富田林の寺内町(じないまち)は大阪の近鉄阿部野橋駅から30分位のところの、
近鉄富田林駅より400m位歩いた所に有ります。
東西400m、南北350mぐらいの丘陵の土塁に囲まれた中世から続く寺内町です。
パンフレットによると、「寺内町とは真宗の寺院を中心に堀や土塁で防御した町を言う」と書かれています。
興正寺別院中心として江戸時代には幕府の直轄地となり、商業、交通の要所として発展したようです。
その頃から発展し続いている建物や町並みが現代にも続いて残されていました。
近鉄富田林駅。駅前には楠木正成の遺跡までの距離が書かれた石碑がデンと建っていて、歴史のある風情を感じます。
ここから400mぐらい南に歩いていくと寺内町(じないまち)が有ります。
円盤の下に本町通りと書かれた看板が下がっています。(写真が上手く取れなかった)
ここから寺内町までの通りの建物はあまり古い時代の物ではありません。
今は、寺内町の入り口は土塁や門などありませんのでハッキリしません。
しかし、道の両側には古い町並みが続いています。
木綿屋さんで18世紀中頃の建物。
南・葛原家住宅。
3階建の倉。
ここまで、葛原家住宅。
忍び返し。
寺内町では、くわえタバコやキセルの火種の持ち歩きを禁止して、防火に努めたお陰で、
今でも江戸時代の建物が多く残されている。
上の、町中無用の書かれた石碑。
橋本家。酒造業を営んでいた。建物は18世紀後半。
こんな建物が、道の両側に建ち並び保存されていて、町並みを見ながら歩くだけで楽しめます。
しかし、これらの古い家でも重要文化財ではありませんし、内部は見学できません。
これらの建物は、今でも住んで生活が行われているのです。
だから、この町が重要伝統的建造物群保存地区に指定されているのでしょう。
まだ、続く
近鉄富田林駅より400m位歩いた所に有ります。
東西400m、南北350mぐらいの丘陵の土塁に囲まれた中世から続く寺内町です。
パンフレットによると、「寺内町とは真宗の寺院を中心に堀や土塁で防御した町を言う」と書かれています。
興正寺別院中心として江戸時代には幕府の直轄地となり、商業、交通の要所として発展したようです。
その頃から発展し続いている建物や町並みが現代にも続いて残されていました。
近鉄富田林駅。駅前には楠木正成の遺跡までの距離が書かれた石碑がデンと建っていて、歴史のある風情を感じます。
ここから400mぐらい南に歩いていくと寺内町(じないまち)が有ります。
円盤の下に本町通りと書かれた看板が下がっています。(写真が上手く取れなかった)
ここから寺内町までの通りの建物はあまり古い時代の物ではありません。
今は、寺内町の入り口は土塁や門などありませんのでハッキリしません。
しかし、道の両側には古い町並みが続いています。
木綿屋さんで18世紀中頃の建物。
南・葛原家住宅。
3階建の倉。
ここまで、葛原家住宅。
忍び返し。
寺内町では、くわえタバコやキセルの火種の持ち歩きを禁止して、防火に努めたお陰で、
今でも江戸時代の建物が多く残されている。
上の、町中無用の書かれた石碑。
橋本家。酒造業を営んでいた。建物は18世紀後半。
こんな建物が、道の両側に建ち並び保存されていて、町並みを見ながら歩くだけで楽しめます。
しかし、これらの古い家でも重要文化財ではありませんし、内部は見学できません。
これらの建物は、今でも住んで生活が行われているのです。
だから、この町が重要伝統的建造物群保存地区に指定されているのでしょう。
まだ、続く