精神病棟で生涯を過ごした患者が残したスーツケースの中身(米ニューヨーク)
患者の多くは2度と外に出ることができない。平均的な入院期間は30年だ。患者が亡くなると、通りの反対側にある名もなき墓に埋葬される。そして、残されたスーツケースは屋根裏部屋に収納され、やがて忘れ去られてゆくのだ。
1995年、ここに勤務する職員が1910~1960年の間に保管された400個ものスーツケースを発見した。写真家のジョン・クリスピン氏がその中身と、社会に歓迎されることのなかった人々の心を捉えた。
■1.退役軍人フランク・Cの所持品
ニューヨーク、ブルックリン出身の退役軍人フランク・Cの所持品。裁縫セット 、クシなどの身だしなみ道具、玩具のピストル
、パンの配給カードがある。自分や家族の写真も持っていた。
極めて保存状態がいいフランク・Cの制服。1950年代にしまい込まれて以来、1995年になるまで人の目に触れることはなかった。
フランク・Cの残された家族。彼がウィラード精神病院を退院したのかどうかは定かではないが、ほとんどの患者は院内で死去し、無名の墓地に埋葬された。
フランク・Cの所持品はきちんと整頓されており、精神を病んだようには見えない。
「とても胸に迫るものがあります。ここの人たちはつまりは囚人だったのです」とクリスピン氏。「家族は彼らを見放したも同然だったのでしょう。スーツケース1つだけを渡して、入院させたのです。家族が決めたことなのか、患者本人が決めたことなのかは判りませんが。こうしたスーツケースを眺めていると、患者にはウィラード精神病院に入院する前の外の世界の人生があったのだと思い起こさせます。」
■2.アナという名の女性のスーツケース
彼女宛ではない1枚の手紙と1組の歯ブラシ、華美なベルトと帯が数本のほか、スタイリッシュなヒールやお洒落な帽子が詰め込まれており、ファッションに興味のあった人物であることがわかる。
■3.ドミトリー
このスーツケースの持ち主であったドミトリーは、身元が判明している数少ない患者だ。1953年に入院し、24年間を病院で過ごした。2000年に亡くなっている。
■4.フローラ・T
フローラ・Tが上流の女性だったことは疑いない。香水の瓶、銀のナプキンリングなど、洗練された所持品から裕福な女性だったことが判る。しかし、注射器と薬一式が暗い色彩を添えている。
フローラ・Tが持っていた硫酸ストリキニーネはてんかん治療に用いることが可能。ただし、彼女が入院した理由は明らかではない。
ウィラード精神病院は1800年代から1995年まで開業していた。大勢の患者を収容し、その多くは生涯外に出ることがなかった。現在は受刑者の薬物更生プログラムが実施されている。
これらの圧倒的な品々は、全てが個人の所有物です。スーツケースに残された品々を見ていると、持ち主の人柄までが手に取るように判ります」とクリスピン氏は語る。
これまで80点の写真が撮影された。ニューヨーク州の法律で、スーツケースと病院の患者の記録を照会し、身元を特定することが禁じられている。彼らが入院した原因には様々なものがあるだろう。例えば、てんかんは終身入院の理由だった。性的に奔放な若い女性、同性愛者、子供を失い3ヶ月近く悲嘆に暮れたままの母親、こうした人全てが入院の対象となり得た。
■5.ヘンリー・L
入院患者、ヘンリー・L宛に送られた精密な義足
■6.ピーター・L
ピーター・Lは入院前日のニューヨーク、シラキュースの新聞を持ち込んだ。日付は1941年3月22日とある。
■7.クラリッサ・B
使い古された鞄。クラリッサ・Bのスーツケースはボロボロだが、傷の多くは病院に隔離される前の数十年でついたものだろう。
■8.エレノア・G
エレノア・Gはスーツケースをいくつか持っていた。これはそのうちの1つで、高価な香水瓶、電気ヘアアイロン1式、裁縫セットの残りが入っていた。
■9.マリーのスーツケース
■10.チャールズ
チャールズはツィターの奏者で、1930年代に入院したときも忘れなかった。入院中に演奏が許可されていたのかは不明だ。
■11.モード・K
コルク栓で閉められたままのグリセリンの瓶。モード・Kの鞄に残されていたもの。1893年シカゴで開催された万国博覧会の文鎮も見つかった。
via:dailymail・原文翻訳:hiroching
大きな字はamazonにリンクしています。何が飛び出すかお楽しみください。
お買い物はこのリンク経由でお願いします。