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安倍自・公政権、掛け声ばかりで成果出ず!?(一部改訂)

2021-08-28 | Weblog
シリーズ本音トーク―安倍自・公政権、掛け声ばかりで成果出ず!?(一部改訂)
 2020年8月28日午後5時過ぎ、安倍首相は持病(潰瘍性大腸炎)の再発による健康上の理由で首相を辞任することを明らかにした。健康上の理由であり、7年8ヶ月に亘り国政を担われたご苦労に対し敬意を表するとともに、ゆっくり静養され健康を取り戻されることを心よりお祈りしたい。
 しかし日本の今後の国政のあり方や真の民主主義の今後の参考とするため、在任中の政策や手法につき精査することが望ましい。本稿はその一助としたい。
 2019年7月21日の参議院議員選挙に向けて与・野党がそれぞれの国民への政治課題を訴えている。政権与党は、「政治の安定」を最大の焦点としている。
 これに関連し、自民党支持を鮮明にしている保守系紙は、「安倍政権の評価が問われる」として政治的「安定と安心」が焦点としている。
 そこで安倍自・公政権の6年間の「安定」が国民に何をもたらしたか問うてみよう。
 1、 経済成長戦略の成果は局部的、低位安定 安倍自・公政権の「3本の矢」政策は、2009年からのゼロ金利、金融緩和政策の中で「異次元の金融緩和」とマイナス金利により、市場に大量の資金が流され、円安と株高をもたらすと共に、輸出産業や観光産業などに効果をもたらし、局部的に一定の効果をもたらした。
 しかし同時に次のような注意すべき副作用をもたらしている。
(1)地銀を含む市中銀行の衰退
長期の超低金利、ゼロ金利により地銀を含む市中銀行が衰退。多数の店舗削減とリストラが加速。金利のない状態継続は異常。
(2)預金金利が得れず銀行に行く意味が無くなった
 預金金利は実質無くなり、手数料や店頭での時間を考慮すると実質マイナス金利で、預金金利による収入機会が長期にわたり喪失。物価上昇を考慮すると大幅なマイナス金利となり、支出抑制の要因。
(3)経済政策の上での手段の手詰まり
 景気が低迷しても更なる金融緩和が困難。為替面でも効果的な円安誘導は困難。金利の無い金融政策はもはや、資本主義市場経済とは言えない。コスト観念の無い社会主義的中央管理経済と言えそうだ。
(4)株高は金融バブルか
 家計所得は減少しており、「いざなぎ景気」以来の景気継続はフェイク。「いざなぎ景気」は成長率10%前後の高成長が継続したが、アベノミクスでは1~2%の低成長で、景気は低迷。これが「景気継続」とは大いに疑問。

 2、 年金不安の増幅。
 年金だけでは暮らせない。安心どころか、将来不安が増幅。
 2013年1月からの安倍自・公政権において、年金は給付額が削減された上、給付年齢が引き上げられ、年金から強制的に差し引かれる介護保険料が引き上げられるなど、国民にとって年金受給額は後退した。
他方8%への消費増税が行われ、2019年10月には10%に引き上げられる。消費増税による政府の歳入増分が政府支出面で社会福祉に十分に充てられていない。

 3、『税と社会保障制度の一体改革』に取り組まず
 自民・公明連立政権は、民主党政権時代に「社会保障と税制の一体改革」に同意し、また議員定数の実質的削減にも同意し、2011年12月の総選挙で勝利し政権の座に返り咲いた。しかし安倍自・公政権は、口先ばかりで、「社会保障と税制の一体改革」に取り組むとの国会、国民への約束を実行していない。6年以上政権を保持し、国会で圧倒的多数を占めており、実施する意思があれば出来るのにかかわらず実施していない。
『安定政治』を標榜しているが、それは政権維持、党利党略のためだけであり、国民にとっては不安と負担増の結果となっている。

 4、 ロシアとの北方領土問題進展せず
 解決するとして選挙区の山口県にまでプーチン大統領を豪華におもてなしし、
「個人的信頼関係構築」などとして選挙のたびに国民に期待感を持たせたが、北方領土問題は解決しないどころか、解決の方向性も見えていない。
 米国のトランプ大統領との関係の構築自体は評価できるが、同大統領の言うなりで日米同盟を強化し、イージス・アショアーやステルス戦闘機など高額の兵器を大量に購入し、軍事同盟化に向かえば向かうほど、ロシア等は懸念を強め、北方領土も遠くなる。バランスある認識と外交が望まれる。日米「安定」、日ロ「不安定」では、安定とは言えないだろう。

 5、北朝鮮日本人拉致問題も進展の兆しもなし
 北朝鮮日本人拉致問題も自分の世代で解決するなどと、選挙のたびに期待感を持たせてきたが、米国頼みで、直接の接触もままならない状況だ。中国の習近平主席にも北朝鮮の金正恩委員長に伝言を託したようだが、『留意する』とのそっけない反応で、首脳会談などは全く見通せない。米国に先を越され、6年間何をやって来たのか。それが「政治の安定」の答えか。

 6、韓国文政権とは悪化の一途
 韓国の文政権とは、靖国参拝、歴史認識で対立し、「慰安婦問題」や「戦前戦中の徴用工問題」で問題が蒸し返され、その上日本の対韓輸出管理導入で対立が激化する恐れもある。それを外交当局の責任に転嫁する向きもあるが、首脳間のパイプの無さが最大だろう。6年間何をやって来たのか、それが「政治の安定」の答えか。
 過去6年間、安倍自・公連立政権は、「政治の安定」を売りにしてきたが、それは局部的な効果はあるものの、「政権維持のため」という保身、党利の色彩が強く、国民や国家の安定、安心にはそれほど結び付いてはいない。

 7、 財政健全化を断念
財政赤字が継続し1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を2025年度に黒字化するとしていたが、27年度に先送りした。これは安倍政権では事実上断念したことを意味する。選挙になると予算の大盤振る舞いをし、財政の安定化は何ら達成されていないどころか、安定にあぐらをかき、誠意ある努力の跡も見られない。
 8、『東京一極集中解消』2020年目標も早々に断念
 安倍政権は、『東京一極集中解消』2020年達成の目標を掲げたが、ほとんど見るべき努力の跡もなく断念している。これもそれも『安定』重視の為なのか。
 他方、地方創生は遅々として進まなかった上、若い世代が地方から去り、各地に過疎村や限界集落を生み、効果的な政策はとらなかった。
 9、女性活躍社会の推進
 在任期間中、大臣に任命された小渕議員その他が選挙資金規正法違反など次々と辞任に追い込まれるとともに、女性閣僚や女性議員は後退した。稲田 朋美議員(自民党幹事長代行)は防衛大臣当時、南スーダンに派遣されていた自衛官の日報に関し、国会で虚偽の答弁をするなど不誠実な対応で辞任した。
 10、首相官邸、内閣の法令遵守崩壊
 一方、森友学園問題での公文書の改ざん、加計学園問題で政策実現における縁故者優遇、桜を見る会に関わる公費の無駄使いや地元支援者への利益誘導など、政策実現における法令遵守(コンプライアンス)の緩みと官僚への不適切な対応と権限乱用など、政策目標を掲げながらその国民への説明や実施段階におけるフェアーでない対応が国会で問題視され、報道されている。国民のための政治、国民のための公正な行政の回復、再構築が望まれる。

 これでは「政治の安定」とは、政権維持以外は、いわば安定にあぐらをかいて、ほとんど何もしないに等しい。それも有権者の選択であるので仕方がないが、大きく変化する時代の要求に沿って柔軟に‘変化’‘改革’して行かなければ、真の国家、国民の安定、安心は得られない。要は国民の選択に掛かっている。(2019.7.9.、2020.8.28.一部改訂)
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マイナス金利はアベノミクス失敗の証し!ー再掲

2021-08-28 | Weblog
シリーズ平成の本音―マイナス金利はアベノミクス失敗の証し!ー再掲
2月16日、日銀はマイナス金利を導入した。マイナス金利については、政府も住宅ローンの金利低下などによる効果に期待を表明しており、短期的には一定の刺激策になる。しかし他方で、低迷している銀行・金融業を更に圧迫すると共に、国民は預金金利のゼロ化に加え、手数料と物価上昇を加味すると実質マイナス金利が拡大し、負担が増える上行き場を失った金は停滞する経済には還流せず、たんす預金や海外逃避として市場から消える可能性が更に強まるなど、中長期的にはマイナス効果が大きくなろう。住宅ローンの金利低下についても、借り換え需要は増えても、建設費・新規物件が高騰しているなかでの大口支出となるので効果はそれ程期待出来なさそうだ。
 しかしマイナス金利政策の最大の問題は、通貨供給の大幅緩和、2%のインフレ目標によるデフレからの脱却、賃金・物価の好循環というアベノミクスの失敗を意味することだ。賃金・物価の好循環が実現すれば、需要は上がり、景気回復と共に預金金利も上昇して行かなくてはならない。2013年1月から異次元の金融緩和、円安誘導が実施され3年強、輸出産業を中心とする景気の回復、賃金・物価の好循環が期待されると言われて来たが、マイナス金利政策は、自・公連立政権が自らアベノミクスではこのようなシナリオを実現出来なかったことを宣言しているに等しい。
アベノミクスでは、異次元の金融緩和による円安と放漫な財政支出いう2つの矢は放たれたが、第3の矢として期待された規制緩和などの成長戦略については見るべき成果は無かった。2015年9月の改造内閣で表明された‘GDP600兆円達成’などの‘新3本の矢’も‘矢’では無く、目標としての‘的’でしかないと言われている。その上、一億総活躍社会を目指すとして補正予算で低所得老齢者に3万円給付(総額3,500億円内外、補正予算の約1割)を打ち出す一方、多数の待機児童問題を放置し、働く女性の活躍の機会を奪うなど、的を得ていない選挙目当ての政策に終始している。政権側は、中国など世界経済環境の厳しさを上げているが、アベノミクスとはその程度のものだったと言いたいのだろうか。
更に、自・公連立政権によって法律で定められた2017年4月からの10%への消費税再増税について延期が検討されている。もし消費税再増税が延期されるようなことになれば、自・公連立政権の読みの甘さ以上に、アベノミクスの失敗を自らが認めることを意味する。
個人消費の低迷は、8%への消費税のためではない。3%の増税分は、3~5%内外のポイント還元や割引で相殺されており基本的な影響は少ない。国民の消費節約はもっと根深く、インフレ容認による生活用品の実質的便乗的な値上げと年金の目減り、消費増税・復興税・マイナス金利などの負担増を含む家計所得の実質減、将来不安であろう。政府のインフレ容認により飲食料他の生活用品などは、価格が軒並み2~3割内外高騰しており、消費増税率を遥かに上回る。価格が据え置かれているように見える商品も、ボトルやサイズが縮小し、実質的な値上げをしている。好例はバターで、2014年10、11月頃より高騰している上、棚から商品が消えている。酪農など農業失政の一例と言えよう。
(2016.4.9.)(All Rights Reserved.)
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2021年度予算案、踊る過去最大と膨大な借金!

2021-08-28 | Weblog
シリーズ本音トークー2021年度予算案、踊る過去最大と膨大な借金!
 政府は、2020年12月21日、コロナ罹患者が「過去最多」を塗り替えている中で、2021年度政府予算案を決定した。一般会計の総額が、第3次補正予算を含めた15か月で、106.6兆円となり「過去最大」となり、どのメデイアも「過去最大」を強調している。景気浮揚を図りたい自・公連立政権としては狙い通りと言ったところだろう。
 しかし何と財源の40.9%が赤字国債を含む政府の借金だ。財源となる税収はもともと国民の税金だが、政府の借金もいずれ国民が負担しなくてはならないので、「過去最大」などと国民をぬか喜びさせるのではなく、40%を超える借金をせざるを得ないことを国民にまず詫びるべきであろう。コロナ対策は誰の責任でもなく、国民1人1人が自らの健康を守る努力をしなくてはならないし、政府のコロナ対策は不可欠だが、アベノミクスの不始末と財政健全化の先延ばしが影を落としている。
 自・公連立政権は、1,100兆円を超える膨大な公的債務を抱える中で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化を2025年度に先送っていたが、更に27年度に先送りした。これは安倍政権では目標を掲げながら事実上断念したことを意味する。選挙になると予算の大盤振る舞いをし、財政の健全化は何ら達成されないどころか、安定にあぐらをかき、誠意ある努力の跡も見られない。アベノミクスでは、大規模な財政出動と金融緩和を継続し、「いざなぎ景気」だの何のと成果を強調していたが、それならばその内に少しでも財政健全化、公的債務の削減、金利の引き上げなどに努力すべきであった。それさえも行わず、財政再建目標を先延ばしした。もっとも「いざなぎ景気」とは奇弁で、実際は1%台程度の低成長をやっと維持できていたに過ぎない。それでも財政健全化の目標を掲げた以上、少しでも努力すべきだ。
 それを継いだ現政権も、2021年10月の衆議院議員の任期切れ前に総選挙を行わざるを得ないので、補正予算を含む大盤振る舞いを、借金を重ねてでも実施しようとしているに過ぎない。この点では、2013年より務めている財務相の責任は非常に重いと言えよう。
 コロナ対策においては、既に2回の補正予算で11.5兆円もの予備費を確保し、国会の審議も、承認も無く任意に使っている。借金して勝手に使っており、そのツケは国民への税金となる。7月20日に唐突にGo toトラベルを強行したのも、10月前後での解散、総選挙を念頭に置いた観光・旅行業者支援であり、それが首相交代で頓挫すると、11月25日に拡大しつつあったコロナ拡大を抑制するため「3週間の勝負の期間」として国民の自粛を要請した。しかしGo toトラベルについては65歳以上の抑制に限定し、その他を制限せず容認したのも、2021年年初の解散、総選挙を念頭に置いた観光・旅行業者支援が最大の関心であったと見られている。しかし「3週間の勝負の期間」は、65歳以下は大丈夫との誤ったメッセージを若い世代に与える結果となり、コロナ禍は毎週のように「過去最多」を重ね、大失敗に終わった。借金をして使った金は一部の業者には恵みの支援となったことは事実だが、その結果は「過去最多」の感染拡大で、1月11日まで東京を含むGo toキャンペーンの中止となり、逆に年末年始のかき入れ時を前に関係業者に追加的な負担と不安を与えている。
 そこで今度は「過去最大」の2021年度予算案を打ち出さざる得なくなったが、これまで財政健全化努力を怠っていたため、手元に資金はないので、40%以上を借金として見せかけの景気対策やコロナ対策を組んでいる。しかしそれも、借金で水ぶくれした景気対策である上、3月に予算案が衆議院を通過した後の解散、総選挙を念頭に置いたものであろう。それもこれも選挙のための見せかけの大盤振る舞いと映る。はっきり言って、景気対策やコロナ対策も本当に困っている国民には届いていないようだ。
 国民は何時までこんなことを容認しているのだろうか。(2020.12.23.)
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日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!

2021-08-28 | Weblog
シリーズ本音トークー日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!
 政府は、日本学術会議により推薦された会員候補105名の内、6名を拒否した。同会議は首相が所管する独立の諮問機関で、210名(任期6年)で構成され、3年ごとに半数が改選される。今回は、8月に安倍首相(当時)に推薦されていたが、同首相辞任表明のため、管新首相に引き継がれたものである。
 日本学術会議としては、6名の任命拒否の理由説明と任命要請を内閣府の事務局に提出しており、前例のないこと、学問の自由を制約するなど各方面で問題視されている。
 1、 日本学術会議会員の任命権は首相にある
日本学術会議会は同会議法に基づき設置されており、会員は「同会議の推薦により、首相が任命」と規定されているので、任命権は首相にあり、任命拒否は可能である。因みに、会員の任期は6年、70歳までとなっており、罷免については特段の規定はない。
 管首相も、法律に基づき判断したとしている。また前例がないとの指摘に対しては、研究者の世界は閉鎖的でメンバーシップが既得権化する面があり、前例を踏襲しないこともあっても良いのではないか等とし、「学問の自由」には関係が無いとしている。
  確かに、日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、手当も受けているので、政府の政策や立場に反対する者や野党支持をするなど政治信条の異なる者などを任命しないことはあり得るだろう。特に拒否された6名の内3名が国立大学の教授であり、もともと国家公務員であるので、政府の政策、立場に従うことは当然であり、国会その他の公の場や授業、或いは論文などにおいて政府の立場に反する立場を表明することは好ましくないと判断されるであろう。また拒否された6人とも、歴史や宗教、行政法、憲法など人文科学に属するグループであり、政府の政策や立場との関係が生じやすい。
  この点は、日本学術会議会に限らず、全ての政府の審議会、委員会の委員についても同様で、そもそも政府の政策や立場に反する者は委員に選ばれることはまず無く、また委員会などで反対の立場を述べる者は体良くお引き取り頂くことになり、再任されることはないようだ。

 2、日本学術会議のあり方が課題
  このような政府の解釈、対応となると、日本学術会議の今後のあり方自体が問題となり、岐路に立っていると言えよう。
 日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、政府の政策や立場に従うことが期待される。これが常態化すると、いわば政府の御用学者の様相を呈することになる。またその下部グループとして連携会員が多数存在するが、将来会員となりたい者は御用化すること傾向となろう。
 (1)日本学術会議は独立性を保てるのか、御用機関化するのか
 こうなるとやはり「学問の自由」にも影響を与える。会員は、3部構成となっており、1部が人文科学、2部、3部が生命科学、理学及び工学を中心とする科学となっているが、人文科学に属する会員、連携会員が影響を受けやすい。まさに人文科学に属する6人だけが任命を拒否されている。「学問の自由」は、信条の自由や表現の自由と表裏の関係があるが、国会で野党推薦の証人として、例えば安保法制や共謀罪関係法について政府と異なる立場は取り得なくなり、会員、連携会員である限り、自由な研究は抑制されると共に、授業や論文なども影響を受けることになる。政府側は学問の自由に影響はないとしているが、当事者である教授が影響ありとしているので、影響があると考えるべきであろう。会員から外されれば「学問の自由」は確保されるので、影響はないとする考え方もあろうが、それでは著名で業績のある210名の会員と多数の連携会員は「学問の自由」は現実的には制約されることになる。これでは少なくても人文科学の分野では、自由な研究が出来なくなるであろう。
 また政府は研究助成として約4兆円の研究助成を行っているが、助成を受けるためには政府の政策や立場を忖度しなくてはならないので、自由な研究を助成し、研究を活性化させるという趣旨が損なわれ、また助成を検討する日本学術会議も自由な研究を促進する機関ではなく、変質する可能性がある。
 本来であれば、政府機関であるとしても、政府は、憲法で保障される信条の自由、表現の自由、学問の自由を尊重すべきであり、それを任命権や政府権限で制約することには疑問が残る。自民党は、現行憲法は日本になじまない点があるとして、憲法改正を「党是」としており、国家権限の強化や一定の自由の制限などを改正案に入れているようであるが、それを憲法解釈で実態を確保することは適正ではないであろう。
 日本学術会議が、独立性、学問の自由を重視するのか、政府機関として残るため人文科学を切り離すかなど、選択を迫られているようだ。
 (2)国家公務員である国立大学の教授の今後
 国家公務員と言えば、国立大学の教授等は国家公務員である。従って日本学術会議会員以上に、研究費の助成や研究内容、論文、授業内容、国会など公の場での発言には政府の政策、立場に反しないことが求められるのであろう。今回の問題が表面化したことにより、国立大教授等も国家公務員として一層の自覚が求められそうだ。
 しかし、そのようなことでは学問の自由や自由な研究や教育は望めそうにない。特に人文科学の分野がそうであり、日本は経済大国や技術大国等と言われ久しいが、経済学、経済政策等などの人文科学分野で日本人はノーベル賞を受賞していない。こんなことでは、いつまで経っても日本の学問は政府依存になり、御用学問の府となる恐れがある。政府の立場や政策に縛られ、或いは忖度しているようでは真の学問の自由はないのではなかろうか。
 もともと国立大学は行政分野での人材を確保することを大きな目的の1つとしているが、現在、これ程多数の国立大学が必要とも思われない。学生への無利子の奨学金や家賃を含む修学支援を充実させれば、国立大学はもはや必要とせず、より自由に学問を追究できるように私学化する時代ではなかろうか。それは私学と国立の教育費の負担衡平にもなろう。

 3、前例、既得権打破とはそういうことだったのか
 管首相は、就任に際し、「縦割り、既得権、前例主義の打破」を表明し改革を進める仕事師内閣とすることを打ち出した。保守党政権としては今までに無い斬新な姿勢として、一本調子の政府支出・国の借金の拡大と規制・既得権益擁護の屋上屋が重ねられ、いわば閉塞状況の日本において各方面で期待されていた。
 ところが今回の日本学術会議の会員任命拒否問題で、自民党参議院議員が、前例にとらわれない姿勢で、これが正に管首相の姿勢だと擁護する始末だ。
 安倍前首相は、党是である憲法改正を推進しようとしたが、与党内でも公明党が慎重な上、野党はじめ憲法学者などがその内容に懐疑的で実現することは出来なかった。国民の多くは改正に理解を示しているが、問題は改正内容だ。安倍前首相は、本格的な防衛活動が出来るように9条を改正する他、自民党の改正案に沿って政府権限の強化、一定の自由の制限などを望んでいた。その思想的背後には、任意団体の‘日本会議’があり、旧帝国憲法に沿った天皇権能の明確化、政府権限の強化、「教育勅語」の復活を含む一定の自由の制限などを支持し、そのような体制の下での「美しい日本」の建設を標榜しており、多くの保守系議員が賛同している。安倍前首相時代の森友学園問題は、「教育勅語」を教育に取り入れ、規律正しい教育を目指した森友学園に安倍夫妻が共鳴し、学園建設の促進課程で生じた問題である。恐らく、教育方針に賛同したことをきちんと国民に説明し、理解を求めていたらあのような公文書の書き換えなど、戦後最悪の行政失態には発展しなかったであろう。
 このような思想を支持する国民も少なくないが、国民平等に基づく民主主義、自由という基本的な価値に立脚した現行憲法を支持する国民層も多く、旧帝国憲法への回帰、専制主義的な政府、自由の制限などを懸念されている。従って憲法改正は内容、方向性の問題でなかなか進まないため、安倍政権は憲法解釈の変更、手直しで安保法制などの実現を図ったのであろう。それは1つの選択肢である。
 現在、日本学術会議任命拒否問題については、内閣委等で閉会中審査が行われ、野党を中心に内閣府事務方の追求が行われているが、首相は出席しておらず、事務方が木で鼻をくくるような一辺倒の答弁をしているが、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。が、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。
 しかし本来、官邸主導、政治主導で進める施策を、官僚に代理戦争させるのは筋違いであり、首相他が国会の論戦に応じ、きちんと対応すべきではなかろうか。
今日、日本は将来を左右する岐路にあり、どのような選択肢を選ぶか、国民が決めなくてはならない。(2020/10/08)
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靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)

2021-08-28 | Weblog
平成の本音―靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)
 衆議院選挙中の2017年10月17日、安倍自民党総裁は、靖国神社の秋季例大祭に際し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して真榊の鉢植を奉納した。これに対し、野上官房副長官は記者会見において、‘総理が真榊を奉納したとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を述べる事柄ではない’とし、‘靖国神社を参拝するか否かは総理が適切に判断される事柄’と述べた。靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか
 どうも官邸側の説明振りが、何時もの通りで、どうも正確を欠く。「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して奉納しているので、‘私人としての行動’とは言えない。誰の目から見ても、「内閣総理大臣 安倍晋三」の奉納物である。どうして国民をごまかすような説明をしなくてはならないのか。どうして国民に正面から正直に説明しないのか。
 どうしてマスコミやTVコメンテーターがこの点に疑問を呈さないのか、不思議だ。また一部マスコミは、参拝でなく、まさかきの奉納だから問題がないような印象を与えているが、参拝も奉納も、信仰という点では変わりはない。この点を指摘しないのも不思議であり、マスコミ力の低下なのだろうか。
 靖国神社は、他の神社とは異なり、政治的な色合いや政治姿勢に関係する。中国や韓国が歴史認識の上で問題視していることは別として、天皇を中心とする独裁的な政治体制とするか、軍事力を認め軍国主義的な国家体制とするかなど、基本的な政府の在り方や、憲法改正の方向性などにも関係する問題なのである。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 首相や新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、真榊を首相名で奉納したことは、A級戦犯となった人々を含めて「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これら自民党グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、また軍事力の保有を実質的に認め、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。この信条は、森友学園の復古的教育方針に共鳴した安倍首相と同夫人の姿勢に通じる。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。
因みに、自民党の‘選挙の顔’となっている小泉進次郎自民党候補も、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しており、同一の信仰や歴史認識を持っていると言えそうだ。耳障りの良い言葉や一部マスコミの報道振りなどに惑わされず、個々の言葉や行動から国民自身が判断することが必要のようだ。(2017.10.17.)
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