「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)再掲
2013年4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
確かに日本は、講和条約の発効をもって主権を回復し、国際社会に復帰した。それでは、戦後講和条約の発効までの間は、主権が認められなかったということになるが、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。
自・公連立政権が、講和条約発効後61年も経ってこの式典を挙行したことは、現行憲法は日本の意志で作成されたものではない、従って抜本改正するということを内外に宣明したことになる。
しかし現行の民主憲法は、帝国議会で審議、採択され、46年11月3日に公布され、施行後66年を経て多くの国民に浸透している。特に戦後世代は成立の経緯は別として、この憲法を学び、広く受け入れられているのも事実である。
政府は、憲法などを連合国の占領下で押し付けられた借り物として否定し、日本を何処に導こうとしているのだろうか。現在も健在な元首相が、首相時代に日本は“天皇を中心とする神の国”と表現して不適切とされたが、天皇制を強化し、国軍を保持するなど、戦前のような制度に戻ろうとしているのだろうか。2012年12月の衆議院議員選挙で、“日本を取り戻す”と繰り返していたが、そのような公約は耳にしていない。
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇 (その2に掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!? (その3に掲載)
(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)再掲
2013年4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
確かに日本は、講和条約の発効をもって主権を回復し、国際社会に復帰した。それでは、戦後講和条約の発効までの間は、主権が認められなかったということになるが、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。
自・公連立政権が、講和条約発効後61年も経ってこの式典を挙行したことは、現行憲法は日本の意志で作成されたものではない、従って抜本改正するということを内外に宣明したことになる。
しかし現行の民主憲法は、帝国議会で審議、採択され、46年11月3日に公布され、施行後66年を経て多くの国民に浸透している。特に戦後世代は成立の経緯は別として、この憲法を学び、広く受け入れられているのも事実である。
政府は、憲法などを連合国の占領下で押し付けられた借り物として否定し、日本を何処に導こうとしているのだろうか。現在も健在な元首相が、首相時代に日本は“天皇を中心とする神の国”と表現して不適切とされたが、天皇制を強化し、国軍を保持するなど、戦前のような制度に戻ろうとしているのだろうか。2012年12月の衆議院議員選挙で、“日本を取り戻す”と繰り返していたが、そのような公約は耳にしていない。
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇 (その2に掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!? (その3に掲載)
(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
靖国参拝はどこの国でもあることなのか!?(改定版)
2013年8月15日、第2次安倍内閣が発足した年の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を収めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。信条、宗教の自由があるので、個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解したことにはならない。
それから6年後の2019年8月15日、安倍首相は稲田党総裁特別補佐を名代として玉串料を収めた。超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 尾辻秀久元参院副議長)の約50人(主に自民党と維新の会など)が集団で参拝した。また小泉進次郎議員などが個別に参拝した。
稲田党総裁特別補佐によると、首相の玉ぐし料は私費で、個人名でなされたとし、『わが国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する』との言葉を預かったと伝えられている。
日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
1、靖国神社による“A級戦犯の合祀”の意味するもの
日本のメデイアでも、首相、閣僚の靖国神社参拝は中韓両国との外交関係への影響として報道されることが多いが、この問題は、第二次世界大戦で沖縄が本土決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化すなど、甚大な被害を与えたことを考えると、日本自体の問題として考える必要がある。
靖国神社は軍人、国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための特殊な神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人も祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国の連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、他の一般戦没者と共に1978年10月に靖国神社に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”や『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
2、戦争遂行責任を曖昧にしたままでは歴史認識は定まらない
極東国際軍事裁判の公平性については疑問視する者も少なくないが、多くの国民は、300万人を越える人命と多数の都市に甚大な損害を与えた政府、軍関係者の結果責任は重大であり、そのような責任者までに『感謝と敬意』を表明することに強い違和感を持ち不条理を感じるであろう。
第二次世界大戦で軍人だけでなく、多くの民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導し、310万人もの日本人を失わせた結果責任は政府、軍責任者にあり、また統帥権を持っていた天皇についても少なくても監督責任はある。
またこの戦争において、中国、韓国を中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その精神的責任を問われても仕方がない。それが現在も韓国と中国の間で問題として戦後74年経っても尾を引いている。歴史認識の問題である。歴史的事実については、誇張や曲解がありその点は改善が必要であり、また日本国民としての信仰、信条の自由があることも理解して欲しいところではあるが、このような状況では真の相互理解は今後とも難しい。
そうだとすると、日本国民も日本の将来を左右する深刻な問題として戦争責任の問題を捉え、勇気をもって判断しなくてはならなそうだ。(2013.8.15. 2019.8.15.改定)
2013年8月15日、第2次安倍内閣が発足した年の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を収めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。信条、宗教の自由があるので、個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解したことにはならない。
それから6年後の2019年8月15日、安倍首相は稲田党総裁特別補佐を名代として玉串料を収めた。超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 尾辻秀久元参院副議長)の約50人(主に自民党と維新の会など)が集団で参拝した。また小泉進次郎議員などが個別に参拝した。
稲田党総裁特別補佐によると、首相の玉ぐし料は私費で、個人名でなされたとし、『わが国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する』との言葉を預かったと伝えられている。
日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
1、靖国神社による“A級戦犯の合祀”の意味するもの
日本のメデイアでも、首相、閣僚の靖国神社参拝は中韓両国との外交関係への影響として報道されることが多いが、この問題は、第二次世界大戦で沖縄が本土決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化すなど、甚大な被害を与えたことを考えると、日本自体の問題として考える必要がある。
靖国神社は軍人、国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための特殊な神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人も祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国の連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、他の一般戦没者と共に1978年10月に靖国神社に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”や『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
2、戦争遂行責任を曖昧にしたままでは歴史認識は定まらない
極東国際軍事裁判の公平性については疑問視する者も少なくないが、多くの国民は、300万人を越える人命と多数の都市に甚大な損害を与えた政府、軍関係者の結果責任は重大であり、そのような責任者までに『感謝と敬意』を表明することに強い違和感を持ち不条理を感じるであろう。
第二次世界大戦で軍人だけでなく、多くの民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導し、310万人もの日本人を失わせた結果責任は政府、軍責任者にあり、また統帥権を持っていた天皇についても少なくても監督責任はある。
またこの戦争において、中国、韓国を中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その精神的責任を問われても仕方がない。それが現在も韓国と中国の間で問題として戦後74年経っても尾を引いている。歴史認識の問題である。歴史的事実については、誇張や曲解がありその点は改善が必要であり、また日本国民としての信仰、信条の自由があることも理解して欲しいところではあるが、このような状況では真の相互理解は今後とも難しい。
そうだとすると、日本国民も日本の将来を左右する深刻な問題として戦争責任の問題を捉え、勇気をもって判断しなくてはならなそうだ。(2013.8.15. 2019.8.15.改定)
政党交付金は廃止すべし (再掲)
総務省は、2020年11月27日、2019年分の政治資金収支報告書(中央分)を公開した。収入総額は、1,098億円(前年比1.3%増)で、参院選があり借入金が例年の約5倍の36.5億にものぼるので、借入金を差し引くとネットで1,063億円になる。その内自民党の政党本部収入は約245億円で、ダントツのトップである。
1、政党交付金にあぐらをかく政党、各候補個人への選挙費助成に転換すべ
多数党で最も多く議員を擁しているので当然と言えば当然であるが、自民党本部の収入の72%強の約176億円が税金を財源とする「政党交付金」であることは驚きだ。まるで政府がほぼ丸抱えした政党が与党となっている。これではまるで中央専制国家のようで、政権与党の税金お手盛り振りが明らかのようだ。その上、自民党本部は戦後75年も経っている今日でも、国会に至近の国有地を割安で賃貸しており、まるで国立政党のようだ。
これはいかにも異常で、民主主義国家であれば、政党は基本的には個人や企業・団体の浄財、任意の寄付で運営されることが望ましい。長期に亘り政権を担ってきた政党の72%強の収入が国民の貴重な税金である政党交付金で賄われ、政党本部が国有地を優先使用している現状は、共産主義国や独裁国家と余り変わらず、民主主義とは言えないのではないだろうか。
戦後直後ならまだしも、75年も経っている今日、政党助成金を廃止して、候補者個人への選挙費助成金とする時期ではないか。その方が、助成を受けた候補が国民の税金の有難味が分かるのではないだろうか。また各政党が国民から支援を広げる努力をするようになるのではないだろうか。
2、河井案里議員側が自民党より受領した支援金1.5億円は政党交付金から
2019年7月の参議院議員選挙に際し、自民党は、擁立した河井案里側に1億5千万円の支援金を提供した。それが、案里側により、車上運動員(通称うぐいす嬢)に法定上限2万円を超える報酬支払いや県議や市議、市長等に配られた疑いで、案里議員事務所と夫である河井克行衆院議員(元法相)が公職選挙法(買収)及び政治資金規正法違反の容疑で起訴され、まず案里事務所の公設秘書が禁固1年6ヶ月、執行猶予5年の有罪判決が確定した。
河井衆院議員の判決は別途行われることになるが、自民党から通常1200万円/人と言われている選挙支援金の10倍を超える1.5億円もの支援金が出されていなければ、これだけ広範な選挙違反行為が行われていなかったであろう。その支援金は、税金を財源とする政党交付金から出されていることが分かっている。1.5億円の税金で買収等の選挙違反行為が行われたということであり、納税者である国民としては納得できないであろう。
党の政党交付金管理責任と結果責任が問われそうだ。また政党交付金が選挙違反行為の原資になったと見られることから、遅滞なく全額を国庫に返納することについても問われるのではなかろうか。
3、共産党、自助努力で204.5億円の党収入を確保
共産党は、政党交付金を受けず、党員による会費と機関誌赤旗の販売など自助努力により、同年204.5億円の党収入を確保している。自民党に次ぐ高額の党収入であるが、政党交付金無しの自助努力ではダントツの1位となっている。
要するに、政党交付金無しでも、会費、事業収入などの自助努力で党収入は図れるということであり、与野党を問わず、会費、事業収入などの自助努力で党費、政治活動費を賄うという、民主主義本来のあり方を築いて欲しいものだ。
もっとも、共産党は中央統制による共産主義というイデオロギーを信奉するグループであり、多様性を基礎とする自由、民主主義、自由市場主義という日本を含む世界の大多数の諸国に共有されている価値観とは相容れない、絶対的なイデオロギー信奉政党であるので、他の政党が会費などの自助努力で党収入を図ることには困難があるだろう。しかし民主主義政治の基本はそういうことであるので、そのような政治環境を構築するのも政党の仕事であろう。
他方、共産党はこれまで党収入が潤沢であったため、原則として全ての選挙区で候補者を立てているが、野党の票を喰う結果となっているので、野党の発展を阻害する結果となっていることも否めない。共産党の存在は、保守政党にとっては都合の良い存在となっているのが現実であり、同党がイデオロギー信奉を離れ、国民政党となることが問われているのではないだろうか。いずれにしても、野党同士が食い合う状況を解消することが課題だろう。
なお、公明党は、政党交付金を受けているが、会費収入や機関誌発行などの自助努力で129億円規模の第3位の収入を図っている。もっとも公明党は、宗教団体である創価学会メンバーのいわば下部組織であり、宗教的信仰を基礎とするものであるので、他の政党の参考にはならないだろう。
いずれにしても、何時までも税金を財源とする政党交付金に依存し続けているのでは、民主主義政党としては努力が足りないと言えるだろう。政党交付金は廃止し一定の基準を設け、候補者個人への公職選挙支援助成金に転換すべき時期ではなかろうか。(2020.12.1.)