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東京オリンピック開催、開催国に勝者はいない

2021-09-14 | Weblog
東京オリンピック開催、開催国に勝者はいない
 <前書き> 2021年7月23日から開催された東京オリンピック2020も閉会を迎え、次にお開催地パリ市にバトンタッチされる。参加し競い合った多くのアスリート、競技運営関係者の皆様、大変ご苦労様でした。特に、メダルを獲られ、或いは入賞されたアスリートの皆様には心からの祝意を送りたいと思います。多くのドラマがあり、多くの落胆がありました。バッハIOC会長は“オリンピックは成功だった”と述べている。それはバブルの中の成功を意味するのだろう。
 しかし、今回の東京オリンピックの開催実現には、緊急事態宣言等の中でも拡大するコロナ禍の下で多くの人々が日本の経済社会を支え、また職を失い宿もなく食料にも欠き悲哀の中で多くの人々が耐えていたから実施できたことを忘れてはならないのだろう。
 コロナ厳戒下の東京オリンピック2021の本当の評価は、各国選手が帰国し、また日本の警備関係者やボランテイア関係者など15万人内外の人々が地元に戻り、各国での評価等の他、2~3週間程度経った後にコロナウイルスの拡大や新規の変異株が発生しなかったかを検証してから行うべきなのであろう。
 日本については、官邸、都知事、組織委が「安全、安心なオリンピック開催」として緊急事態宣言の中で実施し、新規感染者が急増していたオリンピック開催中も”死者は激減し、重症者も減少”などと楽観的であった。だが8月11日、新規感染者は全国で1万5千人、東京都で4千人を超え、死者は相対的に減少しているものの、重症者は全国で1,332人、東京で197人と過去最多となっている。国民の安全と健康を犠牲にしてオリンピックを強行した結果となっている。更に、政府は”自宅療養”を推奨しているが、自宅療養者は既に1万5千人を超え、子供を含め家庭内感染の拡大が懸念されることに加え、入院することが望ましい「調整者」が1万1千人強にも達しており、国民の健康が守り切れない事実上の医療崩壊と見られる危機的な状況となっている。(<前書き>2021.8.8.&8.11.)

 7月23日、東京オリンピックが開催される。主催者である東京都、その下部組織であるものの、政府色の強いオリンピック・パラリンピック組織委は「安全安心な開催」に向けて具体的な準備を進めている。政府はこれを支持しており、ロンドンで開催される主要国首脳会議において「安全安心な開催」につき各国の支持を得た。
 1、世論は大きく割れており、東京都、組織委、及び政府に勝者は居ない
 東京オリンピック7月開催についての世論調査では、2021年1月以来5月頃までは、一貫して70%以上が「中止、又は延期」であり、「延期」については実現の見通しはない上、いずれにしても7月開催には反対ということであるので、70%以上が本年7月の開催に反対していることになる。その背景には、若い世代についても、2020年4月に大学等に進学してもキャンパス生活を送ることも出来ず、アルバイト先もなく、また就労世代についても解雇や雇い止めなどが一般化し、学校を卒業しても就職機会は限られており、将来不安や孤独感が募っている状況がある。産業面でも、飲食業から娯楽・イベント、観光などが大打撃を受けており、1日も早い感染収束を願っている。誰しもオリンピック・パラリンピックが安全安心に開催できれば良いと思っているが、今はそれどころではなく、日常の生活や日常の健康を取り戻したいという意識が強く反映されていると言えよう。
 6月になって、緊急事態宣言が延長され新規感染者が減少し、ワクチン接種が進んでおり、開催準備についても具体的に進められていることなどを反映し、7月開催に賛成が若干増えているものの、依然不安視する意識が根強い。
調査主体により若干数値に偏りがあるが、JNN世論調査では7月「開催」支持は44%になっているのに対し、「中止」が31%、「延期」24%となっている。「延期」は7月の開催には反対を意味するので、支持が若干増えているものの、7月開催反対は実質的に55%と依然過半数を超えている。読売の調査によると、「開催」が50%、「中止」が48%としているが、「開催」についてはいずれも観客数を制限してのものであり、開催支持50%中、半数以上の26%相当が無観客での支持であり、根強い不安が明らかになる結果となっている。
 日本だけでなく、世界において感染拡大が収まりきっていない状況において、世界200か国・地域からオリンピック選手約1.5万人、及び競技関係者、IOC関係者並びに報道関係者7万人前後が7月23日の開会式に向けて訪日する。未だ具体的な参加国・地域数、参加者数が公表されておらず、また入国管理措置、国内での行動制限や監視体制などの「安全、安心な開催」に向けての全容は明らかにされていないが、どのような措置をとっても漏れが出る可能性がある。また措置を厳しくすればするほど、参加選手や来日者の不満、批判もつのるだろう。
 多くが100%安全な措置は困難と思っている。入国時に必ず漏れがある。これは経験済みのことだ。2021年1月よりビジネス交流が緩和された。その結果、厳しい入国時のチェックのも拘わらず、イギリス型変異種等が入り、インド変異種が入って感染拡大を起こした。
 海外からだけではない。開催となれば、組織委関係者のほか、警備やボランティアを含め19万人内外が東京を中心に活動することになり、人流が多くなることは明らかだ。
 開催すれば、日本国内で新規感染者や日本から参加国・地域に感染が広がることはまず避けられないであろう。国内世論の7割前後は年初来不安を抱いており、開催されればその不安は更に強くなると予想される。オリンピック中はもとより、大会後、国内外で新たな感染が発生するとなると安全が確保されたことにはならない。
 従って、オリンピックが程度如何を問わずウイズ・コロナで開催される限り、国民の「不安」が解消されることはなく、「安心な開催」自体はもはやない。
 「安全」については、制限や検査・監視が強化されればされるほど、外国人選手、関係者、報道関係者などの反感や疑問が高まる。選手やIOC、競技関係者には80%程度ワクチンが接種されるとされているが、20%前後の3,000~4,000名が不接種でほぼ同じ時期に来日するので、入国管理とその後の措置、及び滞日中の行動制限と検査の確保などが重要となる。「安全」を確保するためには、これらの措置で漏れが出ないよう厳密な対応が必要となるものの、言語や倫理、慣習などの差によりトラブルが生ずることが多々あろう。
 更に各国から多くの報道その他の関係者が訪日し、可なりの数がワクチンを接種していない可能性があり、また各種のアングルで競技場以外の取材を希望する可能性があるので、行動を漏れなく制限し、監視することは不可能に近い。
これらのルールは、プレーブックに記載され、違反する者には罰金や参加認定の取り消しを行うとしている。守ってくれれば有難いことだが、言語の問題や詳細なルールを何処まで理解されるかの問題のほか、これを誰が執行するのか、どこまで強制できるのかなど、実効性に疑問が残る。個人の尊厳は尊重されるべきであり、異議があった場合、仲裁は出来るのか。問題が多い上、漏れが生じる可能性が高く、またトラブルがあちこちで起きるだろう。
 また日本の方も、5万人以上のボランテイアや10万人前後の警備や整備関係者が各地から来るので、人流は更に増え、これらの人達にもルールを守ってむらわなくてはならない。
 100%、或いはそれに近い「安全」を確保することは困難であり、日本に感染が流入し、海外に感染が広げられる可能性が高い。その度合いがピンポイントの隔離や治療で感染拡大しなければよいが、難しそうだ。
 とすると、現在「安心な開催」を望むことは困難である上、「安全な開催」についても程度の差こそあれリスクは残る。
 7月23日にオリンピックが開催されても、「安全、安心」を確保することは困難であるので、オリンピック・パラリンピック組織委はもとより、東京都も勝者にはなれそうにない。
 政府については、6月11-13日、英国で開催された主要7か国首脳会議において、「安全、安心な開催に向けて準備しているので、開催を支持して欲しい」旨求め、主要国首脳から「安心、安全な形での開催」につき支持を取り付けたことは大きな支えとなる。一見外交上の成果と見えるが、開催につき自らの手を縛る“自縄自縛”の国際約束として退路を断たれた上、「安全、安心な形」での開催が前提条件となった形であるので、それを確保する責任は日本政府が負うことになったと言えよう。その条件が満たされなければ、首相が国会で明らかにしている通り、開催中止の流れとなるものと予想される。いずれにしても勝者になる芽はない。
1年前の2020年7月20日、安倍自・公政権(当時)は、オリンピック・パラリンピック2020が1年延期されたことを受けて、唐突にゴー・トウ・トラベル、ゴー・トウ・イートの前倒し実施を行った。経済回復を目的としたもので、観光業、ホテル、飲食事業への支援とはなったが、地方を含めコロナウイルスを日本全土に拡大する結果となった。公費を使いそのような旅行、飲食奨励キャンペーンを行わなくても、旅行、飲食の制限を解除さえすれば、客は8割前後戻っただろう。当時政府は、「ゴー・トウ・トラベル、ゴー・トウ・イートがコロナウイルスを拡散した証拠はない」との詭弁を弄し、マスコミやコメンテーター、医師会までも黙らせたが、証拠は十分にあった。コロナウイルス拡散防止のため、政府や地方自治体が入国管理を強化し、国内での外出自粛、大人数での飲食やイベント等を制限しており、それは人流を拡大(原因)すると感染を拡大する結果となるという疫病対策の基本であり、因果関係が歴史的に確立しているからだ。安倍自・公政権(当時)は、2020年秋に解散総選挙を実施することを念頭に、目先の経済効果を狙ったが、安倍首相が健康上の理由で辞任し、感染拡大を残す結果となったと言えよう。
今回もオリンピック実施でまた同じような誤りを繰り返すのだろうか。


 2、消えた国民と参加国との交流の機会と「お・も・て・な・し」
 このように東京オリンピックが開催されても、各国選手はバブル方式で、宿舎と競技場に行動制限され、移動も公共交通は使用出来ず、行動は監視され、国民との自由な交流は認められていない。またその他の競技関係者や報道関係者も2週間程度は同様の行動の制約を受け、国民との交流どころか、観光やグルメ探訪などは自由には出来ない。
 東京オリンピックの売りであった「お・も・て・な・し」は、毎日の検査と宿舎での食事しかない。その上、オリンピック・パラリンピックの競技以外の意義である国際的な交流も原則としてないことになる。これでは日本の東京で開催する意味はほとんど無い。膨大な費用を掛け、オリンピックを開催する意義は何なのかが改めて問われることになろう。

 3、IOCは日本をコロナウイルス対策の大実験場にしようとしているのか
 6月15日、国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ調整委員長(副会長)が来日した。コーツ委員長は、「緊急事態宣言中でもオリンピックは実施できる」旨発言していた。またバッハ会長は、それに先立ち、日本の世論の70%前後が開催に不安を持っていることを知ってか知らずか、「日本は忍耐強い」と述べていた。恐らく、開催を強行しても日本は耐えるだろうとの印象を得ていたのであろう。IOCが唯一開催、中止の権限を持っている。
 インド変異種(デルタ株)感染で50代の死者が出ており、またそれよりも感染力が強いとされるベトナム変異種が入ってくれば、コロナウイルス感染は新たな拡大が起こる可能性が高い。日本国民のオリンピック開催への不安は消えていない。
 無論、誰しもが感染リスクを100%除去し、安全に開催されることを望むところだ。しかしオリンピック・パラリンピック組織委の事務総長でさえも「リスクを100%防ぐことは困難」としている。組織委はこれまでも次々と問題を起こして来たので、リスクを100%防げなくても開催する意向なのであろう。
 7月23日に開催されれば、それに向けて200内外の国、地域から選手15,000人と7万人前後のIOC・競技関係者と報道関係者が訪日する。そのため、日本でも組織委、JOC関係者他ボランティア、警備関係者など19万人前後が集結する。日本国内はもとより、世界への感染拡大のリスクは除去できそうにない。
 国際オリンピック委(IOC)は、日本をコロナウイルス対策の一大実験場にしようとしているのだろうか。感染リスクは、日本人だけでなく、各国からの選手、訪日者にもある。(2021.6.15.,)
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日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!

2021-09-14 | Weblog
シリーズ本音トークー日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!
 政府は、日本学術会議により推薦された会員候補105名の内、6名を拒否した。同会議は首相が所管する独立の諮問機関で、210名(任期6年)で構成され、3年ごとに半数が改選される。今回は、8月に安倍首相(当時)に推薦されていたが、同首相辞任表明のため、管新首相に引き継がれたものである。
 日本学術会議としては、6名の任命拒否の理由説明と任命要請を内閣府の事務局に提出しており、前例のないこと、学問の自由を制約するなど各方面で問題視されている。
 1、 日本学術会議会員の任命権は首相にある
日本学術会議会は同会議法に基づき設置されており、会員は「同会議の推薦により、首相が任命」と規定されているので、任命権は首相にあり、任命拒否は可能である。因みに、会員の任期は6年、70歳までとなっており、罷免については特段の規定はない。
 管首相も、法律に基づき判断したとしている。また前例がないとの指摘に対しては、研究者の世界は閉鎖的でメンバーシップが既得権化する面があり、前例を踏襲しないこともあっても良いのではないか等とし、「学問の自由」には関係が無いとしている。
  確かに、日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、手当も受けているので、政府の政策や立場に反対する者や野党支持をするなど政治信条の異なる者などを任命しないことはあり得るだろう。特に拒否された6名の内3名が国立大学の教授であり、もともと国家公務員であるので、政府の政策、立場に従うことは当然であり、国会その他の公の場や授業、或いは論文などにおいて政府の立場に反する立場を表明することは好ましくないと判断されるであろう。また拒否された6人とも、歴史や宗教、行政法、憲法など人文科学に属するグループであり、政府の政策や立場との関係が生じやすい。
  この点は、日本学術会議会に限らず、全ての政府の審議会、委員会の委員についても同様で、そもそも政府の政策や立場に反する者は委員に選ばれることはまず無く、また委員会などで反対の立場を述べる者は体良くお引き取り頂くことになり、再任されることはないようだ。

 2、日本学術会議のあり方が課題
  このような政府の解釈、対応となると、日本学術会議の今後のあり方自体が問題となり、岐路に立っていると言えよう。
 日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、政府の政策や立場に従うことが期待される。これが常態化すると、いわば政府の御用学者の様相を呈することになる。またその下部グループとして連携会員が多数存在するが、将来会員となりたい者は御用化すること傾向となろう。
 (1)日本学術会議は独立性を保てるのか、御用機関化するのか
 こうなるとやはり「学問の自由」にも影響を与える。会員は、3部構成となっており、1部が人文科学、2部、3部が生命科学、理学及び工学を中心とする科学となっているが、人文科学に属する会員、連携会員が影響を受けやすい。まさに人文科学に属する6人だけが任命を拒否されている。「学問の自由」は、信条の自由や表現の自由と表裏の関係があるが、国会で野党推薦の証人として、例えば安保法制や共謀罪関係法について政府と異なる立場は取り得なくなり、会員、連携会員である限り、自由な研究は抑制されると共に、授業や論文なども影響を受けることになる。政府側は学問の自由に影響はないとしているが、当事者である教授が影響ありとしているので、影響があると考えるべきであろう。会員から外されれば「学問の自由」は確保されるので、影響はないとする考え方もあろうが、それでは著名で業績のある210名の会員と多数の連携会員は「学問の自由」は現実的には制約されることになる。これでは少なくても人文科学の分野では、自由な研究が出来なくなるであろう。
 また政府は研究助成として約4兆円の研究助成を行っているが、助成を受けるためには政府の政策や立場を忖度しなくてはならないので、自由な研究を助成し、研究を活性化させるという趣旨が損なわれ、また助成を検討する日本学術会議も自由な研究を促進する機関ではなく、変質する可能性がある。
 本来であれば、政府機関であるとしても、政府は、憲法で保障される信条の自由、表現の自由、学問の自由を尊重すべきであり、それを任命権や政府権限で制約することには疑問が残る。自民党は、現行憲法は日本になじまない点があるとして、憲法改正を「党是」としており、国家権限の強化や一定の自由の制限などを改正案に入れているようであるが、それを憲法解釈で実態を確保することは適正ではないであろう。
 日本学術会議が、独立性、学問の自由を重視するのか、政府機関として残るため人文科学を切り離すかなど、選択を迫られているようだ。
 (2)国家公務員である国立大学の教授の今後
 国家公務員と言えば、国立大学の教授等は国家公務員である。従って日本学術会議会員以上に、研究費の助成や研究内容、論文、授業内容、国会など公の場での発言には政府の政策、立場に反しないことが求められるのであろう。今回の問題が表面化したことにより、国立大教授等も国家公務員として一層の自覚が求められそうだ。
 しかし、そのようなことでは学問の自由や自由な研究や教育は望めそうにない。特に人文科学の分野がそうであり、日本は経済大国や技術大国等と言われ久しいが、経済学、経済政策等などの人文科学分野で日本人はノーベル賞を受賞していない。こんなことでは、いつまで経っても日本の学問は政府依存になり、御用学問の府となる恐れがある。政府の立場や政策に縛られ、或いは忖度しているようでは真の学問の自由はないのではなかろうか。
 もともと国立大学は行政分野での人材を確保することを大きな目的の1つとしているが、現在、これ程多数の国立大学が必要とも思われない。学生への無利子の奨学金や家賃を含む修学支援を充実させれば、国立大学はもはや必要とせず、より自由に学問を追究できるように私学化する時代ではなかろうか。それは私学と国立の教育費の負担衡平にもなろう。

 3、前例、既得権打破とはそういうことだったのか
 管首相は、就任に際し、「縦割り、既得権、前例主義の打破」を表明し改革を進める仕事師内閣とすることを打ち出した。保守党政権としては今までに無い斬新な姿勢として、一本調子の政府支出・国の借金の拡大と規制・既得権益擁護の屋上屋が重ねられ、いわば閉塞状況の日本において各方面で期待されていた。
 ところが今回の日本学術会議の会員任命拒否問題で、自民党参議院議員が、前例にとらわれない姿勢で、これが正に管首相の姿勢だと擁護する始末だ。
 安倍前首相は、党是である憲法改正を推進しようとしたが、与党内でも公明党が慎重な上、野党はじめ憲法学者などがその内容に懐疑的で実現することは出来なかった。国民の多くは改正に理解を示しているが、問題は改正内容だ。安倍前首相は、本格的な防衛活動が出来るように9条を改正する他、自民党の改正案に沿って政府権限の強化、一定の自由の制限などを望んでいた。その思想的背後には、任意団体の‘日本会議’があり、旧帝国憲法に沿った天皇権能の明確化、政府権限の強化、「教育勅語」の復活を含む一定の自由の制限などを支持し、そのような体制の下での「美しい日本」の建設を標榜しており、多くの保守系議員が賛同している。安倍前首相時代の森友学園問題は、「教育勅語」を教育に取り入れ、規律正しい教育を目指した森友学園に安倍夫妻が共鳴し、学園建設の促進課程で生じた問題である。恐らく、教育方針に賛同したことをきちんと国民に説明し、理解を求めていたらあのような公文書の書き換えなど、戦後最悪の行政失態には発展しなかったであろう。
 このような思想を支持する国民も少なくないが、国民平等に基づく民主主義、自由という基本的な価値に立脚した現行憲法を支持する国民層も多く、旧帝国憲法への回帰、専制主義的な政府、自由の制限などを懸念されている。従って憲法改正は内容、方向性の問題でなかなか進まないため、安倍政権は憲法解釈の変更、手直しで安保法制などの実現を図ったのであろう。それは1つの選択肢である。
 現在、日本学術会議任命拒否問題については、内閣委等で閉会中審査が行われ、野党を中心に内閣府事務方の追求が行われているが、首相は出席しておらず、事務方が木で鼻をくくるような一辺倒の答弁をしているが、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。が、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。
 しかし本来、官邸主導、政治主導で進める施策を、官僚に代理戦争させるのは筋違いであり、首相他が国会の論戦に応じ、きちんと対応すべきではなかろうか。
今日、日本は将来を左右する岐路にあり、どのような選択肢を選ぶか、国民が決めなくてはならない。(2020/10/08)
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男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)

2021-09-14 | Weblog
シリーズ平成の本音―男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
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靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)

2021-09-14 | Weblog
平成の本音―靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)
 衆議院選挙中の2017年10月17日、安倍自民党総裁は、靖国神社の秋季例大祭に際し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して真榊の鉢植を奉納した。これに対し、野上官房副長官は記者会見において、‘総理が真榊を奉納したとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を述べる事柄ではない’とし、‘靖国神社を参拝するか否かは総理が適切に判断される事柄’と述べた。靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか
 どうも官邸側の説明振りが、何時もの通りで、どうも正確を欠く。「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して奉納しているので、‘私人としての行動’とは言えない。誰の目から見ても、「内閣総理大臣 安倍晋三」の奉納物である。どうして国民をごまかすような説明をしなくてはならないのか。どうして国民に正面から正直に説明しないのか。
 どうしてマスコミやTVコメンテーターがこの点に疑問を呈さないのか、不思議だ。また一部マスコミは、参拝でなく、まさかきの奉納だから問題がないような印象を与えているが、参拝も奉納も、信仰という点では変わりはない。この点を指摘しないのも不思議であり、マスコミ力の低下なのだろうか。
 靖国神社は、他の神社とは異なり、政治的な色合いや政治姿勢に関係する。中国や韓国が歴史認識の上で問題視していることは別として、天皇を中心とする独裁的な政治体制とするか、軍事力を認め軍国主義的な国家体制とするかなど、基本的な政府の在り方や、憲法改正の方向性などにも関係する問題なのである。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 首相や新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、真榊を首相名で奉納したことは、A級戦犯となった人々を含めて「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これら自民党グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、また軍事力の保有を実質的に認め、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。この信条は、森友学園の復古的教育方針に共鳴した安倍首相と同夫人の姿勢に通じる。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。
因みに、自民党の‘選挙の顔’となっている小泉進次郎自民党候補も、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しており、同一の信仰や歴史認識を持っていると言えそうだ。耳障りの良い言葉や一部マスコミの報道振りなどに惑わされず、個々の言葉や行動から国民自身が判断することが必要のようだ。(2017.10.17.)
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