シリーズ平成の本音―靖国参拝はどこの国でもあることなのか!?
8月15日の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を納めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。日本には信条、宗教の自由があるので、参拝するかしないかは個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解していることにはならない。
靖国神社は国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者が祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国である連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
日本人の多くも、日本のために戦い、命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”を表すとは一体どういうことなのであろうか。第二次世界大戦で軍人だけでなく、民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導した政府、軍責任者には、310万人もの日本人を失わせた結果責任がある。それは日本自体の問題であるが、この戦争において、中国、韓国などを中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その責任を問われても仕方がない。
靖国神社には、そのような戦争責任者も祀られているので、そのような人達も“尊崇し参拝する”ことが各国で行われてはいない。逆に、中国や韓国は止めて欲しいとしており、米国なども昨年の首相の靖国参拝に‘失望した’と表明している。
もう一つは、同神社には遊就館という戦争博物館があり、戦争を美化、容認していることである。遊就館には、片道だけの燃料を搭載し米国艦船に突撃して行った戦闘機(ゼロ戦)や人間魚雷なども展示されている。そこに戦争を遂行した政府、軍の責任者が祀られているのであり、遊就館を見ると靖国神社は他の神社とは全く異なり、特殊との印象を持つ人が多いようだ。
A級戦犯が合祀されて以降、昭和天皇ご自身は靖国神社を参拝されておらず、また現天皇陛下も参拝されていない。
今回、小泉進次郎復興担当政務官も靖国神社を参拝したが、‘失望した’人も少なくないだろう。同神社の意味を十分理解していないからではないだろうか。
また古屋国家公安委員長・拉致担当相が参拝しているが、国家の公安、秩序を担当している責任者が、310万人もの日本人の命を奪った戦争責任者を尊崇して参拝することは、国民の信条に対する公平性や公正さにおいて偏りが強すぎると言えそうだ。また新藤総務相についても、地方自治体を取りまとめる立場にあり、また公共放送NHKを所管しているので、立場上思想、信条において角の偏りがあると言えよう。もっとも、それが現政権の‘ありのままの姿’ということなのだろうか。(2014.8.16.)(All Rights Reserved.)
8月15日の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を納めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。日本には信条、宗教の自由があるので、参拝するかしないかは個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解していることにはならない。
靖国神社は国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者が祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国である連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
日本人の多くも、日本のために戦い、命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”を表すとは一体どういうことなのであろうか。第二次世界大戦で軍人だけでなく、民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導した政府、軍責任者には、310万人もの日本人を失わせた結果責任がある。それは日本自体の問題であるが、この戦争において、中国、韓国などを中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その責任を問われても仕方がない。
靖国神社には、そのような戦争責任者も祀られているので、そのような人達も“尊崇し参拝する”ことが各国で行われてはいない。逆に、中国や韓国は止めて欲しいとしており、米国なども昨年の首相の靖国参拝に‘失望した’と表明している。
もう一つは、同神社には遊就館という戦争博物館があり、戦争を美化、容認していることである。遊就館には、片道だけの燃料を搭載し米国艦船に突撃して行った戦闘機(ゼロ戦)や人間魚雷なども展示されている。そこに戦争を遂行した政府、軍の責任者が祀られているのであり、遊就館を見ると靖国神社は他の神社とは全く異なり、特殊との印象を持つ人が多いようだ。
A級戦犯が合祀されて以降、昭和天皇ご自身は靖国神社を参拝されておらず、また現天皇陛下も参拝されていない。
今回、小泉進次郎復興担当政務官も靖国神社を参拝したが、‘失望した’人も少なくないだろう。同神社の意味を十分理解していないからではないだろうか。
また古屋国家公安委員長・拉致担当相が参拝しているが、国家の公安、秩序を担当している責任者が、310万人もの日本人の命を奪った戦争責任者を尊崇して参拝することは、国民の信条に対する公平性や公正さにおいて偏りが強すぎると言えそうだ。また新藤総務相についても、地方自治体を取りまとめる立場にあり、また公共放送NHKを所管しているので、立場上思想、信条において角の偏りがあると言えよう。もっとも、それが現政権の‘ありのままの姿’ということなのだろうか。(2014.8.16.)(All Rights Reserved.)