靖国参拝はどこの国でもあることなのか!?(改定版)
2013年8月15日、第2次安倍内閣が発足した年の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を収めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。信条、宗教の自由があるので、個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解したことにはならない。
それから6年後の2019年8月15日、安倍首相は稲田党総裁特別補佐を名代として玉串料を収めた。超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 尾辻秀久元参院副議長)の約50人(主に自民党と維新の会など)が集団で参拝した。また小泉進次郎議員などが個別に参拝した。
稲田党総裁特別補佐によると、首相の玉ぐし料は私費で、個人名でなされたとし、『わが国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する』との言葉を預かったと伝えられている。
日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
1、靖国神社による“A級戦犯の合祀”の意味するもの
日本のメデイアでも、首相、閣僚の靖国神社参拝は中韓両国との外交関係への影響として報道されることが多いが、この問題は、第二次世界大戦で沖縄が本土決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化すなど、甚大な被害を与えたことを考えると、日本自体の問題として考える必要がある。
靖国神社は軍人、国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための特殊な神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人も祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国の連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、他の一般戦没者と共に1978年10月に靖国神社に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”や『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
2、戦争遂行責任を曖昧にしたままでは歴史認識は定まらない
極東国際軍事裁判の公平性については疑問視する者も少なくないが、多くの国民は、300万人を越える人命と多数の都市に甚大な損害を与えた政府、軍関係者の結果責任は重大であり、そのような責任者までに『感謝と敬意』を表明することに強い違和感を持ち不条理を感じるであろう。
第二次世界大戦で軍人だけでなく、多くの民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導し、310万人もの日本人を失わせた結果責任は政府、軍責任者にあり、また統帥権を持っていた天皇についても少なくても監督責任はある。
またこの戦争において、中国、韓国を中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その精神的責任を問われても仕方がない。それが現在も韓国と中国の間で問題として戦後74年経っても尾を引いている。歴史認識の問題である。歴史的事実については、誇張や曲解がありその点は改善が必要であり、また日本国民としての信仰、信条の自由があることも理解して欲しいところではあるが、このような状況では真の相互理解は今後とも難しい。
そうだとすると、日本国民も日本の将来を左右する深刻な問題として戦争責任の問題を捉え、勇気をもって判断しなくてはならなそうだ。(2013.8.15. 2019.8.15.改定)
2013年8月15日、第2次安倍内閣が発足した年の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を収めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。信条、宗教の自由があるので、個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解したことにはならない。
それから6年後の2019年8月15日、安倍首相は稲田党総裁特別補佐を名代として玉串料を収めた。超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 尾辻秀久元参院副議長)の約50人(主に自民党と維新の会など)が集団で参拝した。また小泉進次郎議員などが個別に参拝した。
稲田党総裁特別補佐によると、首相の玉ぐし料は私費で、個人名でなされたとし、『わが国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する』との言葉を預かったと伝えられている。
日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
1、靖国神社による“A級戦犯の合祀”の意味するもの
日本のメデイアでも、首相、閣僚の靖国神社参拝は中韓両国との外交関係への影響として報道されることが多いが、この問題は、第二次世界大戦で沖縄が本土決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化すなど、甚大な被害を与えたことを考えると、日本自体の問題として考える必要がある。
靖国神社は軍人、国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための特殊な神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人も祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国の連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、他の一般戦没者と共に1978年10月に靖国神社に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”や『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
2、戦争遂行責任を曖昧にしたままでは歴史認識は定まらない
極東国際軍事裁判の公平性については疑問視する者も少なくないが、多くの国民は、300万人を越える人命と多数の都市に甚大な損害を与えた政府、軍関係者の結果責任は重大であり、そのような責任者までに『感謝と敬意』を表明することに強い違和感を持ち不条理を感じるであろう。
第二次世界大戦で軍人だけでなく、多くの民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導し、310万人もの日本人を失わせた結果責任は政府、軍責任者にあり、また統帥権を持っていた天皇についても少なくても監督責任はある。
またこの戦争において、中国、韓国を中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その精神的責任を問われても仕方がない。それが現在も韓国と中国の間で問題として戦後74年経っても尾を引いている。歴史認識の問題である。歴史的事実については、誇張や曲解がありその点は改善が必要であり、また日本国民としての信仰、信条の自由があることも理解して欲しいところではあるが、このような状況では真の相互理解は今後とも難しい。
そうだとすると、日本国民も日本の将来を左右する深刻な問題として戦争責任の問題を捉え、勇気をもって判断しなくてはならなそうだ。(2013.8.15. 2019.8.15.改定)
「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その2)再掲
日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか? (その1で掲載)
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇 (その1で掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!?
連合国は、1946年に極東国際軍事裁判所(通称東京裁判)を設置し、大東亜戦争から太平洋戦争に至る軍人中枢の他、首相、大臣等を戦争犯罪人として裁判した。
東京裁判は、昭和天皇の誕生日である同年4月29日に開始され、東郷英機首相(当時、軍人出身)はじめ25名の主要責任者が1948年11月に死刑(A級戦犯)或いは終身刑等として判決され、同年12月23日(現天皇誕生日、皇太子殿下当時)に処刑された。今回、講和条約の発行をもって日本の主権が回復したことを表明したことは、占領下で行われた東京裁判も押しつけであり、日本の意思ではないことを意味するのだろう。従って、大東亜戦争や太平洋戦争を主導した“A級戦犯”なども戦犯として処刑されるべきではなかったとの意見が出ることになろう。戦犯の復権であり、保守リビジョにストの台頭となる。
4月に麻生副首相兼財務相、古屋国家公安委員長兼拉致問題担当相他2閣僚が、また高市自民党政調会長など与党を中心とする168議員が、東郷英機などA級戦犯を多くの旧帝国軍人などと共に合祀している靖国神社を参拝した。国のために命を落とした方々の慰霊をお参りするのは当然のことであり、個人の自由というのが理由である。確かに個人として参拝するのは自由である。しかし靖国神社は、日本を戦争に導いた責任者(A級戦犯)が合祀されている。その上、戦争終盤には燃料不足のため片道だけの燃料を積んで米国艦船に突っ込んで行った戦闘機(通称神風特攻隊)などの武器が展示されてある戦争博物館(遊就館)があり、一般の神社とは異なるので、公人としての立場がある者が参拝することは、旧帝国軍隊による戦争やその責任者を容認、擁護するとの意味合いを持つので、私人の参拝とは異なる。韓国や中国が靖国参拝に反発しているのもそのような意味合いがあるからだろう。もっとも中、韓両国にも、信条、信仰の自由は民主主義社会では国際的に広く確立している基本的な自由であることを理解するよう期待したい。
東京裁判の裁判官や検察官は連合国側から派遣されたものであり、裁判は公平ではなかったとして、東京裁判の判決を尊重しないとすると、太平洋戦争の責任は誰にあったのか。
東京裁判を否定するのであれば、日本人自身が太平洋戦争の責任をきちんと総括し、判断を下すべきであろう。連合国が被った被害は東京裁判で裁かれたが、日本側にも大きな被害があった。日本人は、太平洋戦争において、この地域の戦地で兵士など約240万人死亡していると言われている。更に本土でも、沖縄では民間人を含め18万人前後、東京の空爆により10万人内外、そして広島、長崎の原爆による15万~20万人など、民間人を中心として約70万人が死亡したと言われ、東京や広島、長崎などを焦土とした。対外的な被害は被害として真摯に受け止めるべきであろうが、自国民にこれだけの被害を強いる結果となったので、このような惨劇を繰り返さないためにも責任を精査する必要があろう。
また連合国側も、沖縄や東京等の多数の民間人や民間施設等に甚大な犠牲や被害を与えており、民間人(シビリアン)など非戦闘員を保護するという陸戦法規(1899年ハーグ陸戦条約など)の趣旨に反するところであり、また広島、長崎両市への原爆という大量破壊兵器での大量殺戮(ジェノサイド)は戦争法規の趣旨や人道上の観点から、本来的には適否を問われても良いのであろう。それは今後の世界において、軍事戦略や戦術の論理だけでなく、軍事活動のシビリアン・コントロールやシビリアンの保護、人道の観点からも考え、戦争法規のあり方や核兵器や化学兵器など民間人や民間施設をターゲットとする無差別攻撃の抑止などを考える上でも必要なのかもしれない。
歴史に“もし”ということはないのだが、戦後もし世界が広島、長崎の一般人、施設等の大量殺戮や大量破壊を原子爆弾による大量殺戮(ジェノサイド)として責任を問い、国際的な処罰をしていれば、現在の核兵器国の核保有や北朝鮮など一部諸国による核兵器開発などは禁止されていたのであろう。
歴史は後ろには戻せないが、占領下の連合国による東京裁判や戦争犯罪人の処罰を否定するのであれば、戦勝国、敗戦国双方につき戦争の責任を問い直すことは出来るのであろう。(2013.4.28.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
「主権回復の日」記念式典で失われたもの (その1)再掲
2013年4月28日、政府はサンフランシスコ講和条約が発効(1952年)し、主権が回復されたことを記念して、記念式典を憲政記念館で開催した。同記念式典には、天皇皇后両陛下も出席されたが、生活、共産、社民の3党とみどりの風や沖縄県知事が欠席した。
日本は、1945年8月15日の終戦の後、米、英などの戦勝国である連合国の占領下に置かれ、主権を大きく制限されたが、サンフランシスコ講和条約の発効をもって主権が回復されたとされている。
1、現行の日本憲法は否定されるのか?
確かに日本は、講和条約の発効をもって主権を回復し、国際社会に復帰した。それでは、戦後講和条約の発効までの間は、主権が認められなかったということになるが、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。
自・公連立政権が、講和条約発効後61年も経ってこの式典を挙行したことは、現行憲法は日本の意志で作成されたものではない、従って抜本改正するということを内外に宣明したことになる。
しかし現行の民主憲法は、帝国議会で審議、採択され、46年11月3日に公布され、施行後66年を経て多くの国民に浸透している。特に戦後世代は成立の経緯は別として、この憲法を学び、広く受け入れられているのも事実である。
政府は、憲法などを連合国の占領下で押し付けられた借り物として否定し、日本を何処に導こうとしているのだろうか。現在も健在な元首相が、首相時代に日本は“天皇を中心とする神の国”と表現して不適切とされたが、天皇制を強化し、国軍を保持するなど、戦前のような制度に戻ろうとしているのだろうか。2012年12月の衆議院議員選挙で、“日本を取り戻す”と繰り返していたが、そのような公約は耳にしていない。
2、影を落とした“国民統合の象徴”である天皇 (その2に掲載)
3、占領下の「東京裁判」も否定される!? (その3に掲載)
(2013.4.28.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)