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📖『風の自叙伝』 野本三吉[著]

2022-01-09 23:07:09 | 日記
NHK ラジオ深夜便
明日への言葉

2015年2月5日木曜日
 
・生きる事の意味を問い続けて(1)

野本三吉(元沖縄大学学長、作家)            
1941年昭和16年 東京生まれ
本名 加藤彰彦 

大学で教壇に立つとき、
執筆をする時は
野本三吉を名乗る。

横浜・寿町に暮らす子どもたちの実態を書いた作品で
第一回日本ノンフィクション賞を受賞した。

横浜国立大学を卒業後、
横浜市内の小学校の先生になり、
充実した学校生活を送っていたが、
生徒に通信簿を付けることに悩んだ末に退職。


(👩体育の授業で、
まったく鉄棒が
出来なかった子どもが、
通信簿の「0」から「1」になる努力は
血がにじむほど感動的ですばらしい。
そこには周囲の友だちの
協力・声援もあったりする。

野本さんは、
生徒の誰もが限りない可能性を持ち、
すばらしい子どもたちに
通信簿の「1」など
到底付けることなどできないと思った。
成績は誰と比べるものではない。
成績とは過去の自分と今の自分を比べるものだから)

以後野本さんは
自分ができることを全部出し切って
自分が生きるべき理想の地を求め、
日本各地の共同体を訪ね歩いた。

東京の山谷や
横浜の寿町に辿り着き、
野本さんは
生活相談員として
そこに住む人や
子どもたちと
共に生活した。

この山谷や寿町での体験をもとに、
野本さんは
『社会臨床論』
という学会を立ち上げた。

野本さんは
横浜市立大学や
沖縄大学で教壇に立ち、
児童福祉や
社会福祉活動に取り組んだ。

そして昨年、
沖縄大学学長を退任した。


野本さんの最終講義 

🌕️「私はどんな職業に就くか❔」
ということよりも、
「❇️自分はいかに生きるか❔」
ということが私のすべてだった。

野本さんは、
様々な職業を経験しながら、
自分に一番ふさわしいもの(職業)を探した。

そうしてその中で、
🌕️その後ろ、
背景にに必ず流れているものがあった。

それは、
❇️自分がどう生きたいか❔
❇️自分が何をしたいか❔
ということだった。

たまたま
自分がこの仕事をする
ということになる。

すると、
自分はこの状況のなかで
どう生きるか❔

自分が一つ一つ経験していくことの中で、
自分の中に触発されるものが出てくる。

それなら自分は
こういう生き方をしたいなと思って、
自分が感じた通りに生きた。

そして、
次にまた新たな問題にぶつかった時には、
その前の難関を越えるような感動があった。

だんだん
次の自分の生き方が見えてくるとか
そういうことが感じられて、

自分の進むべき道と
自分の生き方がどんどん修正されてゆく。

そんなことを繰り返し経験しながら
自分らしい生き方が見つかってくる。

そういう感じになっていった。
自分が変化していった。




野本さんにとって衝撃的な、
野本さんの人生を左右する
最初の大きな出来事があった。

野本さんが3歳になった時、
1945年3月10日、
東京大空襲があった。

野本さんの妹さんは
まだわずか10か月の赤ちゃんだった。

家族で防空壕に逃げ込が、
野本さんの妹は
防空壕で亡くなってしまう。

(👩可哀想に、たしか妹さんは
「圧死」だったかな❔
赤ちゃんの泣き声が
防空壕の外まで響かないために、
赤ちゃんの口をふさがねば
ならなかったのかもしれない。

👨子どもというものはまだ小さく弱く
自分のいのちを大人たちに委ねて生きるしかない。

中ごく共産党は、
まだまったく自分の意思(意志)も
力もない、
たまたま中ごくという強権国に
生まれ落ちてしまった中ごくの子どもたちの
口をふさいで殺しているのと同じだ‼️

防空壕の中で生き延びるために
赤ちゃんの口を塞(ふさ)いだ日本人は
仕方ないといえば仕方ないが、
赤ちゃんが死ぬしかない根本的な原因を作ったのは、
自分たち日本人が
赤ちゃんの口を塞がねばならないような
人権を根こそぎ踏みにじる『戦争』の道を
自ら選んだからだ‼️

野本さん、ごめんなさい‼️
ここで自分はこんなふうに
まったく違うことを思い付いてしまい、
本当にごめんなさいね。)



野本さんにとって
妹さんの死は、
その時はまだ
大きな衝撃ではなかったが、

歳(とし)を追うごとに
はっきりとした自分の原体験となってくる。

野本さんの両親もずっとつらい思いのまま、
毎年3月10日になると、
妹さんの小さな位牌の前で、
ご両親は
短くても30分、
肩を震わせて泣きながら
「お母さんが悪かった‼️
助けてあげられなくてごめんね‼️」 
と泣いた。

野本さんは
両親が苦しむその姿を
毎年毎年見てきたので、

まだ大人に頼るしかない子どもが
戦争などの理不尽な理由で
亡くなるということは
非常に辛いことだと思った。

そのような辛いことは 
戦争だけでなく災害においても起こるが、

野本さんには
当時の妹の死が、いまだに
フラッシュバックのように
鮮やかに浮かんでくる。

子どもたちを
そういう理不尽でつらい目に
合わせてはいけないと思った。


生き残った野本さんは
兄として、
子どもたちが
安心して生きられる時代を
作りたいと思った。

その自分への誓いが
野本さん自身の原点となり、
歳を追うごとに、 
これをもっともっと 
真剣に考えないといけない
と思った。


横浜国立大学に入学し、
柔道部に入った。
(柔道は
高校時代からやっていたので。)

ある時柔道の練習で、
自分が柔道を教えていて、
大きな人に大外刈りを掛けてもらったが、
それがうまくいかなくて
もっと力一杯やってもらったら、 
お互いに力が入りすぎて、
自分と相手と一緒に倒れ込んでしまい、
自分に相手の巨体が覆いかぶさり、
自分は後頭部をがくっと打ってしまった‼️

自分はいったん立ち上がったが、
身体が硬直して後ろに倒れてしまった。
それから自分は救急車に乗せられて
病院へ運ばれた。

病院では医者が
自分の親や友人に
「脳内出血の疑いが非常に濃厚で
今晩が峠でしょう。
一応、覚悟なさって下さい」
と言っている声が聞こえた。

親や友人は
こちらには聞こえてないと思ったらしいが、
自分にははっきりと聞こえていた。

「自分はもう死ぬのだな」
と思い、
涙がぼろぼろとこぼれた。

もし自分が
もう一度生き返ることができたなら、
今度こそ
「本当に(真剣に)生きよう‼️生きたいなあ」
と思うのだが、
「でももう自分は死ぬのだな‼️」
と自分のなかで生と死がせめぎ合った。

それから何かを注射され、
一昼夜すると
奇跡的に意識が戻っていた。

1か月入院して
野本さんは死からよみがえった。

それ以来
生きること、死ぬことが
野本さんの頭から離れなくなった。


「生きている」ということは、
あることができてないと生きられない。

空気を吸うこと、
食べること、
飲むことが
出来ていないと生きられない。

自力で便を出すことが出来たりすると、
「生きている」
という実感がした。

吸収と排泄ができると
人間は「生きている」
と感じる。

🌕️吸収・・・
❇️経験したこと、
❇️体験したことすべてが、
❇️食べ物を食べたときと同じように
❇️血となり肉となっていくのだな
と思った。

排泄さえも
人生のひとつの表現だ 
という気がしてきた。

つらいこと、悲しいことがあると、
人間は涙が出てきたり
悲しんだりする。

嬉しいことがあると
笑ったり、
歌ったりする。

表現出来ること、
体験できることが
普遍化する。


野本さんのお母さんはがんで亡くなるが、
ある日、野本さんが、
その辛さを友人に話そうと思って
話をしていると、

野本さんがはっと気付くと、
友人が眼を潤(うる)ませながら
(自分のつらい話を)
聞いていてくれていた。 

(もしや)彼にも
(自分と)同じような
(つらい)体験があったのではないか❔
と野本さんは思った。

❇️自分が語るつらい、様々な表現が
❇️向こう(聞く側の人)の体内にも
❇️入ってゆき、
❇️それがお互いに循環する。 

そんな体験をしてから
野本さんは
❇️相手のことも思って
❇️自分のことを
❇️話すようになっていった。


❇️生きているということは、
人が話している最中、
❇️相手と自分の中で
❇️何か交流が起きている。 
(👧化学反応❔)

野本さんは、
❇️「こうして、
❇️人間同士が交流すること自体が
❇️生きることなんだ‼️」
❇️と気づいた。 


🌕️人間と人間との関係が成立していないと、
🌕️人間と人間との関係が遮断されてしまい、
🌕️生きる気力がなくなってゆく。


老人ホームなどで
自分のところに誰も来ないお年寄りは、
自分に早く迎えが来ないかなあ
(早く死にたい)とおっしゃる。


❇️人間と人間との間で、
❇️生き生きとした関係が作れるかどうかが、
❇️人間が生きるために
❇️一番大事で必要なことで、

🌕️これが抜け落ちてしまうと、
🌕️生きるための現実世界が成立しない‼️

❇️人間と人間との関係が
❇️生きていくことの本質なんだ‼️

ということを
野本さんは、
その後の自分の生活を体験しながら
どんどんふくらませていった。

「以上が、
生きることについての
自分の体験談です。」
と野本さんは言う。

「自分の父は
人に教えることが好きだったが、 
職業としては技術者になった。

父は自分が結核で入院中、
私に
『小学校の先生になってほしい』
と言った。

父の願いを叶えたいと思い、
自分は教師の道に進んだ。

しかし自分は、
5年で教師を辞めることになった。

学校での仕事は
本当に楽しかった。
授業も楽しかった。

自分は生徒と一緒に遊んだり、
自宅に子どもたちを招いたりもした。

だが自分の一番の悩み、
一番の問題は、
生徒に通信簿をつけることだった。

相対評価で数人に
必ず「1」を付けなければならない。

体育の授業で、
鉄棒の逆上がりができない子がいた。

鉄棒ができる友達が応援して、
1週間ぐらいすると
今まで逆上がりができなかった子が
逆上がりができるようになった‼️

おめでとうと自分がその子と握手をすると、
毎日逆上がりの練習をしているために、
その子の手には血豆(ちまめ)ができていて、
その小さな手は血豆が破けて、
絆創膏を張って凄(すざ)まじい手だった。

自分はその子の血豆の手を握った瞬間に
涙がとまらなくなってしまった。
自分は思わず
その子を抱きしめてしまった。
この子の通信簿に
自分は1など付けられない。


跳び箱など、
いちばんあとなってできた子は、
体育の通信簿の点数が
1になるかまたは2になる。
そんなやり方の通信簿を
私はどうしても付けられなくなってしまった。

校長と通信簿の付け方を
掛け合ったが、
「通信簿の付け方は
国の決まりだ」
ということで「1」を付けざるを得ず、
自分はそのやり方に妥協した。

考えた挙げ句、
自分は仕方なく
通信簿を2通作ることにした。

1通は普通の通信簿。
もう1通には、
文章で私の思いを綴った
私なりの
子どもたち一人一人への
通信簿だった。

子どもたちには、
その2通両方を手渡した。

すると、
子どもたちがあるとき、
「私たちも先生に通信簿を付けていいか」
と言って、
生徒全員が
私に通信簿を作って持ってきた。

その時私は思った。

「教師とは教える存在で、
成績も付ける存在だ。
しかし、
子供たちだって先生を評価し、
注意したり、
誉めたりできる存在なのだ」
と。

(👧👦野本さんのような学校の先生がいたら
どんなに学校が楽しいだろう❗
勉強だってやる気になる🎵
いじめも先生なら見過ごさない❗)

先ほどの関係論についてですが、
関係を固定してしまう。

自分は、お互いの
関係を固定するものが「権力」
だと思えた。

大人や先生は、
子どもからも学べるんだということ。
大人や先生は、
子どもからも評価されるんだということ。

ここ(人間の関係を固定する場所、
権力が見え隠れする場所)に
居座ってはいけないなあと思った。

一人の人間として、
人間の関係を固定する場所を離れて、
子どもたちと対等にかかわり合いたいと思った。
そして先生を辞めることにした。


地域の皆さんが子どもたちを
「こういう子どもたちにしてほしい」
という想いを受けて教えるものだ
と思ったので、

地域の共同体が
ちゃんと成立していないといけない
と思った。

北海道の牧場が共同体を作っていて、
そこにいって学ぼうと思い、
北海道に行った。

日本には共同体が沢山あって
自分は共同体巡りをした。 

北海道を皮切りに 
共同体を回って歩いて
自分が気づいたことだが、  

自分が住んでいるところに問題点もあるし
辛いところもあるし、
そこで問題を解決したり、
状況を変えていかないと。

理想がどこかに在るのではないか
と思うのは違うなあと。  

自分たちで問題を解決したり、
自分たちの回りの状況を変えていかないとと、
放浪した結果そう思った。

そうして野本さんは、
横浜の寿町に住むようになる。

まず山谷の「ドヤ」で暮らすが、
「ドヤ」とは、
宿屋(やどや)の隠語で、
人間が住む様なところではなかった。

日本の
東京には山谷、
大坂には釜が崎、
横浜には寿町という
日本の三大ドヤ街がある。

ドヤでいろんな人たちと出会うようになる。
いろんなことが自分に
非常に切実に響いてくる。

ドヤ街に住む人々は、
皆必死に生きようと思うが
なかなか仕事が見つからない。

しかし、そんな自分自身が
生きるか死ぬかの状況に置かれている人々が、
 
私(野本さん)が熱を出したりすると、
仕事を早く切り上げてきてくれて、
たとえばバナナを買ってきてくれたり
わざわざ氷を買ってきてくれて
一生懸命私のことを看病してくれた。
野本さんのことを看病してくれた。

その体験は自分にとって
本当にありがたくて、

「人間の関係の大切さ」ということを
掛け値なしにありがたく感じた。

(「先生、大丈夫かい❔
きょうはバナナを持ってきたよ❗
食べれるかい❔
俺が先生の身体を少し起こしてやろう❗
つらくはないかい❔
痛くはないかい❔」

「さぁ、今夜は氷を持ってきたよ❗
いますぐ氷を氷嚢に詰めてやるからね❗
先生、早くよくおなり❗
よくなったらまた俺と話そうよ❗」 
😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢
そう、ドヤの住人が言ったかどうかは
私は実際に見て聞いていないから想像です。)

🌕️ほんとうに、兄弟みたいになってまうのだった。
❇️社会からは偏見の目で見られたりしている、
❇️この人たちの中に
❇️本当の人間性が有る、
という気がした。

当時は城北福祉センターが中心でやっていて、
センターは夜になると閉まってしまうので、
センターが夜も開いているように、
誰かセンターの職員になればいいなと言う事で、
横浜の寿町で募集をしていることがわかり、
試験を受けて野本さんは、
横浜市の職員になる。

野本さんは、
「都市の中で共同体が作れないか❔」
と思った。

寿町で暮らしている人が、
それぞれ自分の思いを出し合って、
それがひとつにまとまった時に、
「寿町は暮らしやすい地域に変わるだろう」
という夢を野本さんは持っていて、

当時の横浜市長は
飛鳥田一雄さんという人。
飛鳥田さんは、
「子どもを大事にする横浜。
皆で話し合って
町のことを考えてゆく横浜にしたい」
という夢を持っていたので、

私(野本さん)も飛鳥田さんと一緒にやりたいと思い、
飛鳥田さんと一緒に
横浜のドヤ街に行った。

そして、野本さんは、
『横浜寿生活館』の生活相談員になる。

野本さんが、
横浜・寿町の生活相談員になって
わかったこととは以下。

🌕️話したいことが皆いっぱいある。

🌕️しかし、話す場所が無い。

🌕️話した内容を本当に理解し受けとめて 
改善してくれる人がいない。

🌕️聞くほうも、言うほうも、
お互いのすべてをさらけ出す。

🌕️そうすると心が解放される。

🌕️嬉しいことがあった時に
一緒に喜ぶことで、
その喜びは、2倍、3倍になる。

🌕️まず相手の話をよく聞く事が大事。
聞いた話の中に、
みんな、夢を持っている。

🌕️「自分が病気の時に
医者に無料で掛かれるといいな」
と言う話を聞いて、
署名を集めて横浜市に要望した。

飛鳥田さんが承諾してくれた。
女医さんがドヤに来てくれて、
皆がその女医さんのことを
自分の母親や
自分の妹のように思い、
女医先生のことを大事に大事にしてくれた。

それから、
「無料の病院」が街の中に出来てきた。
「夜間銀行」、
『寿夜間学校』(文字の書けない人もいた)、
「俳句会」、
そういうものがいっぱい出来てきた。
『寿住民懇談会』も出来た。

食料問題解決のひとつとしては、
横浜中華街の残飯をご馳走になっていた。

そのころ野本さんは、
自分の給料をドヤの人に渡して
一緒に暮らしていたが、
給料日の5日前になると
お金がなくなり、
中華街に行くと、
食べ残しを綺麗にして集め、
バケツ一杯貰ってきて、
皆で分けあいながら食べた。
とっても美味しくて、
それで5日間を暮らした。

❇️「貧乏」と「貧困」は違う。
❇️貧乏でも人間関係さえちゃんとあれば
❇️人間は不幸にはならない。

❇️「支え合い」を軸にした生き方をしていた。

当時はまだ、結婚はしていなかった。
若者たちが、
路上生活をしている人(ホームレス)を
殺してしまう殺傷事件が起きた。

若者が不満を抱いていて、
どこにもぶつけるところが無く、
その人たち(ホームレス)に
自分たちの不満をぶつける、 
そういう事件が起きた。


野本さんは、
「ホームレス殺害事件」をきっかけに
児童相談所に務めることになる。

社会の現実をちゃんと知ってほしいと思った。
学校のなかや社会で 
排除された子どもたちの、
行き場のない気持ち。

そんな子どもたちと
きちんと真っ正面から
関わりたいと思い、
野本さんは
児童相談所に移る。 

(ソーシャルワーカーの仕事)
社会を住みやすい社会に変えてゆく、
それがソーシャルワーカーの仕事だと
自分のなかでは意識付けられた。

ソーシャルワーカーとは、
ひとりぼっちで孤立している人たちに
人間関係をもう一度 
取り戻して行く仕事。

一気に人間関係を取り戻すことは
できないが、
ソーシャルワーカーとして
その人と人間関係を取り戻してゆく。
「もう一度生き直す」
ということをやる。

野本さんは、
ソーシャルワーカーとして生きよう
と本気で思った。


秋田宏さん(👩聞き書きされたかた。
ありがとうございます。)

すでに会社を退職してから数年経ちます。
「明日への言葉」はいい番組だと思いながら聞いていたのですが、
聞いてもすぐに忘れてしまい、
それからはパソコンに入力するようになり、
その後今年(2013年)の3月末に
ブログを立ち上げ、 
以前の内容も取り込みました。
若い人にもブログで目に留まるかと思い
投稿を続けています。
もし、周りの人にこのブログを紹介したい方がいれば
よろしくお願いします。
(誤記等いろいろ有るかとは思いますが
御容赦願います 。
又御存知かと思いますが
「青い色の文字」は「リンク」されていますので、
クリックするとより詳細な内容が判り、
全体の内容がより理解できるものと思います。


👩野本さんの言葉をその日、
私もNHKラジオ深夜便
『明日へのことば』で聴いたので、
秋田宏さんの聞き書きを
久しぶりに自分のブログで
使わせていただきました。


こういうかたがた(野本三吉さん)を探してきて、
取材してくれるNHKがすばらしいと感じました。
それをまた
聞き書きしてくれる秋田宏さんもすばらしいと思いました。

しかし、野本三吉さんの書籍は
三部作か四部作があるが、
なかなか手に入らない。
📖『風の自叙伝』(野本三吉)という著書もあるが、
入手困難。
野本三吉さんの生き方に
非常にきょうみがある自分が、
思うにかつてのドヤ街の 
現実を知られたくないからと
野本三吉さんの本を
引き出しの中に隠してはダメです。
価格も非常に高すぎる。
定価では手がのばせません。





📖『コミューン(共同体)の原像と共生の世界を求めて』
野本三吉[著]

本巻は、ひとりの生活者として 
絶えず人間の渦の中で考え、
行動してきた著者の
30年にわたる軌跡をたどる
初のノンフィクション選集、第1巻。 
コミューン(共同体)の原像と共生の世界を求めて、
日本各地の土着共同体をめぐって
放浪する著者の若き日の作品。
著書の鮮烈なデビュー作。



📖『風になれ❗子どもたち』
野本三吉[著]

ひとりの生活者として絶えず人間の渦の中で考え、
行動してきた著者の30年にわたる軌跡をたどる 
初のノンフィクション選集、第2巻。 

学校からも家庭からも見放された子どもたちがやってくる児童相談所。
著者と子どもたちとのふれあいの感動の記録。

学出会った子ども達と、
同じ時代を生きるひとりの人間として、 
喜びや悲しみや悩みを 
出来る限り共有して生きてみたい。
著者と子どもたちとのふれあいの記録。



📖『裸足の原始人たち』
野本三吉[著]

ドヤ街に住む子どもたちは、 
飼いならされた家畜ではなく、
自由に野山を駆け回る、
野生のたくましさと可能性を
一杯に秘めた裸足の原始人だ。 

第1回日本ノンフィクション賞受賞作。



(野本三吉さんに 
お考えを伝授していただければなあと願う。
昨日2021年01月14日(金曜日)の
産経新聞第1面でも読んでやはり
中ごく以外の世界中の国々にとっての大問題なのだが、 )
中ごく共産党が、
中ごくの子どもたちに
ウソの内容の教育を施す方針を
大々的に打ち出した。
『反日』教育などは
その典型だが、
今度の中ごくの教育は
もう『洗脳』そのものである。
自分の国、中ごくと
日本の歴史を
白いバラを赤いバラに
ペンキで塗り替えるように
刹那的に塗り替えた。
「中ごく人に対する
日本人の蛮行」
を教育された
中ごくの子どもたちは
号泣したそうだ。
中ごく共産党は
そのような教育をして
中ごくの子どもたちに
日本人をうらませる。

野本さん、
いったい、
どうしたらいいですか❔


日本にはまだ
野本さんのようなかたがたが
いらっしゃるが、

中ごく共産党には
野本さんのような人は
もう1人もいない。

ここで私が思うのは、
日本でも弱者や少数派は
生きるのが大変だ。 

中ごく共産党が君臨する
中ごくで、
弱者や少数派は、
いったいどのように
暮らしておられるのだろうか❔ 
それが私はものすごく気に懸かる。
救世主など1人もいない、
中ごくには
『社会臨床論』を
唱える人物は
人っこひとりいない。

中ごくで野本さんが活動されたら、
まず就業先の学校の校長が
中ごく共産党に野本さんを密告し、
ノーベル平和賞に匹敵する野本さんは、
劉暁波氏のように監禁されて緩やかな
死に向かわされ死を待つだけだ。

国のなかで国民と
特に
国の将来を担う子どもたちに
「人間とは❔」
「人間の共存とは❔」
「人間とは助け合って
生きていくほかに道はない」
「人間とは
対話して
お互いに
かかわり合って成長してゆくものだ」
という、
人間として
一番大切な生きる道を
教えてくれる人物は
中ごくや中ごく共産党の中には
もう1人もいない。


昔は居たとしても、
『文化大革命』のときに 
紅衛兵たちに
見せしめにされ
殺されてしまったのだろう。

『天安門事件』の際に、
戦車でひいて、
無差別に発砲して、
全員殺してしまったのだろう。

中ごく共産党の
大いなる欠点は、
国民に他国を恨めと教え、
中ごくがどこより一番だと教え、
国民を共産党軍隊や
国家の警察になるよう
悪の教育をし、
世界にだけでなく、
自分のところの
大切な民族にまで
数限りない蛮行を
軍隊と警察にさせることだ。

そうして、次第に国民が長い間
自分たちが中ごく共産党に
騙され続けていた事実に気付き
いつの日か
中ごく共産党が
中ごく国民に
八つ裂きにされるときも、

中ごく共産党は、きっと
「ちぇっ、 
奪っては奪い返す人生。
俺様の人生もここまでか‼️」
と嘯(うそぶ)いて、
カラ意地を張って、
犬猫のように
後ろ足で砂を蹴散らして、
そこいらじゅうに
さんざん唾を吐いて、
「チキショウ‼️」と言いながら
世界を睨み付けて
もうもうと黒い煙を出しながら
消えていくことだろう。

中ごく共産党は、
自分の命も
別段大切に思うこともなく、

人間について根本的に考え、
人間を根本的に大切にできない党だから

そんな党がはじめから
国民のことを大切にできるわけがない。

因果応報。





1📖『ダライ・ラマ自伝』ダライ・ラマ14世[著] 山際素男[訳]

2022-01-09 08:48:01 | 日記


YouTube検索ワード
『チベット問題』をわかりやすく解説おおこ
驚愕の人権弾圧❗民族浄化の実態とは❔
(大人の教養TV)


『チベット問題』
(中ごく政府による
チベット人迫害問題)とは、

中ごくの一地区である
チベット自治区に在住している
チベット人が、
中ごく政府から
迫害されているという問題。

中ごくの実態については、
『中ごく共産党』の動画で
詳しく解説しました。

司法、立法、行政、
すべてを中ごく共産党が牛耳っており、

まさに中ごくという国の権限は、
中ごく共産党が握っているという
一党独裁国家なのでした。

一党独裁体制の中ごくにおいては、
中ごく共産党に歯向かう者は
容赦なく捕らえられてしまいます。

『北朝鮮入門』の動画でも
紹介しましたが、

中央政府の権限を脅(おびや)かすものは
徹底的に排除していく、
というのが、
独裁国家存続のカギになるのです。

中ごくの国民の約94%は、
漢民族と呼ばれる人々です。

そんな中ごくでは、
漢民族以外は
中ごく共産党の権限を脅(おびや)かすもの
と認識されています。

中ごくでは、
憲法によって
信教の自由は
認められているのですが、
形式上認められているだけで、
キリスト教や
イスラム教などの
宗教を信仰していると、
厳しい弾圧を受けることになります。

そのもっとも有名な例が、
イスラム教を信仰している
ウイグル人に対する弾圧です。

『ウイグル人弾圧問題』については
別の動画で詳しく解説しておりますので、
よろしければ、概要欄からご覧下さい。


チベット人も
中ごく共産党に
絶対の忠誠を
誓っているわけではなく、
チベット仏教を信仰しているので、
中ごく政府から
迫害を受けているのです。

チベット人への迫害は、
1949年に始まります。
1949年は、中ごく人が
ちゅうかじんみんきょうわこくを
建国します。
その時「チベットは中ごくの領土だ」
として
中ごくが軍を率いて
攻め入ったのが
迫害の始まりだと
言われています。

それから現在まで
70年に及ぶ
迫害が続いています。

デモの武力鎮圧や
身柄を拘束した上での獄中死、

国境付近での
警戒射殺などによって、

(👩これには
ここまで読んでくれた
ブログのAI機能さんもびっくり‼️)

中ごくによるチベット占領後に
いのちを奪われたチベット人は
100万人から120万人とも
言われています。

(👧中ごく共産党なんか、
応援したらダメな党じゃないか‼️)

中ごくとしては、
「チベット民族は
少数民族のうちの
一民族に過ぎない」
としており、

(👴中ごくとしては、
「日本民族は
少数民族のうちの
一民族に過ぎない」
と言われて
日本人もこのように
攻撃されてもよいのか⁉️)

(中ごくは)
「中ごくのおかげで
チベットに
現代文明がもたらされた」
と言っている。

(👦現代文明をもたらすためになら
アマゾン川流域の
ピグミー族を迫害し、
殺害してもよいのか‼️
中ごく共産党‼️)

「チベットは
中ごくのおかげで
こんなに豊かになったのに、
いまでも中ごくに反発する
不満分子や不穏分子が存在する」
と中ごくは主張しています。


(👧チベット人は中ごく共産党に
おじいちゃんもおとうさんも
おじさんもみんな殺されているのに、
チベットの町が
形だけ豊かになったって
悲しみだけがうずを巻いて
チベット人にとっては
何の意味もないだろう‼️)


但しこれは、
チベットの都市部に
漢民族が移住してきただけで、
裕福になったのは
チベット人ではなく、
漢民族だけです。


(👨なあんだ‼️
聞けば聴くほど
世界の人々を
怒らす党だな、
中ごく共産党とは‼️

チベットはもともと
「非暴力」の国だぞ‼️
丸腰の国に
ひどい仕打ちをして‼️

各国の政府と企業が
どんなに中ごく共産党と
癒着していても、

世界の人間、
日本人として、
中ごく共産党の残虐行為は
絶対に許せない‼️)





👩BOOK・OFFオンラインに行けば
『ダライ・ラマ自伝』があるよ。
今はなくても予約すれば
探してくれるよ。



👴どんなに有名大学を出ても、
どんなに頭脳明晰でも、
いろんな仕事が出来て、
自宅の電化製品が壊れたくらいなら
ちゃっちゃっと修理できても、
どんなに美人でも
どんなにハンサムでも、
お金持ちでも、
学校の先生でも、
全部考え方を逆にされて、
自分の持つ長所と能力を
すべて中ごく共産党のために
使わなくてはならなくなるよ。
いったん日本が
中ごく共産党に侵略されたら。
正しい日本人をいじめて監視する。
それしか生きる道はないから。

たとえばNHIKも、
中ごく共産党党営放送に
成り下がりたいの⁉️

👩今まで大切に保管した
NHKの素晴らしい歴史的アーカイブ映像は
中ごく共産党にとって不利だから
全部ボツだよ。
中ごく共産党に勝てるかどうかは
わからないけれども、
「ダメなことはダメ‼️」と
伝えることが肝心です。

👨中ごく共産党に、
「習●平さんのことを本当に大切だ」
と思っている人間なんて
1人もいない。
中ごく共産党とは恐怖政治で、
恐怖のため保身に走る人たちの党なのです。
そんな、本当に中ごく国民の将来を懸念しない、
世界の国々のことなんか、
いずれ中ごく共産党の属国になるんだから
知ったこっちゃない。
中ごく共産党の党首のことなんか
知ったこっちゃない、
自分の地位の保身だけを願う人たちの
党ですから中ごく共産党は。

👩中ごく共産党の数人の人たちの
団結は本物の団結なのだろうか❔ 
国民を小さな点としか思わない。
新疆(新しい征服地)で制圧した
ウイグル人のことは継子(まま子・
血のつながらない子ども)のように扱い、
世界は全部中ごく共産党のものだという
党の理念自体が根本的に
間違っているから、
団結なんて無理だね。

だって、最終的には
相手を暴力で引きずりおろすって
いうのが、
中ごく共産党の根本理念だからね。




👴だから、今のうち、
しっかりと、
心だけは、
中ごく共産党などの
強権国家の考え方に
持っていかれちゃならんのです。
カネに目が眩(くら)んでは
ならんのです。
中ごく共産党の甘い言葉に
耳を貸してはならんのです。



👨たくさんの人が
中ごく共産党が
チベットにしたことを知り
アメリカのように
『チベットの人権侵害における
報告書』を作成。


チベット ラサ、
ここもまた監視カメラと
中ごく共産党軍隊と
武装警察に監視される街。


YouTube検索ワード:
「チベット、ラサ
2008年10月、監視される街」

「チベット世界遺産 ポタラ宮」

「NHK チベット仏教の聖地
ラルンガルゴンパ」
(中ごく東チベット(四川省)


YouTubeを見せたくなければ
何か理由をつけて
消してしまえばいいんだから
勝手だよね。


みんな、自分の胸に手を当てて、
自分はこんなことしてますが、
それでいいんですか❔

自分のしてることで
泣いてる人はいませんか❔

います。ウイグルだけでなく、 
チベットにもたくさんいます。

チベットは中ごくではないが、
中ごく共産党は、
チベットの土地が欲しい。

ダライ・ラマ14世が居るのだから、
チベットを1日も早く
独立させてあげたい。

👩中ごく共産党が
チベットに送り込んだ、
中ごく共産党が勝手に決めた
パンチェン・ラマ11世はにせものです。



👧中ごく共産党、
ポタラ宮は観光名所などではない。
ポタラ宮をチベット人と
ダライ・ラマ14世に返して‼️


👴ペキンや
中ごくの他の大都市もみんな、
中ごく共産党の武装警察が
監視・巡回している。
日常茶飯事だ。

👩監視って、
そんなに自分の国の国民を
なぜ監視するの❔

👨自分たちが何か悪いことを
している人たちというのは、
疑心暗鬼になって、
自分以外の人間をもう、
誰1人信じることが
できないのだろう。

👩かなり病んでるね。

中ごく共産党という
大きな隔離病棟に
入れられた健康な国民たち。

精神は洗脳されて、
ゆるいひもで細い木の根っこに
ぐるぐるっと簡単に 
ゆわえつけられているのに
逃げようとしない。
逃げられるわけがないと
信じて疑わない。

自分の出せるちからを知らない
つながれた象のような人々は、
四角い鋼鉄の
暗い、一筋の光も差さない
見えない病棟の中に
入れられている。
中ごく共産党に反発さえ
しなければ、
儲けることも自由だ。
花札や麻雀くらいは許される。
その人たちは
充電器で繋がれて
彼らのエネルギーは
中ごく共産党につながっている。
彼らはいつも眠っていて
中ごく共産党への電気を作っている。

🎥『カッコーの巣の上で』の
マクマーフィー(ジャック・ニコルソン)
のように仲間を力づけても
すぐに『ロボトミー』にされてしまう。
すると、今までおし(言葉が喋れない人)
のふりをしていたチーフという
カナダ出身のインディアン(ウィル・サンプソン)が
病院にロボトミー手術を施されたマクマフィーを
窒息させて殺して、大理石の置物を投げつけて
病院のガラスを割って、
チーフはマクマーフィーの亡骸(なきがら)を抱いて
カナダの森林のなかに帰って行くお話。
病院という権威社会のなかで
病院の考え方に染まりきった、
ラチェッドという婦長が、
同国人(アメリカ人)を同国人(アメリカ人)が
管理する典型だね。


中ごくという広大な病棟の壁は
ツルツルで
ちょっとやそっとでは登って
外の世界を見ることはできない。
中ごくの壁は天にそびえるほど高く、
上にいくほど
内側に反(そ)っている。
最後の出口の穴は、
針の穴のように小さい。
だからみんな、
これでいいか、
日常の生活に
別段支障はないし。
世界では
たくさんの人々が
弾圧されて苦しんでいるが
自分はそんなこと
知ったこっちゃない。
スマホでも見て忘れよう。
世界で起きていることなんか。


👧その中ごくのスマホは、
情報統制されていて
中ごく共産党にとって不利で
中ごく国民に絶対に見せたくない
聞かせたくない事実には
1つもアクセスできない。



👨ママの想像力には参ったよ‼️
チベットのかたがたに
ダライ・ラマ14世と
ポタラ宮を早く返してあげたいね🎵

👩そうね🎵



📖『ダライ・ラマ自伝』
ダライ・ラマ14世 [著]


山際素男[訳]


 


 


(引用、始め)


 


その一方、旅行制限の緩和により、


かなりの数のチベット人がぞくぞくと


インドへ来るようになった。


(👩ダライ・ラマ14世は


現在インドに亡命されているから )


 


(わたしダライ・ラマ14世が)これを書いている時点でも(インドに)


1万人が訪れ、


(その)半数以上--


その大半は青年たちだが-- 


わたしたちの学校や僧院大学で


学ぶために(インドに)居残っている。


 


また(チベットに)帰国した人たちも


そのほとんどがやむをえぬ理由で


(チベットに)帰ったのである。


 


わたしはチベットから新たにやってきた


人びととできるかぎり会おうと努めた。


 


どの出会いも感動的であった。


大部分の(チベット)人は、ぼろをまとい、


貧しく、純真でひどく悲しげだった。


 


わたしはつねにその人びとの生活や


家族のことを尋ねた。


答える人の目は涙に溢れ、


なかには悲惨な(チベットの )物語を


話しはじめるや、その場に


泣き崩れる人もいた。


 


またこの頃、チベットに


行ったことのある旅行者が増え、


その人たちとも会うようになった。


 


史上初めて外国人(大半は西洋人)が、


"雪の国"に制限付きで近寄れるように


なったのである。


 


だが、残念ながら中当局は最初から


厳しい制限を課した。


 


解放政策のごく初期を除いて


一定の旅行日程に従わなければ


(チベットへの)入国も許可されなかった。


 


そしていったん(チベットに)入国するや、


旅行者の訪れることのできる場所は、


厳しく制限された。


 


しかもチベット人との接触は


最低限にとどめられていた。


 


というのも宿泊施設の大部分は


中●人に握られていたからである。


 


それにそうした宿舎で働いている


わずかなチベット人は、サーバント、


清掃夫とかいった下働きでしかなかった。


 


これは依然として障害でしかない。


(👧なぜ障害でしかないの?)


 


さらに悪いことに中●人ガイドは、


(旅行者に)再建された建物だけを案内し、


 


破壊された何千という建築物を


(旅行者は)見ることができないのである。


 


たしかにこの十年間で、


とくにラサ周辺の修復作業は


大幅に進歩している。


(👨この『📖ダライ・ラマ』の第一刷は


2001年6月10日)


 


しかし、皮肉で言うわけではないが、


その工事の大半は旅行者目当てなのだ。


 


というのもこの再建された建物に


入ることを許される僧侶は中●当局の


厳しい審査を受け、修行するどころか、


再建事業を自分たちの手で


(大方は個人的寄付に頼っている)


やらねばならぬときているのだから、


観光目的以外にどんな理由がある


といいたくもなろう。


 


用心深く訓練された(中●人)ガイドのおかげで、


この事実に気づく旅行者はほとんどいない。


 


たとえ旅行者が、どうしてこんなに


修復作業があちこちで行われているのかと


尋ねても、答えは決まっている。


 


残念なことにあれは文化大革命のやりすぎがチベットにまで及んだせいである。


 


しかし中●人民は、『4人組』の支配下で


起こったことを心から申し訳なく思い、


その恐るべき過ちを全力で償(つぐな)おうと


全力を尽くしているのだ、と。


 


だが、この大破壊のほとんどは


文化大革命のはるか以前に起こっていた


という事実には口をつぐんでいる。


 


悲しいかな大部分の旅行者にとって、


チベットはおそらくエキゾチックな


観光地以上の(なに)ものではなく、


パスポートにもう一つスタンプが増えた、


くらいの意味しかないだろう。


 


人びとはいくつもの寺院を観光し、


好奇心を満足させ、色彩豊かな衣服を


まとった巡礼団を見、懐疑的になりかけた


気持ちを消すことだろう。


 


だがこれですべてが終わりというわけではない。


🌕観光にきた真の値打ちはその先にあるのだ。


 


それは経済や統計的数字となんの関係もない、


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


本当に想像力があり物事に関心のある❇️


ごく少数の人たちだけが❇️❇️❇️❇️❇️


出会えるものなのだ。❇️❇️❇️❇️❇️


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


 


それは、(諸外国からの旅行者に)


べったりくっついて離れない、


(👩👧しっしっ、あっち行け!これは


私たちの心の声。)


 


それは、べったりくっついて離れない


(中●人の)ガイドの目を盗み、


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


❇️👁️見てはならぬものを見出だし、❇️


❇️👂聞いてはならぬことを聞く耳を❇️


❇️✒️もった人びとだけに許された特権だ❇️


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


 


(👩👧👶ねっ、宮崎駿先生、


お願いします❗


ねっ、ヒツジの絵を描いて❗


 


👴ほら、こうかな❔


 


👩👧👶ちがう、そんなんじゃないの。


 


👴(え、ちがうの?)


(ハチマキ)


ほら、あんたがたのほしいヒツジは


この箱のなかに入っているよ。


 


👩👧👶そう、これ、これよ❗


私たちはこんなヒツジが


観たかったの❗知りたかったの❗


ほら、ヒツジも喜んで


ピョンピョン跳び跳ねて


いるじゃない!


(👨それは、ハイジとペーターのヤギだよ。)  


 


いまこの国際情報社会といわれる


高度に進化した時代に、


 


まさかの民族浄化、遅れた一党独裁、


民族大量虐殺(ジェノサイド)事件が


起きている。それも何年も前から。


信じられる⁉️


信じられない‼️


 


全世界、特に精神的に進化した欧米社会が驚きと怒りでひっくり返り、


 


大きな哀しみで


バケツをひっくり返したように


大量の涙を流し、


 


そうして今度こそ、民族浄化、


ジェノサイド(民族大量虐殺)などを


二度と決して再び繰り返さないことを


 


世界各国津々浦々の人たちが


自分の心にかたく誓うような


アニメーションを


制作してほしいのです。


 


そうして世界中の人びと1人1人の


熱い熱い熱湯と化した涙が


大きな大きな大河の流れとなって


「21世紀のジェノサイド撲滅」という 


力強い激流になりますように。


1分1秒でも早く。


 


どうかどうか、


宮崎駿先生とチームの方々に


お願いいたします。


 


 


👴👨世界のイルミナティ、


ロックフェラー家も


ロスチャイルド家も


のこる11家も


このジェノサイド撲滅企画を


誰も阻止してはなりません!


ジェノサイドを行使しているのは


いうなればあなたがたの


対抗勢力でしょう?


ビートルズを世に送り出した


時のように、


このアニメーション企画に


力を貸してください。


 


「なぜ・・・


誰が・・・


世界をこんなふうにしてしまったのでしょう」


 


悪魔たちは他の星に逃げればいいけれど、


その時、この美しかった地球に自分たちの


卑怯さだけを残していくのですか?


 


名誉挽回するなら今です。


どんな悪い血筋でも


死ぬ前に、去る前に、


一回くらい善いことをして


行きなさいよ。


 


『🎵野に咲く花のように』(ダ・カーポ))


という歌が主題歌の


『🎥裸の大将』というドラマがあります。


死ぬまでにいっぺんくらいこのドラマの


主人公で日本の画家の


山下清さんみたいな心になってごらんなさいよ。


この人は精神性が崇高で、言ってみれば


ダライ・ラマやガンジーと同じです。


 


あなたがたは精神性が低くて、


うわべだけの道徳心。


ただずる賢く頭がいいだけだ。


それじゃダメ‼️


 


墓場の棺桶の日の当たらないじめじめした場所に引っ込んでいた悪い種がまたガラスの棘のような芽を


出してしまった‼️


💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀


チベット、ウイグル、南モンゴル弾圧。


💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀


 


👧ありゃ~、イルミナティの13家まで


怒りのとばっちりを受けて


叱られてしまった!


 


👴👨👩👧👶


マザーテレサや


ガンジーや


キング牧師や


J.F.ケネディや


ジョン・レノンが


生きていたら何と


言うだろう(怒り)))


偉人がみんな、死んでしまった今、


あなたがたを叱るひとがもう居ない。


世紀末を見計らったように計画的に始まったジェノサイド。


 


 


「大人も子どもたくさんの選択肢を


毎日持っているんですよ。


それをどういうふうに使うかですよ」


「こういう時代は、


渇望するものがあるはずなんだよ、


気が付かないでいるけど。みんなが」


(宮崎 駿)


 


 


自分の選択肢を世のため人のために使う。


使命。)


 


 


 


(引用、続き)


1981年から87年にかけて


(チベットへの)観光客は


年間1500人から4万3千人に増加した。


 


そしてその旅行の後で


われわれを訪ねてくれた人びとは、


中●側の言う"自由"に


ほとんどなんの中身も


ともなっていないことを


教えてくれた。


 


チベットには依然(として)


言論の自由が許されていないのだ。


 


内密で中●の占領に異議を唱えても、


公では(誰も)口にしようとしない。


 


(👨仕方ないよね、弾圧、投獄、拷問されるから。家族親戚を人質に取り、精神的な拷問もある。)


 


情報は厳しく管理され、


宗教的行事も同じように制限されている。


💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀


チベットは、人びとを恐怖によって


服従させている警察国家だということは


いまやほとんど論証するまでもない。


(👧自由の街 香港も いまや香港警察がそうやっているよ。)


 


毛(●東)の死につづいて、


ほんとうの改革が始まったのだという


約束などなんの関係もなく、


 


人びとは恐怖のなかで暮らしている。


 


そして今人びとは、


自分たちがそのなかに埋没するのではないかと恐れる、


膨大な中●人移民の


絶え間ない流入に直面しているのだ。


(👩新疆ウイグル自治区の現状と同じではないですか‼️)


💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀💀


 


 


わたしの会ったチベット旅行者の多くは、


(チベットに)行く前は親中的(「中●に良い感情を抱いている」)だったのに、


現実を見(て)、すっかり(今までと)考えが変わってしまったと、わたしに語っている。


(👨嫌中派になった。)


 


また、もともと政治には関心があったけれど、


今はその(政治への)態度を変えざるをえないと感じている、とも言った、あるノルウェー人の言葉が今も印象に残っている。


 


彼は、宗教(👩仏教、キリスト教、イスラム教等)を破壊したことで中●人はよくやったと関心していたのだが、


二度ラサに行き、実際何が行われているかを知った。 チベット人を助けるために何か出来ないだろうか、と。


 


わたしはチベットから戻り、


同じような質問をする人に対するのと


同じ答えを彼にもした。


🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕


いちばんいい方法は、


あなたが見てきた真実を


できるだけ多くの人に告げること


🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕


です。


そうすることによってチベットの惨状が


世界中に認識されてゆくでしょう、と。


(P.377)


🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕


 


(👴👨👩👧👶


宮崎駿先生、私たち家族は、


「真実をできるだけ多くの人に告げよ❗」


と、ダライ・ラマ14世に頼まれましたね❗


アニメーションを製作してくださいますか?


私たち、時間が無いんです。


明日はわが身なんです。


先生、こわいんです。


チベットやウイグルの人々を


どうしても迂回して通れないのです。


先生、手伝ってください。


先生はいつも、やらないより


やって良かったって、


仰ってるではありませんか。


私たちだって、先生がもうお歳だってことなんか


重々分かりきっています。


みんな無視か、諦めか、終了!とか言ってます。


終了って、あなた、次は私たちかも知れないのに。


スマホで遊んでいる場合じゃない。)


 


 


(引用、続き)


チベットからの来訪者、旅行者などの話


から、1983年9月に始まった、


中●、チベットにおける新しい弾圧事件は


もはやさほど驚くほどの衝撃ではなかった。


 


ラサ、シガツェ、ギャンツェでの処刑、


チャムド、カルツェでの大量逮捕が伝えられた。


 


表向きの取締り(中●でも行われたは)、


"犯罪者、反社会的分子"を対象


としたものだった。


 


明らかにこれは反体制派の弾圧であった。


 


しかし、中●当局の態度が硬化したあらわれであったとはいえ、このニュースは


いい面もあった。


 


それは


🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕


チベットに特派員を送ることを許された


外国報道陣による中●の行動に関する


初めての通信だったからである。


 


この新しい弾圧は毛時代の古い、


苛酷なやり方への逆戻りの合図として


受け取られ、難民たちは強く反発した。


 


デリーやインド各地の居住地全域で


抗議デモが行われた。


 


わたし自身は、


この残虐性が


とう小平体制への保守派の


単なる反発を表わすものなのか、


 


それともチベットがふたたび


暗黒時代に入ったのかを


即断するのは時期尚早(じきしょうそう)に思えた。


 


しかし、先遣隊を送るのはもはや不可能


なのは目に見えており、必然的に


わたし(ダライ・ラマ14世)のチベット訪問も


立ち消えとなった。


 


1984年の5月までに、


チベットに対する中●の政策に


大きな変更が行われたことが


明らかとなった。


 


チベットの中●人官吏の85%は減らす


という胡耀邦の公約に反し、


移民の大々的運動が開始されたのである。


 


"開発"の名のもとに


6万人の熟練、未熟練労働者募集の募集


の手続きが始まり、


経済的保証、


住宅援助、


移住資格保証


などが与えられた。


 


それと同時に、中●内での


旅行制限緩和によって、


大勢の人間が個々に


職を求めて続々と


チベットに入り込んできた。


 


チベット人の言葉によれば、


1人の中●人が来れば、


いち10人がつづいてくる。


 


かくて巨大な民族移動が


とどまるところを知らず


つづけられたのである。


 


その(1984年の)秋、


インディラ・ガンディー首相が暗殺され、


チベット難民は真の友人を失った。


 


ロンドンからデリーに向かう途中 


そのニュースに接し大変なショックを


受けた。


 


ちょうどその日、


J・クリシュナムルティと一緒に


彼女と昼食をともにする予定だった


からなおさらであった。


 


彼女の後は息子のラジヴ・ガンディーが


継いだ。彼は若い指導者で、


国家のために尽くそうと大きな決心をし、


チベット亡命社会にもできるだけのことを


しようと思ってくれていた。


 


(中略)


 


それから一年も経たぬ間に、


チベットは最大の支援者の一人、


ロブサン・サムテンを失った。


 


彼はそのときわずか54歳だった。


ある意味で、非常な悲しみにくれながらも


わたしにはその死がそれほど意外には


思えなかった。


 


大一次事実調査団の一員として


チベットを訪れたとき、


彼(ロブサン・サムテン)の受けた衝撃は


あまりにも深かったのだ。


 


あれほどまでにむき出しの惨苦と不幸に


さらされているチベット人を無視して


はばからなかった中が、(中●を)


彼(ロブサン・サムテン)には


どうしても理解できなかったのである。


 


(👨ロブサン・サムテンは原因不明の


流感にかかり、それが肺炎に進み、


黄疸を併発し、三週間を経ずに


亡くなってしまった。)


 


②に続く。


 


 


チベット・ウイグル弾圧関連ニュース


 


 


【自由 強権】チベット亡命政権・アリヤ日本代表に聞く 「仏教への干渉は宗教的迫害」


 


2021/04/15 18:14      産経新聞


 


 菅義偉(すが・よしひで)首相が初の直接会談に臨むバイデン米大統領の政権は、中国に対し香港や新疆(しんきょう)ウイグル自治区だけでなくチベット自治区の人権を擁護する姿勢を強く打ち出している。15日までに産経新聞の取材に応じたチベット亡命政権の代表機関、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のアリヤ代表は、自治区の厳しい情報統制をはじめとする弾圧の実態を説明し、チベットの人権問題に日米がともに取り組むよう求めた。


 


 チベット自治区では、2008年3月に中国政府の宗教弾圧に抗議する大規模な反中国デモ(チベット騒乱)が起きた後も、チベット語教育の禁止など当局の抑圧・統制が進み、抗議の焼身自殺者が絶えない。


 


 現在、チベットに関する国際報道はウイグルに比べて少ないが、アリヤ氏は「情報が出ていないからチベットは平和だと考えるのは間違いだ」と訴えた。自治区の区都ラサは、いたるところに警察署が設けられている上、住民が相互に監視し合う制度もつくられ、1960〜70年代の文化大革命を彷彿(ほうふつ)させる統制社会になっているという。


 


 中●がチベット仏教の高僧選びなど仏教の伝統に介入していることには「宗教的な迫害だ」と批判した。


 


 その上で、「世界中で大事にされている価値観、子供たちのために、国際社会が団結して中国の政権に行動を変えさせなければならない」と訴えた。訪米する首相には「チベットの人権問題についてバイデン氏と認識を共有し、日米でともに取り組んでもらいたい」と求めた。


2📖『ダライ・ラマ自伝』ダライ・ラマ14世[著] 山際こ素男[訳]

2022-01-09 07:50:59 | 日記





👨ウイグル、チベット、内モンゴル、香港から、
中ごく共産党軍隊、警察の撤退を❇️❇️❇️❇️

ウイグルだけでなく、
チベットも中ごく共産党に弾圧されて
巷では「チベット終了」などと言われている。
人の国を軽々しく「終了」なんて言ってんじゃない‼️
香港が侵略されて、次は台湾、その次は日本。


👩ダライ・ラマ14世に関する書籍が
世間に出回り過ぎている。
沢山あるということは、
真に読むべきものに
なかなかたどり着けなく
操作してあるということだ。
ダライ・ラマ14世について
読むべきはなんと言っても
『ダライ・ラマ自伝』だ。

ダライ・ラマといえども
中ごく共産党によるチベット弾圧から
時が経てば、人の考え方も少しは変わるだろう。
読むべきは、チベットへの弾圧が
最高にひどいときのものだ。
チベットとダライ・ラマ14世のことが
両方書いてある書籍だ。
それは、
📖本『ダライ・ラマ自伝』
ダライ・ラマ14世[著]
山際素男[訳]
文春文庫


👨ダライ・ラマ自伝には、
日本人の未来が
書いてあるのかもしれない。
古都 京都や、
広島の原爆ドーム前などで、
観光バスの旗を持った
中ごく人観光ガイドが、
日本の名所・名跡を
ガイドする姿を想像すると、
「松島や ああ松島や 松島や」
ではないけれど、
「ニッポンや ああニッポンや
ニッポンや(残念でした)」
みたいな気持ちになります。

👩中ごくの書籍などは、
書かれている内容がウソ、
信憑性がない場合もあるのでは❔
チベットでポタラ宮を
世界各国から訪れる観光客に
説明する中ごく人の観光ガイドは、
「中ごく共産党がチベット人を弾圧していて、
このポタラ宮もチベットのダライ・ラマ14世から奪ったものである。
仕方なくダライ・ラマ14世は、いまインドに亡命している。
ポタラ宮は、本来はダライ・ラマ14世の家だ」
という事実を知っていながら
中ごく人観光ガイドは
観光客に
「中ごく(共産党)のものです」
なんて言っているのかね⁉️

👧あなたがた中ごく人が何も知らなくて、
金さえもらえりゃいいやと思ってしていることの間に
あなた方の党、中ごく共産党は、
チベットを侵略した。

👨非暴力・非服従のチベット僧侶が
そのために大勢、
全身にオイルを被って
自分自身に火を着けて
「焼身自殺」している。

👧そんな国、
中ごく共産党が君臨する国で
平和の祭典オリンピックを
開催して
良心の神様が「よし」と言うわけ
ないでしょう‼️


👦チベットのポタラ宮は、
中ごく共産党のものじゃないし、
チベットのポタラ宮は、
中ごくの観光地でもない。
ポタラ宮は、中ごく共産党のものではなく、
チベットのダライ・ラマ14世の住居だ。


 


チベット・ウイグル弾圧関連ニュース


 


 


新疆に残した家族は「人質」 亡命ウイグル族が証言―トルコ


 


2021年04月02日07時06分    jiji.com.


 


トップ記事


 


「家族が中当局の人質になった」と苦渋の表情で証言する亡命ウイグル族のリズバン・トゥムトゥルクさん=3月19日、トルコ・カイセリ


 


 【イスタンブール時事】中・新疆ウイグル自治区から迫害を逃れて外国に渡ったウイグル族の人々が、故郷の家族や親族と連絡が取れなくなるケースが相次いでいる。民族的なつながりのあるトルコに亡命したウイグル族が中部カイセリで取材に応じ、中当局が逃亡者の家族を「人質」として扱っていると証言した。<下へ続く>


 


 中の同化政策で信教の自由などを奪われていると感じたリズバン・トゥムトゥルクさん(81)は1961年、「世界に人権侵害の実態を伝えたい」と考え、「アフガニスタンで暮らす親族に会う」という名目で自治区から出た。中国当局は出国の条件として妻と子ども2人を監視下に置き、海外で自由に活動できないよう圧力をかけた。


 


ウイグル弾圧は「ジェノサイド」 韓国のビラ散布禁止も言及―米人権報告


 


 だが、トゥムトゥルクさんは「ウイグル族の大義」を信じ、アフガンからトルコに移住してウイグル問題の存在を国際社会に訴える道を選んだ。


 以降、家族とは一切連絡が取れなくなった。妻には出国前に「もし自分が戻らなければ、ほかの人を見つけて幸せになってほしい」と言い残し、自身もトルコで亡命者と再婚した。それでも元の家族への思いは捨てられず、87年に身分を偽って自治区に渡航。現地で妻も再婚したことを知ったが、面会はかなわなかった。61年に別れた際に2歳だった娘と0歳だった息子とは再会でき、既に孫もいた。その後も自治区にひそかに足を運んだ。


 2013年に渡航した際、中当局に身元が割れ、拘束された。トルコの市民権を取得していたことなどからトルコ当局が中国側に解放を働き掛け、数日後にトルコに送還された。その3、4カ月後には「息子の死亡」を人づてに知らされた。トゥムトゥルクさんは「報復で殺害された」と受け止めている。


 メフディ・オメルさん(65)は自治区からトルコに15年に逃れてきた。「16年以降、家族と連絡できなくなった」と話す。家族は中当局が近年開設したとされる「再教育キャンプ」に収容された可能性もあり、オメルさんは「何の罪もないのに中でテロリストとして扱われる」と憤った。


 


コメント


 


①息子さん、ご冥福をお祈り致します🙏ウイグルの人々が一人でも多く助かりますように…


 


 


 


②ただ、ただ


悲しい


人類として


限りなく恥ずかしい。


 


 


 


③別の報道で知ったが日本にいるウイグル人も監視されている。電話がかかってくるらしく中ごく当局次第で強制送還も可能だと脅しに近いことが行われているという。


おそらく日本の政府機関内部に内通者がいて彼らの居場所なども流していたり中国当局の意向を反映させるための権力者がいる可能性もある。


日本人はこれらの問題に目を背けずに自国内の裏切り者や反社会的な政治家の殲滅を常に心がけるべき。


 


 


 


④大企業に中共産党員が多く潜入しているらしい。この人達は当然、中共産党に忠誠している。


 


 


 


【自由 強権】チベット亡命政権・アリヤ日本代表に聞く 「仏教への干渉は宗教的迫害」


 


2021/04/15 18:14   産経新聞


 


 菅義偉(すが・よしひで)首相が初の直接会談に臨むバイデン米大統領の政権は、中国に対し香港や新疆(しんきょう)ウイグル自治区だけでなくチベット自治区の人権を擁護する姿勢を強く打ち出している。15日までに産経新聞の取材に応じたチベット亡命政権の代表機関、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のアリヤ代表は、自治区の厳しい情報統制をはじめとする弾圧の実態を説明し、チベットの人権問題に日米がともに取り組むよう求めた。


 


 チベット自治区では、2008年3月に中国政府の宗教弾圧に抗議する大規模な反中国デモ(チベット騒乱)が起きた後も、チベット語教育の禁止など当局の抑圧・統制が進み、抗議の焼身自殺者が絶えない。


 


 現在、チベットに関する国際報道はウイグルに比べて少ないが、アリヤ氏は「情報が出ていないからチベットは平和だと考えるのは間違いだ」と訴えた。自治区の区都ラサは、いたるところに警察署が設けられている上、住民が相互に監視し合う制度もつくられ、1960〜70年代の文化大革命を彷彿(ほうふつ)させる統制社会になっているという。


 


 中国がチベット仏教の高僧選びなど仏教の伝統に介入していることには「宗教的な迫害だ」と批判した。


 


 その上で、「世界中で大事にされている価値観、子供たちのために、国際社会が団結して中ごくの政権に行動を変えさせなければならない」と訴えた。訪米する首相には「チベットの人権問題についてバイデン氏と認識を共有し、日米でともに取り組んでもらいたい」と求めた。


 


 


 


(📖『ダライ・ラマ自伝』引用、続き)


 


1978、81、84年のアメリカ訪問の


大勢のアメリカ人がチベットのために


何かしたいと申し出てくれた。


 


その端的なあらわれとして、


1985年7月、アメリカ国会議員91名が


中政府とわたしの代表と直接会談支持を


表明する、当時の国家首席、李先念宛の


書簡に署名してくれた。


 


書簡は中に対し、


「ダライ・ラマ法王とその国民の


まったく道理に叶った希求に


万全の考慮を払うよう強く要請するもの」


であった。


 


初めて、チベットは正式の政治的支持を


獲ち得たのである。


 


それは、われわれの要求の正しさがついに


国際的に認められた前進的兆しとして


受け取れる何ものかではあると


わたし(ダライ・ラマ)は思った。


 


さらにその証拠として、


他の国々でも人びとの間に関心が高まり、


アメリカと同じ措置を採りはじめた。


 


そして、1984年初め、首都ワシントンの


アメリカ議会人権評議会から招聘状が


届いた。もちろん喜んで受諾した。


訪問の時期は秋と決まった。


 


一方、わたしの古い友人たちは、


この機会を利用して、


チベットの要求のなかに世界中の


正義を支持する人たちが認められるような


なにか明確な目標を提示してはどうかと


勧めた。


 


素晴らしい助言だと思い、この何年もの間


わたしの心に去来していたいくつかの考え


を明確なかたちにしはじめた。


 


アメリカに向かおうとしていた矢先、


アメリカ議会は、チベットにおける


人権侵害に関する新しい報告書を


発表した。


 


そのなかで、報告書は1985年の


李先念首席宛の書簡が無視されたことを


指摘し、


「"ダライ・ラマのまったく道理である、


正当な希求"に中ごくが考慮を払っている


ことを示す確証はどこにもない」


といっている。


 


1987年9月21日、(ダライ・ラマは)


アメリカ議会で演説をした。


 


そこでわたしがした提案は、以来


和平五項目案 として知られるように


なった。


 


それ(「和平五項目案」)は、


次のものからなっている。


 


1.チベット全土を平和地帯に変える。


 


2.一民族としてのチベット人の


存在そのものを脅かす中ごくの


人口移住政策の廃止。


 


3.チベット国民の基本的人権


並びに民主的自由の尊重。


 


4.チベットの自然環境の回復と保護


並びに、核兵器生産にチベットを利用する


ことを止め、核廃棄物の処理場とすること


の禁止。


 


5.チベットの将来の地位並びに、


チベットと中ごく国民の関係について


真剣な話し合いの開始。


 


以上の案を手短かに提案した後、


出席者からの質問をうながした。


 


そして、そのとき、聴衆のなかに


どう見ても中ごく人としか思えない人たちが


何人もいるのに気がついた。


で、中ごく人なのかどうか尋ねると、


ちょっとためらい、「そうだ中ごく人だ」という。


彼らはNew Flower(新しい華)社の報道員だった


のだ。


 


それ以後、いついかなるときでもペキンは


わたしが海外の公開の席で喋るときは、


監視員を送りこんでいることに気づいた。


 


この男女たちは、わたしに対して


個人的行為を示すことが多かったが、


 


ときおり否定的になったり嫌みな


態度をとろうとするときは、


(👧誰が誰に?


主語は誰?)


 


その顔は罪悪感で歪んでいた。


(👩監視員本人たちが主語


ではないかしら?


中ごくから指示された通りの言動をするには


するのだけれど、


 


「なんだか自分のしていることは


フェアーではないかも」と、感じるの


かもしれない。中ごく人は賢いから。その


賢さに倫理・道徳心が加わったら中ごくは


どんなにすばらしい国になるだろうと


魯迅がきっと願っているよ。


 


顔が罪悪感で歪む理由は、


New Flower(新しい華)社の監視員たちは、


欧米とか日本の大学などに留学しに来て


学んだ経験がある人たちかもしれない。


自分の国から海外に出ていっぺん暮らして


みれば世界がどんなに開かれているか


わかるだろう。


かの魯迅も日本に留学したからこそ、


📖『とっかん』『故郷』『阿Q正伝』


『狂人日記』などが著せたのだろうと


思います。


 


👧おかあさんは魯迅が好きだね。


 


👩国を憂れう人だから。


自分の祖国を心配する人だから。


 


14億もいる国民は、ほとんど地球の


大部分だ。だからどうしても


善い国、善い国民に変化していただかねば


地球はあなたがたの一部の方々のおかげで


存続することができない。


 


「お金は腐るほど持っているのに


遊び方を知らない」とのたまって、


中ごくの大富豪たちに大金を放出させて遊び方を


教える英米人たちの商法を映す


YouTubeがある。


 


中ごくの億万長者の奥さんたちに


ファッションセンスと必須アイテムを


教えてお金を出させるブランドや


プランナーたちが出演するYouTubeが


ある。彼らは自分がしていることが


間違っていないと思ってやっている


のだろうか?


 


中ごくの大富豪は、彼ら先生の言うことをよく聞いて


大金を払ってファッションセンスを磨いている。


自家用飛行機やクルーザーで自分の財力を誇っている。


 


 


けれども、それでよいわけがない。


肝心の「こころ」はどこへ


置いてきてしまったのか?


他人より高価なものを持って満悦する時代は


とっくに終わっているのに。


 


そう考えると、


進化の過程と度合い、というものは


国や地域、環境ごとに違うのだとわかった。


 


日本だって、


「日本列島改造論の頃、


👑『開発』と呼ばれ


👑『進歩』だと思われていたものが、


実は💀『破壊』だった」


と今は日本人みんなが知っている。


 


この国ごとの進化の違いを克服するためにはいったいどうしたらよいのだろうか?


 


チベットやウイグルのように


まったく身勝手な理由を付けられて


殺されていく人びとを先進国の私たちは、


見殺しにしていくしかないのだろうか⁉️


 


弾圧を強行している国自体、ほんとうの


先進国と言えるのだろうか⁉️   言えない。


 


その国の過渡期の時代に


その国の国民として


生まれた落ちたのだから仕方ないのか⁉️


 


身体に悪影響を及ぼす黄砂の砂塵も


PM2.5も、甘んじて吸い込む


しかないのか?


 


チベット弾圧も、激しい弾圧に


反対して焼身自殺する僧たちを


私たちは驚愕しながら


ただ見ているしかないのか⁉️


 


ウイグル人への民族浄化、


この進化した国際情報社会の


21世紀にあるまじきジェノサイドを


私たちは産経新聞のニュースにより


その酷さを想像し、ただ呆然として


涙を流すしかないのか⁉️


 


いままさに強制職業訓練センターに


閉じ込められており、


24時間監視されている家族を心配する


ウイグル人の方々が日本に助けてほしいと


哀願しにきている‼️


欧米諸国と米国と共に協力し、


なぜ日本は手を差しのべようとしないのか⁉️


 


「いじめ」の定義は、


「傍観するものはいじめの同罪」 


だったではないか‼️


 


救助の方法はまだ定まらなくとも


助ける意思だけは先に出すべきだ‼️


まさか、金と人命を秤にかけているわけでは


あるまい。


 


オスカー・シンドラーや


杉原千畝らがたった1人でやったことを


日本はまだできないでいる‼️


半導体を全部中から輸入しているから


中ごくの機嫌を損ねたくないなどと


心中思っている。)


 


 


 


 


 


 


(引用、続き)


 


以上の案(「和平五項目案」)なるものを


平たく説明しておこう。


 


最初の項目、カム、アムドという


東チベットを含むチベット全土を


アヒンサー(ヒンディー語で


平和と非暴力を意味する)地域に


変えるというわたしの(ダライ・ラマ)の


提案は、


 


平和な仏教国としてチベットの立場を


保つことである。


 


それは、ネパールが自国を平和地域として


宣言しようとしている動き--


すでに中が支持を表明しているように--


とも一致するものである。


 


もしそれが実現されるなら、


チベットは強大国を互いに隔てる


中立的緩衝国として歴史的役割を果たす


ことができるだろう。


 


アヒンサー地域の主要点は次のとおり


である。


 


🌕チベット全高原を非武装化する。


 


🌕チベット高原における核兵器並びに


その他の武器の製造、実験、保有の禁止。


 


🌕チベット高原を、世界最大の自然公園


あるいは自然保護区域とする。


野生動物と植物生態系を保護する厳しい法


を実施する。


天然資源の開発は、


生態系を破壊しないよう


注意深く規制される。


人が住んでいる地域には持続可能


(前述の条件を満たすかぎりの意


であろう)な開発政策が適用される。


 


🌕有害廃棄物を排出する、原子力その他の


産業技術の製造並びに利用の禁止。


 


🌕天然資源の利用並びにその政策は、


平和と環境保護の積極的促進に


向けられる。


平和の促進とあらゆる形態の


生命の保護に尽力する組織は、


チベットで温かくもてなされる☕。


 


🌕人権の促進と保護のための


国際的、地域的組織の設置は


チベットにおいて奨励される。


 


アヒンサー地域が設けられれば、


インドもチベット国境のヒマラヤ地帯 


から軍隊と基地を撤去できるだろう。


 


これは、中ごくの正当な安全保障要求を


見たし、


チベット、中ごく、インドその他関係地域


の民族間の信頼を確立させる国際条約


のもとで実現されうるであろう。


 


これはだれにとっても望ましいこと


であり、とくに、その安全性を強化する


がゆえに、インド並びに中ごくは、


国境紛争地域に集中させている軍隊の


維持に必要な経済的負担を軽減させる


であろう。


 


歴史的にいって、中とインドの関係は


一度も緊張したことはなかった。


 


中ごくがチベットに軍隊を進攻させ、初めて


両者にまたがる共通の国境を作り出す


ことによって両国間に緊張が生まれ、


1962年の中印戦争にまで発展して


しまったのである。


それ以後、無数の危険な事件が発生し


続けている。


 


もし両国が、これまでの歴史を通じて


ずっとそうであったように、


大きな、友好的中間地点によって


へだてられるなら、


 


世界最大の人口をもつ両国の友好関係の


回復に大きく貢献するであろう。


 


チベット、中両国民の関係改善に、


何よりも必要なのは信頼の確立である。


 


過去30年にわたる大量殺戮によって、


信じがたいだろうが、


125万ものチベット人が、


💀飢餓、


💀処刑、


💀拷問、


💀自殺などで死に、


💀数万人が強制収容所に


(👨👩👧えっ⁉️)


閉じ込められており、


中軍隊の撤退のみが、


真の調停交渉の道を


開くことができるのである。


 


チベットにおける強大な占領軍の存在は、


チベットのなめてきた辛苦と抑圧をつねに


思い起こさせる。


 


🌕軍隊の撤退こそが、


友情と信頼に基づいた有意義な関係を


中との間に将来うちたてることができる


最も大切な要素(方法)なのだ。


 


📖本『ダライ・ラマ自伝』ダライ・ラマ著


山際基男[訳]


 


レビュー


 


①過去の話ではない。今、自分達の生きている世界で何が起こっているのかを、まずは知ることから。


 


ペキンオリンピックが連日テレビを賑わせている中なかで起こる暴動やテロ。


 


暴力を容認する事は出来ないけれど、なぜ暴動が起こるのか、半世紀以上のも間


チベットで何が起きているのか。


チベット仏教の最高峰、活仏ダライ・ラマ。


その生き方は


「わたし自身は一箇の人間にすぎず、たまたま仏教僧たらんとする一チベット人なのだ。」


という言葉にも現れています。


 


❇️中ごくの人も、この本を自由に手に取って読める日が来ることを願います。


 


 


 


②YouTubeでチベットの映像を観た。そのコメントではアンチ・ラマとアンチ・チャイナとの論戦(?)が火花を散らしている。


アンチ・ラマ側の主張は、チベットに発展をもたらすのは中であり、それを守っているのも中であり、ダライ・ラマとは独裁者であり、独裁者とはダライラマであるとうものだ。強烈なアンチ・ダライラマのチャンネルに、中ごくが「解放」する以前のチベットがいかに後進国的で、国民の生活がいかに苦しかったかを伝えるスライドショーがある。そこには、重そうな荷物を運ぶ女性や、やせ細った子供、しわだらけの若年女性などなど、チベットの「惨状」を示す証拠写真が挙げられている。


もしかしたら僕も、「メディアに洗脳され、ダライ・ラマの術中にかかった人間」かもしれないので、この写真に関するむやみな突っ込みはやめておこうと思うが、気になることが一つある。チベット「解放」後の平和で発展したチベットの写真はないのか?今のチベットの暴動についてアンチ・ラマは「せっかく平和だったのに、一部の(一部には見えないが)テロリストが治安を悪化させている。」のだと主張する。中政府が統治すれば暴動、チベット政府が統治すれば腐敗。だとすれば、チベットという国は誰が統治しても、荒廃してしまう人間の巣窟ということになる。つまりそんな恐ろしい人間が住んでいる国であるとすれば、🌕国際社会が協力して包囲していかなければならない。中だけの国内問題ではない。なのにどうして、中はチベットを隠そうとする?


チベットは一体どうなってるんだろ?イマイチ良くわからない。いろんな動画がある。いろんな批判がある。批判意見をすべて受け入れ、共通する主張をもとに中立的主張をしようとすれば「全ての動画は嘘つきだ。すべてのコメントはウソだ。」ということになる。でももし、アップされてる映像がすべてプロパガンダなのだとしても、明らかなことは、今チベットがひどい状況にあるということだ。


🌕全てを白日の下にさらすこと。それがこの難題が解決へと進むための第一歩だ。この本を読んでみて言えることは、❇️ダライ・ラマならばそれができるということである。


 


 


 


③『ダライ・ラマ自伝』(ダライ・ラマ著、山際素男訳、文春文庫)を読み終えた。 


 🌕中ごくによるチベット圧制の様子がよく分かる。


🌕事実とすれば大変なことである。 


 


 ❇️それにもかかわらずダライ・ラマが赦(ゆる)しの心で接しようとするところに救いを感じる。私もそれに倣(なら)いたい。以下、心に残った文章をあげる。 


 


💀「この苦しみは無知によって引き起こされており、人は己の幸せと満足を得んがため他者に苦痛を与えているのだと固く信じている。❇️しかし真の幸せは心の平安と充足感から生まれるものであり、❇️それは愛他主義、愛情と慈悲心を培い、そして💀怒り、自己本位、貪欲といったものを次々と根絶してゆくことによって獲得できるものなのだ。 


 


 ある人々には、これは無邪気すぎるように聞こえるかもしれないが、その人に言いたい。どんな世界から私達が生まれてこようと、🌕根本的に我々は同じ人間なのだ、と。私たちはすべては幸せを求め、苦痛を避けたいと思っている。🌕我々の基本的要求と関心は同じなのだ。さらに、🌕私たちはすべては自由を欲し、個人として己の運命を決定する権利を求めているのだ。❇️これが人間性というものである。(中略) 


 


 と同時に、💀今日われわれが直面している諸問題、💀武力衝突、💀自然破壊、💀貧困、💀飢えその他諸々は、ほとんど🌕人間が作り出しているのだということを忘れてはならない。🌕それらはきっと解決しうる。だがそれは🌕人間的努力、相互理解、兄弟姉妹感を育てることによってのみ可能なのだ。これを成し遂げるには、🌕善意と自覚に立ってお互いに対する、


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


そしてわれわれが共有する地球への普遍的責任感を深めてゆかねばならない」 


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


→そう思う。そのためには人は“輪廻転生する魂である”と認識することが助けになるのではないか?というのはもし自分が再生するとはっきり自覚すれば、将来自分が生まれていく環境が今より悪化している所には行きたくないと思うだろうから。 


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


 “孫子のために”というよりも“自分のために”なるというふうに腑に落ちれば、小林正観氏の言う“究極の損得勘定”じゃないけど、🌕この星を住みやすくするという行為により熱意がこもるのではないか? 


 


「愛と慈悲の心を育ててゆく上で、私にとっては仏教が役立っているが、愛や慈悲といった資質は、宗教があってもなくても誰にでも深めてゆけるものだと確信している。そして私はさらに、🌕🌕すべての宗教はみな同じ目標、善なるものを培い、すべての人間に幸せをもたらす、という共通の目標を追求していると信じている。方法こそ違っているように見えても目標は同じなのだ。 


(👩👧月面着陸して


月から地球を見た宇宙飛行士も


同じような内容のことを述べている。)


 私達の生活に、科学がますます大きな影響を及ぼすにつれ、❇️宗教と精神性もまた私達の人間性を考えさせるうえでいっそう大きな役割りを担ってきている。両者の間に矛盾は無い。どちらも互いへの貴重な洞察をもたらしてくれる。🌕科学と仏陀の教えはともに、すべてのものの基本的合一性をわたしたちに告げているのだ」 


 


→鈴木秀子先生が臨死体験された時に「この世で大事なことは愛することと知ることですと諭されました」と書いていた。(『A・NO・YO』(新潮45、江原啓之編集、新潮社) 


知ること=科学=左脳=顕在、愛すること=精神性=右脳=潜在… それと繋がるなぁ。 


 


そして私の今生での名は“聡哲”。“聡”は智慧、科学、知ること…、“哲”は愛情、精神性…を意味し、両者の統合、橋渡しが僕の役割りの一つと考えていることもあり、このへんのダライ・ラマの話には深く共感する。 


 


また、別のところで🌕


 


「人間には物質面、🌕精神面両方の発展が必要である」旨の発言があり、この点も今更ながら再認識させられた。🌕人は“物質”も魂の成長の道具として使えばいいのだ、と。🌕ややもすると自分の中に“物”を軽んじる傾向があるから。 


 


さらに「わたしは半マルキシスト的人間だといったが、🌕もし実際に選挙で一票を投じるとすれば環境保護に熱心な党に入れたい。最近の世界における最も建設的進展の一つは自然の大切さへのいっそうの自覚である。そこには宗教とか神聖さなどといったものは介在しない。


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


われわれの惑星を大切にするのは、我が家を大事にするのと同じだ」という文章に触れてとても嬉しかったな。


❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️


 


 


④🌕チベットとウイグルの尊敬すべき点は、


「憎しみにかられて


なにをするかわからない


🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕


というふうに報復に走らないところ。


 


チベットのダライ・ラマ14世の慈悲深い言葉。


家族の行方をさがすウイグル人の方々が


ウイグル人の現状を世界に説明する際の


落ち着いた語りくちに


つくづく国の性格の善さを感じた。


1日も早くウイグル人の方々の


ご家族が元気に生還されることを


心から願っています。


 


チベット・ウイグルの皆さん、


ほんとうにごめんなさい、


あたたたちの巣をさわがして。


あなたがたの国をめちゃめちゃにして。


でもわかって。


わたしたち、あなたがたの敵じゃないの。


 


中ごくよ、あなたはなぜ殺すの?


チベット人もウイグル人も


なんにも悪いことしてない。


 


あなたは殺しすぎた。


あれでは再建もできない。


 


 


いやできる。


大切に大切に積み上げた


街の記憶さえあれば


きっと出来る。


 


大切に大切に積み上げた


街の記憶のない国よ、


造っては壊し造っては壊し、


歴史の積み重ねを一切持たぬ国よ、


お別れです、さようなら。


 


追伸:フェアトレードとエコは、


国際市場にとって必須条件の常識です。


(ウイグル綿)


 


 


米、ウイグル綿製品を全面排除 強制労働で対中圧力―日本に影響も


2021年01月14日08時34分


jiji.com


 


 【ワシントン時事】トランプ米政権は13日、中ごく政府が新疆ウイグル自治区で少数民族に強制労働をさせているとして、新疆地区で生産された全ての綿製品とトマトの輸入を禁止すると発表した。生産者を問わず地区全体を禁輸対象とし、対中圧力を一段と強める。英国やカナダも対策を強化しており、日本が対応を迫られるのは必至だ。


 


英・カナダのウイグル対策に反発 強制労働、存在せず―中国


 


 トランプ政権は昨年、新疆地区の強制労働をめぐり対中制裁を連発し、中国共産党の傘下組織で綿花の主要生産団体である「新疆生産建設兵団(XPCC)」からの輸入を禁じた。人権問題を重視する米民主党のバイデン次期大統領も、ウイグル族弾圧に厳しい姿勢で臨むとみられている。(2021/01/14-08:34)