中国に「ビキニ姿のサンタ」、スキーでゲレンデ滑走
[23日 ロイター] - クリスマス直前の23日、中国・河南省許昌市のスキー場にサンタクロースをモチーフにしたビキニを着た女性たちが登場した。
サンタの帽子をかぶった赤のビキニ姿の女性たちは、他の客に混じってスキーでゲレンデを滑走した。
[23日 ロイター] - クリスマス直前の23日、中国・河南省許昌市のスキー場にサンタクロースをモチーフにしたビキニを着た女性たちが登場した。
サンタの帽子をかぶった赤のビキニ姿の女性たちは、他の客に混じってスキーでゲレンデを滑走した。
五代目古今亭志ん生の噺「そば清(そばせい)」によると。(別名;蕎麦の羽織、蛇含草)
私(志ん生)はあまり食べませんな、酒を飲むせいかもしれません。
食べるのは腹八分ですな。それが体にいい。
ソバを13枚食べたのを見ていた客が、今日は15枚食べられないかとけしかけた。
身体が調子良かったので食べられたが15枚は無理だというのを、1分(ぶ。=1/4両)付けるから挑戦してくれと、強引に頼んだ。さらっと食べて1分持って帰っていった。
15ではダメだから20枚で賭をしたらと言うので、イヤイヤ請けて、これもさらりと食べて、2分受け取って帰っていった。
翌日30ではどうかと言ったが、それは無理だと言いながら、再び平らげて1両持って引き上げて行った。
それを隣で見ていた人に笑われたので聞くと、ソバ好きで有名な、清兵衛さん、人呼んで”そば清”だと言う。普段かるく50枚は食べるので有名だという。
みんなで相談し、3両の金を作って60枚で賭に挑んだ。
江戸時代の3両だから、やりたいが未知の枚数だから、清兵衛さん55枚ならと言ったが、60枚でと譲らなかった。
清兵衛さんは1ヶ月ほど信州に商いに行っていた。
その道中で、ウワバミが出て人を飲み込んだのを目撃してしまった。
ウワバミはあまりにも大きなものを飲み込んだので、苦しがっていたが、近くの草を舐めると腹が引っ込んでしまった。
ウワバミも消化を助ける草を知って居るんだ、と感心しながら、その草を摘んできた。
信州では70平らげたから、江戸でも70枚に挑戦してみたいと、清さんに逆提案されてしまった。賭金を集めて5両とした。
30,40,50枚とサラサラと食べていった。60・・・・65枚になって回りがザワザワしてきた。残り2枚となった。さすがの清さんも苦しくなって、縁側に出て風に当たりたいという。障子を閉めると、何かを舐めているような気配がしたので、声を掛けると返事がない。
障子を開けて見ると、清兵衛さんは何処にも居ないが、ソバが羽織を着ているだけであった。
清兵衛さんはウワバミが飲んだのは消化薬だと思っていたが、実は人間だけを溶かす消化薬だったので、清兵衛さんを溶かして、ソバが羽織を着ていたのでした。
五代目柳家小さんの噺、「石返し」(いしがえし)によると。
夜鷹蕎麦屋の親父が腰を痛め、付いて回りであった息子に、今晩は一人で商いに出るように頼んだ。
蕎麦の作り方から、客扱い、場所選び、売り声まで一通りおさらいをして、夜の街に出掛けた。
明るいとこでなく、暗い所で売れと、教えられたとおり、人通りのない武家屋敷に入っていった。
そこは番町鍋屋敷と言って商人達には悪評の立っている屋敷であった。
屋敷の塀から声が掛かった。
初商いで、持参した50食分が総終いだと喜んで、吊された鍋に蕎麦玉を徳利に蕎麦つゆを入れて、窓の内に引き上げてもらった。
蕎麦代は投げると見失うので、門番の所に行ってもらうように告げられた。
行ってみるとアレは狸だと言う。
お前は化かされているので、ここでは払えないと門前払い。
お前は総領面で、ぼぉ~っとしているから騙されるんだと、だめ押しの言葉。
初めて蕎麦を語り取られた事に気づいて泣きながら帰ってきた。
親父に事の仔細を話すと、「それは狸でも何でもない。仲間内では有名な番町鍋屋敷で、商人(あきんど)を騙していじめているんだ。これから仕返しに行くぞ。」と言う事で、汁粉・日の出屋と書き改めて屋敷下に来た。
相変わらず、汁粉屋を騙してやろうと声を掛け、鍋を下ろしてきた。
狸の顔が見えたし、鍋は狸の千畳敷だと騒ぐ息子を制止しながら、鍋をはずして、かたわらの石を紐に結びつけて引き上げさせた。重い感触に喜びながら「鳥目(ちょうもく)は門番の所でもらえ。・・・な、なんだ、これは!」。
「先ほどの、石(意趣)返しです」。
桂歌丸の噺、「おすわどん」(おすわどん)によると。
江戸時代、下谷の阿部川町に呉服商の上州屋徳三郎さんが住んでいた。
女房おそめと大変仲の良い夫婦であった。
おそめさんは病の床について、それが元で亡くなってしまった。
一周忌も終わって親類からも薦めるので奥で働いているおすわという後妻を娶った。
おすわどんは良く働き店の者にも評判が良かった。
夫婦仲の良い二人が出来上がった。
二十日過ぎのある晩、徳三郎は夜半に小用に立って部屋に戻るとき、表の戸を”ばたばた、ばたばた”と叩くような音がした後にか細い声で「おすわどォ~ん。おすわどォ~ん」と聞こえてきた。
空耳かなと気にも留めなかったが、次の晩も同じ時刻に、表の戸を”ばたばた、ばたばた”と叩くような音がした後にか細い声で「おすわどォ~ん。おすわどォ~ん」と聞こえてきた。
先妻が恨んで出たのかと一瞬思った。
ところが毎晩「おすわどォ~ん」と呼ぶ声がして、奉公人も怖がってひととこに丸まって耳を塞いでいた。
それを聞いたおすわどんも気を病んで患ってしまった。
亭主は誰かの嫌がらせだろうと、番頭に頼んだがそれだけは勘弁してくれと逃げ腰であったので、剣術の荒木又ズレ先生に犯人を捕まえてもらうことにした。
いつもの深夜、先生が待ち構えていると、表の戸を”ばたばた、ばたばた”と叩くような音がした後にか細い声で「おすわどォ~ん。おすわどォ~ん」と聞こえてきた。
バタバタっと駆け寄って捕まえてみると、夜泣き蕎麦屋であった。
「その方か、毎夜、店先でご家内の名を呼ぶのは」
「いいえ。私は毎夜商いをさせてもらっているお蕎麦うどん屋です。
『お蕎麦うどォ~ん』と。」
「『お蕎麦うどォ~ん』?『おすわどォ~ん』。バタバタさせているのは何だ」、
「それは渋団扇で七輪の口を扇いでいるのです」。
「病人も出ており、拙者も頼まれたことだから、その方の首をもらう」
「身代わりで勘弁して下さい。私の子供を差し出しますから」
「引出しから出した、これは何だ」
「蕎麦粉でございます。蕎麦の粉だから蕎麦屋の子でございます」
「ふざけるな、こんなものを身代わりに取ってどうする」
「手打ちになさいまし」。
六代目三遊亭円生の噺、「 御神酒徳利(おみきどっくり)」によると。
主役は日本橋馬喰町の大店・旅籠刈豆屋吉左衛門で働く通い番頭の善六さん。
年に一度の十二月十三日大掃除の時、先祖が徳川様から頂いた銀の葵のご紋の入った一対の家宝の御神酒徳利が台所に転がっているのを見つけた。
しまうところがないので水瓶の中に入れ、そのまま忘れてしまった。
このお神酒徳利で大神宮様にお神酒を上げるのが慣わしになっている。
後で、徳利が無いと大騒ぎ、善六さん家に帰ってから思い出したが、今更自分がしたとは言えない。
すると 、おかみさんは父親が易者だったので、徳利のあるところは判っているからソロバン占いをして、出せばいいと言う。
生涯に三度だけ占う事が出来るという触れ込みで、占う事にした。
無事徳利が見つかったというので、ご主人は大喜び。
幸か不幸かこの見事な、不思議な占いを宿に泊まっていた鴻池の支配人が知り、実は鴻池の一人娘が難病にかかり、その原因がどうしてもわからない、それを何とか占って欲しいと依頼する。
善六は本当に占いが出来るわけがない。
善六は引き受けたくないが、おかみさんにそそのかされて、こんなチャンスはめったにない上に三十両が貰える、占いは適当にやればいいからと大坂にしぶしぶ行くことにした。
善六さん、支配人と大坂に向かう道中、神奈川宿で、滝の橋の新羽屋 (にっぱや)源兵衛という鴻池の定宿に泊まろうと立ち寄った 。
店の中が慌ただしい。
女将が言うには、四,五日前に薩摩武士が泊り、金七十五両と幕府への密書が入っている巾着が無くなったので、内部の者に嫌疑がかけられ、主人源兵衛は取調中とのことだった。
これを聞いた支配人、じゃここにおいでになる占いの善六先生に見てもらったらいい、まだ1回あるからお願いしますという。
もとより占いを知らない善六は 、お供えにハシゴだワラジだ大きなおむすびだと夜逃げの算段。
すると夜中に女中が善六の部屋にやって来て「自分が親の病気を治したいばっかりに盗んだ」と白状した。
隠し場所は嵐で壊れた庭の稲荷の社 (やしろ)の床板に隠したと聞いて女を帰した。
早速宿の女将を呼んで、あたかもソロバン占いに掛が出たと、在りかを当てたので宿中大喜び。
新羽屋から礼にもらった三十両の内女に5両与え、女将には稲荷の社を直すように諭し大坂へ。
三度目の占いに掛かった時は、苦しい時には神頼みで、水垢離を続けた。
すると満願の日、神奈川宿の稲荷大明神が夢に現れ、稲荷の社の修復と信心が戻った事への感謝をあらわし、「鴻池家の乾(いぬい=北西)の隅の柱の四十二本目の土中に観音像が埋もれているから、これを掘りだして崇めれば娘の病気はたちどころに治る」と教示があった。
掘ってみると夢の通り観音像が出てきた。
鴻池はこれを機に米蔵を開いて大坂三郷の貧民に施しをしたので、慈善の徳で娘の病気は全快した。
善六は鴻池から金を出してもらって馬喰町に立派な旅籠屋を建て、いままでの貧乏暮らしが一躍大金持ちになった。
もともとソロバン占いで成功したので、生活が桁違いに良くなったのだという。
スミスが事務室にいる上司に会いに行った。
「実は明日、大掃除をすることになって、妻が会社を休んで屋根裏と車庫でものを動かしたり運んだ りするのを手伝えって言うんですが。」
「うちは人手不足なんだ、スミス君」と上司。
「休みをやるわけにはいかんよ。」
「ありがとうございます」スミスは答えた。
「そうおっしゃっていただけると思っていました!」
「大掃除」
大掃除なので意を決して会社の開かずの間に踏み込んだ。
堆積した埃で床が見えない。
会社中の掃除機を動員する騒ぎの末、なんと底で膠着状態になっていた会議が発掘された。
掘り出された七万年前の役員たちが古代の言葉で罵りあいを始める。
満場一致で掃除機のフィルタを開け、塵の地層にお帰り願った。
年末ぎりぎりにまとまった平成27年度税制改正大綱の狙いは明確だ。少子高齢化が進む中、いかに日本経済の再生を図るか-。安倍晋三首相が導き出した答えは、子育て世帯や企業を税制面で優遇することだ。その結果、財政再建が後回しになるのは、ある程度はやむを得ない。今回の税制改正は、「経済再生なくして、財政再建はあり得ない」と主張する“アベノミクス”の基本理念を地でいく内容となった。
「それじゃダメだ」
今月14日投開票の衆院選直後、甘利明経済再生担当相は財務官僚の“提案”を即座に却下した。財務省の提案というのは、法人税の実効税率の下げ幅に関し、27年度は2%程度、2年で2%台後半とする内容。たが、甘利氏には、財政再建を優先させようとするあまり、少しでも減税幅を抑えようとする財務省の抵抗としか映らなかった。
もともと、甘利氏ら首相周辺には、財務省に対する不信感がある。今年4月の消費税増税前、景気への悪影響を懸念する首相らに、財務省は「経済対策の効果で景気は持ち直す」と説明していた。ところが結果は、景気は持ち直すどころか、個人消費を中心に、今も冷え込んだままだ。
その轍(てつ)を踏むまいと、首相が今回の税制改正でこだわったのが法人税の大幅減税だ。念頭にあったのは29年4月に実施される消費税率10%への引き上げ。それまでに、再増税の衝撃に耐えられるよう、経済の足腰を強くしておく必要がある。さらには、企業の業績を押し上げて賃上げを促し、給与増の実現によって消費を拡大させる-というアベノミクスの「好循環」を実現するため、首相は法人税減税に賭けた。
一方、かつては「政府税調は軽視しない。無視する」とまで豪語していた自民党税制調査会。今回の改正では、その威信にかけて、財政規律を維持する税制体系の整備を目指していた。法人税減税方針には、減税分を恒久的な財源で補うことを求めていた。
しかし、突然の衆院解散・総選挙が大きな誤算だった。議論の遅れもさることながら、首相サイドが野田毅・税調会長の選挙での党公認見送りまでチラつかせて、プレッシャーをかけてきたからだ。
自民圧勝に終わった選挙後、ある党幹部は「今やベテランでもクビにされそうになる時代だ。税調はベタ折れだ」と肩をすくめた。この言葉通り、甘利氏は22、24日に野田氏と会談し、法人税の大幅減税に向け野田氏から「努力します」との言質をとった。
まさに「政高党低」の力関係で決着した今回の税制改正。野田氏は30日の記者会見で、「税調の威信は保たれているか」との質問に対し、「当然、保たれている」と答えつつも、自虐気味にこう付け加えた。
「(党と)対立して官邸のほうが強いようにしたほうが、マスコミはおもしろいでしょう。私が非力なせいかもしれませんが…」(今井裕治、沢田大典)
メイド
ウイスキー好きの男がいた。
彼はそのウィスキーを毎晩ちびちび飲むのを楽しみにしていた。
しかし最近出かけている間に少しっつ量が減っている気がする。
そこで以来出かける時ビンに指輪で傷をつけて残量を確認することにした。
数日後メイドからの置手紙が机に置いてあった
「どうかマスター、ビンに傷をつけて残量をチェックするのはおやめください。こんな上等なウィスキーを薄めていくのは私の良心がゆるしませんので。」
100階建てホテル
あるところに5人の大学生がいました。
彼らは1999年の大晦日にシンガポールに旅行に来てました。
そして運よく100階建の最上階つまり100階の部屋に泊まれることになりました。
大晦日の日彼らはシンガポールのそのホテルにチェツクインして、荷物をおいて、街にあそびに行こうとし、ロビーを通った時にフロントの人に、
「今夜、2000年問題が起こるかもしれないので、12時ちょうどに、ホテル内すべての電気を消します。だからそれまでには帰ってきてくださいね。」
と言われた。
…しかし彼らは遊びに夢中になりその約束をすっかり忘れて12時をすぎてしまいました。
フロントも真っ暗でエレベーターも止まっている。
寒すぎてこのままフロントで寝泊まることもできない。
仕方なく彼らは100階の部屋まで階段で100階の部屋まで行くことにした。
20階…30階…40階…とだんだんと足が棒になってきて、50階でついにばててしまいました。
「オイ、このまま上がっていくと、本当に足が動かなくなる、1階上がる毎に交代で怖い話しをして気を紛らわそう」
と一人の人が言った。
そして1階上がるごとに怖い話しをして、なんとか上にあがっていった。
そしてついに99階にたどりつくことが出来ました。
すると最後の一人が
「いいか、俺が今から言う話しは…本当に怖いからな、絶対にビビルなよ」
と他の4人に強く言った。
(どんな話しだろう…)と仲間達は息を飲んだ。
そして、彼はいった。
「一階に…鍵を忘れた…」
柳家小さんの噺、「御慶(ぎょけい)」によると。
暮れの28日、屋根屋の”八つぁん”が富に当った夢を見たので”富”を買いたいと言い出す。
買う金がどこにもないので、親の形見の女房が着ている半纏を強引に質入れして、1分を借り出し湯島の天神に駆けつける。
買う札は夢のお告げで、
「ハシゴの先に鶴が止まっているのを見たから、鶴は千年生きるので”千”ととめて、ハシゴだから”八四五”で”鶴の千八百四十五”をもらおう。」
「たった今売り切れました」。
がっかりしながら歩いていると、易者が見て占ってあげると呼び止める。
それによると「ハシゴは下るものではなく、主に登るものだから、八四五でなく”五四八”である」という。
見料も払わず”鶴の千五百四十八”を買いに行くと残っていたので、喜んで買い求める。
境内にはいると富が始まっていた。
最後の大富、壱千両に見事当たった。
今だと手数料を差し引かれるが、それでも八百両を持って帰って、離縁されそうになっていた女房に見せ、喜ばせる。
さっそく大家の所に行って、貯めた家賃八つを払い、祝儀をはずんで喜ばれる。
易者にも払い、誂えは間に合わないので市ヶ谷の古着屋”あまざけ屋(屋号)”に行って、裃(かみしも)から下着まで一式を揃えた。
近所で脇差しも買った。
大晦日は豪勢な年越しをして、女房に手伝ってもらい、裃も着付けた。
日の明けるのももどかしく出かけ、一番に大家さんに挨拶に行く。
白扇を前に差してもらい、長い祝辞は言えないので、簡単な挨拶を教えてもらう。
おめでたいことば「御慶」と、上がって行きなさいと言われたら、「永日(えいじつ)」と言って、引き下がりなさいと教えられる。
近所の家に年始に回り、「御慶」と「永日」を繰り返し、みんなの目を白黒させる。
路上であった友人にも「御慶」と「永日」を発する始末。
3人組には3回続けて「御慶」「御慶」「御慶」とどなり、
相手が何のことか分からずききかえすと「御慶(ぎょけい=どけい=どこへ)と言ったんだ」、
「恵方(えほう)参りに行ったんだ」。
大晦日に生まれた子どもは親孝行 (法律事務所)
「大晦日に生まれた子どもは親孝行」
年末調整や確定申告の時期に聞くジョークです。所得税の扶養控除が12月31日時点の人数で決まるため、1日しか扶養していないのに1年扶養したのと同じ控除が受けられるのです。
【ソウル=名村隆寛】「ナッツリターン」という流行語まで生み出した大韓航空をめぐる一連の騒動では、同族支配の横暴や官民癒着、醜聞の隠蔽(いんぺい)といった韓国財閥の典型的な“悪習”が次々と露呈した。
趙顕娥(チョ・ヒョナ)前副社長は、大韓航空を傘下に置く財閥、韓進グループの会長の長女で、財閥3世。韓国世論は、労せずして財閥企業の役員となった「お嬢さま」による権力をかさに着た横暴さと、同族財閥企業の身内重用の体質を猛烈に批判した。
大韓航空は朴正煕(パク・チョンヒ)政権当時、赤字続きの国営会社を韓進グループの創始者(趙氏の祖父)が引き継いで民営化した。
輸出主導型の経済成長を目指した韓国の財閥のほとんどは創業者一族による経営だ。1970年代の高度成長以降、政府の後押しもあり、財閥の力が増大。現在、韓国経済の大部分は財閥が握り、国内総生産の75%余りは10大財閥の売上高が占めている。
時の政権も財閥の存在を無視できず、財閥と政権の距離は接近。過去には財閥と政権周辺をめぐる不正やスキャンダルも起きた。趙前副社長の父親で韓進グループ会長の趙亮鎬(ヤンホ)氏は2018年の平昌冬季五輪の組織委員長も務め、政権にも近いとされる。
問題発覚後、大韓航空の常務が中心となり隠蔽(いんぺい)工作に走ったことも社会の怒りを買った。この常務は大韓航空に15年間勤務していた国土交通省の調査官と数十回にわたり連絡をとり、副社長を守るために奔走した。
調査官は常務だけでなく、大韓航空の他の役員とも親密な仲で、常務らに事件の調査内容を漏らし、秘密漏洩(ろうえい)の容疑で逮捕された。財閥企業から国交省への「逆天下り」と、昔の関係を利用しての便宜供与などの癒着ぶりには「珍しくもない」との冷ややかな声もある。
実際、大韓航空に国交省の職員が搭乗した際は、エコノミークラスからファーストクラスへの座席の「格上げ」が当然のように行われていたという。
たからのひょうたん
『宝の瓢箪』
― 岩手県 ―
昔、あるところに貧乏(びんぼう)な正直爺(じい)がおったと。
その日、その日をどうにかしのいでおったが、一度ぐらい福運(ふくうん)が向いて来ないかなあと思って観音(かんのん)さまに詣(もう)でて、七日七夜(なのかななや)のお籠(こも)りをしたそうな。
やがて満願(まんがん)の日になったが、何の霊験(しるまし)もない。爺は何とも呆気(あっけ)ない心持ちがして、お堂の前の坂道をぶらりぶらりと降りて来たと。
ところが、爺の後から瓢箪(ひょうたん)が一つ転がって来た。
どこから転がって来たんだろうと思って立ち止まって首を傾(かし)げていると、その瓢箪もまた転がるのをやめた。不思議に思って爺が歩き出すと、瓢箪もまた爺のあとから転がって来た。
「おかしな瓢箪だなあ。どれ、そんじゃあわしにだっこしてみろ」
と両手をさしのべると、ピョコンと跳(と)び乗って、その中から小っちゃい二人の童(わらし)が飛び出したと。
爺が目をまんまるにしていると、二人は、爺のたまげた顔を見て笑いながら、
「俺らたちは観音様からのいいつけで、爺のところにきた金七(きんしち)と孫七(まごしち)という者だ。これから爺に福を授(さず)けるから。何が欲しい」
という。
爺はやっと合点(がてん)がいって、
「それはありがたいこんだ。遠慮するのはかえって観音様に悪かろう。それではわしの大好物の神酒(おみき)を少々、それから団子」
と望むと、二人はそれを瓢箪から取り出したと。
爺は、たらふく飲み、食べたと。
ここちよくなった爺は、金七、孫七を連れて、その瓢箪を肩に担(かつ)いで旅に出たと。
行く先々で瓢箪から色々なごちそうを取り出して、大勢の人たちにふるまったと。
そしたら、たちまち評判(ひょうばん)になって、あっちの村、こっちの村で祝い事や法事どきの仕事を頼まれたと。
あるとき、いつものように道端で沢山の人にごちそうしていると、馬を七匹ひいた馬喰(ばくろう)が通りかかった。爺のごちそうをごちそうになっているうちに、その瓢箪が何としても欲しくなった。
「その瓢箪、おれに売ってくれんか。懐金(ふところがね)三百両に引き馬七匹を添(そ)えるがどうじゃ」
「これは売れんのじゃ」
爺がことわると、金七と孫七が「売れ」「売れ」とささやいたと。
二人が言うんじゃあと、爺はやむなく売ったと。
馬喰は、爺の気が変わらん内にと、金と馬をその場に置いて、ひったくるように瓢箪を持って行ってしまった。
馬喰は、その瓢箪を殿様(とのさま)に献上(けんじょう)して、そのごほうびに国(領土)のひとつでももらうつもりだったそうな。
それである日お城に行って、世にも不思議な瓢箪を献上したいと申し入れたと。
殿様も、かねてから、その瓢箪の評判を聞いておったので、戦(いくさ)のときの兵の食糧(しょくりょう)などは、それを持って行けば事足りると大喜びしたそうな。
馬喰はお城の広間で、殿様の前で瓢箪からごちそうを出して見せることになったと。
ところがどうしたことか瓢箪からは何んにも出てこないのだと。
殿様は火のように怒って、馬喰を百たたきにしてからお城の外へつまみ出したと。
爺は馬喰が置いていったお金をもとに、大層(たいそう)な長者(ちょうじゃ)になって、金七、孫七の二人の童と一緒に、のちのち楽しい毎日を送ったそうな。
いんつこ もんつこ さかえた。