された水や土壌と接触することで、傷口や粘膜から感染する経皮感染と、汚染された水や食品を飲食することで感染する経口感染がある。

 

フィリピンでは、大雨や台風による洪水が起きると、子供達が洪水の中で水泳をする光景がよく見受けられる。

フィリピンの生活環境はいまだに改善されておらず、ゴミ処理がいまだ進んでおらず、ゴミの溜まった場所へレプトスピラ症の一般的な原因であるネズミが寄ってきて餌を漁ったり、排泄を行う。また、下水道の整備がほとんど行われていない上、人糞などの処理は、いまだに自然処理、つまり、住宅内に設置されたセプティックタンク(腐敗槽:トイレからの汚水を一時貯留する貯留槽)はじめ、貯留槽という名ばかりの穴を掘り自然沈澱させることが多く見られます。

したがって、洪水が起きると、すべての汚水が洪水によって湧き溢れます。

大雨をシャワー代わり、洪水を暑気除けやシャワー代わりに子供達がその洪水の中で水泳をすることが多いため尿で汚染された水で泳ぐことで病気に感染することについて子供たちに教育する知識を親が持っていないことも大きな要因で、コミュニケーション、行動の問題で、行動を変える必要があります。

適切な固形廃棄物管理の行政指導を行い発生をしない環境を作らなければいけません。

最近では、症例のほとんどは台風カリーナと南西モンスーンによる洪水の被害を受けた地域で発生しています。

レプトスピラ症の症状には、発熱、嘔吐、吐き気、筋肉痛、頭痛などがある。今年1月1日から7月27日までの間にレプトスピラ症の症例は合計1,444件記録されており、これは昨年の同時期の2,505件と比べて42%減少している。現象原因はフィリピン沖にモンスーントラフが現れ中あったこと、エルニーニョの影響が挙げられます。

8月に入って台風発生が多くなってきていて、今年の下期には洪水が多発レプトスピラ症の感染者数はさらに増加すると予想されます。

フィリピン保健省は、この病気の治療に使われるドキシサイクリンは確保してあり不足していない。レプトスピラ症患者を受け入れるための病院のベッドはまだ十分にあると発表しています。

フィリピン保健省の発表によれば、「最新のデータにはまだ、現在病院で待機している新規感染者数は含まれていない。そのため、感染者数が今後増加する。中には患者で満杯になりそうな病院もあるが、それでもなんとか対応できている状態である」と報じています。

フィリピンへ観光や出張などで出掛けた際に、冠水、洪水の中を歩いた後はすぐに石鹸を用いてよく洗い、きれいな水を使い洗い流すことで感染予防になります。

 

1882年10月20日の台風がマニラを襲う

嵐の後、マニラのエステロの近くの住宅が浸水した。

142年前のマニラの洪水の写真

遡ること142年前、1882年10月20日の午前11時46分頃、マニラの住民は恐ろしい台風が突然到来したことに気づかず、その台風の渦がマニラに到達し、軽量材料で建てられた家屋のほとんどを破壊した。もちろん、マニラの家屋のほとんどはまだニパと竹で建てられていたため、嵐の強風の影響を免れることはできなかった。

 

「2時間半に渡って、恐るべき嵐の轟音を聞き、猛烈さを増す突風の猛攻で自分の家が震え揺れるのを感じた人ほど、大気のとてつもない乱気流を理解できる人はいないだろう。そのような瞬間、大気の均衡がわずかに乱れるだけで、住民を厳しく懲らしめることのできる至高の力の堂々とした顕現に比べれば、人間の無力さを感じる。これほど危機的な状況下では、観察者にとって自然の秘密を探ろうとするのは困難で苦痛な作業である。最も優れた機器でさえ、通常は機能しなくなるか、自然の破壊力で故障する。さらに、最も頑丈でしっかりした建物がハリケーンの衝撃でひび割れたり揺れたり、屋根が吹き飛ばされたり、粉々になったりするとき、重い金属板が羽のように空中を舞い、巨大な木々が巨大な目に見えないカタパルトから投げ出されたかのように遠くまで飛ぶとき、すべての人間は自然に頭を下げ、神の力をわずかに示しながら目の前を通り過ぎる神の威厳を崇拝する傾向がある。」

当時のフィリピン気象局長でマニラ天文台の所長でもあるイエズス会の司祭ホセ・アルグエ神父は、この嵐の猛威をこのように記録、言い伝えている。

 

1882 年の嵐による壊滅的な被害の中でフィリピン人が祈りを捧げたのに対し、1863 年にマニラを訪れたイギリス人は、「インド人たちが腰まで水に浸かりながら一日中笑い、近くに来た中国人をびしょ濡れにすることに大喜びしていた様子を私は決して忘れない。」

洪水に見舞われたマニラの街路の中でフィリピン人がいかに大きな幸福感を見出していたかに注目した。という伝えがある。

洪水は「雷鳴が轟き、稲妻が閃き、風が吹き荒れる中、10日10晩、雨が垂直に流れ落ちた」後に起こった。最後に、この英国人は読者に、雨と洪水を踏まないように警告した。なぜなら、ブーツの表面に「おそらくキノコやその他の菌類が生えているだろう」からである。

 

142年を過ぎたフィリピンの洪水の写真

(2009 年 10 月 12 日月曜日、フィリピン北部ブラカン州カルンピット町プンゴ村で、洪水に見舞われた自宅から外を眺める家族。9 月 26 日の連続した嵐がフィリピン北部を襲って以来、全国の死者数は 600 人以上。何十万人もの人々がまだ家を追われており、過去 40 年間で最悪の洪水による被害は数億ドルに上った)

むしろ川添に生活拠点を拡大した現在こそ、曲がりくねった川の河川の洪水対策ができなくなり、被害がますます大きくなってきているのがフィリピンの現状です。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マニラの市町村の歴史09 | トップ | マニラの市町村の歴史10 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

フィリピン」カテゴリの最新記事