アート鑑賞2日目は渋谷区松濤にある戸栗美術館へ行ってきました。
■開館30周年記念特別展 柿右衛門展(HPより抜粋)
酒井田柿右衛門家に伝わる「赤絵初りの覚」によれば、初代柿右衛門が赤絵の
焼成に成功し、1647(正保4)年には、製品を長崎で売ったといいます。
その後1670年頃には「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色で暖かみのある白磁に、
華やかな赤の上絵具を主とした絵付けを施した「柿右衛門様式」と称される作品群が
成立します。
この柿右衛門様式の作品は、ヨーロッパにおいて絶大な人気を誇りました。
しかし、輸出事業の縮小に伴い、「濁手」素地の製法は18世紀のうちに失われてしまいます。
失われてしまった「濁手」素地の製法を戦後に復興したのが、12代・13代柿右衛門氏です。
続く14代柿右衛門氏は先代達よりその技術を受け継ぎながら、写生に依った新しい感覚の
作品を制作されました。
そして2014年には15代が当代酒井田柿右衛門を襲名され、伝統を守りながらも現代に
調和する作品を次々と生み出されています。
開館30周年記念特別展となる今展では、15代酒井田柿右衛門氏の新作をお披露目し、
さらに、近現代の歴代柿右衛門氏の優品や、当館所蔵の江戸時代に作られた柿右衛門様式の
作品を展示いたします。
江戸時代より伝わる技術を継承しながらも、次世代への新しい展開をみせる
柿右衛門のすべてをお楽しみください。
**********************************************************************
今回も数々の貴重な作品をじっくりと観ることができましたが、解説書の中で
下記のような記述があり、とても興味をそそられました。
■柿右衛門様式の伊万里焼にみる日本的な感覚
柿右衛門様式の文様構成の特徴は、余白を生かした左右非対称の構図です。
この余白の美は極めて日本的な要素であるとしばしば論じられてきました。
伊万里焼における日本的な感覚とは一体なんであるか。
柿右衛門様式の「余白」はどこから生まれたのでしょうか?
(中略)
ひとつには狩野派の影響が考えられます。
特に「余白」を画面の中に構成したのは江戸幕府の御用絵師であった狩野探幽です。
彼は、描くモチーフだけでなく、余白も含めて画面の構成をしそこに余韻を表しました。
(中略)
江戸時代の絵師のほとんどが狩野派に学んでいたことや、全国諸藩の絵師に狩野派の
絵手本を与えて学ばせていたことを鑑みれば、絵付師が狩野派の絵を学んでいた可能性も
ありそうです。
■日本人が元来持つ「不完全」に対する美意識
それは特に建築に見られ、「数寄屋造り」にみられるような中央軸からずらして建物を
配置し、重複と単調を避ける配置が確認できます。
また、桂離宮や茶屋などを思い浮かべると部屋の中も左右非対称になっていることに
気づかされます。
日本における「不完全の美」とはすべてを表現しつくすのではなく、省略によって
厳選されたモチーフを細かに計算して配置し、描かれていないものを余白に求める
精神的な美しさを指すのでしょう。
同様の美意識は柿右衛門様式にも見出すことができそうです。
この解説がとても興味深いと思いました。
東インド会社から輸出された数々の有田焼が世界中にコレクターを生んだことは
知られていますが、こうした日本の美が海外で賞賛されたことにとても嬉しい気持ちに
なりました。
それから、以前韓国史劇「火の女神ジョンイ」を観たときに豊臣秀吉が朝鮮出兵した時に
朝鮮から日本に連れてこられた百婆仙が佐賀県の武雄市や有田町で陶磁器を焼き、
有田焼の基礎を築いたひとりとされることを知りました。
そんなことも思い出しながら鑑賞しました。
今回も行ってよかったです。
■開館30周年記念特別展 柿右衛門展(HPより抜粋)
酒井田柿右衛門家に伝わる「赤絵初りの覚」によれば、初代柿右衛門が赤絵の
焼成に成功し、1647(正保4)年には、製品を長崎で売ったといいます。
その後1670年頃には「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色で暖かみのある白磁に、
華やかな赤の上絵具を主とした絵付けを施した「柿右衛門様式」と称される作品群が
成立します。
この柿右衛門様式の作品は、ヨーロッパにおいて絶大な人気を誇りました。
しかし、輸出事業の縮小に伴い、「濁手」素地の製法は18世紀のうちに失われてしまいます。
失われてしまった「濁手」素地の製法を戦後に復興したのが、12代・13代柿右衛門氏です。
続く14代柿右衛門氏は先代達よりその技術を受け継ぎながら、写生に依った新しい感覚の
作品を制作されました。
そして2014年には15代が当代酒井田柿右衛門を襲名され、伝統を守りながらも現代に
調和する作品を次々と生み出されています。
開館30周年記念特別展となる今展では、15代酒井田柿右衛門氏の新作をお披露目し、
さらに、近現代の歴代柿右衛門氏の優品や、当館所蔵の江戸時代に作られた柿右衛門様式の
作品を展示いたします。
江戸時代より伝わる技術を継承しながらも、次世代への新しい展開をみせる
柿右衛門のすべてをお楽しみください。
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今回も数々の貴重な作品をじっくりと観ることができましたが、解説書の中で
下記のような記述があり、とても興味をそそられました。
■柿右衛門様式の伊万里焼にみる日本的な感覚
柿右衛門様式の文様構成の特徴は、余白を生かした左右非対称の構図です。
この余白の美は極めて日本的な要素であるとしばしば論じられてきました。
伊万里焼における日本的な感覚とは一体なんであるか。
柿右衛門様式の「余白」はどこから生まれたのでしょうか?
(中略)
ひとつには狩野派の影響が考えられます。
特に「余白」を画面の中に構成したのは江戸幕府の御用絵師であった狩野探幽です。
彼は、描くモチーフだけでなく、余白も含めて画面の構成をしそこに余韻を表しました。
(中略)
江戸時代の絵師のほとんどが狩野派に学んでいたことや、全国諸藩の絵師に狩野派の
絵手本を与えて学ばせていたことを鑑みれば、絵付師が狩野派の絵を学んでいた可能性も
ありそうです。
■日本人が元来持つ「不完全」に対する美意識
それは特に建築に見られ、「数寄屋造り」にみられるような中央軸からずらして建物を
配置し、重複と単調を避ける配置が確認できます。
また、桂離宮や茶屋などを思い浮かべると部屋の中も左右非対称になっていることに
気づかされます。
日本における「不完全の美」とはすべてを表現しつくすのではなく、省略によって
厳選されたモチーフを細かに計算して配置し、描かれていないものを余白に求める
精神的な美しさを指すのでしょう。
同様の美意識は柿右衛門様式にも見出すことができそうです。
この解説がとても興味深いと思いました。
東インド会社から輸出された数々の有田焼が世界中にコレクターを生んだことは
知られていますが、こうした日本の美が海外で賞賛されたことにとても嬉しい気持ちに
なりました。
それから、以前韓国史劇「火の女神ジョンイ」を観たときに豊臣秀吉が朝鮮出兵した時に
朝鮮から日本に連れてこられた百婆仙が佐賀県の武雄市や有田町で陶磁器を焼き、
有田焼の基礎を築いたひとりとされることを知りました。
そんなことも思い出しながら鑑賞しました。
今回も行ってよかったです。
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