シリーズ平成の本音 民主マニフェストを継承した新党「国民の生活第一」! (その4)
7月11日、小沢一郎元民主党代表は、現状での消費税増税に反対する衆参両院議員49名で新党「国民の生活第一」を設立し、その代表に就任した。新党の考え方や理念は明確であり、2009年の総選挙で掲げ、多くの国民の支持で政権を託されたマニフェストに基づき、政治主導、地方自治、国民生活を第一とする政治を実現しようということであり、実質的に民主党マニフェストを継承した形となっている。
旧自・公政権では、選挙での“公約は破るもの”というのが常態化し、保守系層を中心としてマスコミも、従って国民も感覚が麻痺してしまっていたが、国民との契約として国民に訴えられたマニフェストを継承する政治グループが設立され、国会の3大勢力の一つとして存在する意義は、健全な民主主義を作り上げて行く上で大きいと言えよう。
1、政治主導とは国民の選択を優先する国民主導を意味する (その1に掲載)
2、言葉だけの“一体改革” (その2に掲載)
3、社会保障制度改革に関する“国民会議”の愚 (その3に掲載)
4、社会の空気が読み切れていない野党自民・公明
消費増税につき与党民主党と合意した自民、公明両党は、消費増税には合意したが、その他のことに合意したものではなく、速やかに民意を問うべしと主張している。先送りされた国民年金の7万円最低保障や後期高齢者医療制度廃止を含め、破綻状態の国民年金など今後の公的年金制度のあり方や深刻度を強めている財政難への対応などについては、与党と建設的に協議して解決しようとの姿勢は見られない。要は、解散、総選挙により政権を奪還し、権力の座を回復しようとする権力闘争の一環に過ぎない。
しかし一体誰が1,000兆円を越える公的債務を累積し、今日の放漫財政を許してきたのか。国民年金の納付率が50%を割り、破綻状態となり、厚生年金や共済年金も積み立て資金を各種の施設建設などで浪費し、膨大且つ放漫な全国レベルの管理事務組織を維持し続け、その上膨大な年金記録問題を引き起こすような行・財政制度、モデルを許して来たのか。誰が東日本大津波の惨禍を招くような防災政策を容認してきたのか。誰が原子力神話を築き、容認して来たのか。2009年の政権交代まで、戦後、短期間の細川政権を除き、一貫して政権を維持してきたのは自民党と一部公明党であろう。その反省と国民への誠意が見られない。
野党両党は、野田政権と消費増税には合意しておきながら、民主党のマニフェストは守られていない、野田政権は嘘つきだと批判し、解散、総選挙を主張するのはフェアーでない。そのように仕向けただけであろう。それが政治と言えばそうだが、もし野田政権が嘘つきだと言うのであれば、その嘘つきと合意したのは自・公両党であろう。
2001年4月、“改革なくして成長なし”を主張した小泉純一郎議員は、国民的人気を背景として自民党総裁に選ばれ首相となり、03年11月の総選挙で圧倒的な国民的な人気の中で自民党が勝利し、首相に再指名された。そして郵政民営化関連法案が参議院で否決されたのを受けて行われた05年9月の総選挙で小泉政権が勝利したが、翌06年9月に自民党総裁の座を退き、安倍議員に総裁の座を譲った。自民党総裁の座が5年を越えることが理由であったが、1年前に総選挙で勝利し、国民から政権を託されながら、選挙後1年で政権を放棄したことは、自民党内の首班順送り論を優先させなくてはならない空気が強かったとは言え、身勝手、無責任な行為とも言えそうだ。その後1年毎に福田、麻生政権へと引き継がれ、党内の長老を中心とした保守派の抵抗で改革路線は後退して行った。麻生政権下では、小泉政権の改革路線が踏襲され、新規国債発行を各年30兆円に抑え、2011年度までに基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を均衡させるなど、財政規律重視の政策が取られると思われていたが、国債発行30兆円の枠を外し、消費税10%提案を行うなど、公共事業を中心とする旧来の財政出動政策、放漫財政に復古するなど、国民の信を失い、2009年8月の総選挙でマニフェストを掲げた民主党に大敗した。
国民が期待しているのは、少子高齢化、税負担能力の低下と長期化する経済停滞という現実を前提として、戦後の放漫な行・財政モデルの簡素で持続可能なモデルへの転換であり、変革だ。2009年8月、国民はそのような転換を選んだのであり、その流れは終わっていない。
5、国民が政権を選べる民主主義を育てられなかったマスコミ(その5で掲載)
(2012.07.14.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
7月11日、小沢一郎元民主党代表は、現状での消費税増税に反対する衆参両院議員49名で新党「国民の生活第一」を設立し、その代表に就任した。新党の考え方や理念は明確であり、2009年の総選挙で掲げ、多くの国民の支持で政権を託されたマニフェストに基づき、政治主導、地方自治、国民生活を第一とする政治を実現しようということであり、実質的に民主党マニフェストを継承した形となっている。
旧自・公政権では、選挙での“公約は破るもの”というのが常態化し、保守系層を中心としてマスコミも、従って国民も感覚が麻痺してしまっていたが、国民との契約として国民に訴えられたマニフェストを継承する政治グループが設立され、国会の3大勢力の一つとして存在する意義は、健全な民主主義を作り上げて行く上で大きいと言えよう。
1、政治主導とは国民の選択を優先する国民主導を意味する (その1に掲載)
2、言葉だけの“一体改革” (その2に掲載)
3、社会保障制度改革に関する“国民会議”の愚 (その3に掲載)
4、社会の空気が読み切れていない野党自民・公明
消費増税につき与党民主党と合意した自民、公明両党は、消費増税には合意したが、その他のことに合意したものではなく、速やかに民意を問うべしと主張している。先送りされた国民年金の7万円最低保障や後期高齢者医療制度廃止を含め、破綻状態の国民年金など今後の公的年金制度のあり方や深刻度を強めている財政難への対応などについては、与党と建設的に協議して解決しようとの姿勢は見られない。要は、解散、総選挙により政権を奪還し、権力の座を回復しようとする権力闘争の一環に過ぎない。
しかし一体誰が1,000兆円を越える公的債務を累積し、今日の放漫財政を許してきたのか。国民年金の納付率が50%を割り、破綻状態となり、厚生年金や共済年金も積み立て資金を各種の施設建設などで浪費し、膨大且つ放漫な全国レベルの管理事務組織を維持し続け、その上膨大な年金記録問題を引き起こすような行・財政制度、モデルを許して来たのか。誰が東日本大津波の惨禍を招くような防災政策を容認してきたのか。誰が原子力神話を築き、容認して来たのか。2009年の政権交代まで、戦後、短期間の細川政権を除き、一貫して政権を維持してきたのは自民党と一部公明党であろう。その反省と国民への誠意が見られない。
野党両党は、野田政権と消費増税には合意しておきながら、民主党のマニフェストは守られていない、野田政権は嘘つきだと批判し、解散、総選挙を主張するのはフェアーでない。そのように仕向けただけであろう。それが政治と言えばそうだが、もし野田政権が嘘つきだと言うのであれば、その嘘つきと合意したのは自・公両党であろう。
2001年4月、“改革なくして成長なし”を主張した小泉純一郎議員は、国民的人気を背景として自民党総裁に選ばれ首相となり、03年11月の総選挙で圧倒的な国民的な人気の中で自民党が勝利し、首相に再指名された。そして郵政民営化関連法案が参議院で否決されたのを受けて行われた05年9月の総選挙で小泉政権が勝利したが、翌06年9月に自民党総裁の座を退き、安倍議員に総裁の座を譲った。自民党総裁の座が5年を越えることが理由であったが、1年前に総選挙で勝利し、国民から政権を託されながら、選挙後1年で政権を放棄したことは、自民党内の首班順送り論を優先させなくてはならない空気が強かったとは言え、身勝手、無責任な行為とも言えそうだ。その後1年毎に福田、麻生政権へと引き継がれ、党内の長老を中心とした保守派の抵抗で改革路線は後退して行った。麻生政権下では、小泉政権の改革路線が踏襲され、新規国債発行を各年30兆円に抑え、2011年度までに基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を均衡させるなど、財政規律重視の政策が取られると思われていたが、国債発行30兆円の枠を外し、消費税10%提案を行うなど、公共事業を中心とする旧来の財政出動政策、放漫財政に復古するなど、国民の信を失い、2009年8月の総選挙でマニフェストを掲げた民主党に大敗した。
国民が期待しているのは、少子高齢化、税負担能力の低下と長期化する経済停滞という現実を前提として、戦後の放漫な行・財政モデルの簡素で持続可能なモデルへの転換であり、変革だ。2009年8月、国民はそのような転換を選んだのであり、その流れは終わっていない。
5、国民が政権を選べる民主主義を育てられなかったマスコミ(その5で掲載)
(2012.07.14.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)