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参院選挙制度自民改革案、憲法、有権者軽視を露呈 (再掲)

2022-03-15 | Weblog
シリーズ平成の本音―参院選挙制度自民改革案、憲法、有権者軽視を露呈 (再掲)
 2016年7月に予定されている参議院議員選挙に向けて、自民党総務会は7月22日、「違憲」の状態になっている1票の格差を是正すべく、「鳥取と島根」、「高知と徳島」をそれぞれ1つの選挙区にする「合区」とするなど、定数を「10増10減」する公職選挙法改正案を了承した。
 自民党は、この改正案を維新の会や次世代の党など野党4党と参議院に共同提案し、24日にも同院で採択され、衆議院に送られ、採択された。
 これにより、前回の参議院選挙で最大4.77倍だった一票の格差は、2.97倍となる見通しであるが、一定の評価が出来よう。
しかしこの改正案は格差を3倍以内に手直する申し訳程度の改正であり、次のような根本的な問題がある。
1、この程度の手直しでは「違憲」とされる可能性大
この改正案により1票の格差は、2.97倍になるが、‘改善’には程遠く、このまま実施することになれば、裁判で「違憲」と判断される可能性が強い。「違憲状態」との判決だから「違憲」ではないという解釈は不適正であろう。「違憲」は「違憲」なのである。「違憲」の状態が長期に維持されて来たことが大問題である。裁判所が基本的には1対1であるべき「平等性」に恣意的な判断を示してきたことにも責任がある。
更に衆議院では従来格差2倍以内、参議院では5倍以内で違憲ではないとされて来たが、両院とも小選挙区と比例代表という選挙制度は類似であるにも拘わらず、衆参両院では1票の重みにおいて格差を付けている。参議院では1票の格差に衆議院以上の下駄を履かせて良いという合理的な理由は全くない。その上、今後の地方の少子化、人口減と首都圏への人口集中が継続すれば、数年で3倍を超えることは目に見えている。
このような中で、自民党の脇雅史参院幹事長(当時)は、7月10日、‘10増10減案は1票の格差訴訟で違憲と判断される可能性がある、’‘違憲立法に関わることはできない’としてこれに反対し、自民党会派に離脱届を提出した。自民党員の中にも若干の良心、良識が残っているようであり、若干の救いである。
野党民主党は、もとより自民案に反対であり、合区を10にすることを提案している。
 憲法は国民の「平等性」を規定しており、正に民主主義の原点となるが、憲法を軽視する自民党の姿勢を露呈した形だ。
 2、定数削減や議員歳費・諸手当、政党助成金問題を無視
 「選挙制度見直し」ということであれば、2012年11月の党首討論で安倍自民党総裁(野党、当時)は解散総選挙の前提として野田首相(民主党代表、当時)に対し「定数削減」を確約していた。従って、区割りを検討する以前に、抜本的な「定数削減」を提案すべきであろう。財源の逼迫と今後の人口減を考慮すると3割程度の削減をして置く必要があろう。自民・公明連立政権は、これら国会での確約、国民への約束を果たしていない。国会で表明された以上、民主党に対してのみならず、国民への約束違反であろう。
 また定数問題とは別に、国民に消費増税や復興特別税を強い、他方で年金給付額の削減、健康保険料や介護保険料の実質引き上げなど、国民に多くの負担を強いていながら、議員については議員歳費・諸手当は削減等されていない。一律3割程度の削減が適当であろう。また地方公務員や各種独立行政法人等を含む公務員の定員についても、一律3割削減が実施されるべきであろう。
 政党助成金については弊害が多い。各議員は、所属政党からの助成金に縛られ、各議員の意見は無視され、党議に拘束される。各議員は、選挙区を代表していながら異論は言えない状況であり、民主主義と表面では言いながら、議員の表現の自由は大幅に抑制されている。閣僚や党役員にならないと、議員としての存在感もない。それならば議員定数を大幅に削減してもよいのであろう。
 また有権者の4割前後は“無党派層”であり、更に党員となると遥かに少ないので、政党で分けるというのは有権者の民意を反映することにはならない。政党助成金ではなく、一定の条件で、議員候補者に選挙費助成する方法を検討することが望ましい。
(2015.7.24.)(All Rights Reserved.)
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参議院に有権者、裁判所がダメ出し!!(改定版)

2022-03-15 | Weblog
シリーズ本音トークー参議院に有権者、裁判所がダメ出し!!(改定版)
 2018年7月21日、参議院議員選挙が行われたが、盛り上がりも無く、投票率は48.8%と5割を切った。最終的な数値は選挙管理委員会から発表されようが、1995年の参院選の投票率44.5%に次ぐ戦後最低の投票率となった。
1、参議院の意義に有権者ダメ出し!
投票率が5割を切った、しかも戦後2回も5割を切ったということは、5割
以上の有権者が参議院の存立意義を認めていないということに他ならず、国会改革が今後の最大の課題となったと言えよう。
 参議院は、少子高齢化、人口減の中で、6議席を増加すると言う極楽トンボのような決定をし、ひんしゅくを買い、投票率も低迷した。衆参両院とも、政府予算による政党助成金から各議員に助成金が配られることにより、党の議員への束縛が強くなり、衆議院であれ、参議院であれ、党議に拘束されることから、参議院の独自性は殆どなく、衆議院と同様の投票パターンを取り、いわば‘衆議院のクローン’、或いは2軍のような存在となっており、その存在意義はほとんどない。あるのは参議院議員という職業でしかなくなっている。それが国民の負担となっている。
 今回投票率が1995年に続いて5割を切ったことにより、参議院を廃止するか、議員数100名程度に削減し、それぞれの議員の独自性と発信力を高めるなど、抜本改革が迫られる形となったと言えそうだ。
 
2、裁判所も3.00倍を超える1票の格差にダメ出し!
2019年7月の参院選の選挙区で最大3.00倍の「一票の格差」があったことに対し、弁護士を中心とする市民グループが全国14の裁判所に違憲として訴えていた。高松高裁は、10月16日、国民の平等を定めた憲法に違反するとして「違憲状態」と判決した。
「違憲状態」との表現は、事実上「違憲」の意味であることには変わりがない。一方高松高裁は、香川、愛媛、徳島・高知(合区)の3選挙区の選挙無効の訴えは棄却したが、無効とすると社会的な混乱を起こすことが懸念され、3権の一つである国会の権限を尊重、忖度しての判断であろう。しかし「違憲」「違憲」である。
国会は、3権の一つであり、同等の重みを有する司法(裁判所)の判断を厳正に受け止め、抜本的解決策を次の選挙までに出すべきであろう。これは国民の平等な権利である投票権に関する基本的な政治制度に関するものであるので、衆・参両院ともに最優先事項として取り組むべきであろう。
 因みに、「平等」とは基本的には1対1の関係に近づけることが期待されているが、選挙区割り等の技術的な制約から若干の幅は仕方ないものの、原則として1.5倍以下で極力1.0に近い数値に収まるよう努力すべきだ。1.9倍なら良い、1.6倍ならよいなど、政治的に判断されるべきことではない。算術の問題だ。特定の選挙区が4捨5入すると2倍以上の投票権を持つことは避けるべきであろう。
「一票の格差」の「違憲状態」については、衆・参両院とも戦後のこの種裁判において、ほとんどの地裁、高裁が「違憲状態」又は「違憲」とし、最高裁も「違憲状態」としてきたが、最近まで国会は適正な改革を行ってこなかった。コメンテーターや評論家・専門家を含め、これを許して来たマスコミ界、言論界の消極的な対応も大いに問われる。憲法学者については、多くは国公立大学に属し公務員であり、また私立の多くは国から補助金等を受けているので政治への発言はし難いのであろう。

3、単独過半数を取れなかった自民党の退潮
 自民党は、改選議席(66議席)から9議席失い、非改選(56議席)を加え113議席となり、参議院での単独過半数を獲得できなかった。
 選挙前に保守系紙が今回の参院選は6年間の「安倍政権への評価が問われる」旨報じていたが、この点からすると評価されなかったことを意味する。政権の終わりの始まりと言えよう。

 4、自・公両党と維新の会合計でも2/3を維持できず、憲法改正は絶望的!
 今回の参院選で、自・公両党と維新の会の保守3党合計で157議席しか獲得できず、改憲発議に必要な3分の2(164議席)を割った。
 安倍政権は憲法改正を訴え続けてきたが、掛け声とは裏腹に6年間で議論は進まず、同政権の下では憲法改正は事実上困難になったと言えよう。
 もっとも改憲については、自民党内にも懐疑論がある上、公明党は消極的であるので、3分の2は更に遠のいた。安倍政権の6年間において、靖国参拝、戦争責任を有する東条内閣尊崇、森友学園問題で明らかとなった旧帝国憲法、教育勅語への傾斜、天皇の権威を高め保守基盤の強化、本格的な再軍備などの意図が明らかとなり、国会内外で警戒感が増したと見る向きもある。

 5、無党派層を遠のける党派別比例代表制と政党助成金の弊害
 7月の参院選挙で有権者の51%超が投票しなかったが、その多くが有権者のほぼ4割を占める無党派層と見られる。
 無党派層は、投票所に行っても比例代表制で政党を選べと言われても正直戸惑うようだ。そもそも「無党派」であるので「政党」を選べない。現在の「党派別比例代表制」の下では、行っても無駄なのである。「党派別比例代表制」は、有権者に政党選択を強要するもので、思想、信条の自由にも反する。
 これに関連して、国家予算(税金)による政党助成金についても、無党派層の国民、納税者にとっては不可解なものだ。政党助成金は、選挙に金が掛かるので、立候補者への金銭的負担を軽減する等のために、中選挙区から1人制の小選挙区制への移行と共に導入されたものだが、今や実質的に企業献金が復活し、経団連が政党を評価し、多額の献金を政党ごとに行っている。
 経済団体による多額の献金が復活した現在、国家予算(税金)による政党助成金は廃止しても良いのではないか。共産党は政党助成金を受け取っていない。共産党が政党助成金なしで党運営が出来るなら、他の政党も出来るであろう。それが民主主義の本来の姿とも言える。
 また政党助成金は、政党による個人献金の拡大努力を阻んでいる。共産党や公明党などの支持グループが限定的な政党は別として、与野党とも党員、党友の拡大はほとんど見られず、個人献金に至っては低迷している。政党も国家予算(税金)と企業献金頼みで努力も形だけのように見える。
 政党助成金は、各政党ごとに各議員に配賦されるが、これにより党の議員に対する縛りが実質的に強くなり、党議に拘束され、議員の個性や見解は抑制される傾向にある。また特定政党が長期に政権を取ると、多額の政党助成金や企業献金などが入り続けると共に、権力が総裁に集中し独裁的傾向に陥ることになる。政党助成金による政党支援は、いわば‘政党の公営’とも言え、政党が未発達、未成熟な場合は別とし、本来の民主主義の在り方に沿わない。
また政党助成金は、財源は税金でありながら、各政党から議員に配賦されるため、使途管理が不明朗になっている。政党助成金は廃止しても良い時期だ。各党、各議員は、日常から国民との関係をより緊密にすると共に、そのような活動の中で国民の政治への関心を高め、政党支持者を拡大することにもっと努力すべきであろう。(2018.7.24. 10.17.改定)
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‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)

2022-03-15 | Weblog
シリーズ平成の本音―‘皇居’を京都御所に戻すべきこれだけの理由!! (再掲)
 2019年4月30日に平成天皇が退位、5月1日の新天皇が即位され、同年10月22日に新天皇の即位を内外に表明する「即位の礼」が実施される。
 新天皇のご即位をお祝いする。しかし戦後の新憲法の下でのあり方には違和感もある。即位の礼についても、詳細は明らかにされていないが、式典に使用される「高御座(たかみくら)」が保管されている京都御所で解体させたうえ東京に輸送された。それだけに掛かる費用が、総重量8トンの解体・輸送経費などで9億円と言われているが、平成天皇同様、新天皇の即位の礼が東京で行われ、江戸城址内にある‘皇居’に住まわれ続けるのであろうか。
 即位の礼は、伝統に基づき、明治天皇はもとより、大正天皇、昭和天皇も京都御所で行われている。天皇は、明治維新後、江戸幕府が無血開城した江戸城内に‘皇居’を新設し、京都御所からそこに移り住まわれている。それは徳川将軍派の再起を封じ込める意味と米欧列強の介入を抑止する上で必要であったと思われる。第2次世界大戦後も、昭和天皇は江戸城址内の皇居に留まった。これは、米国を中心とする連合軍が進駐し、皇居のある江戸城跡内に連合指令本部が置かれることを防ぐためにも止むを得ない措置であったと考えられる。
 昭和天皇崩御後、平成天皇はそれを継承したが、現在は米軍の進駐はもとより考えられず、また国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に留まっている必要はなくなっているのではないだろうか。即位の礼が東京で行われたのは、平成天皇が歴史上唯一の例外となっている。
 むしろ新憲法の下の新時代においては、伝統に沿って天皇は京都御所に復帰され、江戸城址は国民に開放すべきであり、その理由は次の通りである。
 1、歴史上最も平安な現在、天皇が江戸城址に留まる必要はなくなった
 明治維新となり天皇は京都御所から江戸城内に移り住んだが、上記の通り、明治維新直後や戦後直後と異なり、今日国内情勢は歴史上最も安定していると共に、憲法上の天皇の地位は国民に広く認識されているので、もはや天皇が江戸城址内の‘皇居’に陣取っている必要はなくなっていると言えよう。「帝国憲法」が廃止され新憲法となった居る今日でも、江戸城址内に宮内庁が占拠しているのも適切でない。
 新天皇は、歴史に則って京都御所に復帰することが望ましい。天皇が国民統合の象徴であることは認識されているので、京都におられても問題はない。それ以上に関西及び西日本の人々にとっては喜ばしく、誇りにもなることであろう。無論、京都御所には必要な改修等を行った上である。
 天皇のご公務については、憲法上国事行為として10項目掲載されているが、必要な時には東京等、必要な場所に赴くことは交通事情が飛躍的に向上している今日では問題ない。また東京に滞在し、或いは一定の期日東京での公務が必要な時は、赤坂の迎賓館(赤坂離宮)を所定の改築をし、そこで執務、宿泊されればよい。現在赤坂の迎賓館は、年数回しか使用されておらず、著しい無駄になっており、その活用を真剣に考える時期であろう。日本は、少子超高齢化の本格化を迎え、税負担人口が減少する一方、国民総所得の2倍に当たる1,000兆円を超える公的債務を抱え、これが年金支給額の実質削減と並んで国民の将来不安の大きな原因になっている。国家や地方公共団地が無駄な施設や土地を抱えている余裕はなく、無駄を無くしていくことが不可欠になっている。

 2、旧帝国憲法の下での’皇居’の存在は現行憲法の下では時代錯誤
 戦後日本においては、旧帝国憲法に代わり、新憲法が制定され、主権は国民にあり、いわば大政は国民に奉還されているので、国民の偉大な歴史的、文化的遺産である江戸城跡に‘皇居’を置いておく必要性はもはやなく、江戸城址を国民に奉
 3、日本や世界にとっての偉大な歴史遺産、江戸城址は国民に開放すべき
 江戸城を中心とする江戸の人口は、幕府が発足した17世紀初頭には15万人程度と言われているが、18世紀初頭には100万人を超えたと考えられている。
人口はロンドン(1801年約 86万人)、パリ(同約 54万人)と比較しても世界一の大都市であったと推定されている。文化的にも、参勤交代により地方の文化も持ち込まれ還することが望ましい。それ以上に明治維新は過去のものとなり、天皇専制は終わり新憲法になっても江戸城址を‘皇居’により封じ込めて置くことは不適当とも言える。‘皇居’、‘皇居’と言われ、そのような先入観があるようだが、江戸城址なのである。
 そのようにすることが、日本の歴史に沿うことになると共に、東西の文化的、社会的なバランスが回復し、東西のバランスある発展が望めるのではなかろうか。
、多様性があり、また版画や日本画、歌舞伎、相撲そして魚市場など、欧州でも評価される高い文化が華を開いた。
 その中心が江戸城であり、江戸文化は東京だけの歴史、文化遺産ではなく、日本の、そして世界の文化遺産と言えるので、それを再評価し、人々に開放し、可能な範囲で復元、保存して行くことが望まれる。江戸城址は世界有数の観光資源となるであろう。またそれに関連する城外の江戸時代の遺跡を加えると更に豊かな歴史文化遺産となろう。

 4、首都圏直下地震等の大規模災害等に備え、天皇の京都御所復帰が望ましい
 首都圏直下地震等の大規模災害の発生は現実のものとなりつつあり、各種の、緊急対策が検討されているが、それでも自然災害や何らかの不測の事態が想定の範囲を超える可能性も念頭に入れて置く必要があろう。そのような首都圏緊急事態への対応の一環として、伝統に則り天皇の居所を京都御所に戻しておくことが望ましい。そのような緊急事態の際、立法、行政、司法の政府機能が打撃を受けるが、象徴たる天皇をも巻き込むことを避けるため、皇居の京都御所復帰を真剣に検討すべきであろう。天皇が京都御所に復帰される場合の対応については、上記1.の通りであり、十分対応可能であると共に、江戸城址の国民への開放や赤坂御所の有効活用などの可能性が広がり、有益であろう。
 江戸城址が開放されれば、国民の憩いの場、歴史研究の場や格好の観光スポットとして活用できる以上に、大規模災害時の都民の避難場所となると共に、緊急時総合対策センターとして活用できるように整備して置けば、都心の360度対応可能な緊急センターとして活用も出来る。
東京への一極集中を是正し、地方都市の活性化を図るため、従来型の地方への助成金などでは限界的な効果しか期待できず、もっと抜本的なシステムの転換を図らなければ達成できないことは明らかだ。戦後の歴代政権の施策では地方の活性化を実現出来なかったばかりか、逆に東京への集中を招き、地方の人口減や限界集落の増加が加速していることからも明がだ。抜本的な転換が望まれる。
(2019.5.1.改定、同7.4.補足)
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韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲

2022-03-15 | Weblog
 韓米軍事同盟に日本は参加すべきではないー再掲
 韓国の康京和(カン ギョンファ)外交部長官は2017年10月30日、議会での外交関係の国政監査において、対北朝鮮防衛強化のため配備された米国の迎撃ミサイルTHAADを巡り悪化している中国との関係について、中韓首脳会談開催への期待を表明しつつ、次の3つの立場を明らかにした。
・THAADの追加配備は行わない。
・米国のミサイル防衛(MD)システムに参加しない。
・韓日米安保協力は軍事同盟に発展しない。
 これはTHAADの配備を巡り悪化している中韓関係の‘復元’、正常化を狙った発言と見られており、‘三不’政策とも言われている。
 これに対し中国外務省は、同日午後に報道官が康長官の発言に関連して、「韓国側のこうした3つの立場を重視する」とし、韓国側がこれを実際に行動に移すことを願う旨述べた。しかし中国側が、韓国外交部長官の発言を‘約束’との表現を用いたため、韓国内でも議論となっている。
 中国側は、韓国におけるTHAAD配備と共に、米韓日の軍事同盟化を強く警戒していると見られ、中国が10月の全人代で習体制を固めて以降、日本との関係を改善する姿勢になっているのはこれを阻止するためとも思われる。
 韓国が、米韓日の軍事同盟を望んでいなければそれに参加する必要はない。日本側がそのような意向を表明したこともない。もっとも軍事同盟については、一方の同盟国への北朝鮮を含む第三国からの攻撃は日本への攻撃とみなされ、参戦しなくてはならなくなるので、日本の現行憲法ではそのような軍事同盟に参加することは困難であろう。従って韓国側から言われるまでもない。
 そもそも朝鮮戦争は1953年の休戦協定により軍事対決こそ回避されているが、米韓両国と北朝鮮は現在でも敵対関係にあり、北の核、ミサイル開発は基本的に米韓への対抗措置として進められているものである。日本は、朝鮮戦争の当事国でもない。また第二次世界大戦後、北朝鮮とは平和条約を締結していないが、2002年9月に小泉首相(当時)と金正日総書記(当時)とで調印された日朝ピョンヤン宣言において、拉致家族問題の他、日朝国交正常化交渉の開始などが盛り込まれており、この宣言は自・公連立政権において破棄はされていない。
従って政策論としても、朝鮮半島有事の場合には米軍への必要な後方支援は行うことになろうが、日本及び日本国民の安全のためにも、米韓との軍事同盟に参加しないことが賢明な選択肢と言えよう。
(2017.11.23.)
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戦争発言はタブーか?!(再掲)

2022-03-15 | Weblog
本音トークー本音トークー戦争発言はタブーか?!(再掲)
 <はじめに> ロシアのプーチン大統領がウクライナのNATO加盟の動きに危機感を強め、2022年2月24日、武力侵攻し、また米欧諸国がウクライナ支援のため、派兵は行わないとする一方、軍事物資等の提供や厳しい経済制裁を課した。特に国際決済通信システム(SWIFT)からロシアを除外する措置は、バイデン大統領が「国際金融における核抑止力」とも述べた程の強力な制裁措置を実施した。これらの厳しい対ロ措置を背景としてプーチン大統領は、「抑止力の特別態勢」の準備を指示するなど緊張感は更に高まった。
 このような東欧での緊張を受けて、安倍元首相は同派の会合(2022年3月3日)で「核シェアリング」を検討するよう示唆した。岸田首相は「非核三原則」堅持の姿勢から米国との「核シェアリング」検討しないとしているが、自民党の右派議員や維新の会の一部議員などは議論はすべきとしている。
 今や戦争論を飛び越えて、核兵器シェアリングにまで議論が飛躍している。どうなのであろう。(2022年2月4日追補))

 2019年5月上旬、北方4島の一つ国後島へのビザなし交流の訪問団に参加していた丸山穂高衆議院議員(当時日本維新の会)が、団長への同行記者インタビューに割って入り、酒を飲んだ状態で団長に向かって『戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか?反対ですか?』、『戦争しないとどうしようもなくないですか?』などと発言したことが物議を巻き起こしている。ほとんどのテレビや新聞各紙などの論調も、コメンテーターと称する知識人タレントを含め、国会議員として不適切などとして批判の渦だ。このようなマスコミ、世論の批判を背景として、所属していた日本維新の会は同議員を除名処分とし、野党6党派は議員辞職勧告決議案、与党は問責決議案を出し、また根室市議会も辞任要求決議を採択した。
 これを受け与・野党が協議の上、「糾弾決議」として一本化して6月6日の衆議院本会議において全会一致で採択された。
 同議員は、議員辞職を拒否すると共に、体調不良により2か月間の療養診断書を提出し、議運への出席も拒否していたが、決議の採択を受けて改めて議員辞職を否定している。なお、小泉進次郎議員は、議員の進退については有権者が判断すべきであるとして採択には欠席した。勇気ある見識だ。
 丸山議員の発言は、ビザなし交流の趣旨に反するばかりか、議員でありながら酒を飲んで公の場に出て、発言を求められてもいないのに他人のインタビュー割って入るなど、団員、公人としてTPOをわきまえない不適切な言動で、更に宿舎内で酒の上とは言え、大声を出したり、夜中に遊びに出たいなど、品位を疑う言動が伝えられており、事実とすれば人として論外だ。糾弾決議の理由の大半はこうした同議員の言動や品位に向けられており、戦争発言には2行ほどしか触れていない。戦争発言が、憲法9条との関係を含め、何故議員辞職勧告に相当するのかなど、理由が記されておらず、戦争発言をぼやかし、いわば‘別件’での糾弾決議のようだ。
 しかし、そもそも北方領土問題を含む平和交渉で「戦争」を持ち出しているのはロシア側に他ならない。
 1、『北方領土は戦争で取得した』と主張しているのはロシア側
 プーチン大統領は、数年前より『北方領土は戦争で取得した』ロシアの領土としている。だからこそ4島問題を解決して平和条約を締結しようとしているのではないのか。ロシア側は、平和条約の意味を分かっていないのだろうか。ロシア側が北方4島は『戦争で取得した領土』に固執する限り平和条約はあり得ない。
 日本とすれば、『戦争で奪取された領土』を回復、防護する権利がある。その平和的手段が外交交渉による平和条約の締結だ。それが困難となれば、論理上は‘領土を回復、防護’するためのあらゆる選択肢‘を検討しなくてはならない。
 北方4島にはソ連に追い出された多くの日本の地権者がおり、島には墓石がある。一方ロシア人もたくさん生活している。日本側は、早く北方領土返還後のロシア人の移住支援や住宅支援の概要を提示し、在住ロシア人の不安を払拭すべきだ。
 なお、丸山議員の戦争発言について、日本維新の会が在京ロシア大使館に「謝罪」に行ったと伝えられている。それでは維新の会は何故ロシア側の『戦争で奪取』を抗議しないのか。またこのビザなし交流には、国会議員枠が5つあるようだが、5月には2人しか参加していないようだ。自・公政権は、領土問題を解決して平和条約締結を進める、日・ロ首脳会談は20回以上としているが、本気で解決したいのならば何故もっと多くの議員が参加し、返還への熱意が示されても良さそうだ。また同議員の発言を批判する側も、それではどのような方法で北方領土問題を解決できるのか、具体的な選択肢を示すべきであろう。

 2、戦争という言葉をタブーとしてはならない
 今回の戦争発言がこれほど広く批判されたことは注目に値する。日本は、憲法9条で防衛を除き、戦争が放棄されているところであり、右翼グループ、保守派知識人やタカ派議員などは別として、これがマスコミや日本国民に広く浸透していることを示していると言えるであろう。もっとも批判は、場をわきまえず、酒を飲んだ状態での公人への発言に向けられているのかも知れないが、「戦争」という言葉をタブーとしたり、死語としてはならない。
 世界各地には、内戦を含め戦争が各地で行われているのが現実であり、その世界の現実に目をつぶり、或いは建前論の平和意識に浸っていれば、独りよがりの平和論になってしまう。無論、与党や日本維新の会などのタカ派議員や右翼グループ、保守派知識人は、戦争を意識し、軍備増強や憲法改正、或いは日・米軍事同盟の強化を日常的に意識しているであろう。
 しかし戦争をタブーとしてしまうと、これらの勢力だけでなく、テレビ、新聞等のマスコミでの戦争への言及は極度に抑止され、建前論に終始し、戦争議論を伏せる恐れがある。現在でも差別用語は禁止され、どこでも見聞きする、或いは批判の少ない‘常識的’な、いわば金太郎飴的な議論や解説に終始する傾向も見られ、マスコミの質の低下とも見られるが、「戦争」テーマについても表面的には常識的な建前論に終始し、本音が隠される不健全な社会となる恐れがある。
 丸山議員は戦後世代で戦争に関する体験や知識もないが、同世代、特に高度成長期以降の世代では体験はもとより、戦争の悲惨さについての知識もないので、ともすると戦争に対する忌避意識は相対的には小さいと見られる。歴史教育の場でも、明治維新や明治時代の近代化などは教科書にも掲載されているが、戦前、戦中を含め近代史の記述は少ない上、3学期は入学試験などで近代史を教える時間にも制約があり、また多くの場合試験にはほとんど出ないので関心も低くなりがちのようだ。従って丸山議員の戦争発言については、現実論としてはまずあり得ないことであるが、若い世代の人達の間で本音ベースでは、同議員の発言に何らかの共感を覚えてえている面もあろう。
 第2次世界大戦は、旧帝国憲法の下で昭和天皇が軍事大権を持ち、軍人出身の東条内閣の下で進められたが、将兵約200万、民間人100万人以上の日本人が死亡している。唯一の本土決戦となった沖縄、集中爆撃を受けた東京、そして原爆被害を受けた広島、長崎の4地点では、10万人から20万人ほどの一般民間人が死亡している。言論統制が無くなった戦後直後から1960年代半ばくらいまでは、悲惨な戦争・戦闘や軍隊内での新参兵士へのいじめをテーマとする映画、演劇、TVドラマなどが多く見られたようだが、今日では海外での地域紛争の報道以外余りないので、若い世代は戦争に対する忌避感は少ない。逆に、攻撃されれば反撃するという意識が強くなっているように見える。
 それはそれとして頼もしくもあるが、第2次世界大戦がもたらした惨禍やその責任の所在を含め、バランスある認識が持たれることが望ましい。
現在「空母いぶき」が上映されている。漫画をベースとした未来フィクションで、第3国が太平洋上の日本の島を占拠し、これに対応する「空母いぶき」の艦隊も攻撃され、被害が出たことから「防衛発動」が出され、「戦争」に発展する恐れがあったが、外交努力により戦争を回避するというストーリだ。洋上の戦闘場面が多くドラマとしての厚みに欠ける面があるものの、「戦争」をテーマとしたタイムリーな映画と言えよう。中学生や女性などの入場者も多く、防衛活動の現実的な必要性と「戦争」を回避したいという気持ちの葛藤と厳しさを見る一つの機会を提供している。

 3、ダメ議員を選ぶのも落とすのも原則有権者の責任
 衆議院議員については、有権者が4年の任期で国政を付託しているもので、犯罪行為や重大な法令違反でもない限り、任期満了か退場させるのは有権者の責任であろう。それにより、有権者は責任を自覚し、より注意深く議員を選ぶようになると期待される。
 丸山議員としては、決議をどう判断するかは別として、酒の上で場にふさわしくない言動を行ったことを深く反省する一方、信念があるのであれば、国会議員として戦争発言の真意を正々堂々と国会と国民に説明すべきであろう。その将来については、有権者が判断すべきことだ。
 衆議院議員の任期については、国民から4年間付託されており、本来であれば任期に近い期間責任を果たすべきであろう。衆議院には解散があり、『解散は首相の専権事項』と言われているが、議員の任期を短縮する結果となるので、国家の将来を左右するような余程重要な政策課題がない限り、みだりに解散権を行使すべきではない。それは議員の任期を縮め有権者の選択を毀損することになるので、職権乱用となる恐れがある。
 現自・公政権は、7月の参院選挙に合わせ衆院の解散風を吹かせているが、国会での議論は低調で、国論を分けるような具体的な重大案件もない。現政権は2012年12月の総選挙から7年間で既に3回の解散、総選挙を重ねている上、いずれについても国民にとって何のための選挙であったか分からない‘争点無き解散’に近い。それにより有権者が選んだ議員の任期を半分くらいに縮め、選挙期間中政治的空白を作った上、1回の総選挙で650億から800億円もの費用を掛けており、職権乱用と言われても仕方ない状況だ。更に本年7月に解散総選挙となると、2017年10月22日に選挙をしたばかりであるのに、重大な争点もなく解散総選挙となるので、職権乱用と言えそうだ。
 マスコミやコメンテーターなど知識人タレントは、ほぼ無条件で『解散は首相の専権事項』などとしているが、それ相応の重大な理由がなければ任期を大幅に残しての解散・総選挙は職権乱用として批判が出ても不思議はない。いわゆる知識人タレント等を含めたマスコミ力の低下、各種の民間研究所などの発想力、発信力の低下が著しい。各分野での商業化が進んだからであろうが、民主主義の健全な発展だけでなく、日本の健全で想像力に富む社会発展にとって憂慮される。(2019.6.7.)
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