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新天皇の祝賀パレードなどはこの状況で必要だったか??

2020-04-11 | Weblog
シリーズ本音トーク―新天皇の祝賀パレードなどはこの状況で必要だったか??
2019年5月1日の新天皇の即位を受けて、10月22日、「即位の礼正殿の儀」が行われ、新天皇即位が内外に宣明された。祝意を表したい。そして夕刻から外国からの賓客などを招いた「饗宴の儀」が開催された。
しかし台風15号による被害が未だ残る中、台風19号による広範かつ甚大な被害を考慮し、「祝賀御列の儀」と称される祝賀パレードは11月10日に延期する予定となっている。 外国からの賓客などを招いた饗宴の儀は艶やかに開催された。饗宴の儀は10月31日までに更に3回開催されるという。
式典は文字通り歴史絵巻のようであり、日本の古来の文化、歴史を伝承する上で大変興味深く、保存されて行くことが望ましいが、問題もありそうだ。
1、祝賀パレード「祝賀御列の儀」はこの大きな台風被害の中で必要か?
慶事であるので祝賀を開催できる状況であればパレードを開催したらよい。
しかし(1)台風15号、19号の被害はお膝元の千葉を含め、関東一円から東北地方にまで広がり、多くの被害者は苦しんでおり、到底11月10日までに解決しそうにない。新天皇は、即位を宣明された際、「・・国民の幸せと世界の平和を願い」と言われ「国民に寄り添って・・務める」と述べられているが、それは国家行事が優先するということなのだろうか。国民の間には、空疎な気持ちを抱く者も少なくない。
また(2)5月1日のご即位に際し、国民の祝意を既に受けられている。外国賓客は11月10日までには帰国しているので、更にこの状況で国民への祝賀パレードを強行すべきなのだろうか。
更に(3)2ヶ月後には新年の参賀があり、そこでも祝意を受けられる。
 また外国賓客などを招いた饗宴の儀は良いとしても、外国賓客が帰国した後に更に3回も祝賀晩餐会を開催すべきなのだろうか。日常生活にも困っている多くの国民がいる中でのことであるので、どうしても被災者のご苦労が気になってしまい、同情する声が聞かれる。

2、国家的行事にしても160億円強の予算は必要だったのか?!
英国の新聞が「簡素であるが、160億円も掛かっている」との皮肉った記事を掲げている。国家行事であるのでそのくらい掛かるのかもしれないが、高額だ。
 例えば、即位を宣明された「高御座」などを京都御所から解体、輸送するのに9億掛かっている。それなら何故、旧来通り京都御所で行わないのか。何と、明治、大正、昭和と京都御所で行っている。また十二単のあでやかな和装も皇后は良いとしても、宮家の女性すべてに必要だろうか。この種の無駄が多く、いわば‘ご祝儀予算’ではないのか。それだけの予算があれば、被災者をかなり救済できそうだ。‘政府の金’などは一銭もない。それは国民の税金であり、権威を示すためとしても、出来るだけ被災地に回して欲しいと国民は願うのではないか。予算の使い道が重要だ。「納税は国民の義務」とされ、脱税で摘発される者も少なくないが、皇室を含め政府は、支出の無駄や贅沢を無くし、節約する義務があるのだろう。
それでなくても、政府は1,100兆円以上の公的債務を負っているので、一般論として贅沢や無駄は許されない。

3、「国民統合の象徴」による神道形式の神儀の謎?
 同日午後1時から開始された「即位の礼正殿の儀」に先立ち、「宮中三殿」で神儀が行われた。「三殿」は皇居内の吹上御苑の東南にある宗教施設であり、賢所、皇霊殿、神殿で構成され、それぞれ神道の神を祀っており、宮中祭祀(皇室祭祀)の中心となっている。
この神道行事は、同日午前中に時間を掛けて行われたが、冒頭の入場風景を除き非公開で行われ、内部の状況は分からない。
「国は宗教行事を行わない」との憲法上の制約を配慮し、公式行事である「即位の礼正殿の儀」などとは切り離し、予算上も皇族の行事として「内廷費」を充当し、すみ分けている模様だが、一見違憲論を回避しているものの、厳密に言えば「内廷費」も国家予算から出ているので、国家による神道形式の宗教行事の実施と見ることもできる。
しかしもっと根本的な問題は、明治以来の旧帝国憲法が廃止され、現行憲になって、民主主義国家となり、国家による宗教活動が禁止されてからも、皇居内に神道行事を行う「三殿」が維持されていたとは驚きである。旧帝国憲法の下では、天皇はいわば祭政一致の専制君主であったが、新憲法の下では「国及び国民統合の象徴」であって、天皇が神道という特定の宗教施設を保持し、日常的に神道行事を行うことは、国による宗教活動が禁止されている以上許されて良いものではない。無論、天皇も個人として神道を信じることは許されようが、それは私的に行われるべきで、公的な天皇の居所である皇居の外で行われるべきであろう。本来であれば、終戦後、新憲法が制定された段階で、少なくてもこれら「三殿」を公的な居所の外に移設するか、外部の神道施設を利用すべきであった。
 これが平成以降既成事実として保持され、更に既成事実が重ねられると、神道が日本の象徴的単一宗教となり、国教に近い宗教となり、天皇が祭政一致の「象徴」となって行く可能性がある。これは憲法の規定、精神を歪曲することになる。民主主義の根幹は多様性に他ならない。
 本来であれば、明治維新以降、江戸幕府打倒(倒幕)に成功し日本の支配者となり、専制君主、軍の統帥としての天皇制は、旧帝国憲法が廃され、現行憲法が制定された段階で、もはや支配者でも専制君主でもなくなり、主権在民となった段階で、江戸城趾内に居を構え皇居とされたものを京都御所に戻すなりしつつ、新憲法の下での「象徴天皇」のあり方を検討すべきであったのであろう。今でも遅くはない。

 4、「万歳三唱」から想起されること
 「正殿の儀」の最後に首相が祝辞を述べ、新天皇に向かい「万歳三唱」を行った。参列していた日本人は女性を含めて皆起立し、両手を挙げ「万歳」を三唱した。200名以上の外国の賓客は、座したまま身動きもしない。異様な光景だ。
 「万歳」を三唱する姿は、北朝鮮の国民が金正恩委員長に‘バンゼエ’を連呼する光景を連想させる。
 歴史的には、第2次世界大戦において、多くの将兵たちが‘天皇陛下万歳’を唱え戦地に向かい、戦争末期には特攻隊が戦闘機や魚雷艇で敵艦船に突入する際、‘天皇陛下万歳’と唱え散っていったと語り伝えられていることを思い出させる。
第2次世界大戦では、210万人ほどの将兵が死亡し、100万人にも及ぶ一般市民が命を失っている。(2019.10.25.)
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首相官邸・首相府・総理府、法令遵守崩壊か!?

2020-04-11 | Weblog
 シリーズ本音トークー首相官邸・首相府・総理府、法令遵守崩壊か!?
 首相官邸はじめとして政権中枢部局は、森友学園問題での公文書の廃棄、文書の書き換え・改ざんや加計学園問題での縁故者優遇などを背景として、首相主催の「桜を見る会」の招待者リストの廃棄、コンピュータ・データの廃棄、破壊など、行政の公正さ、透明性、そのための検証を確保出来ない状態になってきているように映る。行政官僚は、行政の公正、公平よりは、そのような政権の意向を忖度し、政権の意向を優先するようになる。行政官僚も生活のため、保身に走るのも仕方ないのかも知れないが、一般国民にとっては事態は深刻だ。
 そのような行政の信頼性を失わせるような状況で、東京高検の検事長の定年63歳を延長する「閣議決定」がなされた。政府は、上記の閣議決定に先立って、「従来国家公務員法に基づく定年60歳の延長は検察官には適用されない」との解釈を所管の法務大臣が口頭で変更し、当該検事長の定年についても「国家公務員法を適用できる」との解釈を採択していたとされる。
 1、検察官の定年延長については、法改訂が不可欠
 検察官も広義では国家公務員ではあるが、時の政権や政党、諸団体、社会等の影響を受けることなく、独立性を保てるよう「検察庁法」が定められている。
 検察庁法は、一般国家公務員と区別し、検察官が時の政権や政党、利益団体の圧力に対抗できるよう、心神喪失等と認められる場合を除き、罷免されないよう法律で保護している。定年についても国家公務員に比し不利とならず、定年延長の判断に左右されないようらないよう、63歳として優遇している。従って、既に保護、優遇されているので、定年延長の規定もない。政権等からの介入を防ぐためでもある。
 従って定年延長の規定がない以上、検事長を含め検事の定年延長には法律改正が不可欠と言えよう。
 法律を守るべき法務大臣が、検事長の定年延長を‘口頭で了承した’としているようであるが、国民には、「法律でございます、規則でございます」などと言わせておきながら、自らは法律軽視、法律無視であり、言語道断だ。文書による決裁がなされておらず、事務方が文書決裁としなかったのは、文書での決裁には広範な部局の決済が必要であるが、事実上それが不可能であり、事務方が拒んだことを意味するのかも知れない。そうだとすると、事務方にも多少の良心が残っているとも言えるので、救いではあるが、疑義が呈されたときに誰も責任を取らず、‘無かったことにする’ためのこの政権の常套手段と思われ、行政の闇がここまで広がっていると言えよう。法務大臣がこれをやり通したことは、上からの指示で、検察といえども人事に介入するとの政権の意図が見える。
 また定年延長を‘了承‘された黒川検事長については、「法律」に基づいて国民に「法律違反の嫌疑を掛ける立場」でありながら、法律違反に当たる定年延長を受けるとは、何と見識の無いことか。その程度の法律の理解では、国民に嫌疑を掛ける資格は全くない。自ら身をひくべきであろう。そうでないと検察当局とは、こんなところかとの印象を国民に与える。
 定年延長自体は、一般国家公務員も70歳定年に向け法改正を行う予定とみられるが、検察官についても検察庁法の改正によって行うベきであろう。それまでは、法律を守るのが当たり前だ。
 この問題をメデイアや言論界が仕方ないとしてやり過ごすとすれば、由々しきことだ。

 2、「桜を見る会」など、官邸のコンプライアンス違反の常態化
 「桜を見る会」については、確かに何人招待したかなど、たいした問題でもない。しかし行政当局による招待者リストの棄却、更にコンピュータ・データの消去にとどまらず、データを蓄積している基盤まで破壊したとしていることは、非常に悪質で、深刻だ。これでは政権内で不正が行われていても懸賞不能になる。国民の7割以上が十分説明しているとは思わないとしている。
 その理由が「個人情報保護」、プライバシーなどと主張しているが、全く理由にもならない。首相が国家、国民に貢献し、功績、功労があった者を招待し、労をねぎらうことを目的としており、そうだとすれば招待された者は世の中に大なり小なり知られた方々であろうから、名前や功績の内容、出身地などは既にそれぞれの分野では知られており、その範囲であれば個人情報保やプライバシーを侵害することは一切無いであろう。会の趣旨からして氏名や出身地域などを公表することは何ら問題ない上に、当事者にとっては光栄なことであろう。この会の趣旨にも反する訳の分からない理由に、いわば納得している形のマスコミやコメンテーターと称する人たちは一体何なのであろうか。
 2019年の首相主催「桜を見る会」には約1万8200人もの人が各分野、各都道府県より招待され、5,000万円以上が公費から支出されている。その内山口県については、安倍事務所の推薦で参加した者は何と800名以上にものぼっている。安倍事務所関係だけでそんなに多くの功績、功労者がいるとは考えられないが、山口県の誇りだ、氏名を公表して欲しいものだ。
しかし公費を使っているので関心もしていられない。5,000万円以上の公費を使っており、予算(毎年1,700万円程度)の3倍前後も使っているのに、精算、決算の裏付けとなる招待者リストも跡形もなく直後に廃棄されているとされているので、内閣府内の精算、決算が如何にずさんかを物語っている。こんなにずさんな形で差額が補填されているとすれば、官房機密費が充てられている可能性もあるが、いずれにしても公費であるので、こんなにずさんに公費が使われるのでは国民としても納得できないであろう。会計検査院や決算委による個別検査が望まれる。費用の根拠となる招待者数、参加者数は、招待者リストに基づくが、招待者数の適否を査定するためには被招待者が、招待されるにふさわしい業績、功労があるかを点検する必要もあろう。それを精算、決算前に資料を消したということになり、とても常識では考えられない。
「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」については、2019年4月に某大手ホテルで行われた趣だが、地元の安倍事務所が推薦、斡旋した800人ほどが参加したと伝えられている。会費が1人5,000円とされるが、高級寿司店まで入っている会合であるので、通常は1人15,000円~20,000円内外と予想され、差額1人1万円内外はホテル側が宿泊代から割り引かれたことになる。予算委員会での首相答弁では、安倍事務所がホテル側と話し、そのような取り扱いとし、また会費領収書はホテル側より各参加者に出すことにした旨説明されている。常識的には考えにくい手法だが、もしそのようにされていたとすれば、政治資金規正法の報告義務の悪質な‘脱法行為’と言えよう。こんなことが認められて良いのか。選挙管理委員会は、このようなやり方が適正か否か、見解を出すべきであろう。
 だが、実体的には安倍事務所の要請でホテル側が安倍事務所推薦の参加者に利益便宜がなされたことは明らかだ。宴会場の入り口で会費やご祝儀を受け取ったのは安倍事務所関係者や後援会関係者であろうから、金の授受がなかったとは思えないが、いずれにしても、実体的には安倍事務所の口利きで、各参加者に対し1万円内外の利益が供与されたことになる。またホテルに宿泊しなかった参加者も参加費5,000円とすると差額は誰が支払ったかの問題もある。だから差額はホテル側が持ったとする説明はまずあり得ない。
 また800名内外の参加者がホテルから10台以上のバスを連ねて会場の新宿御苑に向かったとされるが、バスの借り上げ代は誰が払ったのか。まさか各人がバス会社に払ったとはいえないだろう。ここにも安倍事務所の地元参加者への利益供与の可能性がある。
 このような問題を、コロナウイルス肺炎の脅威がある中で、何時までも追求すべきではないとする意見やコメントが聞かれるが、それこそ危険な意見だ。危機を持ち出して、国民を黙らせる手法は、往々にして独裁国家に導く恐れがある。第2次世界大戦もその1例だろう。
 こんなことを何時までも続けていれば、行政システムは適正に維持できないばかりか、良心を持つ有為な人材は確保出来なくなるだろう。新型コロナウイルス肺炎の問題はそれとして緊急に対応しなければならない。今優先して行うべきことは、検査体制の拡充と医療機関受け入れ体制の強化であろう。同時に、この状態で対応に当たっている首相はじめ関係閣僚、事務方、及び与野党議員はじめ関係者の尽力には敬意と感謝の意を表したい。
 しかし行政システムを適正に保ち、健全な民主主義を維持して行くための努力は続けていかなければ、健全な国家、健全な国民生活は維持できない。(2010.3.10.)
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新天皇大嘗祭は歴史、憲法、価値観に反する!?

2020-04-11 | Weblog
シリーズ本音トーク-新天皇大嘗祭は歴史、憲法、価値観に反する!?
 2019年10月22日に実施された新天皇の即位の礼正殿の儀の後、11月14、15日に皇居のある江戸城趾東御苑に建設された神殿において大嘗祭が実施され、新天皇即位に伴う一連の行事が終了した。
 宮内庁は、平成時代に則って実施するとして、東御苑に神殿を建造するため27億円規模(予算ベース)を当てることとしていた。しかし新天皇の一回限り、2日間の宗教儀式にしては高額に過ぎる等の批判が皇族内からも出ていることから、若干建設費を削減すると共に、秘密主義との批判を配慮し、行事の極く一部のテレビ撮影を許可すると共に、神殿を一定期間公開するとした。
 しかし予算規模の問題のほか、大嘗祭に国家予算(税金)を使用し、また国家行事に模した行事とすることには大きな問題があるようだ。
 1、平成時代の新天皇関連行事自体が伝統に反する!
 宮内庁は、今回新天皇即位の礼や大嘗祭を平成時代に沿って行うとしているが、平成の即位関連行事は歴史的には例外で、伝統が命である皇室行事の前例とはならない。明治維新後、江戸(東京)に移された明治天皇はもとより、大正天皇や昭和天皇も即位の礼や大嘗祭は京都御所で行っている。新天皇即位に関連する行事は、平安朝以来昭和時代まで京都御所で行われている。伝統が唯一の継承の根拠である天皇制において、平成は伝統破りだ。一方で伝統に則るとしつつ、他方で伝統破りでは信頼を失う。

 2、不明朗な大嘗祭の位置づけ
 政府(宮内庁)は、即位の礼正殿の儀と祝賀パレードをもって「国事行為としての公式行事」は終了したとしている。それでは27億円規模(予算ベース)の国費(税金)を使って、元々江戸城本丸があった歴史的な公的な場所で挙行された「大嘗祭」とは一体何なのか?
‘非公式行事’とすれば、国家予算や公的な場所の使用は不適切であろう。政府の金などは1円たりともない。すべて国民の税金であり、国民が納得する支出が求められる。
 「国事行為」では無いが‘公式行事’とすることには問題がある。憲法は、天皇の権能を制限するため「国事行為」として10項目挙げており、それ以外のことは行えないと解釈される。それでは多額の国費(税金)を使って公な場所で挙行される「大嘗祭」とは一体何なのか?
公式行事ではない皇室の私的な行事であれば、皇室独自の資金或いは皇室活動のための「内廷費」で、例えば伝統的に大嘗祭が行われている京都御所やその他の神道施設など私的な場所で行うべきであろう。
 既成事実を積み重ね、国民の意識が緩んだ時に‘公式行事化’する意図であろ
うか。国民がしっかりと見極め意見を表明する必要がありそうだ。どうも今のマスコミやいわゆる有識者、コメンテーター等は商業化し、事無かれ主義に流れる傾向があるようにも映るので、マスコミや有識者、お笑いタレント、コメンテーター等には残念ながら余り期待が持てそうにない。国民がしっかり見極める必要がある。
 ところで費用面では、即位儀式に関連する政府支出が全体で約123億円とされている。その中でも、即位の礼に使われた「高御座(たかみくら)」の京都御所からの輸送関連費のみで9億、一回限りの大嘗祭の社殿建設だけで予算額27億円はいかにも浪費だ。即位の礼、大嘗祭を昭和天皇までのように京都御所で行えば、予算ベースで36億円相当がすぐに浮く。
国家的な行事であるのである程度の経費は仕方ないが、伝統に従って京都御所で行えば多額の節約になる上、千葉で多くの県民が家や屋根を失い、また台風19号の被害は拡大し、これまでの大規模災害で避難所住まいを強いられている多くの国民がいる中で、不必要な浪費をすることには疑問が持たれるだろう。それだけの資金と労力があれば、取り敢えず希望する被災者に無利子で資金を貸与する一方、全国から業者を募り住居を確保する方がどれだけ国民のためになるか。それもしないで、被災地を回られてもパーフォーマンスとしか映らない。

 3、大嘗祭は明らかに神道による宗教行事
天皇を含め宮家が神道や神道儀式を信じるのは自由であるが、宗教行事であ
る大嘗祭を政府が国の行事として行うべきではなかろう。国は憲法上宗教活動を行うことは出来ない。国民には信仰の自由がある。従って国家予算を使うべきではない。
 宮内庁は、これを公式行事とはしないとする一方、‘天皇即位にとって最も重要な行事’としている。従来行事詳細は公開されなかったが、今回は冒頭の模様を公開すると共に、行事終了後社殿を一定期間公開することとしている。これも恐らく既成事実を積み上げ、国民の目を慣らすためとも見られる。
 しかし天皇が‘国民統合の象徴’でありながら、特定の宗教である神道行事を行い、神話の中の天照大神の子孫である‘存在’として権威付け、神道を普及したいというのであれば、それは天皇による特定の宗教活動となり、憲法に反するものと言えよう。
 また、このような宗教行事を公務員である宮内庁職員が計画、準備し、実施しているのも適切でない。憲法違反に当たる恐れがある。宮司や皇室の使用人が行うべき事であろう。
 更に大嘗祭における神道行事の核心は、‘神話’の世界での神の子孫としての人間、‘存在’を認めるということであり、神道を信じる者にとっては信仰であるので良いとしても、現代社会においては次のような基本的な弊害がある。
(1)これは天皇を神格化し、神道の‘国教化’、権威の絶対化にもつながるもので、現行憲法の規定、精神に反する。
(2)一般国民にとっては非科学的であり、神話は神話でしかない。このような神話信仰が、日本の太古、古代の歴史や日本人の起源などを研究することを妨げているのではないか。古代からの天皇陵を宮内庁の所管の下で閉鎖され、研究のための発掘、調査などが出来ない状態になっており、日本古代史の究明、研究を大きく妨げている。
 天皇陵は、例えば明治天皇陵以前については、すべて宮内庁管理から文化財の形で国有財産として文科省などの管理に移管し、研究目的の発掘、調査は原則許可すべきであろう。

 4、江戸城址内での神道行事や社殿建設は歴史を歪める
 そもそもこのような神道形式の宗教行事を明治以来皇居と称されている江戸城址内で行うべきではない。 大嘗祭のために東御苑に社殿、社屋を建設し、その中で神道行事を行うことは歴史を歪め、踏みにじる行為と言えそうだ。
 明治維新後、旧帝国憲法の下では、天皇を擁する倒幕軍が幕府軍に勝ったので、戦勝者である尊皇派が江戸城址を占拠、使用することは容認されても、旧憲法は廃止となり、新憲法となっている今日、それが引き続き容認されるべきではなかろう。江戸城本丸があった現在の東御苑には、多くの外国人観光客が来ており、観光客の多くは江戸幕府、侍文化を見に来ているので、社殿建設の音はトンチンカン、トンチンカンと聞こえていたのかもしれない。
 新憲法では、天皇は軍の指揮権はもとより、統治権などは無い。その上国の征服者でも支配者でもなく、‘国民統合の象徴’である天皇が、世界に誇れる歴史的な遺産である江戸城址を占有することは、‘倒幕’、幕府体制の抑止・封殺を意味し、尊皇派支配を意味するので、‘国民統合の象徴’としてはふさわしくない。現状では‘分断の象徴’、‘抑圧の象徴’と映ってしまう。
宮内庁が、明治以来皇居と称されているものの、江戸城趾内にあることも歴史を歪め違和感がある。

 5、若い世代の価値観の侵食、崩壊
 今日、若い世代では‘平等’や’自由‘が謳歌され、一部にはそれが行き過ぎて無軌道や身勝手な行動に現れていると見る向きがある。しかし最近若い世代の間では、「生まれで決まるんじゃん」という意識が定着し、「自由、平等」という価値は薄れ、「生まれ」という価値観が強くなっているそうだ。驚きだ。
(1)確かに、新天皇は生まれで決まり、その後継者も皇族の生まれで決まる。新天皇即位をメデイアが報じれば報じるほど、また皇族のご公務と称する行事出席や外国訪問などが報じられれば報じられるほど、「自由、平等」という価値観が潰されていくのかもしれない。政治家も世襲が強い。伝統的な歌舞伎はもとより、芸能界でさえも2世は話題になる。  
憲法では、平等が謳われ、華族制などは否定されているが、現実は「生まれ」がついて回っているのも事実だ。メデイアは関心を引くためそこを強調する場面が多くなっている。若い世代には皇族がその象徴として映るのかもしれない。若い世代の多くの人たちにとっては「生まれ」がついて回り、「自由や平等」は現実のものではなくなっているのかもしれない。
民主主義の根幹である「自由や平等」という価値観が崩れつつあるとすれば深刻だ。現在、日本、そして世界は戦後時代、更に遡ると産業革命以来大きく変化しており、国家システムはじめ諸制度、規則慣行なども変化しなければその潮流に対応できない時期に来ているのではないか。
(2)大嘗祭には「秘儀」とされ、皇后でさえ別室に退き、一切秘密とされる深夜の数時間がある。
 神殿の奥に天皇がみそぎや着替えをする廻立殿(かいりゅうでん)があり、 その更に北側の奥に頓宮があり、その中には神のための布団と枕や靴、服が置かれた寝座が設けられているとさる。天皇はこの頓宮で旧来采女(うねめ)と言われる女官と一夜を過ごすとされている。
 采女(うねめ)は、このために採用される独身女性であり、服装は軽装で、旧来は妻妾の役割を果たしていたと言われ、神事、秘儀の補佐役となる女官である。平成時代まではこのような形が引き継がれていたと見られる。
 今回どのような形で行われたかは明らかではないが、旧来の采女の存在が継承されているとすれば、女性軽視、女性蔑視であり、今日の社会ではあり得ないことであろう。

 このように大嘗祭は現代社会では基本的な問題があるので、伝統文化を維持するということであれば、皇室の私的宗教行事として、公費ではなく、しかるべき形の皇室資金で、また皇室や神道にゆかりのある別の場所で行われるべきであろう。(2019.11.18.)
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政党交付金を候補者個人への支援金とすべし!

2020-04-11 | Weblog
シリーズ本音トークー政党交付金を候補者個人への支援金とすべし!
 2019年7月の参院選挙で、広島選挙区(改選2議席)から当選した自民党公認の河井案里候補(現参院議員)に、選挙を前にして党本部が約1億5000万円提供したことが明るみに出た。同候補は、選挙カーの「うぐいす嬢」に規定(15,00円)の2倍を支払う選挙違反をしたのではないかとの疑いを掛けられている。
選挙違反問題は当局に委ねるとして、新人候補に自民党が1億5000万円相当提供した事実については驚きだ。
自民党には、1候補に1億5000万円も提供出来るほど潤沢な金があるのか!
新人候補が当選することは難しいとしても、当選するためにはこれほど金が掛かるのか!一般人にはとても立候補など雲の上の話だ。
選挙と金、選挙に金が掛かるという話は以前よりあり、1990年代に、選挙区を中選挙区から1人区とする他、選挙を公費(税金)で支援するために政党助成金を設け、党より候補者に資金的な援助をする制度などが導入された。
今回の事件は、このような措置が所期の目的通り適正に機能しておらず、弊害が多いことを如実に物語っている。
次の理由により、「政党助成金」を廃止して、選挙区ごとに投票総数と得票数に基づき一定の基準を設け、各候補者に選挙資金を一部補助する制度とするべきではないだろうか。現在の供託金制度は維持する。
1、政党助成金は党の恣意的な介入により、有権者の判断が反映されなくなる
同じ広島の選挙区で、参議院議員を5期努め、6選を目指していた同じく自民党公認の溝手顕正候補(元防災担当相)が落選した。同候補は自民党からの1,500万円しか提供されていなかった。選挙に際し公認候補は自民党より1,500万円前後の助成を受けるのが相場とされているようだ。党の裁量が強く働く。
これでは公費による選挙資金助成の意義は失われる。税金を負担している有権者の意思は何ら反映されないばかりか、党の裁量で歪められる可能性が強い。
更に政党助成金につては、党が各議員の選挙資金や活動費を握っているため、党議拘束が余りにも強くなり、議員の個性や個人の主張を失わせており、文字通り、党に‘金縛り’になっているに等しく、党独裁の色彩が強くなり、多様性を基本とする民主主義にも反する。
一定の基準を設け各候補者個人に選挙資金を補助する制度とするべきだ。

2、政党には企業・団体より多額の政治献金が入っている
 政党助成金が導入された際、議員や党と企業・団体との癒着が問題視され、企業・団体献金に頼らない選挙とすることが考慮された。しかし政党助成金が導入された後も、企業・団体献金が復活し、横行している。
2018年の政党への献金総額は、約29億円、その内企業・業界団体献金が約25億円となっており、個人による献金は何と 1.2億円でしかない。企業・業界団体献金が、政治献金の86%強を占めており、企業・業界団体が突出しており、政治への金による影響力を強めている形だ。企業別では、2017年ではトヨタ、東レ、キヤノン、日産などが上位を占めている。
この企業献金については、経団連が一時控えていたが、現在では政党別の星取り表、序列を作成して企業・団体に政治献金を誘導している。
だからと言って政治と企業の癒着などとは言えないところではあるが、経団連の役員や献金の多い企業・団体のトップが政府の各種の委員会の座長や委員になっているなど、金の影響力は明らかだ。その委員を‘民間議員’などと誤解を生む怪しげな呼称をしているメデイアもある。
企業・団体の議員個人への献金は禁止されているので政党への献金となるが、個人からの献金が伸びていない。共産党は共産党組織、公明党は創価学会という下部組織が強固であるので個人献金等も多いが、自民党はじめほとんどの党は、党員や党友なども低迷しており、本来あるべき個人献金は伸びていない。
政党助成金や企業・団体献金があるので、個人献金を募るインセンテイブもないのだろうが、本来、議員や政党は有権者への政策説明や活動報告など日常的な活動を通じ支持を増やし、少額でも個人献金を増やしていくべきであろう。政党助成金は、そのような議員や政党の努力を阻んでいる。
いずれにしても政党は企業・団体や政治団体双方から献金を受けているので、国(税金)による助成は、政党ではなく、一定の基準に基づき候補者個人に配賦されるべきであろう。

 3、有権者のほぼ4割の無党派層にとっては「政党助成金」はありえない
 2019年7月の参院選挙で、選挙区の投票率が48.8%と低迷した。そもそも参議院の存在については、衆議院のコピー、クローンのようなもので、その存在意義が問われている。その上有権者の約40%が無党派層であるので、比例区では投票すべき政党もないので投票に行かない有権者も多く、また投票に行った人が、支持政党がないので白票で出し、無効票となった人も多く、無駄だった言う人もいる。いずれにしても、投票率が5割を割った中で当選しても国民の代表などと言えるのか疑問でもある。
 無党派層にとっては、支持する「政党」を書けと言われても無理な話だ。
「政党助成金」についても、無党派層にとっては支持もしていない政党に払った税金が使われるというのは合点がいかないであろう。
 更に選挙後に、特定政党が分裂し、新たな政党となった場合、政党助成金を分割して引き継いでいるが、そんな政党を選挙で支持したわけではないので疑問が残る。
 政党助成金や政党を選ばせるということは、有権者の意思を無視した、政党のご都合主義であり、候補者個人への資金支援、議員個人への投票という民主主義の基本に戻すべきであろう。(2020.2.1.)
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NHK事業予算、外務省予算を上回るほど必要か??

2020-04-11 | Weblog
シリーズ本音トークーNHK事業予算、外務省予算を上回るほど必要か??
 NHKは、2020年度の事業予算として事業収入7,204億円(内、受信料収入6,974億円)、総事業支出7,353円を国会に提出し、審議されている。7,200億円を超える事業収入がありながら、149億円の赤字計画で、赤字分は1,000億円を超える潤沢な繰り越し余剰金で補填する。
 NHKの総事業支出7,353円は、分かり易い比較では、外務省の2020年度予算7,120 億円を233億円も超える巨大事業となっている。言うまでも無く、外務省は、世界の190を超える諸国、国際機関を相手とする国家事業である。NHKの一定の公共放送は必要と思うが、世界を相手とする外務省予算を233億円も超える事業が必要だろうか。しかも1,000億円を超える繰り越し余剰金が存在する。行き過ぎであろう。
 現在国家、国民が直面する広範囲な困難やニーズを考慮すると共に、家計所得が実質的に減少し、受信料も多くの家庭で負担となっていることを考慮すると、公共放送に必要不可欠な事業規模、従って受信料にすることが時代の要請ではなかろうか。NHKの番組には、公共放送でなくてもよい番組が多く、またその多くは視聴率も低い。
例えばNHKの受信料を総合放送については2分の1に減額し、必要な公共放送を維持する一方、BS放送については暗号化して希望者との個別契約(但し緊急時の放送については契約無くしても受信可能とする)とするなどの抜本的な改革を行うべき時期であろう。いずれにしても、必要最小限の公共放送を維持する一方、国民の負担を軽減することが望ましい。
現在、映像をともなう情報ソースが多様化しており、受信機を持っている個々人全てに総合放送とBS放送双方の受信料支払いを義務付けることは不合理且つ不適切になっている。
 空いた時間やチャンネルは、NHKの関連の子会社が多数育っているので、民間に開放し、公共放送との一貫性や連携を確保しつつ、多様な放送として活用可能であろう。(2020.3.10.)
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森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!

2020-04-11 | Weblog
シリーズ本音トークー森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!
 国有土地を常識外の低価格で売却しようとしていた森友学園問題で、公文書の改ざんを実際に行い、自殺した近畿財務局の職員(当時国有財産管理官)の「手記」が同職員妻により公開され、生々しい手記の内容と共に週刊誌が報じた。
遺族側は、改ざんを指示したとされる佐川理財局長(当時)と国(財務省)に対し民事訴訟を起している。民事訴訟に際し、同手記の公開に踏み切ったと思われる。
1、「新証拠」となる改ざん指示を受け自殺した職員の「手記」
同手記によると、森友学園側への超低価格での国有地売却に安倍首相夫人の影響が国会で問題になり、首相がそれを強く否定したことから、超低価格での国有地売却の経緯を記した公文書(本部財務省理財局への超低価格での売却に繋がる報告、申請書類などと思われる)を改ざんすることになった模様であるが、その指示は「すべて、佐川理財局長(当時)の指示」と明記され、また直属の上司である「近畿財務局長に報告したと承知」とも記されていると報じられている。近畿財務局への具体的な指示は本部理財局よりなされたものであろうが、指示は、「資料は最小限にする」、「できるだけ資料は示さない」など詳細で、関連文書の改ざんは佐川理財局長(当時)の指示により組織的に行われたとみられる。
 ‘死人に口なし’とは言われるが、上層部より指示を受け、既に決済された公文書を改ざんした職員が残した「手記」であれば、この事案の「新たな証拠」と言える。
森友学園問題で、不当に安い価格での国有地売却により国に損を掛けた背任の疑いや公文書改ざん、関係文書・資料の保存期限内廃棄等が疑われたが、当時この事件を担当した大阪地検特捜部の女性特捜部長が佐川元理財局長を不起訴としたが、その後間もなく函館地検に転勤となり、昨年末に大阪地検の次席検事に栄転しているようだ。本件は、検察審査会での再審要請についても不起訴とされている。
 改ざんした職員が残した「手記」という新たな証拠が明るみに出た今日、捜査のやり直しが検討されなくてはならない。

 2、財務省の再調査は不可避か!
 この「手記」に関し問われ麻生財務相は、2018年6月に財務省の調査は公表されており、「手記と調査報告書の内容に大きな乖離があると考えていない」と述べ、再調査は今考えていない旨明らかにしている。安倍首相も再調査は必要ないとしている。
 しかし「手記と(財務省)調査報告書の内容に大きな乖離がない」とすると、財務大臣は佐川元理財局長の指示で公文書を改ざんし、多量の関係文書を廃棄させていたことを知っていたことになり、事態は深刻だ。いずれにしても「手記」
が、佐川元理財局長の指示であったこと、及び、関連公文書を改ざんし、本来の文書類が廃棄されていることが明らかになった以上、再調査は不可避のように思われる。

3、公文書の廃棄、改ざんの前例としてはならない森友学園事件
この森友学園事件で公文書の保存期限内廃棄、国会や検察はもとより、マスメデイアやコメンテーター等が改ざんを見過ごしてきたことが、その後の防衛日報の隠蔽、加計学園問題など、更には「桜を見る会」での招待者リストの廃棄、データの破壊等を招いているのではないだろうか。
それをどこかで止めないと、善意の公務員が不正を強いられ、不幸の連鎖が起こることになると共に、公平、公正であるべき正義は守られず、国家機構や民主主義体制自体が劣化する恐れがある。(2020.3.25.)
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マイナス金利はアベノミクス失敗の証し!ー再掲

2020-04-11 | Weblog
シリーズ平成の本音―マイナス金利はアベノミクス失敗の証し!ー再掲
2月16日、日銀はマイナス金利を導入した。マイナス金利については、政府も住宅ローンの金利低下などによる効果に期待を表明しており、短期的には一定の刺激策になる。しかし他方で、低迷している銀行・金融業を更に圧迫すると共に、国民は預金金利のゼロ化に加え、手数料と物価上昇を加味すると実質マイナス金利が拡大し、負担が増える上行き場を失った金は停滞する経済には還流せず、たんす預金や海外逃避として市場から消える可能性が更に強まるなど、中長期的にはマイナス効果が大きくなろう。住宅ローンの金利低下についても、借り換え需要は増えても、建設費・新規物件が高騰しているなかでの大口支出となるので効果はそれ程期待出来なさそうだ。
 しかしマイナス金利政策の最大の問題は、通貨供給の大幅緩和、2%のインフレ目標によるデフレからの脱却、賃金・物価の好循環というアベノミクスの失敗を意味することだ。賃金・物価の好循環が実現すれば、需要は上がり、景気回復と共に預金金利も上昇して行かなくてはならない。2013年1月から異次元の金融緩和、円安誘導が実施され3年強、輸出産業を中心とする景気の回復、賃金・物価の好循環が期待されると言われて来たが、マイナス金利政策は、自・公連立政権が自らアベノミクスではこのようなシナリオを実現出来なかったことを宣言しているに等しい。
アベノミクスでは、異次元の金融緩和による円安と放漫な財政支出いう2つの矢は放たれたが、第3の矢として期待された規制緩和などの成長戦略については見るべき成果は無かった。2015年9月の改造内閣で表明された‘GDP600兆円達成’などの‘新3本の矢’も‘矢’では無く、目標としての‘的’でしかないと言われている。その上、一億総活躍社会を目指すとして補正予算で低所得老齢者に3万円給付(総額3,500億円内外、補正予算の約1割)を打ち出す一方、多数の待機児童問題を放置し、働く女性の活躍の機会を奪うなど、的を得ていない選挙目当ての政策に終始している。政権側は、中国など世界経済環境の厳しさを上げているが、アベノミクスとはその程度のものだったと言いたいのだろうか。
更に、自・公連立政権によって法律で定められた2017年4月からの10%への消費税再増税について延期が検討されている。もし消費税再増税が延期されるようなことになれば、自・公連立政権の読みの甘さ以上に、アベノミクスの失敗を自らが認めることを意味する。
個人消費の低迷は、8%への消費税のためではない。3%の増税分は、3~5%内外のポイント還元や割引で相殺されており基本的な影響は少ない。国民の消費節約はもっと根深く、インフレ容認による生活用品の実質的便乗的な値上げと年金の目減り、消費増税・復興税・マイナス金利などの負担増を含む家計所得の実質減、将来不安であろう。政府のインフレ容認により飲食料他の生活用品などは、価格が軒並み2~3割内外高騰しており、消費増税率を遥かに上回る。価格が据え置かれているように見える商品も、ボトルやサイズが縮小し、実質的な値上げをしている。好例はバターで、2014年10、11月頃より高騰している上、棚から商品が消えている。酪農など農業失政の一例と言えよう。
(2016.4.9.)(All Rights Reserved.)
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コロナウイルス大不況、自・公政権備え無し!

2020-04-11 | Weblog
 シリーズ本音トークーコロナウイルス大不況、自・公政権備え無し!
 中国武漢で広がった新型コロナウイルス肺炎(COVID-19)は、世界に広がり、世界保健機関(WHO)は、3月11日、世界的伝染病(パンデミック)と宣言した。米国やイタリアはじめ多くの国が、渡航制限や大規模なイベントの自粛を求めると共に、「非常事態宣言」を発するなど、広範囲に亘る移動や活動の制限を行い防疫に努める一方で、米国は経済停滞への対応として3月3日の0.5%の緊急利下げに貸出金利を更に1%引き下げ、更に2.2兆ドル規模の経済対策を打ち出すなど、経済停滞への措置を執り、コロナウイルス大不況回避に向けての対応をとり始めている。
 この中で、3月16日、先進主要7カ国首脳によるテレビ会議が開催され、新型コロナウイルスに一致、協力して立ち向かうと共に、経済的影響を回避するため、各国が「あらゆる政策手段をとって対応する」ことが合意された。
 しかし日本政府、日銀に政策手段として何が残されているのか。
 1、 経済・社会困難への備えを怠った自・公政権
「あらゆる政策手段をとる」と言っても、日本政府はGDPの2年分相当の
1,100兆円以上の膨大な公的債務を抱えている上、2009年以来10年以上実質0金利が続いており、現在ではマイナス金利となっているので、政策手段が限られている。
安倍自・公政権は2013年の政権発足後、財政赤字が積み増され1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化するとしていたが、これを27年度に先送りした。これは安倍政権では事実上断念したことを意味する。財政健全化どころか、選挙になると地域振興券や商品券をばらまくなど、予算の大盤振る舞いをし、公的債務が更に膨れ上がっている。
 EUも赤字公債の発行による経済対策を検討中であるが、日本とはおよそ規模が違う。EUにおいては、原則として一般政府財政赤字をGDPの3%以内、一般政府債務残高をGDPの60%以内に維持するとの財政規律を維持してきており、コロナウイルス大不況回避のため、それを緩和する方向で見直している。日本の公的債務は、既にGDPの200%内外となっている。借金漬けの状態だ。
 また金融政策においては、2013年より「異次元の金融緩和策」を継続しており、既に金自体は多量に出回っている上、10年以上続いていた実質ゼロ金利はマイナス金利となっているので、信用供給面でも金利面でも手が縛られている状況だ。マイナス金利を更に下げれば、市中銀行の経営を更に圧迫すると共に、預金者は他のウエッブ金融手段などに向かうだろう。残された手段は、「異次元の金融緩和策」で市場に信用がだぶだぶついているのに、更に信用を供給し続けることしかない。消費、生産活動双方が停滞し、民間投資も手控えられる状況で、市場にだぶだぶと信用を供給しても、株式市場は空元気を保てるかも知れないが、実体経済は動かない。
 自・公政権が発足して7年、財政・金融政策全般が豊満な拡張路線でマンネリ化し、財政、金融の健全化を段階的に行わず、経済困難に陥った時の準備を怠っていたと言えよう。

 2、赤字国債増発で大盤振る舞いは後生世代への負担のつけ回し!
 政権与党は、国民に現金給付をするとか、商品券を給付するとか言っているが、当面赤字国債による借金で国民に金をばらまき、一時的、限定的な消費効果を期待しているようだ。現金や商品券を頂けるなら多くの人は積極的には反対しないだろうが、所詮それは政府の借金であり、そのつけは徴税という形で後生世代に回される。「政府の金」などはない。全て国民の税金なので、現金や金券を配られても政府に感謝する必要は無い。
 いずれ国民への徴税となり、国民の負担になる政府に託された貴重な資金であるので、その使途は、的を絞って行われるべきであり、可能な限り厳正、公正に、予想される被害に焦点を当てて決められるべきであろう。ばらまきは、選挙目当ての官製利益誘導に近く、適正でない。
 コロナウイルス禍への最大の重点は、検査体制の迅速な拡充と新薬やワクチン開発を含む医療体制の整備であろう。検査をした上で、治療方法や病院を振り分けるべきであろう。検査をしないで、症状のない保菌者を放置すれば感染は止まらない。
 経済的な支援を必要とするのは、職業が安定していない人や解雇される人であり、企業・団体では中小零細企業・団体や観光・飲食・娯楽などの分野で、コロナウイルス禍で著しく影響、被害を受けるものを中心として、対象、焦点を絞ることが望まれる。(2020.3.29.)
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