街の風景

散歩の時に出会った何気ない風景、手押しポンプ、使われなくなったコンクリート製のゴミ箱、懐かしい洋館付き住宅などなど。

若松のコンクリート製ゴミ箱…北九州市若松区白山・浜町・大井戸町

2009-02-10 23:36:37 | コンクリート製ゴミ箱
若松にもコンクリート製ゴミ箱がありました。

ウェル本町の6台の手押しポンプを見に行った時に、他に手押しポンプやゴミ箱はないかと

探索した時に見つけました。

手押しポンプは見つけることが出来ませんでしたが、コンクリート製ゴミ箱は4台も見つけました。

最初のコンクリート製ゴミ箱は植木鉢として使われていました。

№31.北九州市若松区浜町。2009/1/15


次はこの路地で2台を見つけました。

№32・33.北九州市若松区白山1丁目。2009/1/15

足付きのコンクリート製ゴミ箱です。

今まで30台のコンクリート製ゴミ箱を見てきましたが、初めて見るタイプです。

足付きを造るのは面倒でしょうが、何か便利な事があったので改良されたのだろうが、

どんなメリットだったのだろう?

№32.北九州市若松区白山1丁目。2009/1/15

前扉はベニヤ板に変えてある。

№32と少し形状が違っている。32は正面から見ると台形の形だが、これは長方形だ。

№33.北九州市若松区白山1丁目。2009/1/15


コンクリート製ゴミ箱と防火水槽が並んでいる。天理教の教会で使用しているようだ。

№34.北九州市若松区大井戸町。2009/1/15

若松のコンクリート製ゴミ箱は3台も現在も使われているのは嬉しい事だ。

コンクリート製ゴミ箱は東京オリンピックの時ぐらいから見ることが無くなっているので、

もう40年以上は使われている事になる。

まだまだ使える。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島新球場の不思議な建物…広島市南区南蟹屋2丁目

2009-02-09 10:51:27 | 建物
広島新球場のJR側の道を歩くたびに、スタンドから少し離れた所に建っている建物が以前から気に懸かっていました。

下の写真のこげ茶の建物です。

何の建物かなと思って家に帰りネットで探しましたが、判りませんでした。



もう、完成していますが建物の色やデザインが、スタンドとは何か違っています。




2月6日に完成した防球ネット工事を見に行った時に、球場周辺の工程表が掲示してある掲示板をよく見てみました。

すると「大洲地区雨水貯留池搬入棟新築工事」についてと言う工程表と付近の地図が張られていました。

現在、建設工事をしています新球場のグランド下部に築造されている貯留池への出入り口(南棟・北棟)

を新設するため本工事を施工いたします。…以下略…


グランドの下に大きな水槽を造っていたがそこへのメンテナンスなんかをする通路やエレベーターを納めた建物だったのか。

疑問が一つ解けた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金子みすヾと郵便ポスト…山口県長門市仙崎

2009-02-08 22:11:17 | 郵便ポスト
金子みすヾに会いに行く為、JR長門駅から仙崎に歩いていく途中の田屋地区で、

小さな郵便ポストが立っているのを見つけました。

昔は地区の何でも屋さんのお店の前に立っています。

昔と書いたのは、ポスト以外はタバコ、お酒、清涼飲料水の5台の自動販売機がお店の前に、

ずらりと並んでいます。

大村昆のオロナミンCの琺瑯看板が郵便看板の下になっているのが残念だ。



この郵便ポストは、横に小さなプレートに型番が書かれていました。

郵便差出箱(十四号S)・福島造機工業株式会社・納入年月:平成15年1月と書かれていました。



JR仙崎駅です。タクシーの後ろに赤い丸ポストが見えました。

丸ポスト№22.山口県長門市仙崎駅前。2000/1/19


丸ポストの後ろの建物には駅舎と観光案内所や金子みすヾの関係展示がされています。
金子みすヾ記念館まで、400mとありますので、そちらに向かいました。



みすヾ通りを歩いていくと、郵便局の看板の下に丸ポストを見つけました。

丸ポスト№23.山口県長門市仙崎郵便局前。2000/1/19


仙崎郵便局の右隣の壁には金子みすヾのかまぼこ板のモザイク画が描かれている。

丸ポストの左に屋根が架かった掲示板があります。下の画像です。



郵便局の椿
   (金子みすヾ)

あかい椿が咲いていた、
郵便局がなつかしい。

いつもすがって雲を見た、
黒い御門がなつかしい。

ちいさな白い前かけに、
赤い椿をひろっては、
郵便さんに笑われた、
いつかのあの日がなつかしい。

あかい椿は伐られたし、
黒い御門もこわされて、

ペンキの匂うあたらしい、
郵便局がたちました。



丸ポストがもう1台有りました。金子みすヾのお墓がある「遍照寺」の近くです。

丸ポスト№24.山口県長門市仙崎・遍照寺先。2000/1/19


遍照寺前から見た丸ポスト。ズーと向こうの山は青海島。


金子みすヾは郵便局の詩も書いていたのだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洋館付き住宅…広島市南区宇品神田地区

2009-02-07 23:50:04 | 建物
宇品神田地区で、散歩の途中に一度に6棟の洋館付き住宅を見つけていましたが、

纏めていませんでしたがやっと報告します。


宇品の方には幾つかの洋館付き住宅を見つけていましたが、宇品神田の近くは歩いていましたが、

この地区の中を歩いてびっくりしました。

洋館付き住宅がたくさんあるのです。新築の建物も有るのでもっと早くここに来ていたら、

もっとたくさんの洋館付き住宅が有ったのではないかと思われます。

最初に見つけたのが、昔は事務所か医院だったと思われる建物です。

洋館付き住宅№56.広島市南区宇品神田2­丁目8番。2008/11/16


四角な洋館なので、コンクリート造かと思いましたが、

裏から見ると切妻の屋根で3方向にパラペット(壁)が立ち上がっていました。

壁の上部には、左官で色々細工がされ、鏝絵のような物も描かれてあります。

洋館付き住宅№56.広島市南区宇品神田2­丁目8番。2008/11/16


玄関庇は円形にカーブがかけられ、上部はバルコニーになっている。

右は、切妻の木製破風、木製ガラリと洋館の形態をなしている。

洋館付き住宅№56.広島市南区宇品神田2­丁目8番。2008/11/16


この洋館付き住宅は、大分改修がなされているが、洋館部分の妻面はまだ昔の面影が残されています。

入母屋の部分の屋根は改修されているが、玄関の欄間などは角を丸くして納めてお洒落です。

洋館付き住宅№57.広島市南区宇品神田2­­丁目7番。2008/11/16


ガレージの方から見ると、屋根材がカラーベストに葺き替えられているので、昭和40年以降に改修されたのだろう。

洋館付き住宅№57.広島市南区宇品神田2­­丁目7番。2008/11/16


この洋館付き住宅はスタンダードな洋館スタイルだけど、細かい部分は改修されていた。

しかし、庭木のカイズカイブキは散らし玉造で昔の風情が残されている。

洋館付き住宅№58.広島市南区宇品神田2丁目8番。2008/11/16


この洋館も改修されているが、茶色のS瓦に葺き替えるなど、洋館付き住宅を残そうとされている。

洋館付き住宅№59.広島市南区宇品神田2­­­­丁目3番。2008/11/16


屋根は陸屋根の型式の洋館付き住宅。カイズカイブキの散らし玉造りの植木、

洋館付き住宅№60.広島市南区宇品神田2­­­­­­­丁目10番。2008/11/­16


2重の入母屋の横の洋館。母屋は2階建てを増築しているが、洋館部は残して増築している。

洋館付き住宅№61.広島市南区宇品神田2­­­­­­­­丁目3番。2008/­11/­16


広島市内は、主な所は歩いて洋館付き住宅も探していましたが、宇品神田地区にまだこんなに残されていました。

まだまだ、市内の何処かに洋館付き住宅が残っているはずなので、もっと歩き廻らなければと思いました。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島新球場の防球ネットはこれ(2/6)…広島市南区南蟹屋2丁目

2009-02-06 22:55:21 | 建物
防球ネットが気になっているので、今日新球場に見に行ってきました。

この前は、ネットを張るポールは完成していて、肝心のネットが無かったが、

1月末にはネットも取り付けられる工程表になっていたので、早く行きたかったのにとうとう今日になったのです。



丁度、ポールの所に行くと電車や車が通りかかりました。

ですから、ネットをよく見る暇も無くデジカメを構え、シャッターを押しました。

それがこの写真でした。電車は近いですね。




ネットはこれでした。

まだ、ロープで仮に結ばれていましたが、カープの栗原の時は、サァ~と巻き上げられて、

ホームランボールをこのネットで受けるのだな!

と、妄想をしました。(ーー;)



正面入り口の方に歩いていくと、木も植えられている。完成間近なのだ。

そういえば、昨日、一昨日と照明塔を点灯していたようだ。


大洲通りの歩道も完成間近で、カープ坊やと歩道のブロックが鯉のうろこの様に敷き詰められている。
         


広島の絵柄のマンホールは、カープ坊やや折り鶴などがあるが、カープ坊やは新球場の周辺で、

折り鶴は最初に設置された広島駅の表口の「駅前通り」から、

新幹線側の「二葉通」や表口の電車道の「あけぼ通」、「相生通り」に設置されて来ている。

将来は、平和のシンボルの折鶴を市内の主要通りに設置するのかもしれない。


車の通る所は、色ナシの折り鶴絵柄のマンホール、向こうの歩道部分には色付き折り鶴絵柄のマンホール。


新球場の経済効果がこんな所にも波及しているのかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺内町の町並み2…大阪府富田林市寺内町

2009-02-05 22:21:26 | ウォーキング
寺内町の散策を続けます。

この寺内町の建物は重要文化財に値する様な建物がいっぱいありますが、国の重要文化財に指定されているのは、

1軒だけで、「旧杉山家住宅」だけでここが公開されています。

「じないまち散策絵図」によると、「旧杉山家住宅」は
4層の大屋根が特徴。寺内町の創設期からの旧家で、代々造り酒屋を営み、
南河内酒造業の肝煎り役(きもいりやく)を勤めました。
主屋は土間が17世紀中頃と最も古く、享保19年(1734)ごろ現在の形に整いました。
明治の終わり堺の与謝野晶子らと活躍した明星派歌人石上露子(本名杉山タカ)は明治15年(1882)当家で生まれました。
敷地内の倉庫には、露子ゆかりの遺品を展示しています。


珍しい。手摺棒は轆轤で加工された廻り階段。何時の時代に改造されたのだろう?


2階から裏庭を見下ろす。


写真の中央に竹で作られた井戸の蓋が見れる。この屋敷には、井戸が3箇所有るそうだ。
よっぽどの大金持ちだったのだろう。庶民は共同井戸が普通なのに。


後の2箇所の井戸は、左上の建物の所。それと右下。いずれも大型の石組の井桁の井戸。


奥座敷は享保十九(1734)年に造られて、違い棚と床の間、付け書院を同じ面並べる珍しい造り。


この様なデザインの欄間は始めて見る。
狩野派の画家・大岡春卜(しゅんぼく)の図案を薩摩杉に掘り込んだもの。
天文二(1734)年に設(しつら)えられたものとの事。


大木の向こうの倉に石上露子(いそのかみ・つゆこ)ゆかりの遺品が展示されている。



道路に「あてまげのみち」と書かれた石柱が立っている。

「あてまげのみち」とは富田林・寺内町は、戦国時代の自治・自衛都市の町割を現在もそのまま残しており、
当時の城下町にも見られたように、直交する2つの道路 (南北が筋、東西が町)をわずかにずらすことで、
遠方がまっすぐに見通せない構造になっています。と解説されていた。

しかし、写真の様に真っ直ぐ遠くまで見えた。平和な時代になってから、

道路が真っ直ぐになって来たのかも知れないが・・・。


屋根の上の鍾馗(しょうき)。広島市内ではまだ見た事が無い。


虫籠窓(むしこまど):屋根裏部屋の明り取りと風通しの為に設けられたもの。
左の形は江戸時代、右は明治時代との事。形で時代が判るらしい。



この様な町並みが今の時代まで残されているのは嬉しい事ですが、

ここに住まわれている人の古いものを残す努力や

新しい住まいにしなかった我慢を忘れてはいけないと思います。

安易に生活をすることに慣れてしまった現代人には難しい事ですが、

寺内町に住む人の、今後の寺内町のあり方のイメージは、

「住む町を基本として週末や季節ごとに人びとが訪れるまち」が一番多かったとの事なので、

我々外部の物は、生活する町の人を邪魔しない様に富田林寺内町を訪問すようにしなければならない。

いいところです。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寺内町の町並み1…大阪府富田林市寺内町

2009-02-03 22:52:32 | ウォーキング
富田林の寺内町(じないまち)は大阪の近鉄阿部野橋駅から30分位のところの、

近鉄富田林駅より400m位歩いた所に有ります。

東西400m、南北350mぐらいの丘陵の土塁に囲まれた中世から続く寺内町です。

パンフレットによると、「寺内町とは真宗の寺院を中心に堀や土塁で防御した町を言う」と書かれています。

興正寺別院中心として江戸時代には幕府の直轄地となり、商業、交通の要所として発展したようです。

その頃から発展し続いている建物や町並みが現代にも続いて残されていました。



近鉄富田林駅。駅前には楠木正成の遺跡までの距離が書かれた石碑がデンと建っていて、歴史のある風情を感じます。



ここから400mぐらい南に歩いていくと寺内町(じないまち)が有ります。

円盤の下に本町通りと書かれた看板が下がっています。(写真が上手く取れなかった)
ここから寺内町までの通りの建物はあまり古い時代の物ではありません。




今は、寺内町の入り口は土塁や門などありませんのでハッキリしません。

しかし、道の両側には古い町並みが続いています。

木綿屋さんで18世紀中頃の建物。



南・葛原家住宅。




3階建の倉。


ここまで、葛原家住宅。






忍び返し。



寺内町では、くわえタバコやキセルの火種の持ち歩きを禁止して、防火に努めたお陰で、

今でも江戸時代の建物が多く残されている。



上の、町中無用の書かれた石碑。



橋本家。酒造業を営んでいた。建物は18世紀後半。


こんな建物が、道の両側に建ち並び保存されていて、町並みを見ながら歩くだけで楽しめます。

しかし、これらの古い家でも重要文化財ではありませんし、内部は見学できません。

これらの建物は、今でも住んで生活が行われているのです。

だから、この町が重要伝統的建造物群保存地区に指定されているのでしょう。

まだ、続く




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富田林のマンホール…大阪府富田林市寺内町

2009-02-02 22:34:25 | マンホール
もう2月になりましたが、1月に大阪で友人達と新年会をした翌日に、その内の友人2人と富田林を散策しました。

その事を1月21日の記事で、{富田林の寺内町(じないまち)は大阪府唯一の重要伝統的建造物保存地区で、

今も大商家や町家が昔ながらの姿で残っていました。後日報告予定。}と書きましたが、

やっと富田林の報告を始めます。

まずは、マンホールからです。



富田林マンホール№1.市の木「くすのき」市の花「ツツジ」と寺内町の町並が描かれている。
           「とんだばやし」、「おすい」の字入り」2009/1/21



富田林マンホール№2.JIS規格模様。
              中央は市章。
              市の公報によると「富田林の頭文字「富」を「ト」とし、「ト」を三つ重ねて「トミ」と読み、
              各々の尖端が矢のようにされていることは、広く発展することを意味しています。」との事。
              「雨水」の字入り」2009/1/21



富田林マンホール№3.(小型)くもの巣模様。
              中央は市章。
              「汚水」の字入り」2009/1/21
                                 富田林マンホール№4.仕切弁。
                                               中央は市章。
                                               「富田林市」の字入り」2009/1/21 



富田林マンホール№5.消火栓。
              中央は市章。
              「消火栓」「富田林市」の字入り」2009/1/21
                                   富田林マンホール№6.消火栓。
                                    「消火栓」「富田林市」「駐車禁止」の字入り」2009/1/21



富田林マンホール№1と№2。古い町並みに目立たないマンホール風景。
        

富田林の寺内町のマンホールの種類は少なく(寺内町と近鉄富田林駅前に限るが)、

絵柄の汚水用とJIS規格模様の雨水用と小型の汚水用、

止水弁用、消火栓2種類と6種類しか目に付かなかった。

工事をする側からは数が少ない方が色々な面で無駄もなく、間違う事も少ないので助かるだろうけど、

マニア?の我々は楽しみが少ないので少し寂しかった



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする