平成の「本音」―検察の狙いは政治主導つぶしか、もううんざり!?
与党民主党小沢幹事長が野党時代であった2004年10月に、土地購入に当てた資金の収支報告書への記載問題に関し、報告書への不記載などの容疑で、当時秘書であった石川衆院議員他2名が検察当局に逮捕された。1月18日の通常国会開催を前にした現職議員を含む関係者の逮捕であり波紋を広げている。
小沢民主党幹事長は、法律に反するようなことは行っていないとし、16日の同党の定期党大会でも不正なことは行っておらず、幹事長職を辞することはないとしている。一方地検より小沢議員に“任意出頭”要請が出されており、当初これには弁護士が対応しているなどとして応じていなかったが、それが当時の秘書3人の逮捕に繋がったとの解釈もなされている。恐らく当時小沢議員から出されたとされている4億円の現金の出所などについては、弁護士を通じて実体的に検察当局には伝えられていたことが明らかになって来たので、小沢議員が任意出頭に応じていても、検察当局は国会開催前に元秘書3人の逮捕を行う意向であったものと考えられる。小沢幹事長が任意出頭後の関係者の逮捕であれば、党大会及び世論に与えるダメージはより大きくなり、幹事長辞任への党内や世論の圧力は強まっていたと予想される。
そもそもこの事案は、前自・公政権下において、総選挙を控えた昨年3、4月に表面化したもので、当時の野党民主党の小沢総裁が総裁を辞任し、幹事長に就任し、新総裁となった鳩山・小沢体制で昨年9月の総選挙で勝利したものである。04年10月の土地購入を巡る問題で5年間不問とされて来た過去の問題である上、収支報告書への記載などを巡る問題であるので、違反は違反であるが、現職議員である当時の秘書を逮捕する程の違反とも思えないし、これらの者が逃亡するなどの恐れも少ないと見られるので、国会開会を控え関係者3名を逮捕することは必要以上の職権行使とも映る。国民の目からすると、自民党の二階議員(前自民党選対委員長、元経産相)の収支報告書問題への対応と比較すると、検察当局が民主党政権と距離を置いているとの印象を与えるもので、政治的な意図を持った職権行使の意味合いが強いとも言えよう。
野党自民党他は、調査チームを作り、国会で追及の意向であり、野党としては理解出来ないことではない。しかし与党時代は、野党の攻撃に対して経済情勢、国民生活は厳しく、“政局よりも政策”と言っていたのではないか。いずれにしても、野党からは現在の経済、雇用問題などに意味のある政策などは聞こえてこず、重箱の隅をつついたような民主党政権へのネガテイブ・キャンペーンのみが目立つ。新人小泉進次郎議員が、“自由民主党には民主党にはない「自由」があってよかった~”などとタレントさんのような一口コメントで人気を集めているようだが、軽口で中身に欠ける。もっと地道に政策を語れないものだろうか。
マスコミ各社も世論調査などをして「説明責任」を果たすべきとし、テレビ放送でもコメンテーターを含め、「説明責任」、「説明責任」と野党と共に大合唱。これで今年の漢字は決まりかとも思えるほど決まり文句になっている。しかし検察当局が昨年3月以来執拗に捜査している政治資金規正法を巡る事件であり、当事者、特に監督責任者であった小沢議員としては、記載上の不備はあったかもしれないが、不正なことはないことは繰り返し明らかにしているところでもあるので、捜査中の事件についてそれ以上何を発言すればいいのだろうか。逮捕された元秘書3人の弁護や人権の擁護も当然考えなくてはならない。現に捜査中の事件について、公開の場で「説明責任」を果たせというのは、聞こえは良いが無理がある。誰にでも自らを弁護する権利がある。恐らく本音ではそう思っている人が多いし、今まで多くの与党議員がそのように対応して来たのではなかろうか。また与野党を問わず、あそこまで広範な家宅捜査を含む強制捜査を行われれば誰でも何か出て来ると思っているのではないだろうか。次のターゲットは野党議員か。
また今回の検察の強引とも見られる現職与党議員を含む3人の逮捕は、まるで一野党議員並みの強引な捜査であり、政府与党の要路に対する捜査方法とは思えない。政府与党の要路への任意の出頭要請であれば無実でも注目を引くのは明らかであるので、目立たないような形で行っても捜査には実体的に支障はないはずだ。その配慮に欠ける以上に、人道的観点からも秘密であるべき捜査情報を可なり詳細にプレスに漏らしていることを考えると、何らかの政治的意図で行っているとしか映らない。
本来与野党議員で捜査上等の差別をしてはならないが、国会開催中であれば議員逮捕には国会の了承が必要であり、それ相応の理由が必要だ。国会開催日が決まった後の逮捕であっても、国会審議への影響を考えれば慎重な配慮が必要であろう。ましてや政府与党の要路に関係する事件であれば、検察自体も内閣の下での行政組織であるので、政府首脳への報告がなされていなくてはならないし、政権への影響を配慮すべきなのであろう。今回の検察の行動はその逆で、政治主導を推し進めようとする与党、政権へのダメージを意識した捜査であると言われても仕方がない。世論や野党の対応など現状を見れば、結果がそれを物語っている。
検察が野党議員等に差別的に厳しくするのも法の下の平等に反し公正を欠くことになるが、政府の一部局である検察が時の内閣にダメージを与え、国民が選んだ政権を排除するような行動は民主主義の根幹に関わることであるので、万が一でもそのような意図があったとすれば事態は非常に深刻だ。国民も一部メデイアに振り回されることなく、これらの動きを慎重に見極めることが大切であろう。
93年8月に成立した非自民の細川連立内閣が、福祉税問題や米輸入問題などで政府部内や野党から批判を受け8ヶ月で辞任したが、最終的に追い詰められたのは、佐川急便借入金未返済疑惑を巡る検察の追及であった。93年7月の総選挙で自民党が過半数を取れず細川連立内閣となったが、政府部内、官僚の改革路線への抵抗は非常に強かったことで知られている。検察は官僚体制の最後の砦とも言える。
国民の本音は、記載上の違反は違反として処理し、後は裁判所に委ねれば良く、このような繰り返しはもううんざりだ、官僚組織が新政権と一丸になって現在の経済停滞、雇用問題や一票の格差の縮小、ザル法政治資金規正法の抜本改革などの国内問題や日米、日中関係や温暖化などの国際問題に集中して取り組んで欲しいということであろう。
民主党連立政権になって、多くの官僚が新政権の政策に抵抗感を持っていることが言葉の端々から伺える。事実一部保守系プレスは、官僚の中には、政治主導となり事務方は「指示待ち」の状態で、士気が上がらないと懸念を述べる者もいるとしばしば伝えている。ところが2010年度予算原案の作成に当たっては、内閣から子供手当て、農家所得保障などのための徹底的な無駄の廃止、財源捻出などが指示されたにも拘わらず、各省庁は十分な財源を出さず、前自・公政権の下で取りまとめた概算要求を出来るだけ維持しようとした。「事業仕分け」の際、各省庁は不要論に強い抵抗を示し、維持を主張していたことからも明らかだ。新政権からの指示に抵抗しながら、政治主導だから「指示待ち」と言うのは本音では消極的抵抗、或いはサボタージュとも言える。
現在のこのような状態は非常に不健全であり、民主主義政治の確立の上で本質的で重大な問題ではなかろうか。好き嫌いは別として、国民が選んだ政権であるので、行政各部は新政権の指揮、監督に従うべきことは当然のことであろう。事務方は、政権の指示に積極的に対応すると共に、政権の目指す政策やマニフェストで示された内容を実現できるよう積極的に企画、提案し、決定事項を誠実に実施するとの姿勢が求められているのではなかろうか。もっとも同じ人間であるので簡単に頭の切り替えは出来ないのも事実である。特に上層部は、半世紀以上に亘り前自民党政権が続いて来たのでなかなか頭の切り替えは出来ないのも理解出来る。本来であれば、新政権の政策に従えない管理職はその職を去ることが望ましい。
欧米等で大統領や首相が交代し、新政権が発足すると課長以上の管理職が順次入れ替えられているが、一見非効率のようであるが、そのような心理的、人的軋轢、抵抗を回避し、政権交代を円滑にするために必要なことを経験的に知っているのであろう。
日本の場合、本格的な政権交代が戦後初め実現したので、そのような慣行が確立しているわけではない。従って官僚や一部言論界などが戸惑うのも無理はなく、寛容の気持ちで今後の対応を見守ることも必要だ。しかし国民が選んだ政権が行政各部の抵抗で十分政策を遂行出来ないのは民主主義の根幹に係わる重大な問題であろう。国民としても、行政各部が新政権の下で施策を遂行するよう注視すると共に、強い決意を持って兎も角4年間は新政権に政権運営を委ね、政権交代を伴う民主主義が根付くよう待つしかないのであろうか。
(01.10.) (All Rights Reserved.) (不許無断引用)
与党民主党小沢幹事長が野党時代であった2004年10月に、土地購入に当てた資金の収支報告書への記載問題に関し、報告書への不記載などの容疑で、当時秘書であった石川衆院議員他2名が検察当局に逮捕された。1月18日の通常国会開催を前にした現職議員を含む関係者の逮捕であり波紋を広げている。
小沢民主党幹事長は、法律に反するようなことは行っていないとし、16日の同党の定期党大会でも不正なことは行っておらず、幹事長職を辞することはないとしている。一方地検より小沢議員に“任意出頭”要請が出されており、当初これには弁護士が対応しているなどとして応じていなかったが、それが当時の秘書3人の逮捕に繋がったとの解釈もなされている。恐らく当時小沢議員から出されたとされている4億円の現金の出所などについては、弁護士を通じて実体的に検察当局には伝えられていたことが明らかになって来たので、小沢議員が任意出頭に応じていても、検察当局は国会開催前に元秘書3人の逮捕を行う意向であったものと考えられる。小沢幹事長が任意出頭後の関係者の逮捕であれば、党大会及び世論に与えるダメージはより大きくなり、幹事長辞任への党内や世論の圧力は強まっていたと予想される。
そもそもこの事案は、前自・公政権下において、総選挙を控えた昨年3、4月に表面化したもので、当時の野党民主党の小沢総裁が総裁を辞任し、幹事長に就任し、新総裁となった鳩山・小沢体制で昨年9月の総選挙で勝利したものである。04年10月の土地購入を巡る問題で5年間不問とされて来た過去の問題である上、収支報告書への記載などを巡る問題であるので、違反は違反であるが、現職議員である当時の秘書を逮捕する程の違反とも思えないし、これらの者が逃亡するなどの恐れも少ないと見られるので、国会開会を控え関係者3名を逮捕することは必要以上の職権行使とも映る。国民の目からすると、自民党の二階議員(前自民党選対委員長、元経産相)の収支報告書問題への対応と比較すると、検察当局が民主党政権と距離を置いているとの印象を与えるもので、政治的な意図を持った職権行使の意味合いが強いとも言えよう。
野党自民党他は、調査チームを作り、国会で追及の意向であり、野党としては理解出来ないことではない。しかし与党時代は、野党の攻撃に対して経済情勢、国民生活は厳しく、“政局よりも政策”と言っていたのではないか。いずれにしても、野党からは現在の経済、雇用問題などに意味のある政策などは聞こえてこず、重箱の隅をつついたような民主党政権へのネガテイブ・キャンペーンのみが目立つ。新人小泉進次郎議員が、“自由民主党には民主党にはない「自由」があってよかった~”などとタレントさんのような一口コメントで人気を集めているようだが、軽口で中身に欠ける。もっと地道に政策を語れないものだろうか。
マスコミ各社も世論調査などをして「説明責任」を果たすべきとし、テレビ放送でもコメンテーターを含め、「説明責任」、「説明責任」と野党と共に大合唱。これで今年の漢字は決まりかとも思えるほど決まり文句になっている。しかし検察当局が昨年3月以来執拗に捜査している政治資金規正法を巡る事件であり、当事者、特に監督責任者であった小沢議員としては、記載上の不備はあったかもしれないが、不正なことはないことは繰り返し明らかにしているところでもあるので、捜査中の事件についてそれ以上何を発言すればいいのだろうか。逮捕された元秘書3人の弁護や人権の擁護も当然考えなくてはならない。現に捜査中の事件について、公開の場で「説明責任」を果たせというのは、聞こえは良いが無理がある。誰にでも自らを弁護する権利がある。恐らく本音ではそう思っている人が多いし、今まで多くの与党議員がそのように対応して来たのではなかろうか。また与野党を問わず、あそこまで広範な家宅捜査を含む強制捜査を行われれば誰でも何か出て来ると思っているのではないだろうか。次のターゲットは野党議員か。
また今回の検察の強引とも見られる現職与党議員を含む3人の逮捕は、まるで一野党議員並みの強引な捜査であり、政府与党の要路に対する捜査方法とは思えない。政府与党の要路への任意の出頭要請であれば無実でも注目を引くのは明らかであるので、目立たないような形で行っても捜査には実体的に支障はないはずだ。その配慮に欠ける以上に、人道的観点からも秘密であるべき捜査情報を可なり詳細にプレスに漏らしていることを考えると、何らかの政治的意図で行っているとしか映らない。
本来与野党議員で捜査上等の差別をしてはならないが、国会開催中であれば議員逮捕には国会の了承が必要であり、それ相応の理由が必要だ。国会開催日が決まった後の逮捕であっても、国会審議への影響を考えれば慎重な配慮が必要であろう。ましてや政府与党の要路に関係する事件であれば、検察自体も内閣の下での行政組織であるので、政府首脳への報告がなされていなくてはならないし、政権への影響を配慮すべきなのであろう。今回の検察の行動はその逆で、政治主導を推し進めようとする与党、政権へのダメージを意識した捜査であると言われても仕方がない。世論や野党の対応など現状を見れば、結果がそれを物語っている。
検察が野党議員等に差別的に厳しくするのも法の下の平等に反し公正を欠くことになるが、政府の一部局である検察が時の内閣にダメージを与え、国民が選んだ政権を排除するような行動は民主主義の根幹に関わることであるので、万が一でもそのような意図があったとすれば事態は非常に深刻だ。国民も一部メデイアに振り回されることなく、これらの動きを慎重に見極めることが大切であろう。
93年8月に成立した非自民の細川連立内閣が、福祉税問題や米輸入問題などで政府部内や野党から批判を受け8ヶ月で辞任したが、最終的に追い詰められたのは、佐川急便借入金未返済疑惑を巡る検察の追及であった。93年7月の総選挙で自民党が過半数を取れず細川連立内閣となったが、政府部内、官僚の改革路線への抵抗は非常に強かったことで知られている。検察は官僚体制の最後の砦とも言える。
国民の本音は、記載上の違反は違反として処理し、後は裁判所に委ねれば良く、このような繰り返しはもううんざりだ、官僚組織が新政権と一丸になって現在の経済停滞、雇用問題や一票の格差の縮小、ザル法政治資金規正法の抜本改革などの国内問題や日米、日中関係や温暖化などの国際問題に集中して取り組んで欲しいということであろう。
民主党連立政権になって、多くの官僚が新政権の政策に抵抗感を持っていることが言葉の端々から伺える。事実一部保守系プレスは、官僚の中には、政治主導となり事務方は「指示待ち」の状態で、士気が上がらないと懸念を述べる者もいるとしばしば伝えている。ところが2010年度予算原案の作成に当たっては、内閣から子供手当て、農家所得保障などのための徹底的な無駄の廃止、財源捻出などが指示されたにも拘わらず、各省庁は十分な財源を出さず、前自・公政権の下で取りまとめた概算要求を出来るだけ維持しようとした。「事業仕分け」の際、各省庁は不要論に強い抵抗を示し、維持を主張していたことからも明らかだ。新政権からの指示に抵抗しながら、政治主導だから「指示待ち」と言うのは本音では消極的抵抗、或いはサボタージュとも言える。
現在のこのような状態は非常に不健全であり、民主主義政治の確立の上で本質的で重大な問題ではなかろうか。好き嫌いは別として、国民が選んだ政権であるので、行政各部は新政権の指揮、監督に従うべきことは当然のことであろう。事務方は、政権の指示に積極的に対応すると共に、政権の目指す政策やマニフェストで示された内容を実現できるよう積極的に企画、提案し、決定事項を誠実に実施するとの姿勢が求められているのではなかろうか。もっとも同じ人間であるので簡単に頭の切り替えは出来ないのも事実である。特に上層部は、半世紀以上に亘り前自民党政権が続いて来たのでなかなか頭の切り替えは出来ないのも理解出来る。本来であれば、新政権の政策に従えない管理職はその職を去ることが望ましい。
欧米等で大統領や首相が交代し、新政権が発足すると課長以上の管理職が順次入れ替えられているが、一見非効率のようであるが、そのような心理的、人的軋轢、抵抗を回避し、政権交代を円滑にするために必要なことを経験的に知っているのであろう。
日本の場合、本格的な政権交代が戦後初め実現したので、そのような慣行が確立しているわけではない。従って官僚や一部言論界などが戸惑うのも無理はなく、寛容の気持ちで今後の対応を見守ることも必要だ。しかし国民が選んだ政権が行政各部の抵抗で十分政策を遂行出来ないのは民主主義の根幹に係わる重大な問題であろう。国民としても、行政各部が新政権の下で施策を遂行するよう注視すると共に、強い決意を持って兎も角4年間は新政権に政権運営を委ね、政権交代を伴う民主主義が根付くよう待つしかないのであろうか。
(01.10.) (All Rights Reserved.) (不許無断引用)