占い師横山順一ブログ。視覚障害者の占い師横山順一のブログです。昭和41年4月生まれ。

元道頓堀占い横町の占い師。
現在、神戸駅付近でうらうラコウベと言う占い点を経営。
数理学で有名な金澤葉香先生門下。

私が占い師になった理由。

2017年09月09日 | 占い師の裏話2
 今日は、私が占い師になったその理由を書きたいと思います。
 まず、私は父が鍼灸マッサージ師、母もマッサージ師と言う環境で、
3人兄弟の長男として生まれました。
 父は、文字が書けないが少し見えるぐらい、母は弱視ですが、
結構当時は見える方でした。
 そして、私自身は、先天性白内障で弱視だったのですが、
幼稚園の時に手術をして、めがねをかけて1,2と、
1,0まで見えるようになっていました。
 ですが、10歳、11歳の時に網膜剥離の様な状態となって、
一気に視力が0になってしまいました。
 勿論ほぼ普通に見えていて一気に視力を失ったのは
ショックではありましたが、父の友達が視覚障害者ばかりだったので、
その仲間入りをしたと言う漢字で、当時はそれほど辛くはありませんでした。
 ですが、私の父と母は、ものすごく中が悪くて、
中学校ぐらいから、ずっと喧嘩ばかりの家庭でした。
 だからか、一時期は、プロテスタントのキリスト協会に、
通っていたこともあります。
 きっと無意識の中に助けを求めていたのかも知れません。
 そして、23歳くらいの時に2年ほど、
物事が全くうまく行かなくなったことがあり、
(そう言えば、10年ぐらい前も、2,3年悪い年があったなあ。)
と言うことを想い出し、人の運命には
何だかの法則性のような物があるんじゃないかと、
感じたことが最初のきっかけでした。
 それから、様々な本を読む内に、六星占術入門と言う本に出会い、
そこから、いろんな占いの方にも、興味を持ち、
徐々に学ぶと友に、様々な占い師の先生に鑑定していただく用になりました。
 私、(家のことでものすごくしんどくて、
父と母がしょっちゅう喧嘩しているんです。)
 先生、(35歳になったら、楽になりますよ。)
 あるいは、別の占い師の先生、
私、(父が家にいない方が良いですか。
それとも、やはり家族でいた方が良いですか?)
 先生、(五行易で占って、
(お父様が一緒にいない方が良いと出ていますね。)
などなど、私自身は、占い師の先生に、
かなり助けられたのでありました。
 実際に、私が35歳近くになって両親が別居、
36歳になってから、要約自分が思った通りに生きて行ける用になりました。
 そして、元々マッサージの仕事を沢山できない方だったので、
視覚障害者にパソコンを教える仕事をするか、占い師なるか迷った末に、
占い師になることを選択したのでした。
 昔、鍼灸マッサージ師の学校に通っていた時のクラスメイトなどは、
私が占い師になるとは、全く思っていなかったことでしょう。
 漢方、東洋医学概論何かの授業中は、みかんを食たり、
他の授業の宿題をしてたり、寝てたりしてましたから。
 当時は、東洋医学派で無く、西洋医学派だったので。
 そうしょう関係、木は火を生じ、火は土を生じ、
土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じるとか、
6星、木、火、土、金、水、天王星とか、
5味、酸、苦、甘、辛、かんなど。
 ですが、何が後になって役立つか判りませんね。
 今は、昔もっと漢方を勉強していたらと、時々思ったりもするのですが。
 その後、2003年6月から占いの城コスミック江坂店で、
最初観月先生の元で、後に金澤葉香先生の元で占いを学んで、
2004年の8月から本格的に占い師として活動を開始したのでした。
 と、言うことで、ここのところ殺伐とした話題が多かったので、
今日は、私が占い師になった理由を久々に書いて観ました。
 鍼灸マッサージの仕事をしていた時からすると、収入は大分減りましたが、
今は、やりたい仕事をしているので、私は一応幸せであります。
 ps=2017年9月10日一部内容を補足しました。

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