骨の形のおもちゃを
耳に当てているCocoさんが
電話をかけているように見えたので
今日は電話のお話。
昭和初期の電話は
送話器と受話器が分かれていて
受話器を耳に当てながら
送話器に向かって話す、というもの。
送話器は家の柱などに固定されていたので
会話をするときは
立ったままでなくてはいけませんでした。
やがて
受話部分を耳にあてながら会話ができる
現代のものに近い形の、黒電話が
各家庭に普及。
同時に
「もしもし。誰もでんわ」という
定番のギャグも、全国に浸透しました・・・たぶん。
当時の電話機はダイヤル式で
番号の部分に指を入れて
ダイヤルを回すことで
相手先につながる仕組み。
回し切ったら指を離して
自然にダイヤルが戻るのを待ちます。
戻るまでの時間で
数字を判断しているとのことでした。
まわりきったCocoさんも
待っていれば自然に元に戻ります。
戻るまでの時間は
見ている夢の長さかもしれません。
一家に一台、
電話が普及すると、
厚くて重い電話帳が
各家庭に配られましたっけね。
Cocoさんの小さな口では
運べないほどの大きさでした。
電話といえば、小学校では
紙コップと糸を使って
糸電話も作りました。
糸電話はこんなふうに
糸をぴんと張らなければ声が伝わらないので
難しかったことを覚えています。
やがて、
電話機は、ダイヤル式から
プッシュボタン式へ。
Cocoさんの肉球のような小さなボタンを
ピポパと押すことで
電話がかけられるようになりました。
公衆電話は街中の至る所にあり、
テレホンカードが普及した時代もありました。
こんなふうに記念写真を撮って
それを使ってテレカを作ることもできました。
留守番電話も
ごく普通に使われるようになります。
Cocoさんは、留守番はできますが
伝言はできないので
やはり、留守番電話が必要です。
ファックスも、各家庭に広がりました。
離れた場所からの文字や画像の情報が
電話を通してべろべろと
吐き出されてくるのは
とても不思議な情景でした。
それから、
電話機の近くにいなくても使える
コードレスホンが一般化。
ポケットベル、というものもありました。
ポケベルが鳴ると
こんなふうに大急ぎで
公衆電話を捜さなくてはいけませんでしたね。
そして現代。
気軽に身につけ
どこにでも持ち運べる携帯電話、
さらにはスマートホンの時代がやってきました。
人々が望めば
テレビ電話の普及も、そう珍しいことではないでしょう。
これから先の夢としては
人や物を、先方に送ることのできる、
電話機の発明でしょうか。
もしも、電話線を通じてこのように
にゅにゅにゅ、とCocoさんが届けられるようになったら
いろいろと便利なことや面白いことが
出来るようになるに違いないのです。
いくらなんでもそれは無理・・・などと
笑ってはいけません。
電話のお話だけに
すべては
「もし」から、始まるのです・・・。
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