大泉の仲間たち

大泉高校15期生の交流/親睦のためのブログです。

二回目の改革

2023-11-08 09:30:26 | 日記

 「牛若丸が五条の橋の上で、弁慶を打ち負かした
ので弁慶が義経(牛若丸)の家来になった」という
話があります。
 平安後期には、大きな寺が荘園を持って、いわば
”治外法権”的に、境内に多くの人を住まわせていた
そうです。僧侶は武器を携え、京の街を傍若無人に
振る舞い、街の人から金品を奪っていたそうです。
弁慶も牛若丸に出会った際には、手には金棒、背中
の籠に多くの武器を入れて、牛若丸に挑んだことに
なっています。それほど当時の比叡山僧侶(僧兵)
ga街で乱暴狼藉を働いていたわけです。このような
状況がしばらく続いていたので、信長が治外法権を
打破しようと、比叡山を焼き討ちにしたのではない
か、とも思ってしまいます。

 しばらくは寺と武家の間で揉めますが、この時代
を境にして寺(荘園)も武家の支配下になったもの
と思います。
 これ以降は、宗教家は精神の世界に留まるように
なって、人の日々の生活から分離をし始めたものと
思います。いわば、「生(活)教分離」がなされた
ものと思います。ゆえに、宗教と生活や政治と対立
することがなくなったものと思います。多くの人は
生きる指針として、精神の支えとして接するように
なったのではないか、と私は考えています。

 そうは言っても、宗教が生活に入り込みすぎて、
本人や周囲の人の生活に支障が出ている場合がある
ようで、世間を騒がしています。困ったものだ。

           prairie@mbh.nifty.com