元旦に初詣ウォーキングをしていて、東照宮から去年の年末に改装が終わった荒神陸橋に向かって歩いていると、
土蔵の建物が目に付きました。
波トタンに覆われ、そのサビが時代を感じさせます。
戦前に作られ、原爆の爆風や火災にも耐え、焼け野原の中にこの土蔵だけが残り、
戦後しばらくは住まいとして利用されたのではないかと思います。
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破風や母屋は平トタンで覆われているが、爆風や雨風で土蔵の漆喰が剥げたのを隠し、
土蔵を少しでも長く利用しようとされたのでしょう。
妻面の棟木の上のカーブをした霧除けのひさしが残してあるのは嬉しい。
剥がれ落ちたトタンの下に見える棟木の漆喰の上に、家紋か何かが書かれていたような跡が見える。
差しかけの屋根の端に、TVアンテナが立っているのは倉庫として使われていなかったのだろう。
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土蔵の入り口の扉は漆喰が金鏝で磨かれていたのだろうけど剥げ落ちてしまった。
しかし、扉の取っ手や閂が残っている。
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軒樋が付けて無かったのか波トタンの下はサビて一部無くなっている。
瓦葺もお寺などの屋根と同じ本瓦葺きなので、お母屋なども立派なお屋敷だったのではないかと思います。
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戦後の道路の区画割りに引っかからなかったのでこの土蔵が残ったのだろう。
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荒神陸橋の近くで広島駅にも近い所の、この土蔵を見ると広島の戦後をたくましく生き抜いた人々が思い起こされました。
土蔵の建物が目に付きました。
波トタンに覆われ、そのサビが時代を感じさせます。
戦前に作られ、原爆の爆風や火災にも耐え、焼け野原の中にこの土蔵だけが残り、
戦後しばらくは住まいとして利用されたのではないかと思います。
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破風や母屋は平トタンで覆われているが、爆風や雨風で土蔵の漆喰が剥げたのを隠し、
土蔵を少しでも長く利用しようとされたのでしょう。
妻面の棟木の上のカーブをした霧除けのひさしが残してあるのは嬉しい。
剥がれ落ちたトタンの下に見える棟木の漆喰の上に、家紋か何かが書かれていたような跡が見える。
差しかけの屋根の端に、TVアンテナが立っているのは倉庫として使われていなかったのだろう。
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土蔵の入り口の扉は漆喰が金鏝で磨かれていたのだろうけど剥げ落ちてしまった。
しかし、扉の取っ手や閂が残っている。
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軒樋が付けて無かったのか波トタンの下はサビて一部無くなっている。
瓦葺もお寺などの屋根と同じ本瓦葺きなので、お母屋なども立派なお屋敷だったのではないかと思います。
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戦後の道路の区画割りに引っかからなかったのでこの土蔵が残ったのだろう。
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荒神陸橋の近くで広島駅にも近い所の、この土蔵を見ると広島の戦後をたくましく生き抜いた人々が思い起こされました。
愛宕町の土蔵も写真が鮮明なだけによけい、侘しさが残りますね。
沢山の神社を廻ればご利益が多いので有れば、もっと歩き回りますけど。
今年も好奇心を忘れないように感性を磨いていきたいと思っています。
しかし、ネタの種切れになるかも知れません。