本当の私の漫画の作風は社会の問題にテーマを当てたものが多い。
今は、恋愛&ファンタジーものであるが、実は内包しているテーマは「人間としての生き方」を問いていたりする。
私の世代は恐らく「1番専業主婦が多い世代」だ。この場合「103万パート」は労働に算定しない。
夫に養われ、良い母、良い妻、持ち家と高級車、収入が良くて健康な夫、出来の良い子供。。。これらを持っているのが「幸せ」という価値観。今もたいして変わっていない。お金と健康、結婚した子供、子供の勤め先、孫のある無し。。。これらの持ち物で幸せを感じているのだ。
漫画で、当時の103万専業主婦の幸せは「砂上の楼閣」だと描いていた。
大人が大人に養われているのは恐ろしい状態だ。養い主の気まぐれで砂の城は砂に還る。
1人の社会人として「経済的自立」をしていないことに、なんの疑問も感じないその生き方は何かがおかしいと若かった私は思った。
昔の話になるが、103万問題。
年間収入がそれを超えると夫の会社の「家族手当」がもらえない。130万を超えると、社会保険の扶養から抜けてしまう。この仕組みのえげつなさに気づいている主婦は少ない。当然、労働意欲は低下する。働けば働くほど収入が減る。扶養から外れ、社会保険料を「取られる」から。社会保険料を払っても手元に103万プラス家族手当の金額が残るには160万以上の年収を稼ぎ出さねばならない。
年金の保険料納付が免除になっているのは、2号保険者(厚生年金加入の企業の労働者)の配偶者だけである。
夫が働いている間は、呑気にしているが、その夫達が定年になってから妻達は気づくのだ。自分の年金は基礎年金だけだということに。これは今、月、6万5000円ぐらいが満額である。
50過ぎて、長時間働いて厚生年金に加入したいと言われても、無理だ。
遺族年金も夫が早く亡くなれば、雀の涙。それでも、この仕組みのえげつなさに気づかず何故か103万パートをやっている人がいた。だが、そもそも企業の方が女性には短時間労働者しか求めていない。企業は社会保険料の半額を負担したくないから。夫の会社の「家族手当」はそのためにある制度だ。
経済界が、安くて使い捨てしやすい労働力を必要として業種を超えて結託していた。
特に、私が働いていた流通業は顕著である。スーパーは「働き蟻」しか必要としていない。
昨日、書いた「養育費も払わない男達」の話もそうだが、日本は「野蛮な国」の側面を持っていると私は思っている。
LGBTQ以前に「男と女」で社会制度や慣行が分断されていてセットになっている。それだけではなく、洗脳して「弱者の第二の性を利用した社会」を継続している。
私が、こういう思考の持ち主になったのはボーボワールの「第二の性」という本に中学2年で出会ったことから始まっている。
「女は男の肋骨から作られた第二の性」
この件については、また、そのうち書く。