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『ダライ・ラマ自伝』ダライ・ラマ 著 文春文庫

2022-01-28 20:53:06 | 日記


👨朗読する前にひとこと。
「中ごく共産党が準備したベッドが快適で
ペキン五輪選手村で選手たちが
大絶賛している」というメディアのニュース。
いい加減にしてよ。
どんなに選手村のベッドが快適でも、
中ごく共産党がしている『ウイグル・ジェノサイド』は許されません。

中ごくもベッドの快適さとウイグル人の方々の命とは、到底比較にはならないことをわかってやってんのか‼️

事の経過を知ってか知らずか、
今は中ごく共産党を褒め称えるようなことをしたらいけない‼️

簡単に騙されて帰ってこない‼️
相手はそうなることを予想してやっているのだから。

昔、モンゴルに行って歓待を受けて帰ってきた知識人たちと同じじゃないですか‼️
「中ごく❔とってもいい国だったよ。」

メディアも悪いよ‼️
その歓待、その甘言で
ゆくゆく中ごく共産党に侵略されていくんだ。

👧人間って、こんなに弱いの❔
人間って、こんなに騙されやすいの❔

きっとそうなんだね。

👨なんか世界が、
騙されていく映画のストーリーのように観えてきました。

👩それでメディアは、
中ごくの用意したベッドが快適で最高だと
五輪選手達が言っていると報道したのは事実だからいい。
それについて何を思うの❔
どんな感想を述べるの❔
中ごく共産党は現在進行形で『ウイグル・ジェノサイド』を続行中の強権国家よ‼️

👧まぁまぁ、おかあさん、
そのメディアは中ごくのメディアで、
中ごく共産党の自画自賛かもしれないよ。


👨いまもうその記事はないよ。



東スポWeb
中ごく批判したらアウト~!ペキン五輪での政治的メッセージに厳罰 選手に懲役刑も
2022年01月20日 16時00分


中ごく・習●平国●主●(ロイター)
 中ごく政府がペキン五輪で政治的メッセージを発信した場合に厳罰を科す方針を表明し、アスリートが長期の懲役刑で収監される可能性が出てきた。


 米紙「ワシントンポスト」は「組織委員会の関係者が、外国選手が中ごく法に違反する発言をした場合、処罰を受ける可能性があると警告した」と報道した。

 ペキン五輪の組織委員会も「オリンピック精神に合致するすべての表現は保護するが、精神に反する行動や言葉、特に中ごくの法律に抵触するものは特別な処罰対象だ」との方針を示している。

 ペキン五輪を巡っては、新疆ウイグル自治区での人権弾圧問題で、米国をはじめとした国が外交ボイコットを表明。現在も世界中から批判の声が上がっている。

 中ごく政府はそうした批判や政治的デモに対して、SNSでのコメントに対しても懲役刑で罰するなど厳しい姿勢で臨んでいる。もし選手がペキン五輪で新疆ウイグル問題などに関連したメッセージを発信すれば〝重罪〟となる見込みで、たとえアスリートであろうと中ごくの国内法にのっとって刑務所行きになる恐れがあるのだ。

 こうした背景から、人権団体「ヒューマンライツウォッチ」は、選手たちに対して「ペキンにいる間は、中ごくの人権問題に対して批判的な発言をしないようにしたほうがいい」などとアドバイスしている。


(👧そらみたことか‼️
ベッドの快適さどころじゃなくなった‼️
いや、選手の新疆など発言に中ごくの国内法で懲罰のニュースが先(1月20日)で、
選手村のベッドの快適さのニュースは昨日だったかもしれない。
選手が中ごくを仕方なく誉めてんのかもしれない。
だって怖いでしょ。
そんな風にオリンピックで言論統制して、
そんなオリンピックはオリンピックと言えないでしょ。
やっぱり選手の部屋に盗聴器はあって、
選手がつい口を滑ったら
どんなことになるか⁉️
恐怖で体が震えて平行棒から落ちちゃう‼️
やっぱりペキン五輪、開催しなけりゃ良かったでしょ‼️
👨新疆訪問も🇺🇳国連と中ごく共産党にうやむやにされちゃうかな⁉️
👧だめだよ、損なこと‼️)









歴史的にいって、
中ごくとインドの関係は
一度も緊張したことがなかった。

中ごくがチベットに軍隊を進攻させ、
初めて(中ごくとインド)両者に跨(また)がる共通の国境を作り出すことによって両国間に緊張が生まれ、
1962年の中印戦争にまで発展してしまったのである。

それ以後、無数の危険な事件が発生し続けている。

もし両国が、これまでの歴史を通してずっとそうであったように、
大きな友好的中間地帯によって隔てられるなら、世界最大の人口を持つ両国の友好関係の回復に大きく貢献するであろう。

チベット、中ごく両国民の関係改善に、
何より必要なのは信頼の確立であり、
過去30年にわたる大量殺戮によって、
信じがたいだろうが、
125万人ものチベット人が
飢餓、
処刑、
拷問、
自殺などで死に、

数万人が強制収容所に閉じ込められており、

中ごく軍隊の撤退のみが、
真の調停交渉の道を開くことができるのである。

チベットにおける強大な占領軍の存在は、
チベット人の嘗(な)めてきた辛苦と翌圧を
つねに思い起こさせる。

軍隊の撤退こそが、
友情と信頼に基づいた有意義な関係を
中ごくとの間に将来うちたてうる
最も大切な要素なのだ。


用心深く訓練された(中ごく人)ガイドのおかげで、
この事実に気づく旅行者はほとんどいない。

たとえ(チベット)旅行者が、どうしてこんなに
修復作業があちこちで行われているのかと
尋ねても、答えは決まっている。

残念なことにあれは文化大革命のやりすぎがチベットにまで及んだせいである。

しかし中ごく人民は、『4人組』の支配下で
起こったことを心から申し訳なく思い、
その恐るべき過ちを全力で償(つぐな)おうと
全力を尽くしているのだ、と。

だが、この大破壊のほとんどは
文化大革命のはるか以前に起こっていた
という事実には口をつぐんでいる。

悲しいかな大部分の旅行者にとって、
チベットはおそらくエキゾチックな
観光地以上の(なに)ものではなく、
パスポートにもう一つスタンプが増えた、
くらいの意味しかないだろう。

人びとはいくつもの寺院を観光し、
好奇心を満足させ、色彩豊かな衣服を
まとった巡礼団を見、懐疑的になりかけた
気持ちを消すことだろう。

だがこれですべてが終わりというわけではない。
🏯🏰観光にきた真の値打ちはその先にあるのだ。

それは経済や統計的数字となんの関係もない、
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
本当に想像力があり物事に関心のある❇️
ごく少数の人たちだけが❇️❇️❇️❇️❇️
出会えるものなのだ。❇️❇️❇️❇️❇️
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️

それは、(諸外国からの旅行者に)
べったりくっついて離れない、

(👩👧「しっしっ、あっち行け!」
これは私たちの心の声。)

それは、べったりくっついて離れない
(中ごく人の)ガイドの目を盗み、
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
❇️👁️見てはならぬものを見い出だし❇️
❇️👂聞いてはならぬことを聞く耳を❇️❇️
❇️✒️もった人びとだけに許された特権だ❇️
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️






P.390
わたしは、平和五項目案をペキンが非難した直後、
1987年、9月、10月にデモが起こったということを後で知った。

数千人のラサ市民は、チベットの独立を求めて街頭に躍り出たのである。

当然中ごく当局は残酷な暴力に訴え鎮圧を図った。

武装警官隊がデモ隊紛糾に投入され、

無差別銃撃の末、
少なくとも19人が射殺され、

さらに多くの市民が負傷した。

最初(中ごく)当局は銃撃の行われたことを否定した。

6か月後、治安警察の一部が(チベット人の)群衆の頭上に警告的発射をしたことを認めた。

しかし、彼らはそのうち何発かが、
何事もなく地上に落下せず、
群衆に当たったのかもしれないと
仄(ほの)めかした。

これを聞いたときわたしは、
新兵器➖チベット人の血を吸いたがる弾(たま)でも開発したのかと思ったほどである。

デモと銃撃のニュースは世界を駆け巡り、
1959年以来初めてチベットが(新聞などの)見だし記事になった。

しかし事件の詳細を知ったのはかなり早かった。

これはそのときたまたま現地に居合わせたヨーロッパ人旅行者のおかげである。

そのうちの40人が共同で、

彼らが目撃した虐殺の報告書を出してくれた。

これによって。二つのデモが同じパターンであるのがわかった。

最初の一団の僧が、ジョンカン寺院の前に集まり、
「ボゥ・ランツェン‼️(チベット独立万歳)」
と叫んだ。

たちまち数百人の市民がそのまわりに集まり
それがみるみる数千人になり、
自由の叫び声となった。

つづく