秋 ~歌のアルバム詩(桃版)
南風 桃子
忘れられないの
親方がキライよ
青いハチマキで腕組みをし
海を見てたわ
「貝の舟を浮かべて遊んどるヒマがあったら仕事しろ!!」
わたしは裸足で泣きながら
天秤棒かついで肉体労働
ちょっと太りすぎて、ヒザも痛い
そんな肥えの季節よ
☆こちらは前の作です。よろしかったら、ごらんください(^^)
13月 ~歌のアルバム詩(桃版)
0月 ~歌のアルバム詩(桃版)
夏 ~歌のアルバム詩(桃版)
≪歌のアルバム詩のススメ~地味に布教活動≫
※詩誌「ガーネット」で、高階杞一さんが「歌のアルバム」という
悶絶モノの面白い詩を連載していらっしゃるのですが、
それにインスパイアされ、お笑いの神(?)が降りてきて作った4作目。
今日は「自分の詩の解説」や「詩人」について、ちょっくら語っていきたいと思います。
自分の詩の解説をするなんて、どうにもバカっぽくて恥ずかしいということは
重々承知なんですが…
人に聞かれた時に語るのはさておいて、聞かれもしないのに
むやみやたらに解説をするのは、相当恥ずかしいような気がしますよね。
それは何故なんでしょうか。
まあ人に聞かれたところで、まっとうな解説ができるかどうかは別にして…
本体の詩が恥ずかしい場合、それに解説が加わると
ダブルパンチを見舞われたような気がするのは私だけでしょうか。
って、ちょっと手厳しいですか?(笑)
自分で自分のことを「詩人」と言うのが恥ずかしい感覚に似ているのかもしれませんね。
「詩人」っていうのは自分サイドではなく人様サイドから言われるものであって、
私のイメージでは
「自分からそれを名乗ることは許されない、賛辞や憧れを込めて言われる特別職の名称」
だったりするんですが、どんなもんでしょうか?
私の思い入れが激しいんでしょうか(笑)
ひとつの仮説ですが、求められてもいないのに意味不明の詩を発表し
高みから解説(当人は気づかず)しちゃう恥ずかしさ、
ということが考えられます。
ナルシストボケに鉄拳をくらわすわけにはいかないので、いきおい
おちょくりたくなってしまうの図が成立するのかなーと。
でもそれが、人の心にとって何らかのストレス解消になっているのであれば
とても平和なストレス解消法でもあったりするわけで、
私なんぞがとやかく言うことでもないなあという結論に達したりするわけですが。
まあ詩人に限らず歌人にしたって俳人にしたって作家にしたってそうですが、
とりわけ詩人という単語は「おちょくりの対象」になりやすい気がします。
つまりそれほど詩人って、ピンからキリまでの格差が激しすぎる薄氷を踏むような世界、
板子一枚下は地獄(でしたっけ?)にいるのかも…ですね(笑)
と、
前置き(言い訳?)をたっぷりしたところで、
今日UPした「秋~歌のアルバム詩(桃版)」のぷち解説をします(するんかい!!)
こういうのがブログの呑気でよいところですね。
今回は「秋」にからめて「天高く馬肥ゆる秋」ってことで料理してみました。
当初の計画としては肥料の「コエの季節」だったのですが、
それだけでは「秋」の説得力が少し足りないので、掛詞もにおわせながら(コエだけに!)
体格の「肥えの季節」に着地しました。
海が出てくるので夏かなぁ~でも、夏バージョンは前回作ったので
どうしたもんかな?と思っていたのですが、
できあがってみたら、うまいこと秋にからめられたのが何とも嬉しかったです。
バカっぽい中にも、一種の詩芸を感じていただけると幸いです(^^ゞ
昭和に大ヒットした名曲を下敷きにしていますが、
若い人はご両親あたりに聞いてみてくださいね♪
私も小学1年生の時に親から「パンタロン」を買ってもらいましたよ(笑)
こうした、
元歌のある楽しい大人のことばあそび、っていうんですかねぇ…
を広められたらワクワクするなーと思い、布教活動?の一環として
こうしてUPしているわけですが。とかなんとかいいながら、
やっぱり自分が一番楽しくてやってるわけです(^_-)-☆
歌のアルバム詩が一段落ついたら、机の上に積みあがっている
なぐりがきのメモ詩を整理していきたいと思います。
ただ単に紙から画面へのなぐり書きに移行するだけのレベルだったとしても
何もしないよりはいいかもな、とも思いますので。
日本は広いので、もしかしたら楽しみにしてくれてる方もいらっしゃるかも知れない…
そう思うと、少し嬉しくなってきます。
※
ご本家の「歌のアルバム詩」を読んでみたい方は、こちらにお問い合わせください♪
詩誌「ガーネット」