3月5日(火)
真っ青な晴天にパールが昇って天国に旅立ちました
とても穏やかな、眠っているようなお顔でした
家族になってくれてありがとう
幸せをいっぱいくれてありがとう
楽しい思い出をいっぱいありがとう
回顧録
昨年の夏は猛暑でした
その6月のとても暑かった日、酷い下痢嘔吐で病院へいくと
腎臓がかなり悪くなっていました
パールはもともと、腎臓の数値と肝臓の数値が良くなかったので
以前から腎臓療養食と肝臓療養食を混ぜて食べさせてましたが、急激に悪化
最初は病院で皮下に点滴をしていただいてましたが、長期に点滴が必要になる為
やり方を教えて頂き自宅で点滴をしつつ療養してました
一度は数値も良くなり始め、毎日点滴が2日に1度になったこともありましたが
昨年の11月頃よりまた毎日点滴が必要になりました
それと同時に使っている薬の影響もあったのか
肝臓の数値も悪くなり始めてきました。
疲れやすくなっていたので、普段のお散歩はムリになりましたが
休日は主人もいるので、バーディと一緒に散歩コースまで行って
パールだけ行き帰り抱っこで向こうで少しだけ散歩するようなってました
たぶんパールの気持ちの中で、お休みで主人がいる時は自分も散歩にいけると思っていたようです
点滴をしたり、薬を飲んだりはしてましたが
自宅の中では昔と変わらないようすでした
今年のお正月も点滴をもって、旅行にも行ってきました
パールとの最後の旅行になった、鳥取砂丘です
(無理はできないので、入り口まで抱っこで連れて行って記念写真を撮っただけですが・・・)
1月18日(金)
朝、仕事に出勤しようと思ったら
パールが痙攣をおこし、すぐに病院へ
病院へ着いた時は落ち着いていましたが、まだ少しぼーーっとしてました
脳にアンモニアが上がってきているようでした
その日と土曜日と2日連続で
あさ9時前に病院へ行って、夜病院が終わる7時まで
病院で血管から点滴をしていただきなんとか状態は落ち着きましたが
もう次に同じように悪くなってくると、使う薬もなくなってきているので・・・と言われてました
療養生活を初めてから、療養食もあれは嫌
サンプルをいただいて、サンプルは食べたのに
商品を注文して商品が届いた頃には、もうそれは嫌と
フードがコロコロ変わる為、下痢が多くなりました
腎臓や肝臓の関係での下痢かと最初は思ってましたが
ドライフードを変更すると、健康なころからパールだけでなくバーディも下痢・粘膜便になることを
手作りフードに変えたころに思い出しました
パールは缶詰は嫌いで一切食べず、ドライフードも食べなくなったので
病院で手作りフードで使ってもいいものを色々教わり
最初はよろこんで食べてくれたのですが
良いと言われていた
カッテージチーズとか豆腐とか・・・
食べない
ダメでもやっぱりトリのササミが好きで
もう食べるならと、好きなものを入れた食事をあげるようにしてました
手作り食に変えてからは下痢をしなくなりました
犬の食事はフードがいいとずっと思ってましたが、本当にそうだったのだろうか?
3月3日(日)
また、痙攣をおこしました
夕方には落ち着いていたこともあり、私がバーディの散歩の用意を始めると自分も行きたいとついてきました。
日曜日だったので、自分も散歩に行けると思っているようで
なんだかお気に入りの河原へ行ける最後のような気が私もして、
この日は私が抱っこして、バーディを主人にまかせて河原に抱っこしていきました
連れて行ってやって、よかった
3月4日(月)
朝、トイレを自分でしようと思うのですがトイレトレイに座っても
足がへにゃーと崩れ・・・
これ病院へ連れて行って大丈夫かな・・・
自宅で点滴して安静にしている方がよくない?と主人に言うと
「昨日痙攣も起こしたし、どうしても病院へ連れて行ってほしい」というので
病院へ
病院でも、「連れて帰って家で見てあげては?」と言われましたが
職場は病院と近いので、何かあったらすぐに来ますと言って預けてきました
今までとは違ってなるべく早くお迎えにきてあげて下さいねと言われてました
病院へ迎えに行くと、朝連れて行った時よりも足取りもしっかりしてました
獣医さんも「少ししっかりしましたし、よくなりました」
「家に帰って様子をみて、調子が昨日よりもよくなっているようなら
明日も短時間でも点滴しますよ」と言っていただき自宅へ帰りました
日曜日と月曜日の朝の様子をみて
そろそろオムツも必要かもしれないねと言って、買ってあったので
その夜初めてオムツをしましたが、やっぱりすぐに脱ぎました
月曜日は病院から帰ってきて部屋の端から縁側までの
水も自分で飲みに行ってましたし
トイレもウンチもオシッコもしたいときに、自分できちんとトイレに行ってました
晩御飯は要らないと言ったのですが
9時ごろ主人が帰ってきて晩御飯を食べ始めると
いつものように主人の側にいました
そして、リンゴを食べると欲しがるのであげると少しだけ食べました
その後、また主人がカステラを食べると欲しがるのでこれもほんの少しですが食べました
そんな様子だったので、ちょっとほっとしてましたが
(亡くなる前日の写真)
夜の10時~11時頃だったか
このベッドに座って
どこを見ているのかぼーーーーっとしてました
(この時間帯、後にパールの実家のママさんとお話をすると「ねえパールが亡くなったの昨日の夜10:30頃?と聞かれました。どうやらパールの兄弟のミルクが玄関に誰かを迎えに行くように何度も出て行っていたようで、パールが向こうの家族にお別れに行っていたのかもしれません。近所だったのでずっと可愛がっていただいでましたので・・・)
ぼーーっとして、そのあと寝たので
ああ寝たねと思ったら
日にちが変わる頃に、また痙攣・・・
そのまま動かなくなりました
あまり苦しまなかったと思います
最後まで食べるものも食べられましたし
やすらかな最後だったと思います
バーディの子
せっかく頂いたのに、たった11歳と半年で死なせてしまったと思うと申し訳ないし
11歳 早すぎて後悔の気持ちは尽きないですが
最後まで本当に親孝行な子でした
ありがとうの感謝の気持ちでいっぱいです
一日遅かったら、主人が夜仕事に出かけなくてはいけなかったから
パールの死に立ち会えてません
そして3月5日は、夜に仕事で出かけるために
昼に仕事を入れてなかったので、荼毘にふす時も2人一緒に行けました
パールは私と主人とに見届けてほしかったのだと思います
そして、荼毘にふす前に
パールが訓練をしていた時の訓練士さんとパールの実家のママさんとパールが生まれた時幼稚園児だったパールの実家の末っ子ちゃん(現在は私よりも身長が大きくなり164cmもあるJKです)
パールにお別れに来てくださいました
パールの実家の当時小学生だったお姉ちゃんはすでに社会人で、あくる日お花を持ってお別れにきてくれました。
パールを送った5日の夜、主人もいないしパールももういないし
しーーんとしていた家に
バーディやパールが訓練していた頃に仲間がお花をもって来てくれました
賑やかになり、きっと人間がとっても好きだったパールもとてもうれしかったと思います
こんなメッセージが付けてありました
そうです
本当に真面目な子でした
思い出がいっぱいで・・・
まだ朝目覚めても「今日パールのご飯何にしよう」と寝ぼけながら思ってます