首相官邸・内閣府、法令遵守崩壊か!?(改訂/補足版)
<まえがき>
コロナ禍への対応が緩和されし始めたときにし始めた時に明るみに出た中古車販売・買取会社ビッグモーターの保険金詐欺事件は通常の取引常識を大きく逸脱するもので、これではビジネスを信用できない。しかし法令違反(コンプライアンス違反)はこれに止まらない。東京オリンピックを巡る不正の数々や個人レベルでの殺人や幼児殺害等、常識を遙かに越えた身勝手な犯罪が日常的に起きている。倫理、コンプライアンス意識の崩壊と言える。政府レベルでも、本来ならば3大多数の大多数の賛同を得て実施されるべき国葬を内閣だけで決定するという法令軽視から自衛隊隊員による殺人、セクハラなど国全体の各層、各分野でコンプライアンス意識が後退している。それには8年間に及ぶ布石があり、それがマスコミ、知識人、経済界等の間で容認されていたからだ。
それは安倍政権から始まった。
2021年9月29日、自民党総裁に岸田元外相(元党政調会長)が選ばれ、10月4日の臨時国会で首相に指名される。組閣に先立ち党の役員人事が決まったが、幹事長や総務会長、政調会長など主要役員は総裁選で支持した細田・安倍派と麻生派で固め、官房長官候補にも自派閥からではなく安倍元首相が属する細田派、財務相候補にも麻生派からの起用と伝えられ、中核となる閣僚も自派閥は別として、細田・安倍派で固めるものと見られている。これは一般的には安倍・麻生ラインを踏襲との表現で済まされるところだが、実体的には、安倍・麻生ラインで封じられた森友学園問題での「有印公文書偽造」や「桜を見る会に関連する地元有権者への利益供与」などを蒸し返さず、封じ込める結果となると予想される。このいずれの問題も、誰であろうとも、行政や政治におけるコンプライアンス(法令遵守)を大きく損ない、行政の信頼性だけでなく民主主義の基礎を損なうもの問題である。くしくも今回の総裁選は、麻生氏自身から「権力闘争」と言われている。マスコミや有識者、有権者がこの問題に口をつぐめば、この権力に屈することを意味する。それも1つの処世術ではあるが、問題の重要性から本稿を再掲する。(2021.10.3. 2023.7.29.追補)
首相官邸はじめとして政権中枢部局は、森友学園問題での公文書の廃棄、文書の書き換え・改ざんや加計学園問題での縁故者優遇などを背景として、首相主催の「桜を見る会」の招待者リストの廃棄、コンピュータ・データの廃棄、破壊など、行政の公正さ、透明性、そのための検証を確保出来ない状態になってきているように映る。行政官僚は、行政の公正、公平よりは、そのような政権の意向を忖度し、政権の意向を優先するようになる。行政官僚も生活のため、保身に走るのも仕方ないのかも知れないが、一般国民にとっては事態は深刻だ。
そのような行政の信頼性を失わせるような状況で、東京高検の検事長の定年63歳を延長する「閣議決定」がなされた。政府は、上記の閣議決定に先立って、「従来国家公務員法に基づく定年60歳の延長は検察官には適用されない」との解釈を所管の法務大臣が口頭で変更し、当該検事長の定年についても「国家公務員法を適用できる」との解釈を採択していたとされる。
このような中で自・公政権は、国家公務員の定年引き上げ法案と共に、検察庁法改正案を併せて閣議決定し(3月13日)、通常国会も終盤に入った段階で採決をしようとしている。本検察庁改正法案では、検察官の定年を現行の63歳から段階的に65歳に引き上げ、高検検事長や検事正などの幹部は63歳でポストを退く「役職定年」も設け、その後は「特例」で定年延長を最大3年間可能にし、検事総長については「特例」で最長68歳まで延ばすことが可能になるようだ。
1、検察官の定年延長については、法改訂が不可欠
検察官も広義では国家公務員ではあるが、時の政権や政党、諸団体、社会等の影響を受けることなく、独立性を保てるよう「検察庁法」が定められている。
検察庁法は、一般国家公務員と区別し、検察官が時の政権や政党、利益団体の圧力に対抗できるよう、心神喪失等と認められる場合を除き、罷免されないよう法律で保護している。定年についても国家公務員に比し不利とならず、定年延長の判断に左右されないよう、63歳として優遇している。従って、既に保護、優遇されているので、定年延長の規定もない。政権等からの介入を防ぐためでもある。
定年延長の規定がない以上、検事長を含め検事の定年延長には法律改正が不可欠と言えよう。
法律を守るべき法務大臣が、検事長の定年延長を‘口頭で了承した’としているようであるが、国民には、「法律でございます、規則でございます」などと言わせておきながら、自らは法律軽視、法律無視であり、言語道断だ。文書による決裁がなされておらず、事務方が文書決裁としなかったのは、文書での決裁には広範な部局の決済が必要であるが、事実上それが不可能であり、事務方が拒んだことを意味するのかも知れない。そうだとすると、事務方にも多少の良心が残っているとも言えるので、救いではあるが、疑義が呈されたときに誰も責任を取らず、‘無かったことにする’ためのこの政権の常套手段と思われ、行政の闇がここまで広がっていると言えよう。法務大臣がこれをやり通したことは、上からの指示で、検察といえども人事に介入するとの政権の意図が見える。
また定年延長を‘受諾‘し居座っている黒川検事長については、国民に「法律違反の嫌疑を掛ける立場」でありながら、法律違反に当たる定年延長を受けるとは、何と見識の無いことか。その程度の法律の理解では、国民に嫌疑を掛ける資格は全くない。自ら身を引くべきであろう。そうでないと検察当局とは、こんなところかとの印象を国民に与える。
定年延長自体は、一般国家公務員も65歳定年に向け法改正を行う予定とみられるが、検察官についても検察庁法の改正によって行うベきであろう。それまでは、法律を守るのが当たり前だ。
この問題をメデイアや言論界が仕方ないとしてやり過ごすとすれば、由々しきことだ。また民間調査・研究機関等も経済問題を含め全く頼りにならない。
国家公務員の定年引き上げ法案については良いが、検察庁法改正案については、一見、一般国家公務員の定年を65歳に引き上げる国家公務員法改正案と一本化するかたち見えるが、次の通り検事の独立性の確保の上で根本的な問題を抱えている。
(1)検察官は、一般国家公務員と区別し、検察庁法を別途規定して、検察官が時の政権や政党、利益団体等の圧力に対抗できるよう、法律で保護し、定年についても現行法の国家公務員60歳定年に対し63歳として優遇している。検察庁法改正により定年は65歳までとなるが、一般公務員と同様となり保護も「優遇」もされなくなる。更に検事総長や検事長らの検察幹部は63歳で定年となり、その後は1年毎に最大3年間定年延長が可能になるが、「特例規定」により法相または内閣が判断することになり、一般公務員より抑制され、不利になる可能性ある。さらに検事総長については、法相または内閣の判断により最長68歳まで延ばすことが可能となるが、検察幹部は常に法相や内閣の顔色をうかがって仕事しなくてはならない。それでは検察の独立性などないことになる。
(2)首相は、「恣意的判断は入らない」などとしているが、上記の通り、黒川検事長を検察庁法上の規定に従わず、内閣の判断で6ヶ月定年を延長している。これは内閣による行政判断が法律を上回るという法律無視、下克上的姿勢であり、まさに内閣による「恣意的判断」に他ならない。そのような「恣意的判断」をして置きながら、「恣意的判断はしない」と言われても誰も信じないであろう。
(3)法相は、「三権分立に反しない」などと言っているが、訴追をする検察官は行政に属する公務員であり、裁判所の問題ではないので、当たり前のことで、単なる言い逃れとしか聞こえない。しかし検察官は、国民を罪人として訴追する側として、権力のある者にもない者に対しても公正、公平であるべきとの観点から、圧力に屈しないように法律で一定の保護をしている。そのために一般国家公務員法とは別に検察庁法を規定しているのであり、首相側や与党はその趣旨を理解しようとはせず、逆にそれを歪めようとしている。
政権側の説明は、言行不一致で不誠実であり、連立政権を担っている自民、公明党両党の議員がこれを支持しているとすれば、両党議員も正義からほど遠く、国民の代表として再び国会に送るべきか大いに疑問が残る。
2、「桜を見る会」など、官邸のコンプライアンス違反の常態化
「桜を見る会」については、確かに何人招待したかなど、たいした問題でもない。しかし行政当局による招待者リストの棄却、更にコンピュータ・データの消去にとどまらず、データを蓄積している基盤まで破壊したとしていることは、非常に悪質で、深刻だ。これでは政権内で不正が行われていても懸賞不能になる。国民の7割以上が十分説明しているとは思わないとしている。
その理由が「個人情報保護」、プライバシーなどと主張しているが、全く理由にもならない。首相が国家、国民に貢献し、功績、功労があった者を招待し、労をねぎらうことを目的としており、そうだとすれば招待された者は世の中に大なり小なり知られた方々であろうから、名前や功績の内容、出身地などは既にそれぞれの分野では知られており、その範囲であれば個人情報保やプライバシーを侵害することは一切無いであろう。会の趣旨からして氏名や出身地域などを公表することは何ら問題ない上に、当事者にとっては光栄なことであろう。この会の趣旨にも反する訳の分からない理由に、いわば納得している形のマスコミやコメンテーターと称する人たちは一体何なのであろうか。
2019年の首相主催「桜を見る会」には約1万8200人もの人が各分野、各都道府県より招待され、5,000万円以上が公費から支出されている。その内山口県については、安倍事務所の推薦で参加した者は何と800名以上にものぼっている。安倍事務所関係だけでそんなに多くの功績、功労者がいるとは考えられないが、山口県の誇りだ、氏名を公表して欲しいものだ。
しかし公費を使っているので関心もしていられない。5,000万円以上の公費を使っており、予算(毎年1,700万円程度)の3倍前後も使っているのに、精算、決算の裏付けとなる招待者リストも跡形もなく直後に廃棄されているとされているので、内閣府内の精算、決算が如何にずさんかを物語っている。こんなにずさんな形で差額が補填されているとすれば、官房機密費が充てられている可能性もあるが、いずれにしても公費であるので、こんなにずさんに公費が使われるのでは国民としても納得できないであろう。会計検査院や決算委による個別検査が望まれる。費用の根拠となる招待者数、参加者数は、招待者リストに基づくが、招待者数の適否を査定するためには被招待者が、招待されるにふさわしい業績、功労があるかを点検する必要もあろう。それを精算、決算前に資料を消したということになり、とても常識では考えられない。
「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」については、2019年4月に某大手ホテルで行われた趣だが、地元の安倍事務所が推薦、斡旋した800人ほどが参加したと伝えられている。会費が1人5,000円とされるが、高級寿司店まで入っている会合であるので、通常は1人15,000円~20,000円内外と予想され、差額1人1万円内外はホテル側が宿泊代から割り引かれたことになる。予算委員会での首相答弁では、安倍事務所がホテル側と話し、そのような取り扱いとし、また会費領収書はホテル側より各参加者に出すことにした旨説明されている。常識的には考えにくい手法だが、もしそのようにされていたとすれば、政治資金規正法の報告義務の悪質な‘脱法行為’と言えよう。こんなことが認められて良いのか。選挙管理委員会は、このようなやり方が適正か否か、見解を出すべきであろう。
だが、実体的には安倍事務所の要請でホテル側が安倍事務所推薦の参加者に利益便宜がなされたことは明らかだ。宴会場の入り口で会費やご祝儀を受け取ったのは安倍事務所関係者や後援会関係者であろうから、金の授受がなかったとは思えないが、いずれにしても、実体的には安倍事務所の口利きで、各参加者に対し1万円内外の利益が供与されたことになる。またホテルに宿泊しなかった参加者も参加費5,000円とすると差額は誰が支払ったかの問題もある。だから差額はホテル側が持ったとする説明はまずあり得ない。
また800名内外の参加者がホテルから10台以上のバスを連ねて会場の新宿御苑に向かったとされるが、バスの借り上げ代は誰が払ったのか。まさか各人がバス会社に払ったとはいえないだろう。ここにも安倍事務所の地元参加者への利益供与の可能性がある。
このような問題を、コロナウイルス肺炎の脅威がある中で、何時までも追求すべきではないとする意見やコメントが聞かれるが、それこそ危険な意見だ。危機を持ち出して、国民を黙らせる手法は、往々にして独裁国家に導く恐れがある。第2次世界大戦もその1例だろう。
こんなことを何時までも続けていれば、行政システムは適正に維持できないばかりか、良心を持つ有為な人材は確保出来なくなるだろう。新型コロナウイルス肺炎の問題はそれとして緊急に対応しなければならない。今優先して行うべきことは、検査体制の拡充と医療機関受け入れ体制の強化であろう。同時に、この状態で対応に当たっている首相はじめ関係閣僚、事務方、及び与野党議員はじめ関係者の尽力には敬意と感謝の意を表したい。
しかし行政システムを適正に保ち、健全な民主主義を維持して行くための努力は続けていかなければ、健全な国家、健全な国民生活は維持できない。
3、行政府内のチェック機能が機能不全
このような首相官邸を中心とする指導部のコンプライアンスの崩壊により、会計検査院、人事院、内閣法制局、そして検察庁という行政府内のチェック機能がほとんど機能しない機能不全の状態に陥っている。
首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、関係省庁が一国一城のあるじ的な存在となり、政策や人事が各省庁にほとんど委ねられ、縦割り行政の弊害がなくなることは望ましいことである。しかし現政権では、官邸トップによる人事権が強くなり過ぎて、個別の措置などについてトップの意向に沿うよう行動していないと不利益があるとの意識が行政各部に広がり、行政府内部のチェック機能が低下しているように見える。人事権の乱用であり、恣意的な人事の横行である。
その好例が、検察幹部への恣意的な人事であった。本来であれば、検察庁法改正案は、法律違反であり、内閣での決定を避けるべきであった。人事院や内閣法制局が沈黙を余儀なくされた。森友問題での国有地の捨て値の払い下げについても会計検査院が特別検査を実施すべきであった。
首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、縦割り行政の弊害が除去されることは良いが、官邸による人事権の乱用、恣意的な行使を今後どうチェックできるかが課題となった。
(2020.3.10.2020.5.15.一部改訂、同年6.18.第3項追加)
首相官邸・内閣府、法令遵守崩壊か!?(改訂/補足版)
<まえがき>
コロナ禍への対応が緩和されし始めたときにし始めた時に明るみに出た中古車販売・買取会社ビッグモーターの保険金詐欺事件は通常の取引常識を大きく逸脱するもので、これではビジネスを信用できない。しかし法令違反(コンプライアンス違反)はこれに止まらない。東京オリンピックを巡る不正の数々や個人レベルでの殺人や幼児殺害等、常識を遙かに越えた身勝手な犯罪が日常的に起きている。倫理、コンプライアンス意識の崩壊と言える。政府レベルでも、本来ならば3大多数の大多数の賛同を得て実施されるべき国葬を内閣だけで決定するという法令軽視から自衛隊隊員による殺人、セクハラなど国全体の各層、各分野でコンプライアンス意識が後退している。それには8年間に及ぶ布石があり、それがマスコミ、知識人、経済界等の間で容認されていたからだ。
それは安倍政権から始まった。
2021年9月29日、自民党総裁に岸田元外相(元党政調会長)が選ばれ、10月4日の臨時国会で首相に指名される。組閣に先立ち党の役員人事が決まったが、幹事長や総務会長、政調会長など主要役員は総裁選で支持した細田・安倍派と麻生派で固め、官房長官候補にも自派閥からではなく安倍元首相が属する細田派、財務相候補にも麻生派からの起用と伝えられ、中核となる閣僚も自派閥は別として、細田・安倍派で固めるものと見られている。これは一般的には安倍・麻生ラインを踏襲との表現で済まされるところだが、実体的には、安倍・麻生ラインで封じられた森友学園問題での「有印公文書偽造」や「桜を見る会に関連する地元有権者への利益供与」などを蒸し返さず、封じ込める結果となると予想される。このいずれの問題も、誰であろうとも、行政や政治におけるコンプライアンス(法令遵守)を大きく損ない、行政の信頼性だけでなく民主主義の基礎を損なうもの問題である。くしくも今回の総裁選は、麻生氏自身から「権力闘争」と言われている。マスコミや有識者、有権者がこの問題に口をつぐめば、この権力に屈することを意味する。それも1つの処世術ではあるが、問題の重要性から本稿を再掲する。(2021.10.3. 2023.7.29.追補)
首相官邸はじめとして政権中枢部局は、森友学園問題での公文書の廃棄、文書の書き換え・改ざんや加計学園問題での縁故者優遇などを背景として、首相主催の「桜を見る会」の招待者リストの廃棄、コンピュータ・データの廃棄、破壊など、行政の公正さ、透明性、そのための検証を確保出来ない状態になってきているように映る。行政官僚は、行政の公正、公平よりは、そのような政権の意向を忖度し、政権の意向を優先するようになる。行政官僚も生活のため、保身に走るのも仕方ないのかも知れないが、一般国民にとっては事態は深刻だ。
そのような行政の信頼性を失わせるような状況で、東京高検の検事長の定年63歳を延長する「閣議決定」がなされた。政府は、上記の閣議決定に先立って、「従来国家公務員法に基づく定年60歳の延長は検察官には適用されない」との解釈を所管の法務大臣が口頭で変更し、当該検事長の定年についても「国家公務員法を適用できる」との解釈を採択していたとされる。
このような中で自・公政権は、国家公務員の定年引き上げ法案と共に、検察庁法改正案を併せて閣議決定し(3月13日)、通常国会も終盤に入った段階で採決をしようとしている。本検察庁改正法案では、検察官の定年を現行の63歳から段階的に65歳に引き上げ、高検検事長や検事正などの幹部は63歳でポストを退く「役職定年」も設け、その後は「特例」で定年延長を最大3年間可能にし、検事総長については「特例」で最長68歳まで延ばすことが可能になるようだ。
1、検察官の定年延長については、法改訂が不可欠
検察官も広義では国家公務員ではあるが、時の政権や政党、諸団体、社会等の影響を受けることなく、独立性を保てるよう「検察庁法」が定められている。
検察庁法は、一般国家公務員と区別し、検察官が時の政権や政党、利益団体の圧力に対抗できるよう、心神喪失等と認められる場合を除き、罷免されないよう法律で保護している。定年についても国家公務員に比し不利とならず、定年延長の判断に左右されないよう、63歳として優遇している。従って、既に保護、優遇されているので、定年延長の規定もない。政権等からの介入を防ぐためでもある。
定年延長の規定がない以上、検事長を含め検事の定年延長には法律改正が不可欠と言えよう。
法律を守るべき法務大臣が、検事長の定年延長を‘口頭で了承した’としているようであるが、国民には、「法律でございます、規則でございます」などと言わせておきながら、自らは法律軽視、法律無視であり、言語道断だ。文書による決裁がなされておらず、事務方が文書決裁としなかったのは、文書での決裁には広範な部局の決済が必要であるが、事実上それが不可能であり、事務方が拒んだことを意味するのかも知れない。そうだとすると、事務方にも多少の良心が残っているとも言えるので、救いではあるが、疑義が呈されたときに誰も責任を取らず、‘無かったことにする’ためのこの政権の常套手段と思われ、行政の闇がここまで広がっていると言えよう。法務大臣がこれをやり通したことは、上からの指示で、検察といえども人事に介入するとの政権の意図が見える。
また定年延長を‘受諾‘し居座っている黒川検事長については、国民に「法律違反の嫌疑を掛ける立場」でありながら、法律違反に当たる定年延長を受けるとは、何と見識の無いことか。その程度の法律の理解では、国民に嫌疑を掛ける資格は全くない。自ら身を引くべきであろう。そうでないと検察当局とは、こんなところかとの印象を国民に与える。
定年延長自体は、一般国家公務員も65歳定年に向け法改正を行う予定とみられるが、検察官についても検察庁法の改正によって行うベきであろう。それまでは、法律を守るのが当たり前だ。
この問題をメデイアや言論界が仕方ないとしてやり過ごすとすれば、由々しきことだ。また民間調査・研究機関等も経済問題を含め全く頼りにならない。
国家公務員の定年引き上げ法案については良いが、検察庁法改正案については、一見、一般国家公務員の定年を65歳に引き上げる国家公務員法改正案と一本化するかたち見えるが、次の通り検事の独立性の確保の上で根本的な問題を抱えている。
(1)検察官は、一般国家公務員と区別し、検察庁法を別途規定して、検察官が時の政権や政党、利益団体等の圧力に対抗できるよう、法律で保護し、定年についても現行法の国家公務員60歳定年に対し63歳として優遇している。検察庁法改正により定年は65歳までとなるが、一般公務員と同様となり保護も「優遇」もされなくなる。更に検事総長や検事長らの検察幹部は63歳で定年となり、その後は1年毎に最大3年間定年延長が可能になるが、「特例規定」により法相または内閣が判断することになり、一般公務員より抑制され、不利になる可能性ある。さらに検事総長については、法相または内閣の判断により最長68歳まで延ばすことが可能となるが、検察幹部は常に法相や内閣の顔色をうかがって仕事しなくてはならない。それでは検察の独立性などないことになる。
(2)首相は、「恣意的判断は入らない」などとしているが、上記の通り、黒川検事長を検察庁法上の規定に従わず、内閣の判断で6ヶ月定年を延長している。これは内閣による行政判断が法律を上回るという法律無視、下克上的姿勢であり、まさに内閣による「恣意的判断」に他ならない。そのような「恣意的判断」をして置きながら、「恣意的判断はしない」と言われても誰も信じないであろう。
(3)法相は、「三権分立に反しない」などと言っているが、訴追をする検察官は行政に属する公務員であり、裁判所の問題ではないので、当たり前のことで、単なる言い逃れとしか聞こえない。しかし検察官は、国民を罪人として訴追する側として、権力のある者にもない者に対しても公正、公平であるべきとの観点から、圧力に屈しないように法律で一定の保護をしている。そのために一般国家公務員法とは別に検察庁法を規定しているのであり、首相側や与党はその趣旨を理解しようとはせず、逆にそれを歪めようとしている。
政権側の説明は、言行不一致で不誠実であり、連立政権を担っている自民、公明党両党の議員がこれを支持しているとすれば、両党議員も正義からほど遠く、国民の代表として再び国会に送るべきか大いに疑問が残る。
2、「桜を見る会」など、官邸のコンプライアンス違反の常態化
「桜を見る会」については、確かに何人招待したかなど、たいした問題でもない。しかし行政当局による招待者リストの棄却、更にコンピュータ・データの消去にとどまらず、データを蓄積している基盤まで破壊したとしていることは、非常に悪質で、深刻だ。これでは政権内で不正が行われていても懸賞不能になる。国民の7割以上が十分説明しているとは思わないとしている。
その理由が「個人情報保護」、プライバシーなどと主張しているが、全く理由にもならない。首相が国家、国民に貢献し、功績、功労があった者を招待し、労をねぎらうことを目的としており、そうだとすれば招待された者は世の中に大なり小なり知られた方々であろうから、名前や功績の内容、出身地などは既にそれぞれの分野では知られており、その範囲であれば個人情報保やプライバシーを侵害することは一切無いであろう。会の趣旨からして氏名や出身地域などを公表することは何ら問題ない上に、当事者にとっては光栄なことであろう。この会の趣旨にも反する訳の分からない理由に、いわば納得している形のマスコミやコメンテーターと称する人たちは一体何なのであろうか。
2019年の首相主催「桜を見る会」には約1万8200人もの人が各分野、各都道府県より招待され、5,000万円以上が公費から支出されている。その内山口県については、安倍事務所の推薦で参加した者は何と800名以上にものぼっている。安倍事務所関係だけでそんなに多くの功績、功労者がいるとは考えられないが、山口県の誇りだ、氏名を公表して欲しいものだ。
しかし公費を使っているので関心もしていられない。5,000万円以上の公費を使っており、予算(毎年1,700万円程度)の3倍前後も使っているのに、精算、決算の裏付けとなる招待者リストも跡形もなく直後に廃棄されているとされているので、内閣府内の精算、決算が如何にずさんかを物語っている。こんなにずさんな形で差額が補填されているとすれば、官房機密費が充てられている可能性もあるが、いずれにしても公費であるので、こんなにずさんに公費が使われるのでは国民としても納得できないであろう。会計検査院や決算委による個別検査が望まれる。費用の根拠となる招待者数、参加者数は、招待者リストに基づくが、招待者数の適否を査定するためには被招待者が、招待されるにふさわしい業績、功労があるかを点検する必要もあろう。それを精算、決算前に資料を消したということになり、とても常識では考えられない。
「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」については、2019年4月に某大手ホテルで行われた趣だが、地元の安倍事務所が推薦、斡旋した800人ほどが参加したと伝えられている。会費が1人5,000円とされるが、高級寿司店まで入っている会合であるので、通常は1人15,000円~20,000円内外と予想され、差額1人1万円内外はホテル側が宿泊代から割り引かれたことになる。予算委員会での首相答弁では、安倍事務所がホテル側と話し、そのような取り扱いとし、また会費領収書はホテル側より各参加者に出すことにした旨説明されている。常識的には考えにくい手法だが、もしそのようにされていたとすれば、政治資金規正法の報告義務の悪質な‘脱法行為’と言えよう。こんなことが認められて良いのか。選挙管理委員会は、このようなやり方が適正か否か、見解を出すべきであろう。
だが、実体的には安倍事務所の要請でホテル側が安倍事務所推薦の参加者に利益便宜がなされたことは明らかだ。宴会場の入り口で会費やご祝儀を受け取ったのは安倍事務所関係者や後援会関係者であろうから、金の授受がなかったとは思えないが、いずれにしても、実体的には安倍事務所の口利きで、各参加者に対し1万円内外の利益が供与されたことになる。またホテルに宿泊しなかった参加者も参加費5,000円とすると差額は誰が支払ったかの問題もある。だから差額はホテル側が持ったとする説明はまずあり得ない。
また800名内外の参加者がホテルから10台以上のバスを連ねて会場の新宿御苑に向かったとされるが、バスの借り上げ代は誰が払ったのか。まさか各人がバス会社に払ったとはいえないだろう。ここにも安倍事務所の地元参加者への利益供与の可能性がある。
このような問題を、コロナウイルス肺炎の脅威がある中で、何時までも追求すべきではないとする意見やコメントが聞かれるが、それこそ危険な意見だ。危機を持ち出して、国民を黙らせる手法は、往々にして独裁国家に導く恐れがある。第2次世界大戦もその1例だろう。
こんなことを何時までも続けていれば、行政システムは適正に維持できないばかりか、良心を持つ有為な人材は確保出来なくなるだろう。新型コロナウイルス肺炎の問題はそれとして緊急に対応しなければならない。今優先して行うべきことは、検査体制の拡充と医療機関受け入れ体制の強化であろう。同時に、この状態で対応に当たっている首相はじめ関係閣僚、事務方、及び与野党議員はじめ関係者の尽力には敬意と感謝の意を表したい。
しかし行政システムを適正に保ち、健全な民主主義を維持して行くための努力は続けていかなければ、健全な国家、健全な国民生活は維持できない。
3、行政府内のチェック機能が機能不全
このような首相官邸を中心とする指導部のコンプライアンスの崩壊により、会計検査院、人事院、内閣法制局、そして検察庁という行政府内のチェック機能がほとんど機能しない機能不全の状態に陥っている。
首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、関係省庁が一国一城のあるじ的な存在となり、政策や人事が各省庁にほとんど委ねられ、縦割り行政の弊害がなくなることは望ましいことである。しかし現政権では、官邸トップによる人事権が強くなり過ぎて、個別の措置などについてトップの意向に沿うよう行動していないと不利益があるとの意識が行政各部に広がり、行政府内部のチェック機能が低下しているように見える。人事権の乱用であり、恣意的な人事の横行である。
その好例が、検察幹部への恣意的な人事であった。本来であれば、検察庁法改正案は、法律違反であり、内閣での決定を避けるべきであった。人事院や内閣法制局が沈黙を余儀なくされた。森友問題での国有地の捨て値の払い下げについても会計検査院が特別検査を実施すべきであった。
首相官邸の政策遂行上のリーダーシップが強化され、縦割り行政の弊害が除去されることは良いが、官邸による人事権の乱用、恣意的な行使を今後どうチェックできるかが課題となった。
(2020.3.10.2020.5.15.一部改訂、同年6.18.第3項追加)
マスメデイアの限界!既成政治へのノーを読めなかった世論調査!(その1)(再掲)
2017年1月20日、第45代米国大統領としてドナルド・トランプ大統領が就任した。同日の就任演説では、まずワシントンの‘既成政治’は自らの利益を追求し、‘国民の利益’にはならなかった、トランプ政権では、‘権力を国民の手に返す’としてワシントンの既成政治を否定した。その上で、同政権は、唯一の判断基準として‘アメリカ・ファースト’を掲げ、アメリカの製品を購入し、アメリカ人を雇用するなど、米国の国益追求の姿勢と対外的にはイスラム過激派の排除を明らかにした。
しかし同国のマスメデイアは、トランプ大統領の就任直前の世論調査の人気では、オバマ前大統領やブッシュ元大統領などに比して低く、40%であることを伝え、また就任式では、一般参加者の数がこれら前、元大統領に比して少ないことを、解説や映像を通して伝えた。これに対しトランプ大統領自身や大統領報道官は、2016年11月の大統領選挙の際、マスメデイアは予測を誤り、今回も正しくない報道に終始したとしてマスメデイアの報道姿勢を強く批判した。
またトランプ大統領は、就任後矢継ぎ早に大統領令を出し、米国の国土安全保障のためとしてシリア、イラク、イラン、イエメン、リビア、スーダン、ソマリアの国際テロ支援国を含むテロ脅威国7か国からの米国への入国を90日間停止し、また難民受け入れを120日間停止する大統領令に署名した。これに対し多くのマスメデイアや評論家等が国籍による差別や人道上などの理由で批判している。
なお、この7か国に対する入国停止の大統領令については、カリフォルニア州の連邦控訴裁判所において取り下げの判決が確認され、効力を失ったが、トランプ政権側は別の大統領令を出すとしている。先の大統領令は既にオバマ政権下で発給されたビザ保持者にも適用されることから、配慮に欠ける面があり、取り消しも止むを得なかったと言えよう。しかし現在の世界は、国境を有する国家を前提とし、外国人への渡航ビザ発給はそれぞれの国家の主権に属することであるので、外交関係や国家安全保障、疫病対策等で、渡航を制限することは可能であるので、何らかの新措置が取られる可能性がある。
確かに、戦後のマスメデイアによる報道に親しんで来た多くの人にとっては、こうした米国の報道振りに余り疑問もなく接して来た。しかし米国のほとんどのマスメデイアは、大統領選挙前の世論調査においてクリントン候補50%超、トランプ候補約40%とし、予想を誤った。そして大統領就任に際して公表したトランプ大統領の人気(支持率)も40%であり、大統領選挙前の誤った数値とほぼ同じであるので、この数値は信じて良いのか疑問が持たれても仕方がない。
今回米国マスメデイアは、1月20日の大統領就任式典への参加者が少なかった一方、多くの抗議デモが行われたなどとして、トランプ同大統領の‘不人気振り’を報道した。しかし既存の映像メデイアには、それぞれのアングルがあり、全てを伝えているとは思えないと同時に、建物に物を投げ、自動車に火を付けるなどの暴力行為を行っていた一部のデモ隊などを見ると、一概に反対している群衆が正しいとも言えそうにない。どちらかと言うと政争の色彩が強い。
既成のマスメデイアやそれによる‘世論調査’は、国民に何を見せ、何を見せていないのか。大統領報道官は、‘もう一つの事実(Alternative Facts)’としているが、これまでマスメデイアにより伝えられていなかった’事実‘とは何か。
1、結果を予想出来なかった世論調査―英国のEU脱退と米国大統領選
英国は、EU(欧州連合)からの脱退か残留かを問う国民投票において、2016年6月23日、離脱支持が投票総数の約52%、1,740万票、残留が約48%、1,610万票で、EU離脱を選択した。投票率は約72%で、高い関心の中での選択と言えるが、同国の主要マスメデイアの世論調査や予想に反する結果となった。日本のマスメデイアも、いわゆるコメンテータや専門家等を含め、‘僅差ではあるが残留支持’が大方の見方であった。株式市場もそのようなマスメデイアの予想に基ついて楽観していたが、英国のEU離脱というショックウエーブが広がり株価やポンドは大幅に下落した。英国のEU離脱が日本のメデイアでは予想外の結果となり、市場は方向感覚を失い、欧州市場に追随した形だ。
そして11月8日の米大統領選挙において、米国は主要マスメデイアの世論調査や予想に反し、共和党ドナルド・トランプ候補を次期大統領として選んだ。州ごとに選ばれた選挙人数は、トランプ氏が306人、民主党のクリントン前国務長官が232人をそれぞれ獲得し、トランプ候補が選挙人数では過半数を制した。投票率は、不人気同士の大統領選挙と言われていたが、54%台で、各候補の得票率はそれぞれ46%台、48%台であり、劣勢とされていた。トランプ氏が優勢との報道が流れると日本の株価は大幅に下落した。しかしトランプ次期大統領が、大統領補佐官はじめ大統領府の布陣に加え、財務長官や商務長官などの主要閣僚の人事を発表し始めると、米国の株価及びドルが大幅高となっており、‘トランプ・ショック’は‘トランプ効果’となった。そして1月20日の大統領就任後は、選挙戦中に約束した事項につき矢継ぎ早に大統領令が出されるたびにマスメデイアは一様に戸惑いを示した。選挙後のトランプ効果は後退し、トランプ不安が広がり、右往左往の状態となった。
また2016年12月4日、イタリアで実施された憲法改正のための国民投票では、否決され、憲法改正を推進していたレンツィ首相が辞任した。目まぐるしく政権が変わるイタリアにおいて、政権を安定させるために上院の権限を大幅に縮小することを目的とした憲法改正への国民投票であったが、大衆の不満に率直な賛同を表明する人民主義政党(ポピュリズム)として行動する「五つ星運動」などに押され、予想に反する結果となった。
世界の既成マスメデイアの世論調査は、何故予想に失敗したのか。
2、既成の世論調査の問題点
戦後欧米で採用されている世論調査は、多くの場合、無作為で一定数の回答者を選択し、回答があった数を基に賛否などの比率を出している。無作為で回答者を選択しているので、‘公平’、‘中立’とみなされているが、これまでの方法ではカバー出来ない層がある。
1)まず回答率の問題がある。個々の調査により差はあるが、回答率はせいぜい60%前後で、概ね40%前後は無回答であるが、意見を持っていないということではない。賛否の比率等は回答者数で行われるが、4割前後ほどの無回答者の動向如何では、結論が大きく変わる可能性がある。
調査は特定のメデイアが実施するが、各メデイアが既成政党を支持する等、一定の傾向を持っていることが多く、そのような偏向に好感を持っていない対象者は、調査に応じないであろう。一般的に有権者の約4割前後は無党派層、或いは無関心層であり、選挙やこのような世論調査を敬遠、拒否する傾向が強いが、意見を持っていないということではない。米国でも同様だ。他方調査メデイアに好意的な対象者を中心に回答することになり、調査メデイアの傾向がより強く反映されるのは当然のことであろう。事実、保守系メデイアが行う世論調査では、保守党支持が顕著に高くなる傾向があることは衆知のことだ。
このような無党派層、無回答層を排除した統計は、世論の全体を反映せず、調査主体により偏向が出やすくなる。
少なくても賛否の比率は、調査対象者(所在が分からなかった者を除く)をベースとして出すべきであろう。
2)情報伝達メデイアの変化
情報伝達の手段は、戦後マスメデイア化した新聞やテレビを媒体とするものから、デジタル媒体に移っている。既成の新聞やテレビは、巨大化、商業化すると共に、既成社会の一部となり、読者や視聴者に影響を与え、類似性の高い‘既成世論’とも言うべき世論やいわゆる‘常識’といわれる意見を形成している。従って、それがあたかも広く共有された‘常識’とみなされ、それと異なる意見を表明し難くしている。マスメデイアの調査に対し、そのマスメデイアが期待している意見に近い意見が述べられることが多いのもその一例であろう。またコメンテーターや専門家、有識者なども、マスメデイアが期待する意見に反しないコメント等をすることが多い。それに反することを言えば姿が消える。
マスメデイアの更なる巨大化で、より多くの多様性を伝達すると思われたが、政治的には、特定政党を支持するか、支持政党の立場を代弁している場合が多いので、一定の方向性を持つと共に、類似性が高まることになり、それが繰り返し、繰り返し伝えられることにより、一定の世論や‘常識’が形成されて行く。そのメデイアによる調査では、結果が一定の方向性を持つことは不思議ではない。
米国の、ニューヨークタイムズは民主党支持であり、ワシントンポストやウオールストリートジャーナルは共和党支持であるし、日本の主要都市新聞やテレビ局も同様である。
このような中で、4割内外の無党派層や不回答層の意見は、選挙においても、マスメデイアによる世論調査などでも、ほとんど相手にされず、対象外とされて来たと言えよう。いわば場外世論だ。
しかしデジタル情報手段の普及により、これらマスメデイアに依存することなく、ツイッター、フエイスブック、ユーチューブ、インスタグラム、ラインなどのWebやSNSメデイアを通じ意見やコメントの発信、拡散が可能になった。その拡散力は瞬間的で広範に及ぶ場合がある。トランプ氏は、大統領候補の時からこれを巧みに活用していたと言えよう。
従来気にも止められなかった無党派層や不回答層をどのように世論に反映させるかが今後の課題だ。そのため世論調査等の方法や手段も工夫が必要になっている。
2016年当初は、不動産王の泡沫候補とマスメデイアを通じ報道されていたトランプ候補があれよあれよと言う間に共和党の大統領候補となり、そして3回のテレビ討論などを経て、クリントン候補優勢と諸‘世論調査’が伝えていたが、大統領選挙ではトランプ候補が選挙人の過半数を制した。そして選挙人による最終投票においては、トランプ支持の選挙人の何人かはクリントン候補に寝返るなどと報道されていたが、これら報道は見事に外れた。読者や視聴者にその理由を説明する責任がありそうだ。
3.既成政治の否定とポピュリズム (その2に掲載)
4、戦後の既成政治で多くの問題が未解決 (その2に掲載)
(2017.2.17.)(All Rights Reserved)
野田佳彦元首相、下野して偉業達成! (再掲)
野田佳彦元首相(民主党)は、2月19日の衆院予算委において質問に立ち、
安倍首相に対し、議員定数削減について2012年11月の予算委での約束を未だに実現しておらず、国会、国民に対する約束違反だと迫った。
2012年11月の予算委において、当時の野党だった自民党の安倍総裁が衆議院解散を迫ったのに対し、野田首相(当時)は、2013年の通常国会までの“議員削減に応じれば衆院を解散してもよい”と発言し、安倍首相(当時野党自民党総裁)が“いいですね、いいですね、約束ですよ”と迫り、「今この場でしっかりやると約束する」として次の国会での議員定数削減に同意し、解散、総選挙となった。しかしそれを受けて実施された総選挙で自民党が勝利し、安倍内閣が誕生したが、安倍首相(自民党総裁)は、意味のある議員削減を実施していない。
2012年12月の選挙で政権に返り咲いた安倍自・公連立政権は、2014年12月に再度の無意味な選挙を繰り返したが、議員削減約束の実現に努力しなかったばかりか、14年4月に議員報酬の事実上の引き上げを行った上、最高裁より1票の格差問題で‘違憲状態’の判決を受けている。‘違憲状態’と言われ、あたかも‘違憲’ではないなどと意味の分からない解釈を行っている向きもあるが、違憲が継続している‘状態’を表現しているだけで、違憲は違憲である。
それでも自民党は議員定数是正に消極的であるので、野田佳彦元首相の今回の国会での追及により、意味のある定数是正が実現すれば、戦後の選挙制度の是正における大きな成果を達成することになろう。
野田民主党政権は、この他、一般的に不人気な消費増税、及び農業団体に不人気なTPP(環太平洋経済連携協定)の交渉参加という難しい課題に道筋をつけ、次の通り、自・公連立政権では達成出来なかった3つの大きな成果を下野して達成したことになる。
1.選挙制度の是正を約束させた
議員定数の是正については、衆議院議長の下に有識者調査会が設けられ、議員定数を10減(小選挙区6減、比例4減)などの答申が提出されている。
与党自民党は、2020年に実施される大規模国勢調査以降に先送りする意向を明らかにしていたが、安倍首相は前倒し実施を支持し、2月19日の予算委で、2015年に実施された中間的国勢調査に基づき小選挙区の区割り見直しが行われるので、答申を尊重し、これに合わせて定数削減を実現したいとの意向を明らかにした。そもそも定数削減を総裁が約束していた自民党が実施を‘2020年の国勢調査以降に先送りする’などとしていることは、国会、国民に対し不誠実であるし、2020年以降に自民が政権の座にあるかも分からないので、また空約束となる可能性が強い。やるやると言いながら、ジェスチャーだけで、政治的な見識と意志が欠如しているように見える。
これが実現すれば、選挙制度の是正に向けて大きな前進となるが、10減しても衆院定数の2%余りの減にしかならない。これでは議員経費削減の上でマージナルな効果しかないので、意味のある更なる削減を目指すか、議員歳費を諸手当を含め全体で3割減とするなどの措置が必要であろう。歳費を削るか定数を削るかは議員自身が決めればよい。
有識者答申には、各国との比較で日本の議員数はそれ程多くは無いなどとの記載があるが、議員定数を含む選挙制度の是正については次の3点が主な理由と見られており、見識に欠けるおざなりな答申内容となっている。
議員定数削減は、消費増税関連法案採択の過程で、国民に負担を掛けるのだから定数削減や議員歳費の削減を行い、議員自身が身を切る努力をすべきというのが、野田首相(当時)の強い意向によるものであった。それに安倍氏が自民総裁として同意したものであり、納税者としては野田元首相の姿勢を評価出来る。
また1票の格差については、長年に亘り最高裁より違憲の状態が指摘されていたのにも拘らず、12年12月に再帰した安倍政権が14年12月に再び総選挙を行ったが、最高裁に違憲の状態とされ是正勧告を行われている。
自 ・公政権は、1票の格差についても、安保法制についても、また昨年秋に臨時国会開催の要請があっても開催しないなど、憲法違反、憲法軽視の政権、政党というイメージが強くなっている。民間活動で法令順守(コンプライアンス)の重要性が指摘されているが、法律を作る側、それを執行する内閣が国の基盤である憲法に違反し、或いは軽視するようでは、全く説得力に欠ける。民間活動でコンプライアンスが軽視されても仕方がないのかも知れない。
また少子化、人口減の中で、議員の質を維持できるかという現実的な問題がある。議員になったはいいが、育休・育メン不倫の議員が出たり、主要閣僚の金銭授受、担当分野の初歩的な知識もない大臣やオバマ米大統領は黒人奴隷の血筋と委員会で述べる議員など、単なる議席を埋めるために議員になったような議員は税金の無駄使いであり、不要である以上に有害だ。地方の声が届き難くなるとの意見もいただけない。東京都など大都市の人口も多数が地方出身であり、また候補も落下傘が多い。そもそも首相は地方出身が圧倒的に多い。1票の格差は、日本の政治を著しく歪めて来ているのではないか。
いずれにしても有識者調査会の答申に従って10議席削減しても、2%余りの削減にしかならず、インパクトは小さい。それさえ実現できないのであれば、政治的意思とリーダーシップが無いと見られても仕方がない。
国会、国民の前で安倍首相(自民総裁)が約束したことを守っていないことは明らかであり、何故これをマスコミや評論家・有識者等が強く指摘しないのだろうか。近時マスコミ力も著しく低下しているように見える。マスコミや評論家・有識者等がビジネス化し、既得権益擁護に傾斜し過ぎているのだろうか。
となると国民は、マスコミや評論、コメント等を厳しく精査し、流されないようにすることが必要になって来ていると言えそうだ。
2.環太平洋連携協定交渉(TPP)への参加に道を開いた
TPP協定は、昨年10月‘大筋合意’され、2016年2月4日に日本を含む12か国で署名された。しかしTPP協定交渉の先鞭をつけたのは野田民主党政権であり、2011年11月11日、野田首相が‘交渉参加に向けて関係国との協議に入る’旨表明したことから協定参加への道が開けたと言えよう。
TPPは、基本的に消費者には福音であり、また多くの製品、サービスにとってビジネス・チャンスが広がり歓迎されるが、農業・酪農団体は厳しい姿勢を取っていることから、交渉参加に道を開いたことは野田政権の勇気ある決断であった。一方自民党は2012年12月の総選挙でTPP反対を公約した。ところが安倍自民党総裁は政権に復帰して間もなく、公約に反し2013年3月に交渉参加を表明した。もし野田民主党政権が交渉参加に向けて関係国と協議を開始していなかったら、協定交渉に参加できず、日本の主張が入らなかった可能性がある。安倍政権は選挙公約に反し交渉に参加したが、どの程度日本の主張が入れられたかは今後の国会審議で明らかになろう。だが担当大臣であった甘利議員が金銭授受で辞任したので、後任の石原担当相が説明責任を果たせるのかが課題となると共に、日本の関心が十分に反映されていなければ安倍政権の責任ということになろう。
3.消費税増税
8%への消費増税(更に2017年4月より10%へ)は安倍政権の下で2014年4月より実施された。もともと歳入難に悩む自・公両党が消費増税を待望していたが実現できず、野田民主党政権の下で関連法案が提出され、2012年8月、‘社会保障・税一体改革に関する自民・公明両党との3党合意’に基づき国会で採択されたものである。しかし実施は14年4月からとされ、“経済状況を好転させることを条件”とするとの条項が付された。
消費増税は、バブル経済崩壊後急速に膨らんだ公的債務、恒常的な財政赤字と少子高齢化に伴う年金等の社会保障財源の確保難と質の低下などを考慮すると、多くの国民はある程度は止むを得ないと考えているが、その実施タイミングや税収増の使い方と管理費等の節減などが適正ではないと見ている。
多くの国民は、消費増税により、財政の健全化が図られる一方、増税分が社会保障費に回され年金を含む社会保障がより充実するのではないかと期待していた。事実は真逆に近い。予算は未だに国債依存で公的債務は膨らむ一方である上、年金は給付年齢が上がり給付額等が低下し、逆に介護保険料が引き上げられ年金給付額の実質減となっている。また社会保障費は全て消費税で賄われるかのように扱われ、従来の予算から浮いた社会保障費の分を無駄な支出に回し、節減などは図られていないように映る。補正予算での低所得の老齢者に対する3万円/人給付がその際たる悪例だ。こんなことでは財政改革、健全化は無理だ。膨大な公的債務を抱えた財政の健全化のためには、人件費を含む管理費を中心とする身を切る節減を図らなければ不可能であることは企業家が一番良く知っている。自・公連立政権はその努力どころか、意思が全く見られない。
こうして見ると野田民主党政権は、反対も予想される中で、日本の将来にとって重要な施策を果敢に推進したことが見えてくる。少し性急過ぎたのか、民主党自体の分裂を招いてしまったようだが、政治家として日本の将来に必要と思われる政策を毅然として推進したことは与野党を通じて類を見ない。反対論はあろうが、日本の針路を示した実直な政治家として再評価して見る必要がありそうだ。(2016.2.29.)(All Rights Reserved.)